ある日の<俺> 2016年9月4日。 風邪引きイラストレーター
台風が来る、とか言ってたのに、平穏な天気。蒸し暑い。緑の木の葉越しに見る空は、本当のスカイブルー。とてもきれいだ。
早朝から犬の散歩を終え、次に、頼まれた家の庭の水遣りを済ませる。今日のメイン仕事は久しぶりにインドア。小磯さんの看病だ。
小磯さん、風邪を引いたらしいんだ。だけど、在宅の仕事で追い込み中の今、病院へ行く時間も惜しいという。でもとにかくふらふらだし、ぶっちゃけいつ倒れるか分からなくて怖いから、ついていて欲しいらしい。
市販の風邪薬は切れているというので、早くから開いてる商店街の薬局に寄って買ってきた。
小奇麗なアパートの一室。一応インターフォンを鳴らしてから、電話での打ち合わせ通り鍵の掛かってないドアを空けて声を掛ける。
「小磯さん、大丈夫ですか?」
「ああ、なんでもやさん……」
咳交じりの力ない返事が返ってきて、不安になる。
「朝食は摂りましたか?」
「作るヒマ……」
「無いんですね。分かりました。台所借りてお粥作りますから、その間仕事しててください」
頷いて、無言でPCモニターに向かう小磯さん。そこには綺麗な女の子が描かれてる。彼はちょっと売れてきたイラストレーターらしい。締め切りが今日で、とにかく死ぬ気で仕上げないといけないという。
こういう時の食事代わり、飲むゼリー飲料みたいなのは、身体に合わなくてお腹を下してしまうんだそうだ。だからこそ何でも屋の俺の出番なんだけど。食品添加物に敏感な体質だと、こういう時辛いよな。
小磯さんがPCに齧りついてる間に、米から軟らかいお粥を炊き、うちの台所から持ってきた頂き物の梅干から梅肉を取って細かく刻む。今年も梅仕事のおまけ でもらったこの梅干は、塩控えめじゃなくて、昔ながらの梅一升塩一升で漬けたやつだ。だからお粥に混ぜるとちょうどいい塩梅になる。
ある程度冷まして食べやすい温度にしてから、がばっと丼に移してレンゲを添え、病人に供する。
ちょうどキリの良いところだったのか、小磯んは目の前に出されたお粥を貪るように食べた。というより、飲み込んだ。
「食欲はあるようで、良かったです」
温くした白湯を出しながら、俺はちょっとだけ安心した。
「さあ、これを飲んでください」
風邪薬を渡そうとすると、小磯さんは首を振る。
「薬、飲むと眠くなるから……」
「あー、でも……」
「仕事、納品したら、飲みます……、ごめんなさい……」
熱で潤んでるけど、瞳に宿るのは強い意志。
「納品するまでは、絶対に倒れないので……」
「謝らなくていいですよ……分かりました。倒れないようにフォローしますから、頑張ってお仕事仕上げてください」
小磯さんは頷くと、モニターを見ながら手元のペンタブ? で絵を描く作業に戻った。
持ってきたレモンと小磯さん家にあった蜂蜜で、レモン多めのレモネードを作って飲ませたり、汗が酷いのでおしぼりを作って渡したりしながら、イラストの完成を待つ。俺の目にはもう出来上がっているように見えるけど、まだまだ手を入れなければならないようだ。
「……出来た」
ぽつり、と小磯さんが呟いたのは、それから数時間後。モニターの中に、湖の倒木に腰掛けて水に足を浸けている少女の絵が出来上がっていた。白い爪先から広がる波紋がきれいだ。
慎重に保存し終えて、客先に添付ファイルでメール納品すると、小磯さんは俺を呼んだ。
「何でも屋さん……送信トレイを確認してもらえますか? ちゃんと添付されてますか……?」
「はい、大丈夫です。きっちり添付されてます」
そう報告している間に、早くも客先から受領メールが来て、安堵のあまりふらついた小磯さんをタクシーで総合病院の救急外来に連れて行った。即入院となり、何でもっと早く連れて来なかったと、俺が怒られた。
いや、まあ……、うん。小磯さんはこうなることを見越して俺に看病というか、見守りを頼んできたんだろうし。保険証も用意してあったしな。俺は俺に期待された働きをしたと思う。最悪、救急車を呼ぶことも視野に入れてたし。
小磯さんはフリーのイラストレーターで、俺はフリーの何でも屋だ。同じフリーランス同士、仕事の信用が大事なのはよく分かる。限界ぎりぎりまで頑張れる態勢を整えた小磯さんは賢いと思う。その分、ちょっと出費が痛いかもしれないけど……。でも、あのまま独りで倒れてたらどうなってたか分からないし、お金の使 いどころとしては正しいと思うんだ。
病室で点滴を受けてる小磯さんは、眠ってた。医者の話によると、入院は一日で済む見込みらしい。お粥とかレモネードとか、口にしてたのが良かったようだ。
ともあれ、病院にいるなら安心だ。明日の朝、また様子を見に来ることにして、俺も帰ることにした。心の中で、同じフリーランス仲間にエールを送りながら。