ある日の<俺> 2019年10月22日。 即位の礼の日
今朝の空は概ね青空。
午後に向かってだんだん曇ってくるらしいけど。
グレートデンの伝さんと、ボーダーコリーのリコちゃん、ブルドッグのウスターくんとの散歩を終えたら、次は宮間さんちの庭掃除だ。秋になっても放置していた枯れ朝顔を、そろそろいい加減何とかしたくなったんだって。
蔓どうしがぐるぐる絡まって、ジャングルみたいになってたもんなぁ……。
夏のあいだ、何度か水遣りを頼まれたんで知ってる。宮間さんの設置した、適当感あふれる添え木をすべて巻き込んで立ち上がり、伸びあがり、近くに垂れ下がっていた簾にまでがっちり蔓を絡ませていた。そこに次々花が咲くから、もう何が何やら。
園芸用ネットで棚に造れば見栄えがしたのに、なんて、思いついた頃には後の祭りでしたねぇ、そう言って宮間さんは遠い目をしていたけど、聞いてた俺もあはは~と空笑いするしかなかった。
だってさ。まさか自分が適当に譲った種が、そんなことになるなんて思いもしなかったんだ。
そう、あれは去年の十月。家と家の隙間の狭い敷地、小さな祠の近くに一輪だけ咲いてた遅咲きの朝顔──。頼まれて草むしりをしてるときに見つけたんだけど、次に出会ったときには、茶色く枯れた葉っぱの影で同じ色の実がやっぱりひとつだけ熟してて。中から種がこぼれそうになってたから、何となく採取してしまった。
売ってる朝顔の種よりずいぶん小さかったし、あんな場所に放っておいたら、次は芽も出せずに終わってしまうと思ったんだ。
季節になったら、うちの屋上プランター農園の隅っこにでも植えてやろうかと思案しつつも、いつもと違う場所を探検したがって、俺とあの朝顔を再会させてくれた好奇心旺盛なお転婆わんこ、ミックスのルーシーちゃんをなんとか抑えながら散歩させてたら、同じく飼い犬の柴わんこ、花ちゃんと散歩中の宮間さんと出会って。
花ちゃんとルーシーちゃんが犬同士の挨拶をしているあいだの立ち話で、「来年は朝顔を植えたいと思ってねぇ」なんて聞いたから、よかったらこれ、植えてやってくれませんか、って事情込みで頼んでみた。そしたら快諾してくれて。屋上の狭いプランターなんかより、宮間さんちの庭で地植えしてもらったほうが朝顔ものびのび育つだろうと考えて、持っていた種を全部預けたんだ。
そして今年五月。あの時の種、忘れずに植えたよとうれしい報せをもらった。親株が痩せて矮小な感じだったから、そこから採った種も芽を出すのはひとつかふたつか──、と案じてたんだけど、もれなく芽吹いたと聞いたときは驚きつつも喜んだ。
しかしまあ、あんなにすごい勢いで生長するとは。遠目から見るとまるでグリーンモンスター。
宮間さんちの土が、よっぽど合ってたのかなぁ、と感心するやら呆れるやら。けれど、そんなふうに栄華を誇った朝顔も、八月末あたりから勢いを無くして、九月半ばからは茶色い葉っぱが増え、だんだん枯れて来てはいたのは俺も知ってた。それでも、十月になってもちょこちょこ花を咲かせているから、無碍に引いてしまうのも可哀想だと宮間さんも様子を見ていたらしい。
けど、さすがに十月も下旬に入って、ここ数日花も見ないし、もういいか、と思ったということなんだ。
「おはようございます!」
低めのフェンス越し、庭に向かって挨拶すると、花ちゃんを遊ばせていた宮間さんが立ち上がり、出入口を開けてくれた。
「ああ、おはよう何でも屋さん。今日はお願いしますよ」
「はい。朝顔の片づけと、草引きですね」
歓迎してくれる花ちゃんの耳をひとしきりわしゃわしゃしてやりつつ、確認。宮間さんちの庭は、草もなんだか元気なんだよな。
「いやあ、この朝顔には長いこと楽しませてもらいましたよ」
もう終わりかと思ったら、次の日にはまた花がいくつも咲くから、なかなか始末できませんでした、と苦笑いする。
「きっと、まだまだ引かれたくなかったんだねぇ」
「あはは。元の花は一輪だけだったのに、その一輪だけの種でこんなに増えるなんて、俺もびっくりしました。すごいですよね」
「本当に。けど、もういいでしょう……。もうすぐ十一月だし、さすがに花も終わりだね」
種もたくさん採れたし、と宮間さんは感慨深げだ。
