ある日の<俺> 2020年5月7日。 にんげんじる
大変久しぶりの<俺>の日常話です。
今日は朝からずっと晴天。
強い風が、青い空を磨きに磨いて輝いて、本当に眩しいほどだった。
自転車でちょっと遠征した草刈り仕事は、汗をかいてもちょっと休憩入れてる間にさらっと乾いて、どっかから聞こえてくるウグイスの声は長閑だし、サイコーだった。
昼飯は自分で作ったお握りだけだったけど、美味かった。ちょっと握りすぎて固いのが、却って食べやすかったっていうのは負け惜しみじゃない、はず。
独りで、ただもくもくと作業するだけだったから、にっくきウイルスのことあんまり気にせずに済んだ。マスクを外してたのは食べてるときだけだったけど、なんだかやたらに空気が美味かった。五月の、爽やかな風のお蔭かな。うっかり旅に出たくなった……。
まあ、そんな気になっただけだ。
あとは買い物代行したり、樋掃除したり。ご老人の話し相手や盤上遊戯のお相手は、しばらくお預け。お得意さま方は寂しがってくれるけど、もしものことを考えたら俺が怖い──。無意識キャリアの危険性は誰にでもある。俺が媒介して、お年寄りにあんな恐ろしい病気になってほしくない。
そんなこんなで一日の終わり、後は風呂に入って寝るだけ。思っていたより冷えていた身体を、熱めのお湯でほぐす快感。無意識に「おおおお」とか声が出てしまう。はあ、今日も頑張った……。
……
……
いけないいけない。トリップしてしまった。なんか俺、無になってた。眠ってたんじゃなくて、無。これが悟りの境地ってやつか──。
なんてことを考えつつ、やっぱりぼーっとする。気持ちよすぎて湯船から出たくないけど、ダメだ、このままじゃ本当に寝てしまう……。そう思いつつも、堪えきれずにまた意識がぼんやりしてまった、そのとき。
すう……と風が通るのを感じた。
え……なに……?
ピチャ…… ピチャ……
どこか遠く……いや、近く? 水音が……。
ピチャピチャピチャ……
頭の芯が、痺れる、ように眠くて……あれ、眼が明かない。動けない。夢──?
ピチャピチャ ピチャピチャ
密やかな水音はまだ続いてる。これは、何かの怪異……? 気味が悪い。早く眼を開けないと。 妖怪 に 呑まれ て 俺 このまま
死んでしまう?
「ぶはっ!」
鼻まで湯船に沈み込んでた。慌てて起き上がると、足元側に畳んだ蓋の上から、素早く飛び降りる影──。あれは何だ? 妖怪なんかじゃない、居候の三毛猫だ!
咳き込み、洟水垂らしてまた咳き込む俺を、細く開いたドアの向こうから、メタリックグリーンの瞳でじっと見つめている。
「……」
三毛猫め……。よく風呂の落とし水を舐めてたけど、まさか浸かってるときまで舐めにくるとは、油断も隙も……。そういえば風呂のドア、パッキンが緩んでたの忘れてた。だから開けられたのか、あいつ。にしても、脅かしやがってこのー。
まだごほごほしながら涙目で睨みつけていると、ヤツはするっと向こうの暗がりに消えて行った。一瞬光った眼が、こんなときにはちょっと不気味……。
はあ。
猫が風呂の水を舐めにくるのは猫飼いあるある話だけど、掃除の邪魔だし(猫が水を舐めてるあいだは洗剤を使えない)、ついどっかの古道具屋さんに「ちゃんときれいな水を入れてやってるのに」と愚痴ったら、「猫って、人間汁が好きですよね」ってコメントしてくれたっけ……怪しく微笑みながら。にんげんじるって、店主──。
まあ、いいや。今夜は助かった。サンキュー三毛猫、パッキンの修理さぼってた俺、グッジョブ! ──なぁんて馬鹿なこと考えてないで、早く上がって寝よう。ん? あいつ用の湯たんぽ、入れてやったっけ? まだまだ夜は冷えるから、入れてやらないと……そっか、寒かったのかもしれない。すまん、三毛猫。ちょっと待っててくれ。
それにしても、俺、もう少しで溺れ死ぬところだった。反省。風呂場で居眠り金縛り、今この瞬間コロナより怖いかもしれん。くわばらくわばら。
こんなご時世でやむなくオーバーワーク、お疲れの皆様も、風呂の転寝にはご用心。