ある日の<俺> 2月14日。バレンタインデー、義弟の看病
『何でも屋の四季折々』のほうに、「<俺>のお正月 おまけ はんぺんの呟き」を追加。割り込み投稿は、どうやら更新に反映されないようですね。
「ごめんな、ののか。大好きだよ」
通話を終えて、俺は携帯を布団の上に投げ出した。
せっかくの面会日なのに、風邪を引くとはついてない。げほげほげほっ・・・溜息の代わりに咳き込んで、俺は情けなさに片手で顔を覆った。
パパをかんびょうしに行く! とののかは意気込んでいたが、そんなことさせるわけにはいかないじゃないか。うつったらどうする。可愛いののかがコンコン咳をしたり高熱を出したりするのは嫌だ。それくらいなら、会うのを我慢するくらい、屁でもない。
暖冬なのに、何で今頃風邪なんか引いてしまったんだろう。ここのところ、碌なものを食べてなかったせいかな。久しぶりにののかに会うんだから、いいものを食べさせてやりたいと思って倹約しすぎたのがいけなかったのかも。
しかしまあ、直接の原因は、昨日公園の噴水に尻餅をついてしまったことにあるんだろう。迷子ペットの小型テリアのゴンタくんは、なんであんなところにいたんだ。無事保護は出来たが、捕獲する際に転んで濡れた尻は冷たいし、俺は散々だった。
連絡を受けた飼い主はすぐ愛犬を迎えに来て、俺の惨状(?)に恐縮して報酬に色をつけてくれたが、そういえばその直後からもう背中がぞくぞくし始めていたのだ。
昨夜は食欲もなくて、崩れるようにベッドにもぐりこんだんだ。が、今朝目が覚めてみれば、熱は出てるわ喉は痛いわ咳き込むわ。ケンケンゴホゴホやっていると、そのあまりの激しさに喉から出血するんじゃないかとびくびくしてしまう。
うーん、少し寒いかも。寝室にしている部屋には一応石油ストーブが置いてある。ちょっとだけ起き出してそれに点火すればいいのだが、何しろ冬は冷え切るコンクリート打ちっぱなし。布団から出たくない。でもストーブを入れないと寒い。
ジレンマ。
寝返りを打って、身体を丸める。昨夜辛うじて入れた湯たんぽはまだ暖かいが、なんだろう、身体の芯はちっとも温まってないような気がする。
いやいや、寝てれば治る。必ず治る。溶かしたバターのように意識が混沌としてくるのに任せて、俺は再び目を閉じた。吐く息がやけに熱いな、と感じる前に、すとんと眠りに落ちていた。
なんだか雲の中にいるみたいに、ぼうっとしている。
まだ眠っているのか、それとも覚醒しているのか・・・
夢の夢?
なんだか温かい。ふと見ると、ストーブがついている。あれ? 湯たんぽ抱きしめて布団に潜り込むのが精一杯だったのに、実はちゃんとつけていたのか?
「無意識・・・?」
俺は呟いた。が、自分の声のあまりの掠れぶりに驚き、次の瞬間には咳き込んでいた。げほっげほげほげほっ・・・く、苦しい・・・
「あーあー、義兄さん、大丈夫ですか?」
事務室との境のドアが開いて、智晴が入ってきた。
「と、もはる?」
「はいはい、あなたの義弟の智晴です。もう、こんな酷い風邪引いて。どうして病院に行かなかったんですか? 保険証は持ってるでしょう?」
いや、確かに持ってるけど。どうしてお前がここに。
「ののかちゃんから出動要請を受けたんです。パパの看病に行ってあげて、って。その様子じゃ何も覚えてないんですね。本当にもう、合鍵あって良かったですよ」
そういえば、ののか(&元妻)と智晴には合鍵を渡してあった。今まで一度も彼らがそれを使ったことはなかったけれど。
「僕が来た時、あなた酷い状態で。スポーツドリンク飲ませたり薬のませたりしたのに、全く記憶にないんですか? 汗も凄かったから、パジャマも着替えさせたんですけど?」
ぽやん、としゃべり続ける顔を見つめていると、あーもー、と言いながら、智晴はドアの向こうに消えた。
ぱじゃま? まだ頭がぼんやりしている。ふと額にやった手に違和感を感じると同時に、冷たさを感じた。これって、ひえぴた?