「このあいだ来た親戚に言われてねぇ、枯れてしなびた葉っぱが見苦しいと。わさわさ盛り上がって密集して干からびてる様が、何かの着ぐるみのオバケみたいだって」
俺はちょっと吹いてしまった。うーん、確かに。今のこれは、グリーンモンスターならぬベージュモンスターだ。
「まだ枯れ切ってはいなくて、裏側や下のほうには緑の葉っぱがあるんだけど──、ここ数日は花を見ないよ」
「朝晩、けっこう冷えますもんね」
「そうそう、お陰で神経痛が出て来て」
宮間さんは情けなさそうに腰をさすり、溜息をついた。
「そんなわけで、まあ頼みますよ」
任せてください、と俺は請け合った。あ、そうそう。
「残りの種、少しもらっていいですか?」
完熟した実が鈴生り状態だから、そこから三つ四つもらっただけでも屋上プランターに植えて、さらに娘のののかに分けるくらいにはなると思う。ひとつの実には、だいたい六つくらい種が入ってるからな。
「もちろん。元は何でも屋さんにもらったものだしね」
鷹揚にうなずいてくれた。
「そんなこと。でも、投資だとしたらすごい利益率かも」
「違いない」
あはは、と笑って宮間さんは花ちゃんにリードをつけた。俺に庭を任せ、これから散歩に出かけるという。
「行ってらっしゃい。お戻りの頃には、ここらへんさっぱりしてますよ。あ、蔓の絡んだ簾、ちょっとささくれてて割れたりしそうですけど、大丈夫ですか?」
そこはちゃんと確認しておかないとな。
「ああ。元から傷んでるし、それも片づけてもらえるかな。来年は簾のかわりに朝顔カーテンにしようと思ってるんだよ」
「いいですねぇ。きっと素敵な日除けになってくれますよ。……あれ?」
まずは根元を切ろうとしゃがみ込んだ俺は、思わず声を上げていた。
「ん? どうかしたかね?」
花ちゃんを連れて歩きかけた宮間さんがたずねてくる。
「宮間さん、ほら、ここ! 咲いてます、朝顔──。小さいのが」
絡み合って、手強い太さになっていた蔓をそっと掻き分けてみせると、俺の親指の爪くらいの大きさの花が、ひとつだけぽつんと咲いていた。
ああ、と宮間さんは嘆息した。
「ああ、本当だ……。枯れかけの、残り少ない力で咲かせたんだろう」
いじらしいね、と呟く宮間さんに、俺もうなずく。花ちゃんは、ご主人様いいことあったの? というようにぱたぱた尻尾を振っている。
「こんなに小さいのに、ちゃんと花の形してるのがすごいですよねぇ……ん?」
枯れもつれた葉と蔓の合間にちらり小さく、爽やかな青がのぞいているのに俺は気づいた。ミニチュア朝顔と同じ色の。
「こっちにも花が──あ、これは昨日咲いたやつかな、まだ新しいみたいだけど、窄まってますから」
「ああ、咲いてたのか……。気づいてやらずにかわいそうなことをした」
こんな時期になっても、精一杯咲いている姿を愛でてやりたかったなぁ、と宮間さん。
「……」
同じように思いつつ、根元しか見えないその青を、せめて蔓の縛めから解放してやろうとしたら。
「……あ!」
枯れ蔓の間から出たとたんするりとほどけて、立派な花が青い衣を振り開いた。
真夏の鮮やかすぎる空とは違う、冬の、小春日和の空の色。
「──押さえつけられていただけだったみたいだね」
「ええ……」
俺と宮間さんの視線の先、季節外れの朝顔の花は晴ればれと晩秋の日差しを弾いている。
「……佳い日になりそうですね」
「ああ、佳い日になりそうだ」
何となく顔を見合わせると、お互い顔が笑ってる。花ちゃんもわふわふと喜んでいるようだ。
今日は午後から天皇陛下の即位の礼があるという。お天気はこれから下り坂のようだけど、小さな花と大きな花は、この佳き日にお祝いをするために咲いてきたのかもしれない──そんなことを思った俺だった。
この日、皇居のある東京では雨だったという。
不思議なことに、即位礼正殿の儀が始まる直前に雨は上がり、東京の空に虹が架かったという。
あの朝顔の青は、虹の青色を紡ぐための糸のかけらだったんだろうか。
大嘗祭も昨日、無事行われましたね。
……ええ、もちろん10月22日当日に書き始めたものです。なんという遅筆!
その日、うちの朝顔がまさにこんな感じで咲きまして。思いついた話でした。
令和の御代がよき時代になりますように。
っていうか、仕事行ってきます。