ある日の<俺> 2016年8月6日。 遠い花火
西の空に、猫の爪みたいな月。
夏の星座は見えるけど、なんだか遠く霞んでるように見える。地上にもわっと渦巻く湿気が、陽が沈むとともに立ち上り、幾重にも折り重なりながら空を覆っているようだ。
そんな夜空の一角に打ちあがる花火。
ボンッ!
せいぜい両手の親指と人さし指で作った輪っか程度の大きさの、遠い花火。きれいだけど、ちょっともの悲しい。人気の無い遊園地に流れるような、古めかしいジンタの音が聞こえてきそう……あ、そうか。夜空に丸く花が咲くたび、遠くから見た観覧車の明かりみたいに見えるんだ。人の乗ることのない、まやかしの観覧車。
「なあ、伝さん」
俺はグレートデンの伝さんに話しかける。あまりにも暑くなったので、夕方というより夜の散歩だ。
「おぅん?」
「今日はあっちのほうで何かのお祭かな? それともイベント? 何だろうね」
「んぅぉん」
街灯の明かりがかすかに届く程度の、薄暗い夜の公園。いろいろと物騒なこのご時勢だ、伝さんと一緒でなけりゃこんなところ歩いたりしない。
「伝さんは花火の音怖くないんだよな」
「おん!」
雷はダメらしいけど。普段は悠々と庭の木陰の大きな小屋でくつろいでいるのに、雷鳴が聞こえるとひゅんひゅん鼻を鳴らして家の中に入りたがるらしい。
「そっかー。伝さんには、花火はどんなふうに見えるんだろうな」
「おふぉん?」
犬の視界はモノクロらしいしなぁ。夜だから、グレーの濃淡だろうか。濃いグレーの空に、白い花火が咲いて見えたりするのかな。猫の爪のような白い月と、白い花。
それもきれいかもしれないなぁ……。
ボンッ! ボッ!
お、大花と小花が。遠いと迫力ないけど、こういうのもいいな。寂しさともの悲しさを、傍観者の気分で楽しめる。──なーんてな。
「おん!」
伝さんが強めに鳴いて立ち止まるから、俺も足を止めて周囲に目を凝らす。おっと、木の根っこに蹴躓くところだった。
「ごめんごめん、伝さん。よそ見は危ないよな」
気をつけるよ、とそのでっかい耳の後ろを掻いてやる。気持ち良さそうだ。お礼にべんべろべんと手を舐めてくれる。
「ありがとな、伝さん。散歩の続き、行くか」
「おんっ!」
元気に返事してまた歩き出す伝さん、力強い足取りだ。
うん、空ばっかりみてたらダメだな。ちゃんと前も足元も見てる、犬の歩みは地道で実直だ。よし、俺も花火を気にするのは止めて、足元をしっかり見て歩こう。
かすかに吹く風が涼しい。
季節の移ろいは早い。明日は立秋。