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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第二四話 守り手
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二 こたろう

 馬上は何度も散歩で通った道を眺めて、溜息をついた。最近溜息ばかりだ。こたろうがいた頃は本当に楽しかった。家に帰れば真っ先に出迎えてくれたのもこたろうだった。

 昔のことを思い出すと余計に落ち込んでしまう。馬上は頭を振って、歩き続ける。




 美琴はその日、朝から人間界を歩いていた。あまり屋敷から出たくはないが、読む本がなくなったのだから仕方がない。出版文化に関しては人間界の方が遥かに発達している。

 せめて人の少ない午前中に本屋に行って帰ろう、そう思いながら曇り空の下を歩く。傘を持ってきていないから、雨は降らないで欲しいとそんな感想を一人抱く。

 交通機関は人が多いこともあり本屋までは徒歩で進む。その方が気が楽だ。人間が嫌いな訳ではなく、ただ単にたくさんの生き物が集まる場所は好きではない。

 しばらくして木久里町の住宅街に入った頃、美琴の真横の塀に一匹の白猫が飛び乗り、美琴に合わせて歩き始める。

「久しぶりですな、死神さん」

「マコ」

 美琴は猫を見てそう言った。彼女は猫又(ねこまた)という(あやかし)だ。長い時を生きた猫が稀に変化する妖で、言葉を話せば変化(へんげ)もする。美琴の目には尻尾が二つに裂けているように見えるが、片方は幽体になっているため人間には見えない。

「今日は人間界に何の御用ですかな?」

「ただ本を買いに来ただけよ」

 美琴が言って、マコの前で小さく指を動かすとマコは塀から飛び降り、美琴の腕に収まった。大事に飼われているためか、ふわふわとした感触と温かな体温が心地よい。

「家族とは仲良くしてる?」

「お陰さまで。そろそろ十五年になりますな」

 美琴がマコの頭を撫でると、マコは気持ちよさげに喉を鳴らした。 

 マコは人間の家庭で飼われていた猫が妖化(あやかしか)した存在だ。猫又になった現在でもその家で変わらない生活を送っている。当然妖であることは隠しているが、そんな出生であるため人の言葉を知っている。

 そんな彼女と出会ったのは偶然だった。一年ほど前、人間界を気ままに歩いている猫又を見つけて美琴の方が声をかけたのだ。ずっと人間の世界で暮らしてきたマコは自分以外の妖怪の存在にひどく驚いていたことを覚えている。

「ねえ死神さん、最近この町で、私以外の動物の怪がいるみたいなのですよ」

「動物の?」

 美琴が聞き返すと、腕の中で美琴を見上げてマコは頷いた。

「はい。昨夜猫の集会に赴いた際に何匹かの猫さんたちが言っていたことなんですがな、どうもお犬さんの妖がいるらしいのですな」

「犬のねぇ」

 妖気が濃い異界では動物が妖怪化することは現在でも珍しいことではないが、人間界では滅多にないことだ。それがマコに続いて同じ町で二匹目とは。黄泉国と繋がっているせいだろうか。

「それで、そのお犬さんがですな、人間さんを襲っているところを見たとある猫さんが」

「人間を?分かったわ。私も調べておく。あなたは危ないことをしてはだめよ?」

 美琴は言いながら、耳の後ろを掻いてやる。

「分かっております。死神さんに任せれば安心ですな」

 マコはそう言うと、美琴の腕から塀の上に再び飛び乗った。確かこの辺りに彼女の住む人間の家があるはずだ。

「ただ、死神さん、できればそのお犬さんを傷付けることはして欲しくないんですな。きっと彼、または彼女も、人に飼われていたお犬さんなんでしょうから、妖化したのには何か理由があるはずです」

「ええ。私も頭ごなしに攻撃したりはしないわ。大丈夫」

 美琴がそう言うと、マコは目を細めて笑ったような表情をした。

「なら安心ですな。場所は木久里町の二丁目のはずです。では、また」

 マコはそう言って、塀の向こうへと飛び降りた。美琴はその姿を見送りながら考える。二丁目ならここから近いはずだ。仕方がない、予定を変更してそちらの調査に向かおうか。




 いつもと同じ日常を過ごし、再び帰路につく頃には、時計の針はとっくに午後十時を超えていた。途中のコンビニで夕食を買い、早く眠ってしまおうと馬上は急ぎ足で歩く。

 とにかく眠る時間を確保したい。近頃はどれだけ体に負担を掛けずに済むかだけが生きる目的になっているようだった。本来なら手段であるはずなのに。

 その時、馬上は前方にいる犬に気が付いた。野良犬だろうか。だが、最近はそんなもの見たことがない。それに何故か牙をむき出しにして唸り声を上げている。まるで狼だと馬上は思った。

