ある日の<俺> 3月9日。 白梅の古木
雨のそぼ降る見知らぬ夜道。
もしかして、俺、道に迷った?
今回請け負った仕事は、花山さんちのご隠居に、棋譜の配達をするというもの。依頼主は月影の爺さん。爺さん、先週胆石で緊急入院したらしいんだけど、ご隠居は足が悪く、見舞いに行けないということで。
退院してから、また二人でゆっくり将棋指せばいいのに。ま、何のかの言いながら、寂しいんだろうな。
それにしても、この道暗い。街灯の間隔が空き過ぎてる。この先の曲がり角らしき辺りが、また一際暗くって・・・
ん? あれ、何だ?
暗闇に、ぼんやりと浮かび上がる白い影。
俺は無意識に立ち止まっていた。・・・かすかな風が頬を撫でていく。
ふわふわ、ゆらゆら、影が動いているように見えるのは、目の錯覚だよな? だって今にも消えてしまいそうだから。闇に滲むように、夜に溶け込むように・・・。見つめているうちに、なんでか分からないけど、俺はそこから動けなくなった。
どれくらいそうしてたんだろう。
「あっ・・・!」
驚きに、俺は目を見開いた。
白い影が躍り上がる、闇を切り裂いて。
花びらが散る、白い花びらが。空から落ちてくる雪のように、音も無く舞い踊る。
ほんの一瞬、刹那の光景。――ただの夜道に戻ったその場所で、俺はぼんやり立ち尽くしていた。
通り過ぎた車のヘッドライトに浮かび上がったのは、満開の花を湛えた白梅の古木。ほんの瞬きの間だけ姿を現し、再び闇に消えた。
「・・・気づいて、欲しかったのかな?」
さっきまでと同じ、夜闇に浮かぶ白い影を見ながら、呟きが口を突いて出る。梅の木は、かすかな夜風にさやさや枝を揺らすだけだった。
その夜、満開の梅の木の下、独りで酒を飲む夢を見た。酔ったのは、酒にか、あの馥郁たる梅の香りにか・・・