ある日の<俺> 2021年黄金週間 3 終
昨日に投稿すると書いていたのに、一日遅れですみません。少し手直ししていました。
俺の黄金週間、ようやく終わりました。
そぼ降る雨の中を、右往左往している人がいる。
何を探しているのか。
「あの……何かお困りですか?」
声を掛けると、赤い傘が戸惑うように揺れて、ビーズのような雨粒が散る。
「え? あ……、その、このあたりに、和菓子屋さんがありませんか?」
困惑顔の女性。縋るようにたずねてくるけど、でも。
「俺、よくこの辺通りますけど、和菓子屋さんは無かったような……」
「え!」
「この並びですよね? ケーキ屋さんならありますけど」
「そんな……エビスヤ、って、ありませんか?」
「うーん、少なくとも俺は見たことないですね。ケーキ屋さんは<ラパンンナジル>っていう名前ですし」
「……」
「スマホでネット検索とか、してみましたか? この辺の住所は……ほら、そこの電信柱に」
「あ! そうですよね。やってみます!」
エビスヤはたぶん無いと思うけど、彼女があんまり必死だから、雨の中、つい見守ってしまう。
「無い……」
項垂れる女性。
「お探しの場所が違ってるか、もしかしたら……お店自体が別の店に変わってるのかもしれませんよ」
このあたり、長く続く店もあるけど、入れ替わり激しいとこは激しいし。
「そう、ですよね……。四十年前の話だから──」
「あー……、それは難しいかもしれませんね」
「……」
うつむいた彼女の視線の先には、冷たく濡れるアスファルト。傘を叩く雨の音しか聞こえない。
このまま、「じゃあ」と立ち去るのも心苦しくて、できるだけ優しく聞こえるように俺はたずねてみた。
「何か、そのお店で買いたいものがあったんですか?」
落ち込んだ声で、それでも彼女は答えてくれた。
「祖母が……祖父を亡くしてから、すっかり弱って食が細くなってしまった祖母が、珍しくエビスヤさんの柏餅が食べたいって言うから……、何十年も生きてきて、エビスヤさんほど美味しい柏餅を食べたことがないって言うんです。曽祖父の転勤前までこの辺りに住んでいて、毎年、子供の日が楽しみだったって」
そっか。今日がその五月五日だしな。
「あなたはお祖母さん思いのお孫さんなんですね。エビスヤさんが無くなってたのは残念だけど、柏餅の美味しい和菓子屋は他にもありますよ。ちょっとここからは離れてますけど──お祖母さんの思い出の味とは違うだろうけど、そこのお店のもなかなかなんです。今日はたぶん、遠くからせっかく来られたんでしょう? 良かったら、買って帰られたらどうですか?」
手ぶらで帰るのも辛いんじゃないかな、と思って提案してみると、彼女はゆるゆるとうなずいた。
「えっと、ここからだと、いったん駅前まで戻ってもらって、タクシー乗り場の向こうに──」
「あら、何でも屋さん。雨なのに、こんなところでどうしたの?」
声を掛けてきたのは、俺がよく塾への送り迎えを頼まれる、リク君のおばあちゃん。黄色と水色のポップな柄の傘が、白い髪にお似合いだ。
「山田さん、こんにちは。ちょっと道案内をしてたんです。あ! そうだ。山田さんはずっとこの町にお住まいなんですよね? エビスヤという和菓子屋さんをご存じないですか? 四十年くらい前、ここらへんにあったらしいんですが」
「エビスヤさん? もうだいぶ前に店仕舞いされたけど」
「あー、やっぱりそうなんですか……」
視線の端で、赤い傘の彼女は、突きつけられた現実にまた項垂れてしまった。
「あそこの和菓子は何でも美味しかったのよ。うちのすぐ近所だったから、よく買いに行ってたんだけどねぇ。特に美味しかったのが柏餅で──」
「もう食べられないなんて、残念ですねぇ」
「食べられるわよ?」
「へ?」
俺は間抜けな顔をしていたと思う。お祖母さん孝行の彼女も、傘の中でパカッと口を開けているけど、そんなことは一切気にせず、山田さんは続ける。
「ほら、駅前商店街に、戎橋心斎堂ってお店があるでしょ? あそこ、エビスヤのお孫さんが脱サラして始めたのよ」
