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ある日の<俺> 2016年7月18日。  蜂に刺されたお隣さん

今日の空は、青と水色と白。暑いけど、夏はまだ本番ではなさそう。


さりとて、暑いのは暑い。さっきまでの草刈り作業で汗びしょびしょだ。ボロビルの事務所兼住居はもうすぐそこ。ちょっと帰って着替えて、先月の梅仕事のおまけでもらった梅シロップで梅ジュース作って飲むかなー、と思いながら歩いてたら。


「痛っ! 痛たたたたた!」


えらく痛そうな悲鳴。見ると、生垣混じりのフェンス越し、庭のエアコン室外機の傍にうずくまる人影。あ、あれここん家の笠井さんだ。


「ど、どうしましたか?」


思わず声を掛けると、蜂に刺されたと言う。


「この室外機の裏側に巣を作られたみたいで。ちょっと覗いてみたら出てきたヤツに刺され、ってまた出てきた!」


「逃げて! 逃げてください! 早く家の中に!」


巣の近くでは特に攻撃性が増すという。敵認定したら、ヤツら追いかけてでも刺してくるから。うわ、三匹くらいホバリングしてるのがここからでも見える。


「いや、鍵が! 今コンビニから帰ってきたところで!」


「じゃあ、こっち! 早く!」


門から飛び出してきた笠井さんを連れて、もうすぐ隣の俺ん家ボロビル外階段を駆け上る。もどかしく鍵を開け、重い玄関ドアを潜ってエアコンの冷気にホッとする間も無く、狭い台所の流しで水道の蛇口を捻り、水を出す。


「どこ刺されました? 早く洗わないと」


流水で傷口を洗って、出来れば毒を搾り出さないといけない。 頭とか刺されてたらどうしようと思いながら聞くと、刺されたのは手だけだという。


「こことか、こことか……痛っ! ちょ、何でも屋さん、何す……!」


「傷口から毒を絞り出すんですよ! 痛いけど、絞らないともっと痛いですよ!」


指の腹を使って、ぎゅっぎゅっと!


「だだだだだだ……!」


む、手のひら側の親指付け根も腫れかけてる。ぎゅぎゅ、ぎゅっと!


「でででででで……!」


「ほか、痛いとこないですか?」


「抓まれてるとこが痛い……です」


笠井さんちょい涙目……。まあ、こんなとこかな。


「じゃ、これで拭いてください」


カラーボックスに重ねて収納してあるタオルを一枚渡して、俺は救急箱を広げた。蜂に刺された時は、確かこれ、この軟膏。


「薬塗りますよ。あー、やっぱりちょっと腫れてきましたね」


「そうですね……。でも洗ったせいか直後よりはマシかも……」


「そうでしょう。俺もたまに刺されるんで、分かります。あれ、毒を搾り出さないと長引くんですよ。──あ、どっか身体おかしいとこないですか? 口の中が痺れたり、息苦しかったりしませんか?」


「大丈夫です、多分……」


笠井さんは疲れたようにぐてっと身体の力を抜いた。そのままボロソファに座っていてもらって、後片付けをする。


「災難でしたね」


そう言いながら梅シロップの水割りを二つ作ると、ひとつを差し出す。


「いや、ホントに災難でした──あ、ありがとうございます」


礼を言いながら一口飲み、ホッと息を吐いている。


「……これ、美味しいですね。梅?」


「梅シロップを冷たい水で割ったものです。夏場はこれと塩麦茶が重宝するんですよ」


仕事柄よく汗掻きますからね。そう言いながら、俺はようやく手にした梅ジュースをごくごくと一気に呷った。そうだよ、これが飲みたかったんだ。ふー、うめえ。……いやいやいや、シャレじゃない。シャレじゃないから。


「梅がうめぇ、なんちゃって。はは……」


なんと、俺が辛くも堪えたオヤジギャグをそんなあっさりと垂れ流してしまうとは……。笠井さん、よっぽど消耗してるんだな。


フォローすべきか、俺がリアクションに悩んでいると、本人がヘタレた。


「すみません、しょーもないことを」


「いえ……ついそう言っちゃいますよね」


あはは、と二人で笑う。──うーん、空気が生温い。しょうがないよな、俺ら二人ともオヤジだもん。


「今日はせっかくの月曜祝日なのに、ツイてないです。蜂の巣どうしようかなぁ……。何でも屋さん、お願い出来ますせんか?」


「うーん、スズメバチでも小型のやつっぽかったから……、室外機の下だったんですよね?」


「多分。なんか蜂が周り飛んでるなー、と覗いてみたらアレですよ」


「掃き出し窓のすぐ傍ですよね?」


「はい。あー、窓開けられないな。いつの間に巣なんか作られちゃったんだろ。蜂なんて見たこと無かったのに」


「それならまだ巣も小さいんじゃないかな。夜になるとみんな巣に帰って大人しくなるから、網戸の隙間から強力殺虫剤のノズルを出して三十秒ほどシューってやるといいですよ。あ、部屋の灯は消しててくださいね。夕方の、完全に暗くなる前なら周囲も見えるでしょうし」


「それでいけますか?」


「いけると思いますけど……もしダメなら、専門の駆除業者に頼んだほうがいいと思います」


何でも屋の仕事は薄く広く浅く、ですから。と苦笑してみせると、笠井さんは俺の言葉の意味を汲み取ってくれた。


「オールラウンダーより、スペシャリストに、ってことですね」


「そうしていただけたら」


ありがたいです、と俺は一礼した。何でも屋は何でも屋だけど、本当に何でも出来るわけじゃないから……。笠井さん、申し訳ない。








その後もうしばらく様子を見ても異状は無さそうだったので、俺に何度も礼を言いながら笠井さんは商店街に出かけて行った。家に戻る前に薬局で虫刺されの薬と殺虫剤を買うらしい。


どこか痺れるとか怠いとか、少しでもいつもと違うと感じたら必ず救急外来に行って診察を受けてくださいよ、とはアドバイスしてある。まあ、多分大丈夫だとは思うけど……。俺の携帯の番号も教えておいたし。


蜂に襲われながらもずっと手に持っていたコンビニ袋の中のソフトさきいかとちーカマと柿の種は、せめてものお礼にと俺にくれた。笠井さん、のんびり休日の酒を楽しむつもりだったんだろうな。気の毒に……。


よれよれの笠井さんを見送った後、俺も暑い季節のコンクリート打ちっぱなしボロビル対策・エアコン設定常時二十八度の楽園から出、壊れたバイクで走り出さずに押して歩いて修理屋に持って行ったり、急に頼まれて花を買いに行ったりしていた。


またしたたかに汗を掻き、次の犬の散歩までのあいだに休憩しようとボロビルに帰ってくると、ドアノブに六本入りのビールを入れた袋が引っ掛けてある。


入っていたメモを見ると笠井さんからだ。 今回のは緊急の人助けだから報酬なんかいらないんだけど、律儀な人だ。ともあれ、発泡酒じゃないビールは久しぶりだからうれしい。つまみも先にもらったのがあるし、今夜は晩酌だな。やったね!──ま、一日一本にしておこう。いや、今日は二本でもいいかなぁ。


額の汗を拭って空を見ると、夕方の空はブルーグレー。明日も暑くなりそうだ。

一部実話です。

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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もそっちの<俺>も、<俺>はいつでも同じ<俺>。
『一年で一番長い日』本編。完結済み。関連続編有り。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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