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ある日の<俺> 2016年9月13日。  ブルーなオッサンにメンチカツ

昨夜も降って、朝は曇り。そして午後からは雷を伴う大雨。


ようやく上がったけど、空はどんより。秋雨前線が停滞してるっていうけど、早くどっか行ってくれないかなぁ。いつの間にか、蝉の代わりに秋の虫が鳴く季節になってる。まだ頑張ってる蝉もいるけど、長くないだろうなぁ……。


俺は今、ビル街を歩いている。日暮れ前の空は、敷き詰めたみたいな雲が薄く紫がかってる。もうあと一時間もしないうちに暗くなるだろう。


細い路地の奥で、虫が鳴いてる。草も生えてないのに、どこに潜んでるんだろうか。右手に持ってる紙袋をがさがさ鳴らしながら、俺は目的の住所を探す。えっと、○×町三丁目、目印はコンビニのチェーン店。お、あった。ということは──。


やっと見つけた小奇麗な雑居ビル、そこの学習塾が最終目的地。入り口入ってすぐ右側、開放的な受付で来意を告げる。


「すみません、こちらにお勤めの篠宮さんに、ご家族からお届け物です」


親切そうな受付の女性が内線を掛けてくれている間、受付カウンター前に並べてあるキューブの椅子に座って待つ。


この塾は俺が送り迎えする、主に小学校低学年の子供の通う塾と違い、中高生を対象としているようだ。フロアを出入りするのは十代前半から後半の子たちばかり。いつもの子供塾とは違う光景が、俺には何だか珍しい。


「篠宮ですが……あの、私に何か?」


眼鏡を掛けた、学校の先生っぽいけどちょっと違う印象の男性が恐る恐るといった様子で声を掛けてきた。まあ、面識無いし、そういう連絡も無かっただろうしなぁ。


「あ、俺、何でも屋です。まずこちらの奥様からのご伝言をご覧ください」


篠宮さんの奥さんに書いてもらったメモを見てもらった。


「え? 何だろう……、資料……あ!」


一瞬考えるような顔になった篠宮さんは、次の瞬間青くなった。


「今日、来るとき急いでて……その後は会議だったから、忘れてきたの全然気づかなかった……」


携帯の電源も切ってた、と篠宮さんは椅子のひとつにすとんと腰を降ろした。今朝方までかかって纏めた資料なのに、と力が抜けたみたいに呟く。


「まあ、間に合ったんですから」


そう言って、俺は持っていた紙袋を手渡した。


「奥様も忘れ物に気づいてから、何度か携帯に連絡を取ろうとされたようなんです。でも通じずに、勤め先のこちらに直接電話してみたら会議中とのこと。このままではもう間に合わない、と判断し、何でも屋の俺に配達を依頼することを決められたようです。奥様も出掛ける前で、とても届けに来られないから、と謝ってらっしゃいました」


電話で依頼を受け付けてから直ぐ、うちの何でも屋事務所までこちらを持っていらしたんですよ、とその焦りぶりを伝えておく。


「たまたま、うちはお宅から駅までの通り道だったそうで。奥様はそのまま駅のほうに走って行かれました」


「──今朝、彼女のお祖母さんが緊急入院したという連絡が入ったんです。だから今夜七時前の新幹線に乗るって……うわあ、悪いことしたなぁ。今までこういう忘れ物したことないのに」


彼女の機転に助けられた、と篠宮さんは息をつく。


「今頃は電車の中でしょうから、後でメールしてみます。ありがとうございました。助かりました」


「いえいえ。こういう時の何でも屋です。ご利用いただき、ありがとうございました」


すぐまた次の授業が始まるということで、四之宮さんはあたふたと教務室に去って行った。資料をコピーしないといけないらしい。


フロアの内外にいた生徒たちも、それぞれの教室に向かうようだ。来るのが遅れたのか、エントランスから駆け込んでくる子もいる。そんな様子を見ながら、俺も外に出た。あんまりこの辺来ないから、様子が分からない。来た道を戻ることにしよう。


そういえば、と、ふと思い出す。


俺も一度、大切な資料を家に置き忘れて会社に行ってしまったことがあったなぁ……。あの時はののかがまだ乳児で、元妻が持ってきてくれるのは大変だったから、代わりに彼女の弟の智晴が引き受けて、会社まで届けてくれたんだっけ。この元義弟は仕事柄、時間の融通がつけやすいから。


「義兄さん、トロい」と言いながら、智晴は軽食代わりにもなる甘くないマフィンを差し入れてくれたっけ。あれ、美味かったなぁ……。


路地の奥の暗がりで、秋の虫がジー……と鳴く。外はすっかり黄昏時を過ぎてる。街灯が無ければもう真っ暗だ。


「……」


ひとつ息をついて、パン、と両手で頬を張る。今日はこの後グレートデンの伝さんの散歩に行って終わりだ。ちょっと天気が鬱陶しいからって、ブルーになってる場合じゃない。時間を遅らせてもらったんだから、急がないと。


……ブルーといえば、何だっけ、あの歌。元妻の好きだった……ああ、『ブルー・レディに赤い薔薇』だったか。


ちょい沈み込んだレディには赤い薔薇が似合うかもしれないが、ブルーなオッサンにはぺんぺん草すら似合わない。よし、散歩で伝さんに癒してもらったあとは、ちょっと駅前まで歩いて、最近美味いと評判のメンチカツでも買って帰ろう。そんで、ワンカップ酒でも呷って寝るんだ。


あ、その前に洗濯と居候の三毛猫に餌。カリカリまだあったっけ? ああ、仕事以外も忙しない。感傷に浸ってる暇なんか無かったぞ。


頑張れ、俺! ののか、パパ、何とかやってるから!

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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もそっちの<俺>も、<俺>はいつでも同じ<俺>。
『一年で一番長い日』本編。完結済み。関連続編有り。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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