ある日の<俺> 2021年4月10日。 みどりのさくら 前編
※タイトルの日付を間違えました。
投稿日の今日(4月18日)ではなく、4月10日の話です。
春は四月。
四月は十日。
ソメイヨシノの街路樹たちは花衣を脱ぎ捨てて、若葉の色をまといつつある。
はらはらと、名残りの花が風に舞い、無慈悲に過ぎ行く季節に連れられながら、そちこちで存在感を増してきた八重桜たちに別れを告げている──。
花と葉っぱを見ながらぼーっとしてると、一緒に歩いてる広野さんが不思議そうな顔をする。
「何でも屋さん、どうしたね?」
「へ? いやあ、八重桜を見てると桜餅が食べたいな、って」
うっかり、感じたまんまを口に出してしまった。──心の中で詩人ぶってみても、シリアスになりきれない俺、なんか間抜けで恥ずかしい。
内心でちょっとだけ身もだえていると、言われてみれば、と広野さんは笑ってくれた。
「色といい、形といい、確かにそんな感じだね」
「でしょう!? 最初に桜餅を作った人は、ぜったい八重桜をモデルにしたと思うんですよ!」
わかってもらえたのがうれしくて、つい熱く語ってしまう。そうしながら老人の、杖をついた足に合わせてゆっくり歩く。天気はいいけど、吹く風はまだ冷たい。
「──途中でバス降りちゃって、大丈夫ですか?」
今日の俺の仕事は、荷物持ち。広野さんの奥さんが入院する病院まで、朝から一緒に出掛けてたんだ。広野さん、少し前にちょっと腕を捻ってしまって、今は無理できないらしい。新型コロナのこのご時勢だから、着いたら中の人が荷物を預かってくれて、俺は建物の外で待ってたんだけど──面会を終え、広野さんは笑顔で職員さんに手を振っていたけれど、行きよりも顔色がすぐれないのが気にかかる。
「大丈夫、大丈夫。私は特に持病もないしね。ただ……」
広瀬さんは遠くを見つめて溜息を吐いた。
「……何でもないよ。ちょっと眠いのかも。昨夜はうっかり夜更かししてしまって」
そうなんですか、とだけ返しておく。──心の中の諸々を、言葉にしたくないってこと、誰にでもあるよな。俺のしょーもないポエムみたいなのでなくても。
「もうそろそろ次のバス停が見える頃ですけど……降りるときにおっしゃってた、見せたいものって」
「もうすぐだよ。──ほら、そこに小さい公園、見えてきただろう?」
「え? あ、ほんとだ」
いい天気の昼間だけど、公園に人気はない。ブランコに滑り台、シーソーなんかの遊具が、明るい陽射しの中、静かに眠っているようだ。
「ここも八重桜以外はほぼ葉桜だけど……ソメイヨシノじゃなくて、あれは、なんだろう?」
入り口から見て奥の真正面の木。白っぽい花びらが七分、淡い緑の葉が三分くらい。薄青の空にとけるみたいに──。
「色白の桜?」
ぽろっと呟いたら、吹き出されてしまった。
「色白って! 何でも屋さんは面白いねぇ」
「いやー、あはは。なんか全体的に色が薄いから……。山桜の一種でしょうか?」
「ああ、たぶんそうだと思う。この公園ができる前からあるから」
「へえ……大きいなぁ。樹齢、幾つくらいだろ」
隣のソメイヨシノの幹を、五本くらい束ねたくらいの太さ。高さは二倍くらいあると思う。
「立派な木ですね。広野さんが見せたいものってこれだったんですね」
盛りは過ぎてるけど、じゅうぶん見ごたえがある。来年の春に、また見に来ようかな、と思っちゃう。満開の頃は見事だろうなぁ。
「うーん、これもだけどね……。見せたいのはあっちの木なんだ」
老人の、骨ばった指のさすほうを見ると、滑り台の向こう、木の姿と葉っぱの形からすると桜なんだろうけど、全体的に緑の木が五本くらい立っている。
「あっちはすっかり葉桜じゃないですか?」
特別、見るものはないと思うけど……。
「もっとよく見てごらん。ちゃんと花が咲いてるんだよ」
「花……?」
そう言われ、近づきながらよく見てみる。あっ……!
「みどりだ。緑色の花が咲いてる。え? 何これ」
緑の葉と、緑の花。どっちも若葉の色で、花はふわふわと柔らかそう。
「緑色の、桜?」
「そう。御衣黄っていうんだよ」
「ぎょいこう?」
「うん。緑色の桜なんだ」
「へえ、そういう桜があるんですね。俺、初めて見ました。連れてきてくださって、ありがとうございます!」
桜に色んな品種があるのは知識として知ってたけど、緑の桜は知らなかった。こういうのも、きれいだなぁ。
「これ植えたの、うちなんだよ」
「え? そうなんですか?」
「ああ。このあたり、元はうちの土地でね。子供もいないし、地主もなかなか大変だから、あの桜の古木を残すことを条件に、市に譲ったんだ。市はここを公園にするというから、ソメイヨシノと八重桜と、この御衣黄を寄贈したんだよ」
古いものを残してもらうんだから、新しいものもあったほうがいいかと思ってね、なんて、こともなげに言うから、凄いなぁ、と思うと同時に、いいお金の使い方だなぁ、と感心した。