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ある日の<俺> 2016年9月15日。  秋の蚊、凶暴につき、

秋の蚊は、殺気立ってる。


草刈り・草むしり(前者のほうは刈るだけだが、後者は根っこも引き抜くので、少々割増し料金を頂いている)はいつでも虫との闘いでもあるけど、秋の蚊は格別だ。とにかく攻撃的。子孫を残すための栄養、つまり血を得るため、春夏とは一味違う執着力を見せる。


それに、毎年思うんだけど、真夏よりちょっと大きくないか? 黒くてぶっとい。


ぷぃ~~~ん ぷぃぃぃ~ん


あの神経に障る羽音。噴霧式の虫除けは汗で流れてしまうから、吊り下げ式の蚊取り線香皿を使ってるんだけど、その煙の隙間を縫って攻撃を仕掛けてくる。夏はここまでじゃないんだけどなぁ……。


これはもう、線香皿を腰から外して、しゃがんでる股の間に置くべきか、と真剣に考えてた時。今草むしりしてる家の勝手口の向こうから、聞き慣れない電子音と悲鳴が聞こえた。


すわ、事件か。


 ピピピ ガ……が……て……す

 ピピピ ……が……れ……ま


エンドレス。どうしたんだ、台所で空焚きでもしちゃったのか。あれはどうやらガス漏れ警報機の音。


「どうしたんです! 大丈夫ですか、秋本さん?」


勝手口のドアを一応叩き、声を掛けてから開ける。


「あ、何でも屋さん、これ、どうしたら!」


台所の床下収納の蓋が開いていて、その手前で酒瓶が割れていた。中に仕舞おうとしていて落としたらしい。一緒に仕舞おうとしていたらしい缶詰が散乱する中で、秋本の奥さんがプチパニック中。


 ピピピ ガスが洩れています

 ピピピ ガスが洩れています


普段、床に近い位置のコンセントで息を潜めているガス洩れ警報機が、今こそ出番とばかりに電子音と警告を繰り返している。こちらのお宅はプロパンガスなんだな。


慌ててガスコンロに目をやったけど、鍋も薬缶も掛かってない。点火ツマミも消火位置だし、別にガスの臭いはしない。


「どこか、ガス漏れ? 配管に亀裂?」


秋本の奥さん、あわあわとパニック続行中。ガスの臭いはしないけど、アルコールの臭いならしてる。これは揮発性の高い……ウィスキーの匂いだ。割れたのはそれか。ここまで一気にもわっと来ると、匂いというより臭いだ。


これは、とにかく。


「ガラスの破片に気をつけて、窓開けてください」


俺は開いたままだった勝手口のドアを、さらに大きく開けた。


「それから換気扇……」

「ガス洩れに換気扇はスイッチの火花で爆発するって!」


子供の頃、近所でそういう事故があったらしい。


「いや、これガスじゃないです」


俺は換気扇のスイッチを見つけてオンにした。正常に回り始める。その間もガスが洩れていると警報機は主張するけど、それを無視してキッチンテーブルに置いてあった新聞紙で足元を扇ぐ。足元というか、警報機の辺りを重点的に扇ぐ。


 ピピピ ガスが洩れています

 ピピピ ガスが洩れています

 ピピ……


ようやく沈黙してくれた。やれやれだ。ふう。俺は額の汗を拭いた。


「な、何だったんですか? ガス漏れじゃないの?」

「ガスじゃなくて、揮発したアルコールです。つまり、ガスはガスでもプロパンガスじゃなくて、アルコール・ガスだったんですよ」


俺は割れたウィスキーの瓶を指さした。


「え……?」


奥さんは唖然とした顔でそれを見た。


「あれで……?」

「はい。あれで」


俺は頷いた。まあ、そう思うよなぁ。俺もびっくりした。でもさ、あの蒸留酒が気化した暴力的なまでのアトモスフィアが、俺にそれを確信させてくれたよ、うん。


「ガス警報機の傍で、殺虫剤のスプレーを吹いて反応されたって話は聞いたことがありますが、酒でもなるんですねぇ。びっくりしましたね」


「え、ええ……本当に……」


奥さんは力が抜けたように壁際に除けてあった椅子に座った。どうも、台所のガス漏れには神経質になっているようだ。子供の頃の近所のガス漏れ事故、トラウマになっているのかも。


そんなことを思いながら、ガチャガチャと割れた酒瓶の大きな破片を拾っていると、奥さん、ハッとしたように、ダメ! と叫んだ。


「割れたガラスは手で触っちゃダメよ!」

「え? でも、俺、草むしりしてたから軍手したまま……」

「ああ、そうね……でも、危ないわ。細かいのが付いてたりするから……あれを使いましょう」


そう言って、奥さんは一旦台所の外に出たかと思うと、スクイジーを持って入ってきた。あれだ、窓拭き掃除に使う、車のワイパーみたいなやつだ。──奥さん、やるな。


「ここは自分でやります。ありがとう、何でも屋さん。一人だったら焦って119番に電話してたかも……」


慌て者よね、と奥さんは恥ずかしそうに笑う。


「でも、本当のガス漏れだったら危ないし。そういえば昨日、消防車のサイレン聞いたとこですよ。どこかで火事があったみたいですね……。あの音、不安になりますよね」


「そうね……。ほんと、気をつけなくちゃ。アルコールだって火が点くものね。油断大敵ってこのことなのねぇ……」


「まあ、今回みたいな場合なら、換気して追い出してしまえば大丈夫ですよ。──じゃ、俺、草むしりに戻りますね」


念のため、勝手口のドアを開けたままにしておいた。奥さんもそうしておいて欲しいって言ってたんだけど……。


作業終わって帰り際、挨拶する時、奥さんが苦笑いしてた。


「私油断してたわ、何でも屋さん」

「え?」


聞いてみると、開けっ放しのドアから入ってきた蚊に、さんざんやられたらしい。あー、そういえば奥さんの腕ぼこぼこ。痒そう。俺は除草作業の必需品として、最初から蚊取り線香皿を腰につけて動いてたけど、奥さん丸腰だったもんな……。対蚊ノーガードはキツイ。


「秋の蚊は、凶暴ですからねぇ……」


俺も笑うしかない。プツッと刺してくる口だって、何だか太いもんな。気のせいかもしれないけど。


「でも大丈夫。密室にして、蚊取り線香二つ炊いてるから」


殲滅してみせるわ、と昏い笑みを浮かべる奥さんに、一応注意しておいた。


「あの……やり過ぎると天井の火災警報器が反応しますから……ほどほどに」

「あっ!」


焦る奥さん、挨拶もそこそこに引っ込んでいく。俺はちょっと笑ってしまった。秋本の奥さん、わりかしそそっかしいかも。


ありがたいことに、仕事料金にちょっとだけ色を付けてくれていた。おまけに蟹の缶詰ももらった。ほくほく。


今夜は蟹をつまみながら、日本酒もいいなぁ、と思いながら空を見る。雲の隙間は明るいけど、青空は見えない。たまに太陽が顔をのぞかせても、すぐ引っ込んでいく。


今日は九月十五日。中秋の名月、見られるといいなぁ。

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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もそっちの<俺>も、<俺>はいつでも同じ<俺>。
『一年で一番長い日』本編。完結済み。関連続編有り。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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