ある日の<俺> 2016年9月26日。 柴犬チカちゃん第六感 前編
空は明るいけど、曇。今朝はそんな天気。
雲は不規則に薄くなったり厚くなったり。また雨が降るのかな、と思っていたら、砂かけ婆ならぬ、水かけ婆がいるみたいに、パラパラッと降った。以降は何も無し。今日はどうやらこれで降り止め?
二頭めの犬の散歩を終えた帰り道、空を気にしながら歩く。出掛けに回してきた洗濯機が止まってるだろうから、干さないと。屋上に干すか、屋上手前の踊り場というか階段室で干すか。悩ましいところだ。
このところ雨ばっかりで、全然外に干せなかったからなぁ……洗濯物、やっぱり日に当てたいよな。だけど雨になったら困るし……。
うーん、と思いながら公園前まで来たら、向こうからやってきたのは柴犬の、あれはチカちゃん? いつも飼い主さんお手製の刺繍入り首輪をしてるからすぐ分かる。っていうか、飼い主の寺井さんはどうした?
「わんわん!」
俺の顔を見て吠えるチカちゃん。何だ?
「チカちゃん、どうした?」
「わん!」
ついて来い、というように、少し行っては立ち止まって俺を待つチカちゃん。これは……もしかして、寺井さんに何かあったのか?
たったか走っては、こっちを見るチカちゃん。それを追う俺。いつも散歩の時しか会わないけど、寺井さんのお宅はこっち方面だったのか。けっこう遠くから来てたんだな……。そんなことを思いながら追いかけていると、チカちゃんは古い石塀の前で止まった。ひと声「わん」と吠えて、犬一匹くらいしか通れないような隙間から中に入って行く。
俺はそこからは入れないよ、チカちゃん。
しょうがないから、塀の切れ目を探す。門扉は閉まっていた。インターホンを見ながらちょっとの間悩む。チカちゃんに誘導されてここまで来たけど、何て言おう……いや、迷ってる暇は無いのかもしれない。何も無ければチカちゃんがあんな行動を取るのはおかしい。
ピンポーン
……返事が無い。
ピンポーン
どうしよう、寺井さん、家の中で倒れてたりするのかな……。
ピンポーン
助けを呼ぶとして、何て説明すればいいんだろう?
ピンポーン
寺井さん、高齢だし……
このあたりの町内会長さん、誰だろう。そこへ行って相談してみようか。でも面識無いし……。今のままじゃ、俺不審者だ。
ピンポーン
「……」
もう一回インターホンを鳴らしても返事が無いなら、これはもう交番のお巡りさんに事情を話してみるしかないかな……。
ピンポーン
『はい』
ようやく応答があった! 聞き覚えのある声だ。犬の散歩時に会えば挨拶する、寺井さんの声。良かった、無事だったか。
「おはようございます。あの──」
『あら、その声は……散歩の時によく会う、何でも屋さん?』
ひと言だけで分かってもらえた。交わす言葉はたいがい「おはようございます」か「こんばんは」だもんな。
「そうです。えっと、その、チカちゃんいますか?」
『チカ?』
「はい。実は──』
物言いたげに現れたチカちゃんに、ここまで先導されてきたことを伝えた。
「お家まで来たら、壁の隙間から中に入って行ってしまって……。もしかしたら飼い主の寺井さんに何かあって、助けを呼びに来たんじゃないかと心配になりまして。不躾ながら何度もインターフォンを鳴らせていただいたんです」
『あら……』
驚いたように声を詰まらせた後、その場で待っていて欲しいと言われたので承諾した。ま、ちょっと洗濯物を干すのが遅れるだけだし。
玄関のドアが開いて、寺井さんが姿を見せる。と、裏のほうからチカちゃんが走ってきた。尻尾をふりふり、飼い主が門扉を開ける様子をじっと見ている。
「あらあら、チカったら勝手に外に出ちゃったの? 悪い子ねぇ……ごめんなさいね、何でも屋さん。多分、私に助けが必要だと思ったのよ」
いつもはこんなことしないのよ、と言う寺井さんによると、今朝、二階の照明器具の蛍光灯が切れて、今もそれを取り替えようとしていたらしい。
「私、こういうのが気になってしまう性質で……、換えはあるから、古いのと交換しようと思ったら、どうしても上手くいかなくて」
以前の照明器具なら自分で付け替えられたのに、と困ったように笑う。
「主人は土曜日から旅行に出てるし、息子夫婦は出勤したし、孫は学校だしね。誰かが帰るまで置いておけばいいのかもしれないけど、あの子たちだって疲れてるし、私に出来ることならやろうと思ったのだけど……、やっぱりトシね、新しいのは分からないわ」
インターホンになかなか出られなくてごめんなさい、と丁寧に謝られて、俺は慌てた。
「いえいえ。こんな朝から連打するのも本来は非常識なことですし。寺井さんに何事もなくてよかったです」
で、まあ。せっかくチカちゃんに頼まれたことだし。
「良かったら、俺が交換させていただきましょうか?」
「お願いできるかしら? 本当にもう、チカがごめんなさいね」
ようし、顧客ゲット!