 体も大きく、四足歩行なのに馬上の腰よりも高い位置に頭がある。ただ、一つ気になることはその犬のしている首輪だった。

「こたろう……?」

 馬上は呟いた。その犬がしている首輪は青で、それに白いインクでこたろう、という字が書いてある。あれは、間違いなく自分が昔こたろうに掛けた首輪だ。

「まさか……」

 馬上は犬に近付いた。だが、犬は唸り声をやめない。確認したいが、これ以上側に寄るのは無理そうだった。馬上は諦めて、その犬から少し離れた場所を通り過ぎようとした、その時だった。

 犬が吠え声を上げ、こちらに向かって走って来た。それに驚いて、馬上も走る。途中でコンビニ弁当を落としたがそんなことはどうでもよかった。このままだと殺される。

 幸いにも家は近くだった。馬上は走りながら鍵を取り出すと、玄関の扉を開けて中に入った。そして鍵を掛け、扉に背中を預けて座り込んだ。

 あれはこたろうだったのだろうか。もしそうなら、自分を怨んで化けて出てのか。それに、心当たりがない訳ではなかった。




 こたろうとはずっと一緒だった。毎日のように散歩に出かけて、家の中でも遊んでいた。

 家にやって来たころには両手で包めるほどの大きさだったこたろうも、一年も経つ頃には立派に成長して、小学一年生だった馬上の半分以上の大きさにまでなった。

 こたろうはすぐに馬上に懐いて、いつでも足元にくっついていた。誰よりも自分を好いてくれるものだったように馬上は思う。

「あ、こたろう!」

 そう馬上が声を上げると、こたろうは馬上の靴を咥えてこちらを振り返り、そして追いかけようとするとまた駆け出す。こたろうはよく家族の靴を勝手に持ち出す悪戯をしていた。特に構ってほしい時などには怒られるのを分かっていてやっていた。

 こたろうに噛まれてぼろぼろになった靴は、今でも家に置いてある。それがこたろうとの思い出のものだったから。

 そうやってこたろうと過ごして行くうちに馬上は中学生になり、高校生になった。その間もこたろうは家族の一員としてずっと側にいた。

 だが、こたろうが十歳を超えたころだろうか。こたろうの体力は次第に衰えて行った。散歩に出かけても今までの距離は歩くことができなくなり、食事の量も減った。心配で病院に連れて行っても、こればかりは病気ではないから根本的な解決はできないと言われるばかり。

「ごめんなぁ」

 他の家の犬ならば二十年生きる犬だっているのに、どうしてこたろうは違うのだろう。食べさせていたものが悪かったのか、住む環境が悪かったのか、当時は何度も考えたが答えは出なかった。

 それから馬上も高校三年生になり、大学受験のために忙しくなり始めた。塾やら模試やらと忙しくなり、あまりこたろうに構ってやれなくなった。その頃のこたろうは、いつも寂しそうな顔をしていたことを覚えている。

 たまに遊んでやると、重いであろう体を懸命に動かして、尻尾を振り回していた。その健気な姿に胸が痛んだ。

 そして馬上が志望大学の模擬試験に向かったある日、こたろうを息を引き取った。結局こたろうが死ぬ間際、馬上は彼とほとんど一緒に時間を過ごすこともできず、死に目にも会えなかった。

 急いで帰って来た時には、既にこたろうの体は固く冷たくなっていた。それはこたろうを拾った時とは正反対で、何年か振りに馬上は大泣きした。だが、それでこたろうが返って来ることはもちろんなかった。

 それで、こたろうが自分のことを怨んでいても仕方がない。馬上は思う。一番心細かったであろう時に、側にいてやれなかったのだから。

 もし次にこたろうにあったなら、あいつの好きにさせてやろう。馬上は息を吐き出すとともにそう決意した。もしここらで起きている事件がこたろうの仕業だったとしたら、これ以上あいつに罪を重ねさせたくはなかった。



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