土佐との交渉と当主の不満
土佐の国 岡豊城 安国寺恵瓊
四国に着き、南下して土佐に入った。
山を越えると景色が瀬戸内と一変した。
南国とあって夏は暑く、冬は暖かいようだ。
城の番兵に取り次いで貰い、長宗我部元親殿に会った。
伊予に侵入していた、一条氏と戦い、土佐から追い出したばかりだと言う。
なるほど、元親殿が、四国を制するのは長宗我部氏と言っていたが、そうなるかもしれん。
阿波、讃岐の三好氏は衰退が激しい。
伊予も河野氏も衰退し、他の豪族が伊予の統一を目指している。
我が毛利も一次介入したが、大友も介入した。
四国が長宗我部氏によって統一され、同盟していない場合、山陽に圧力がかかる。
毛利は兵力の分散を余儀なくされる。
長宗我部も北からの圧力を感じて、兵力を置かざるを得ない。
長宗我部がこの話にのり、同盟したら圧力が軽減される、阿波と伊予に兵力が集中できる。
とりあえず、土佐が統一と南伊予を得たことを祝っておこうか。
土佐 岡豊城 長宗我部元親
遠く毛利から使者が来るとは、これから阿波へ撃って出るつもりだったが、四国を得た後、織田と組み、毛利や大友に圧力をかける予定だった。
しかし、私は毛利が織田とやりとりしていることも知っていた。
しかも、毛利は現状維持を示している。
伊予への介入をしなくなった。
毛利が織田と組む予定であれば、毛利への兵力を置く必要がなくなるだろう。
軍事的には悪くはない。
息子の相手は備中の三村からということになる。
毛利は娘もいるが、全て嫁いでいる。
三村の娘を養女として嫁がせるのだろう。
備中の三村か、噂をつとに聴いている。
領地の内政に関しては言うことはない、領民には慕われている。
産業の発展は自国の鉱物資源を上手く使いながら堺や博多に売ってもうけながら火縄を得ている。
硝石についてはほぼ自前で作っているらしい、羨ましい限りだ。
軍事は備前の宇喜多と互角に遣り合いながら、衰えた尼子の隙を見て西美作や伯耆を得た。新見での火縄を上手く使い、尼子を大敗させた。
それ以後の宇喜多との戦闘は言うまでもない。
恵瓊殿に息子の相手については言うことはないが、両人ともまだ幼くないか。
彼は早い方がよいと、織田がどのように見るかはわからないが、連携を取りながら対応したいと。
確かに、どのように織田が対応するかはわからない。
とりあえず、弟二人と話し合い、決めるか、
恵瓊殿には別室で待機して貰うかな。
吉良親貞、香宗我部親泰を呼んだ。
二人は毛利との提携について賛成のようだ、
後は家臣達の説得をするか。
待たせている恵瓊殿に了承することを伝え、四国への毛利介入はしないとことを条件を伝えた。
備中の国 備中松山城 三村元親
土佐からの帰りに恵瓊が立ち寄って、これからのことについてと娘の輿入れは五年後で、
毛利の四国への不介入を要請してきた。
四国への不介入は言ってくるだろうから、それの説得だろう。
あの宇喜多が毛利と長宗我部の提携について、どのように反応するかだ。
俺としてはあの機を見るに敏感な謀略家だから、孤立を恐れるだろう。
第六天魔王からは勢力が遠い。
おそらく毛利に着くだろう。
俺としては気にしない、戦国の世の習いだからな。
恵瓊にあれは邪心があるため、監視する必要があるから気をつけておくようにとだけは言っておいた。
恵瓊は頷き、さらに第六天魔王に報告をあげておくことについては、これも同意見だ。
とりあえず、安芸に報告に戻り、再び美濃に恵瓊は行くことになる。
安芸の国 新高山城 小早川隆景
恵瓊が土佐より帰還してきた、その間、足利将軍家や石山本願寺から何度となく、援護要請してきたが、そんなものは無視するに限る。
私も元春兄上もあれは毛利に厄災を齎す厄病神にしかならないと思っている。
元親殿や元清、元長、隆家殿、貞俊、通良も同じ意見らしいが、輝元様は分かってない。
元親殿が何故、織田を恐れているのか。
敵に回ると宇喜多と連合して攻めてくる可能性があるからだ。
そうなると、元親殿は防ぎようがないと見ている、例え最初は防げても、物量で押されるだろうと。
元親殿が長宗我部との同盟、提携はそれを防ぐ一貫だと説明した時も反発していた。
渋々の感じであったな、輝元様は。
長門 萩 吉川元春
儂は現在、大友や他の九州の勢力の動きを見ている。
この間の集まりでの元親殿の考えを聞いた時、儂は当初は考える時間を貰い、冷静に考えてみた。
あまりに面白い考えである。
そうか、土佐の統一を成したばかりの長宗我部に四国統一を促す。
毛利は不介入し、四国への権益は捨てる、よく考えてみたら、長宗我部が伊予を得れば、大友に圧力をかけれる。
渋々、了承した、輝元様を見て、思ったことがある。
昔、亡くなった兄、隆元が自身の能力が大殿や私、隆景に遠く及ばない劣等感を抱いていたのと同じだ。
輝元様と同じ年頃の息子の元長は、まだ、儂に及ばないが知勇に優れている。
宍戸に嫁いだ姉の娘、輝元様にとって従姉妹の一人は当初は同盟関係の他家に嫁ぐ筈が、大殿の意向で備中の元親殿に嫁いだ。
武勇に関しては元長が上だが、智謀や政治能力は元親殿は隆景を越えるくらいの物がある。おそらく隆景はあれを本当は側に置きたいのだろう。
しかも、これも輝元様と同じくらいの年頃じゃ。
二人が出来れば出来る程、輝元様は劣等感を感じておる。
貞俊や通良がおる故、大丈夫と思ったが、儂がしばらく輝元様を教育してやらねばなるまい。
備中の国 備中松山城 三村元親
最近、元長殿が石見、出雲の統治についての相談をしに来ている。
彼とは年齢も近いし、仲が良い。
出雲も小さいながら、鉱物資源もあるし、港も多く、交易も可能だ。
石見はなんと言っても当時、最大規模の銀山がある、尼子、大内、毛利の取り合いになったが、やはりこれに頼るのではなく、いろいろな産業開発や新田開発、あらたな鉱物資源の発掘を行う。
治安維持をはかりながら、内政が可能だ
道を整備し、安芸や備後、長門、周防、伯耆に行きやすくする。
石高もまあまあだ、出雲や石見がしっかり統治されれば、増援を請いやすくなるからな。
元長殿と話すことはまだある。
羽衣石城の南条に最前線を任す危険性を指摘しておいた。
史実、南条宗勝は尼子から毛利に着いたが、
息子の元続は毛利から離反し、猿に鞍替えし、鳥取城落城に一役買った。
裏切る可能性があるかもしれない。
領地を変えるようにするか、明石全登に倉吉に城を築いて貰うようにするかどうすべきか。とりあえず、倉吉に城を築く決定が成された。
元長殿は少し逗留して出雲に帰って行った。