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ある日の<俺> 2016年8月1日。   つわものどもが夢の跡

日の出からわずか一時間。朝っぱらから太陽が眩しい。今はまだいいけど、じきに暑くなりそうだ。


「今日もきっと暑いなぁ、伝さん」


グレートデンの伝さんと朝の散歩。伝さんの後はシェパードのペーターくんの散歩が控えている。今日は公園巡りコースかそれとも花巡りコースかはたまた遠回りして駅まで行って帰るなんちゃって通勤コースにするべきか悩んでいると、知ってる声が呼びかけてきた。


「おはようございます、何でも屋さん」

「あ、おはようございます。あの時はビールありがとうございました。その後、どうでしたか?」


十日ほど前、自宅のエアコン室外機に巣をつくった蜂に刺されていた笠井さんだ。たまたま通りかかかって助け出し、手当てしたんだっけ。後でお礼にビールをもらった。


「刺されたとこは、何でも屋さんの処置のおかげで軽く済んだようです」


それは良かったです、と言いながら、駅に向かう笠井さんに自然と並んで歩く。伝さんも元気について来る。したしたした、と道路を蹴る伝さんの足音が楽しげだ。駅までのなんちゃって通勤コースになると分かったんだな。いつもよりちょっとだけ長く歩けるから、うれしそうだ。


「ネットで蜂に刺された人の画像検索したら怖くなりました。ああいうのに比べたら本当に大したことなかったです。薬局でも蜂刺されによく効く薬を教えてもらえたし……、あ、何でも屋さんに塗ってもらったのと同じやつでしたよ」


俺もあの薬局で買ったんですよ、と言いながら、巣はどうなりました? と訊ねる。やっぱり、そこは気になるよな。


「それもね、蜂に良く効く強力殺虫剤を教えてもらって、何でも屋さんのレクチャー通り、暗くなってから室外機の巣のある当たりを目掛けて吹き付けました。飛び出してきたらしい蜂の羽音がその辺で響いて、生きた心地がしませんでした……」


あのブーンという音が、いかにも大型の蜂ですという感じだし、刺された時のことを思い出すと手が震えて狙いが外れそうでした、と恥ずかしそうに言う笠井さん。いや、分かるよ、分かる。怖いよな、あの音。


「寄らば斬る! っていうか、寄らば刺す! 何度でも刺す! 刺して後悔させてくれる! って感じですよね」

「そうそう!」


何でも屋さん、上手いこと言うなぁ、とちょっと笑ってから、笠井さんは重い溜息を吐いた。


「でもねぇ、翌朝結果を見たら……あ、さすがに夜見るの怖かったんで、翌朝にしたんですけどね」

「いや、それが正しいですよ」


プロならともかく、素人が暗い中でそれをやっていいとは思えない。生き残りがいるかもしれないし。


「大きな蜂が、室外機周辺に三、四匹くらい転がってるわけですよ。それがね、みんな祈るような姿になってるんです。心もち背中を丸めて全ての足を組んで……まあ、死ぬと体が自然にそんなふうになるようになってるんでしょうけど、それを見てると……」


何か、本当にごめんなさい、って気持ちになったんです、と笠井さんは呟いた。


「むざむざ蟻が集ってくるのを放っておく気にもなれず、土に埋めてやりました。偽善だとは思うんですがね……」

「あー、あれはねぇ……罪悪感に駆られますよね」


重い羽音を響かせて飛んでる時はものすごく恐ろしいんだけど、死んでころんと転がっているのを見ると、途端に申しわけない気持ちになる。自分が殺したんならなおさら。


「分かってくれますか、何でも屋さん」

「分かりますよ。好きで殺虫剤掛けてるわけじゃないし。気持ちとしては、こっちに来んな! ってだけですもんね、我々は」


本当にねぇ、と笠井さんは呟いた。


「刺された時は、もうとにかく痛かったもんだから、仕返ししてやるぜ、って殺虫剤選びながら北叟笑んでたんですけど、いざ死んでるのを見るとどうもね……」

「複雑ですよねぇ……」


歩きながら、二人で大きな息を吐いた。伝さんが心配そうに俺の顔を見上げ、大丈夫か相棒? と言うみたいに鼻を寄せてくる。大丈夫だよ、とその頭を撫でて安心させて、俺は言葉を続けた。


「ああいうのは互いに不幸な巡り合わせだったね、と思うしかありませんよ。放っておくと家に出入りするのも危なくなるし、ご近所にも迷惑だし」


そうですよねぇ、と笠井さんは頷き、バシっと両頬を叩いて気合を入れるようにした。


「陣取り合戦で戦って、こっちが勝っただけのことだと思っておきます。攻められたから守った、ただそれだけのこと」

「そうですよ。笠井さん、ちゃんと弔ってやったんだし」


何がしかの後ろめたさを感じるのは、きっとそれが良心てやつなんでしょう。そう言うと、笠井さんはほろ苦く笑んでみせた。


ちょうど駅ロータリーまで来たので、そこで別れた。笠井さんは「ハチのムサシは死んだのさ」とかなんか、聞いたことがあるような無いような歌を歌いながら駅構内に消えていった。それを見送り、俺は伝さんに向き直った。


「さて、ゆっくりジョギングしながら帰ろうか。なんちゃって通勤コースは走りでがあるよな」

「うぉん!」


とたん、元気になる伝さん。駅を目指す人が怖がらないようにリードを短く持って軽く走る。


「伝さんも、もし蜂が襲ってきたらすぐに逃げるんだぞ」

「おん!」

「蜂は痛いだけじゃなくて、腫れるからなぁ」

「ぉうん」

「同じ場所で共存は難しいよ」

「おん」


全ての生き物と仲良く暮らすのは不可能だ。食べる以外にも沢山殺して人間は生きている。そのことをつい忘れてしまいがちだけど、たまには思い出すことにしよう。ミミズだってオケラだって人間だって生きている。生きているからこそ──


「台所に出るアレとは友達になれないよなぁ……」

「おぅん?」

「そういうことだ。な、伝さん!」

「おんおん!」


分かったような分からないような。だけど、あと数時間もすればアスファルトは鉄板のようになる。それだけは確か。


「この後のペーターくんとは木陰の多い公園コースにするか。伝さんも明日は公園コースにするかい?」

「おん!」


今日も暑い、明日も暑い。暑いのは嫌だけど、夏はやっぱりこうでなくちゃ!

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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もそっちの<俺>も、<俺>はいつでも同じ<俺>。
『一年で一番長い日』本編。完結済み。関連続編有り。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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