「ほら、水分補給して」
その声に目をやると、智晴はペットボトルにストローをさしたものを俺の口元にもってきた。
それを見たとたん、俺は喉の渇きを覚え、格好を気にする元気も余裕もなくストローをくわえた。冷たすぎないスポーツ飲料が荒れた喉に気持ちいい。慌てて飲んだら咳き込むから気をつけて、と智晴はいい、何かを耳に当てた。ピッと音が鳴る。
「三十八度三分ですか・・・さっきよりはマシですね。お粥、食べられます? 食欲なくても少しくらい食べた方がいいですよ」
気遣うような目。俺はなんとか頷いた。向こうの部屋からがちゃがちゃいう音が聞こえてくる。と、俺はようやくしゅんしゅんいう音に気がついた。ストーブに薬缶がかかっている。さっきから聞こえていたはずなのに、鈍ってるな、俺・・・
そんなことを思いながら、薬缶の口から生まれて消える蒸気を見ていたら、盆を持った智晴が戻ってきた。行平鍋とお椀、レンゲが載っている。
「自分で食べられますか?」
サイドボード代わりのカラーボックスの上に盆を置いて、智晴は俺の上半身を起こしてくれる。クッションがわりに背中にあてられてるのは、ののかがくれたあのぬいぐるみかな。もたれるのにちょうどいいかも・・・
両手にお椀を持たせてもらう。が、覚束ない。
「落とすと大変だから、食べさせてあげますよ。はいはい、嫌だなんて言わない。僕はののかちゃんの代理なんだから、この手はののかちゃんだと思ってください。早く風邪治さないと、ののかちゃんが泣きますよ?」
そう言われると意地を張る気力もなくなる。俺は大人しく口を開けた。
ん・・・? この味は・・・
食べやすい温度に冷まされているお粥をもぐもぐしながら、俺は智晴の顔を見る。
「ああ、やっぱり分かりますか? このお粥は姉さんが作ったのを運んできたんです。早く治さないと、ののかに会わせてあげないわよ、って。はい、伝言終わり」
軽口を言いながら、智晴は俺のペースに合わせてゆっくりとレンゲを口に運んでくれた。ペースト状にした梅干しと大葉を少々刻み入れた粥は、俺が風邪を引いた時の特別メニューだ。一口ごとに力が戻ってくるような気がする。
元妻は、俺の好みを忘れずにいてくれたんだなと思うと、うれしいけれど、どこかほろ苦い。
時間をかけて、やっとお椀を空にした。その間、智晴は急かすこともせずつきあってくれた。
「あ・・・」
「もっと食べますか?」
ありがとう、と言おうとしたのだが。智晴の問いに、俺は首を振った。これ以上はちょっと入らない。
「じゃ、薬をのんでください。はい、コップは支えてますから、慌てないで。ゆっくり。いいですか」
冷たすぎない水で、智晴は薬をのませてくれた。ごくり、と飲み込むと、自然と溜息がもれる。背中の支えを外して、智晴は俺が再び横になるのを助けてくれた。あ、やっぱりののかのくれたぬいぐるみだった。
「汗は大丈夫みたいだから、今は着替えなくていいですよ。さあ、とにかく眠ってください。風邪は栄養を摂って、あとは寝るしか方法はないですからね」
腹が温まったからだろうか、急速に眠気が押し寄せてくる。
ののかちゃんからのチョコレートありますから、具合が良くなったら食べましょうね、という智晴の声をうつつに聞いて、俺はまた眠りに落ちた。
ありがとう、智晴。
ありがとう、ののか。
ありがとう、・・・・・・
そんな俺の、しあわせかもしれないバレンタインデー。
って、智晴! 何だよ、このパジャマは!
次に目が覚めた時、俺は風邪じゃない原因で血圧と体温を跳ね上げた。
まっピンクの、キテ○ちゃんのパジャマ・・・なんで、なんでこんなもんに成人男性用のサイズがあるんだよ? あっても買うな、着せるな、ともはるぅ~!