ある日の<俺> 2015年2月10日。 ホラー映画と猫
前の話、「ある日の<俺> 2015年2月5日。 将棋と猫」とちょっと繋がってます。
朝の犬の散歩の帰り道。最近この辺に越してきた赤萩さんに会った。
「おはようございます。この時間に出勤ですか?」
そう声を掛けたのは、何だか彼の足取りが覚束ないように見えたせいだ。
「あ……何でも屋さん……」
俺の挨拶に応じてこちらを向いた赤萩さんの目は、どこか虚ろだった。
「何でも屋さーん!」
「ど、どうしたんです、何かあったんですか?」
「俺、俺、呪われたのかもしれない……!」
駅に向かう道を一緒に歩きながら聞いてみると──
この間の休み、赤萩さんはホラーDVDを立て続けに見た。
『ローズマリーの赤ちゃん』
『オーメン』
『悪魔の赤ちゃん』
の三本。得体の知れない赤ちゃんの出てくるホラーばかりだったのは偶然らしいが──
「それ以来、夜になると赤ん坊の声が聞こえてくるんです……! 気のせいだと思いたいのに、昨夜は一晩中聞こえてた。俺、俺は……!」
顔面蒼白な赤萩さん、今にも倒れそう。いや、でもそれはさ。
「それ、赤ちゃんの泣き声じゃないですよ」
俺の言葉に、赤萩さんは自己処理し切れない恐怖感情のあまりか激昂した。
「幻聴だって言いたいんですか!」
「いや、幻聴じゃなくて」
ちょうどその時、赤ちゃんの声に似た声が聞こえてきた。立ち止まり、硬直する赤萩さん。「もうダメだ……俺、取り殺されてしまうんだ……」そんなふうに呟いている。すっかり信じ込んでいるところ悪いけど──
「あれ、猫の鳴き声ですよ?」
「え? 猫ってにゃーって鳴くんじゃないですか?」
「猫は春になると、っていっても猫の春、つまり発情期のことですけど、その時期の泣き声は人間の赤ちゃんにとても似てるんです」
「あれ、猫の鳴き声……?」
「そうです。ああいうの、今まで聞いたことなかったんですか?」
無かったらしい。真実を知った赤萩さんは呆けたように黙り込んだ。口の中で何かもごもごいうと、彼は足早に駅に向かって去って行った。
真実を知らずにいつまでも怖がっているか、それとも受け入れて安心するか──。すごく複雑そうだったけど、一時恥ずかしい思いをしても<怖い>というストレスを感じなくて済むほうが、ずっと身体にいいと思うよ、赤萩さん。
↓翌日(2015年2月11日)、ブログの方で書いた解説(?)です。↓
昨日、赤ちゃんの出てくるホラー映画を三つ挙げましたが、小説ならば断然レイ・ブラッドベリの短編、『小さな殺人者』を挙げます。『十月はたそがれの国』収録。このお話は怖いです。妊婦さんには絶対読ませたくありませんね。
ああいう赤ちゃんたちに比べたら、日本の妖怪<子泣き爺>のらぶりーなこと。
映画は、視覚的なグロには極端に弱いので、『エンブリヨ』とか話は知っていても見られません。この話だと、胎児からすぐに大人の女性にまで成長してしまうわけですが。そういえば『マニトウ』にも異形の<赤ん坊>が出てきたな。背中の瘤から、のわぁっと。
<赤ちゃん>は最後にちらっとしか出てこないけど、『デモン・シード』という映画はわりと好きです。原作本も持っていたり。でも、原作より映画の方が好きだったな。SFなんですよこの話。人工知能プロテウス、<彼>は肉体を得て人間になり、五感をもってもっと色々なことを知りたかったんだろうな。