ある日の<俺> 2017年12月21日。 ひさんな出来事
※2017年12月30日 微妙に推敲。話に変わりはありません。
うっかり忘れていたけれど、大昔ネタをくれた友人Iに捧ぐ……。
本日、晴天。寒いけど。
事務所兼自宅のコンクリート打ちっぱなしのボロビル屋上で、洗濯物干しがはかどる。
この季節、洗濯物がなかなか乾かなくて困るんだよな。俺、仕事柄服が汚れることが多いけど、何でも屋なんて胡散臭く思われがちな商売してるぶん、清潔感が大切だからさ、毎日洗濯は欠かせない。部屋でも干せはするけど、エアコン入れればいいんだし。むしろ冬場はそのほうが乾きやすいかも。
だけどさ、やっぱり陽に当てたいよな。シーツとか、大物は特に。
厳寒の頃はうっかりすると凍ることもあるけど、今日はまだ大丈夫だ。はたはたと気持ちよく風になびいてる。屋上だから、地上で日が翳るような時間になってもまだしばらくは干せるのがありがたい。それでも早めに取り入れないと、却って湿気た感じになっちゃうけどな。
はあ、仕事の合間を縫っての家事は大変だ、と思いながら空の洗濯籠を持って階段を降りようとしたとき、地上の遠くないあたりから、車のエンジンの合間を縫って悲鳴と、自転車かバイクが倒れる音。
びっくりして屋上からそっちを見下ろしてみると、やっぱり自転車が倒れて、側に女の人がうずくまってる。洗濯籠はその辺に放り出して、慌てて現場に走る。
「だ、大丈夫ですか?」
もしや、この間の男子高校生みたいにスマホのながら運転でハンドル操作でも誤ったか、と思いながら助け起こそうとしたら。
「悲惨! 悲惨!」
ぶつぶつ呟いてる。だ、大丈夫か、頭でも打ったか? と焦りつつ、とにかく救急車を呼ぼうとポケットから携帯を出そうとしたら。
「悲惨! ねえ、悲惨なの!」
女の人は、跪く俺の手をがっちり握って訴える。
「え、ええ? そ、そうですね、悲惨ですね──」
自転車、前カゴはひしゃげてるし、フレームも歪んでる。こりゃもうダメそうだ。ご本人は見たところ大怪我は無いようだけど、どっか折れてるかもしれないし、頭打ってるかもしれないし。
「悲惨だから! 覚えておいてね、悲惨だから!」
俺の顔をじっと見て念を押すようにそう言うと、彼女の身体から急に力が抜けた。地面にくずおれそうになるのをなんとか防いで、そっとその場に寝かし、とにかく急いで救急車を呼んだ。
ぴ~ぽ~ぴ~ぽ~……
……
……
救急車の後で、警察にも連絡を入れた。自転車の壊れ方からすると、これってもしかしたら車に当てられたのかも、と思い直したんだ。スマホながら運転での自爆事故だったら、フレームが歪むほどのスピードなんか出せないんじゃないか? ──俺、怪我人見てだいぶ焦ってたみたい。
それなり車は通るけど、そう交通量のない道。交番からお巡りさんが到着するまでそこにいて現場確保。屋上で洗濯物干してて、自転車の倒れる音が聞こえてからのことを証言した。お巡りさんの見解によると、やっぱり車に当てられた事故みたい。
その翌日、彼女はしっかりと意識を取り戻したらしい。警察から連絡もらった。意識を失ったのは頭を打ったからじゃなくて、徹夜の末の寝落ち、みたいなもんだという。もちろん事故のショックが大きかったというのもあるけど、ここ数日ほとんど寝てなかったらしいんだ。
目を覚ましたとたん、原稿、原稿は? と大慌てだったとか……そういえば、自転車の脇に落ちてた書類ケース破れて、中身見えてたな。ああいうの、顧客の同人漫画家さんが持ってたっけ……。大丈夫、中身は見えたけど、内容までは見えてないから。ちゃんと怪我人の荷物として救急車に積んでもらったし。
警察が俺に連絡してきたのは、俺が救急車呼んだ怪我人の無事を伝えるためと、もうひとつ。
「被害者の女性、当て逃げ車のナンバープレートは目撃したらしいんですが、目を覚ましたら忘れたというんです。でも、意識を失う前、大丈夫ですか? と声を掛けてくれた人に、それを伝えたって訴えてるんですよ」
「車のナンバーですか……?」
そんなこと、彼女言ってたっけ……?
「意識が朦朧としてきて、もうダメだから、自分が死ぬならせめて犯人は捕まえてくれ! と思った、というんですがねぇ……」
そんなダイイング・メッセージみたいな……無事で良かったけどさ。
「残念ですけど……ナンバーは聞いてないですね」
「そうですか……本人も混乱してたんでしょう」
「混乱、してたんでしょうね。やたら悲惨、悲惨、と連呼してました。だから頭を打ったのかと心配に……。当て逃げ被害なんて、たしかに悲惨ですもんね……」
なんか、原稿の入稿が遅れてダメになったらしいよ。この冬のコ○○ット合わせの最終締め切りだとか。何日も徹夜で頑張ったものが間に合わなかったら、そりゃ悲惨だよなぁ。
「ひさん?」
「はい。悲惨」
警察の人はしばらくの沈黙の後、電話の向こうで爆笑した。
「何でも屋さん、それ、悲惨じゃなくて、<ひ3>ですよ、きっとそうだ。車のナンバーが<ひ3>」
「へ?」
「ご協力、ありがとうございました! また証言していただくことがあるかと思いますが、そのときはよろしくお願いします」
笑い声とともに通話が切れた。
「……」
ひさん 悲惨 ひ3?
携帯を握ったまま、しばらく悩んでいた俺だけど。
……
……
<ひ3>がようやく頭にしみて、落ち葉掻きしながらひとりで笑ってしまった。いやあ、彼女の怪我が悲惨なことにならなくて、本当によかったよ。
ちなみに、「への6番」の話もあるんです。