伯耆占領と尼子旧臣の登用
伯耆の国 米子城 三村元親
吉川元春と対面している。
元春は開口一番「やりおったな。まあ、約束だったからな。これからのことだが」
俺は頷き「尼子義久殿は安芸ですが、旧家臣達は如何になりましたか?」
元春「反意がある者もいるしの。特に立原久綱、山中鹿之介、お主が新見で敗った秋上綱平、宗信親子、亀井秀綱と娘婿の湯国綱」
元親は自由に放牧させるのも危険であるため、全て召し抱えたい旨を伝えた。
元春は息を呑んだ。
元親としては備中、西美作、伯耆と領地が増えていることもあって、人材の不足が顕著だったためだ。
元春に彼等と会わせて欲しい要請を頭を下げてお願いしてみた。
伯耆の国 米子城 三村元親
尼子の旧家臣達と会合の機会を設けた。
しばらく時間がかかったようだ。気持ちを落ち着かせる時間が必要だったのだろう。
俺は開口一番、尼子の旧臣全て召し抱えを伝えた。そして、彼らにトドメの言葉を言ってみた。新宮党の生き残りを旗頭にするのか、と。さすがに立原久綱の顔色が変わった。
同じ場所 立原久綱
まさか三村に知られてたのか、信じられない思いだった。更に元親殿はこれ以上、百姓達を苦しめることは止めるようにも。尼子を再興したいという思いは分かるが、百姓や人々を苦しめてまで再興してどうなる。再興しても民心を離すだけではないのか。それに我々が抵抗すれば、義久殿の立場が悪くなるだけ、下手したら危ない。新宮党の生き残りを担ぎ出しても既にその人の人生を潰してまで意義があるのか、意地というのも分かるが、多くの人々を苦しめてまで尼子の再興、考える必要があるのかと問うた。
答えられない思いだが、元親殿の言葉は分かるが、やはり納得しきれないものがあった。
しばらく考える時間を与えて元親殿は去って行った。
甥の鹿之介は項垂れている。
綱平と宗信親子は考え込んでいる。
秀綱殿は黙ってるが、湯国綱は既に道を決めたようだ。
伯耆の国 米子城 三村 元親
武士の意地を示したいのは分かるが、彼らに必要なのは考える時間だ。
明日には、備中への帰還だ。
ここは全登と小西如清に任せるか。
いずれ、元範を派遣するようにしておこうか。夜更けと言っていい時間に尼子の旧臣の一人、湯国綱が会いたいと言ってきた。
(この人物は後の亀井茲矩です。)
米子城 湯国綱
私は義父は考え込んでいるが、私は既に答えが出た。確かにあの籠城で十分すぎるくらいの意地は示せた。我々が意地を示せば示すほど領民達を苦しめるだけと言われてしまった。しかも堂々と。
それに義久様の身を危うくすると言われた。元親殿は毛利に仕える気がないのなら、備中に来ないかと誘ってくれた。
三村は確かに毛利の一族だが、唯々諾々と従ってはいない。
三村の伯耆遠征は独力で行えるだけの力を持っている。
いろいろ考えながら、元親殿が入ってきた。
元親は湯国綱を見て話しかけた。
「秀綱殿は?」
私は自身の判断にて参りました。と
元親殿は頷き、「秀綱殿はあの経久殿から仕える尼子屈指の名臣ゆえ。隠居されるかな」
私自身は元親殿に少なからず、興味があった。火縄をこの地域で山ほど持ち、その気があれば、十分に天下を狙える場所にもいる。
「亀井家は私が継ぐことになりましょう、尼子家が滅びた以上、武士として生きていくには他家に仕えてでも、生き恥を晒してでも家を保つしかない。領民のことを言われたら心苦しい。元親殿、よろしくお願いしたい。一つだけ義久様をのお引き取りの件、元親殿の力でどうにか出来ませぬか。」
元親「今はまだ難しい。ただ言えることは義久殿の身を如何に守るかで、時が来るまで我慢するしかない。捲土重来を図りながら。毛利と粘り強く交渉するしかない。毛利が義久殿を手放したくないのは、義久殿が手に入った途端、貴殿らが蜂起されると石見や出雲のは再び乱れ、他国につけこまれる恐れがあるからだ、それが無くなるまで義久殿は大丈夫、それに、毛利の大殿は師の孫だし、思うところがあるのだろう。それと私としても我慢して貰いたい。お主らの気持ちがわからないまでもない。領主たる自分が我慢している、個人的なことに振り回され、領民を苦しめることは出来ぬからな」
国綱は誰のことを指しているのか合点して頷き、部屋から去って行った。
尼子の旧臣達が集まる部屋から戻った国綱は話をした。久綱はため息をついた。
国綱「考えてみたら、元親殿は若いのに我慢している。同じ年頃やそれ以上の年の我々が我慢出来ないのは如何なものか、それに義久様の身を危険にさせることは家臣たる我々がしていいことではない。」
綱平も頷いた。「宗信、お主はどうするかは自分で決めよ。儂は、お主に秋上家の家督を譲り、備中で隠居する。秀綱殿もな。」
宗信「わかりました。秋上家を継ぎ、元親殿に仕えながら、義久様の件を毛利に訴えかけることにしましょう。国綱の言う通り、元親殿という存在が。宇喜多への憎悪はあるのにそれを抑えて動かれている。で久綱殿はどうされる」
久綱「やれやれ、宗信の言う通りだろう、毛利への復讐心を抑えて、我慢するか。鹿之介、元親殿の言う通りだろう。我慢して時を待とう。何十年でも、儂や綱平、秀綱殿が先に逝くことになるだろうが、ただ尼子の復興は忘れることなくお主ら若い者が引き継ぐ。だが、儂はまだ隠居せぬ。三村でいつでも義久様が迎えられるようにやっていく。」
鹿之介は頷かざるを得なかった。
元親はまだ起きていた。全登と伯耆のことで話をしていた。
「尼子の旧臣が召し抱えれるかわからないからな。とりあえず米子は、元範に行ってもらい、補佐として、全登と小西如清にやってもらう。これは決定だが、うん。どうやら来たかな」
尼子の旧臣達が入ってきた。立原久綱が代表して「夜分、申し訳なく、旧臣全員で話し合った結果、元親殿、宜しくお願いしたい。ただ、秀綱殿と綱平殿は備中で隠居し、亀井家は国綱殿が継ぎ、綱平殿の後は宗信殿が継ぐことになりました。私と鹿之介はそのままということに、義久様の件は宜しくお願いしたい。」
元親は頷き、「承知しました。お約束いたしましょう。毎年初めに毛利に訴えかけるようにしよう。久綱殿、毛利への復讐は捨て、ただ尼子の復興のみという約束だけはして下され。」
久綱は頷いた。
秀綱と綱平は部屋から去っていった。
残った者達だけで、伯耆と備中、西美作の地図を見ていた。
元親は伯耆は私の弟の元範を中心に全登と小西如清、湯国綱、秋上宗信を残すことにし、
自身は立原久綱、鹿之介、隠居する亀井秀綱と秋上綱平をともなって備中に帰還することになった。
明くる日、吉川元春を尋ね、尼子の旧臣全ての召し抱えと義久の件について話した。
元春はかなり難色を示したが、立原久綱の毛利への復讐を捨て、尼子の復興のみの許可の了承を示していることを聞いて、その誓詞を書き、大社に奉納させるように命じた。
久綱に警戒されているようだ、仕方ない。と俺は旧臣達全員に誓詞を書かせて、大社に奉納させた。
その後、備中に帰還し、伯耆遠征は終わり、伯耆は三村の領土となった。