ある日の<俺> 2017年12月15日。 パパは娘に感謝する
本日午後、空はみずいろ。
南のほうが薄く、北のほうが少し濃い。太陽はごく薄い紗幕の向こうで影を薄くしているかのようで、あまり眩しくは見えない。寒い冷たい冬の晴天。
時折り吹く風が襟足をなぞっていくと、それだけで凍りそう。雪女の吐息ってこういうのじゃないかな、なんてぼんやり考える。だってとても静かに、確実に体温を奪っていく。身体は動かしてるのに、ちっとも温かくならない。
冬のチラシ配りは、冷える。
「そっちのハケ具合、どう?」
道の向こうで携帯会社のティッシュ配りをしていたフリーターの青年が、ノルマを終えたのか帰り支度をして話しかけてくる。
「もう少しなんだけどね……」
そう、あと三十枚ほど。
「あとちょっとと思うと、なかなか減らなかったりするよね」
苦笑い。互いに名前も知らないけど、駅前の吹きっさらし、同じ寒さの中で同じような仕事をしていた者同士、親近感を感じてくれているようだ。
「俺と、俺のツレのぶん、もらっていくわ」
そう言って、彼は俺の手から二枚取ってくれた。
「ありがとう」
「じゃ、お先!」
ニコッと笑って、駅の中に消えて行く。さりげない心遣いがうれしい。彼の背中が改札の向こうに消えるのと入れ違いみたいに、いま来た電車から降りた人たちが出てくる。気合を入れればこの最後の束も配り終えることができそうだ。
最後のチラシは、顔見知りの奥さんがもらってくれた。代わりに笑顔をくれる。俺も笑顔。冷えて固まっていた身体の強張りが、ティッシュ配りの青年と今の奥さんのお蔭で少し解けたような気がする。
ほんのちょっとしたことで、気分が上向いたり下向いたり。人間って単純だ。せっかく娘にもらったネックウォーマーを落としてしょんぼりしていた俺も、気持ちがだいぶマシになったと思う。
昨日の昼、風邪とぎっくり腰のダブルパンチに見舞われ、助けを求めてきた後藤さんに頼まれて、石油ファンヒーターを買ってきた。それを部屋に設置して、自分ちから持ってきた灯油を入れて、稼動させて、ってやってるうちに暑くなってきて、ちょいと外して尻ポケットへ、ってやったのが悪かった。その後どこで落としたのやら、夜、ベッドの住人継続中の後藤さんの様子見ついでに探させてもらったけど、やっぱりそこにも無かった。
部屋が暖かくなって、後藤さんの咳がマシになってたのは幸いだった。サービスでお粥作ったら、また「すまないねぇ」と言われたので、「それは言わない約束ですよ、ごとっつぁん」と返しておいた。顔を見合わせ、ちょっと吹いた。その拍子に、治まってた咳が出たのは申しわけなかった。
大切なものを落としたりするのは、厄落としだと思っておきなさいって、探しに立ち寄った商店街の電気屋マダムに慰められた。
──そう思っておくのが、やっぱり一番心が慰められるかな……。電気屋の女将さんありがとう。
ふうっ、と深呼吸して気持ちを切り替え、ようとしたとき。
カサカサッ
足元に、銀杏の落ち葉が。あれ? この辺りに銀杏の木、あったっけ。そう思ってふと立ち止まったら。
ガラガラッ ドシャーン!
歩きスマホならぬ、自転車スマホの男子高校生が駅前広場のポールにぶつかってた。うわ、俺が立ち止まらなかったら、アレをまともに食らってたよ。
「きみ、大丈夫か!」
声を掛けながら助け起こそうとしたら、その前にもう起き上がった。ホッ。大した怪我は無いみたい。だけど──。
「あー! 液晶が!」
彼のスマホが壊れたらしい。バイトして買ったばかりなのに、って嘆いてるけど、自転車スマホなんかやっててそれくらいで済んだことを喜ぶべきだ。当たりどころが悪かったら死んでたし、同じように誰かを殺していたかもしれない。
って、非番だったらしい顔見知りのお巡りさんに叱られてた。ちょうどその瞬間を目撃したんだって。何でも屋さん、危機一髪でしたよ、って言われた。
ののか……パパ、お前にもらったネックウォーマー落としちゃったけど、そのお蔭で厄を逃れられたのかもしれない。うっかりなパパはそう思っておくことにする。ありがとう、娘よ!