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生き残り兵乱記  作者: 遥か大地に
12/49

尼子の敗北と宇喜多の撤退

備中の国 新見 三村元親


尼子軍が攻めてくるので、迎撃の準備をしている馬防柵を構え、二千挺の火縄、千梃の短筒を持つ部隊を五つにし、斉射をくり返す方法は長篠に少し工夫をしただけだ。

俺に秀清、俊通、根来や雑賀衆らと密かに考案し、斉射の隙を作らないように馬防柵を登って来る敵兵には長槍を使うようにした。

後は、訓練通りにやるだけだ。

そして尼子の大軍が現れ、近づいてきた。

秀清が構えの命を出し、軍配を振り下ろした。

尼子方 秋上 綱平


火縄の発砲の度、我が尼子の兵は倒れ、約一万の大軍は一方的に叩かれている。

何故、こうなった。三村の火縄は少ないという話だったはずだ。それなのに・・・。

元就の罠か、それとも元親の・・・。

息子の宗信は私に撤退を進言している。

すまぬ、山中殿、援軍は不可能だ。


七千近い尼子の兵を失い、伯耆へ撤退していった。これにより、尼子の毛利への降伏が早まることになる。


新見 三村元親


俺は息を吐いた。なんとか撤退してくれたか。追撃を進言する者がいたが、全て却下した。伯耆へ向かうだけの力はまだないからだ。

それに宇喜多の動きも気になる。

備中高松に向かうついでに備中松山の尼子方の将に降伏勧告し、退去を促しておこう。

尼子方から退去を条件に追撃をしないことも付け加えた。

これにより、三村の備中平定が完成する。

三日後、俺は備中松山城に入り、休養し、備中高松城に向かった。


備中高松城 清水 宗治


殿が尼子を撃破した報が届き、私としてはあまりそのことについて驚いていない。

あれだけ作り、買い入れた火縄。

それを上手く生かしたのだから。

ここにも殿はあえて千梃の火縄と火薬を山ほど置いてくれている。

宇喜多はそれを知っているのだろう、積極的に攻めてない。攻めるより兵糧攻めを狙っているのだろうか、わからない。

殿はここに向かってるだろうからいずれ宇喜多は岡山に退却するだろう。

退却したら、追撃はしないようにしておこう。

あの謀略家のことだ。

伏兵を置いているのかもしれない。


しばらくして高松城を囲んでた宇喜多直家は、尼子の失敗を知り、戸川秀安、花房正幸を後詰として岡山城に退いて行った。

宗治は追撃せず、退却を見送った。

その日の夕方、元親は備中高松城に入り、宗治の報告をきいた後、宗治の労を称えた。

元親としては彼の労に報いる恩賞に悩むことになる。






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