「ええっ! そうだったんですか?」
驚いた。だって戎橋心斎堂といえば、何でも屋の俺の顧客様。商店街でのイベントなどの際には、ちょくちょく声を掛けてくださるし、年末には餅の配達を頼まれることもある。
「そうよ。息子さんの代に、チェーンの和菓子屋が進出してきてね、一気にお客を取られてしまったの。その時にお店を仕舞ったのね。チェーン店の方はほんの数年で撤退しちゃったんだけど」
嫌だけど、よくある話よねぇ、と山田さんは溜息を吐く。
「当時、ちょっとご病気をされたのもあったみたいよ。お孫さんは店を継ぐ気は無くて、大学出て、けっこういい会社にお勤めだと聞いたけど、実家が家業を廃止したことで何か思うところがあったのかしらね。お父さんの下で十年くらい二足の草鞋で修行して、商店街に空きが出たとき、会社辞めてそこにお店を出したのよ」
「そんな事情があったんですか……」
あそこの店主はわりとのほほんとして見えるけど、努力と根性の人だったんだなぁ。
「でも、どうして店の名前を変えてしまったんですか? 愛着ありそうですけど」
「もちろん、<エビスヤ>を引き継ぐつもりだったそうよ。でも、その名前は縁起が悪いからダメ! ってお父さんに大反対されたみたい。チェーン店が来たときに、かなり大変な思いをしたらしくて──。それでもお孫さん、<エビスヤ>の名前を残したくて、今の店名にしたって聞いてるわ」
カタカナを漢字にして、さらにちょっと捻ってみた、らしい。<エビスヤ>と<戎橋心斎堂>かあ。確かに字面は全然違うけど、捻りすぎでは? と思ってたら、店主は大阪の大学出身だと聞いて、なんとなく納得してしまった。
「ありがとうございます、山田さん。こちらの女性、エビスヤの柏餅を求めていらしたんですよ。だから、同じ味がまだ食べられると教えていただけて、良かったです。──今日は、これでいいお土産買って帰れますね!」
さっき俺がご紹介しようと思った和菓子店って、戎橋心斎堂だったんですよ、と言うと、お祖母さん孝行の彼女はちょっとだけ驚いて、それから、嬉しそうに笑った。
「駅前まで戻ればいいんですね?」
「そうそう。タクシー乗り場の──」
「そちらの方、戎橋心斎堂に用があるの? なら、ちょうど良かったわ。私もこれから行くところなの」
柏餅を買いに行くのよ、と山田さんは続ける。
「せっかくの子供の日なのに、孫がコロナのアレで来れないし、雨で散歩も行く気がしないって、うちの人が鬱陶しくて。相手するのも疲れるから、気分転換しに出てきたの。これくらいの雨、傘させばいいじゃない。ねぇ?」
「あはは。じゃあ彼女も一緒に連れて行ってあげてください。彼女が<エビスヤ>の柏餅を探しにいらしたのは、お祖母様のためなんですって」
傘だし、ソーシャルディスタンスもばっちりですよね、と言うと、二人で笑いながら駅に向かって歩き出す。お祖母さん孝行の彼女は一度振り返り、俺に向かって深々と礼をして行った。
──そう、お祖母様と同居なの……昔、この辺りに住んでらして、お父様の転勤で……あら? お名前、悦子っておっしゃるの? もしかして、旧姓は中村さん?
──ご存知なんですか?
──まあ! えっちゃんのお孫さんなの? 私は十志子よ、としちゃんって聞いてない?
──としちゃんって、斎藤さんちの? 子供の頃、よく遊んだって祖母が。
──あらあらまあまあ! えっちゃんのお孫さんに会うなんて!
明るく咲いた傘の花の下、楽しそうな会話が遠ざかっていく。背中でそれを聞きながら、俺はうれしくなっていた。
新型コロナで、雨で、寂しい子供の日だけど、でも。柏餅の、時を経ても変わらぬ味が、古い縁を引き寄せて、そっと繋いでみせてくれたんだ。彼女たちの喜びが、娘に会えずに沈みがちな俺の心を、明るくしてくれる。
商店街のイベントで、着ぐるみ被って<柏餅の妖精さん>に扮したりしてる俺だけど……柏餅の妖精さんって、本当にいるのかもしれない──。
なーんてな!