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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第二三話 悪魔のメルヘンカルタ
94/206

四 悪魔の契約

「風吹けば 落つるもみぢ葉 水清み 散らぬ影さへ 底に見えつつ」

 詩乃(しの)はハートの女王を見据え、歌を詠む。その言霊は詩乃を介して妖力となり、突風が吹いて怒りの表情に固定された女王の顔面を上下真っ二つに切り放す。

 妖力を失い、ただの札へと戻ったアリスの絵札が落葉のように宙を舞い、それを使役していた男の足元に落ちた。

 男は苦々しげな顔で次のカルタを手に取った。そして、詩乃に向かって言霊を放つ。

「Le Petit Chaperon rouge,gula」

 言葉によってカルタは巨大な狼の姿に変化する。裂けた口、大きな耳、爛々と光る目を持った獣は、唾液を滴らせながら詩乃を見る。

 「Le Petit Chaperon rouge」はフランス語で「赤ずきん」、「gula」はラテン語で「暴食」。あれは赤ずきんとその祖母を食べてしまった、童話の中での悪役である狼の性質が言霊によって象徴化された姿。食べるということに行動を固定された獣だ。

 一時的とはいえあれだけの怪物を生む妖力が体に作用したのだから、男の体もそろそろ限界だろう。あの西洋の悪魔は、人間である男に何をさせたいと言うのか。

 狼が体の半分はありそうな顎を上下に開いて襲って来る。詩乃は古今和歌集を片手で捲り、言霊を発動する。

「清滝の 瀬ぜの白糸 くりためて 山わけごろも 織りて着ましを」

 狼の牙が詩乃に届く直前にその両顎を白い糸が結び、強制的に閉じさせる。何重にも巻かれた白糸は狼の爪でも切り裂くことはできず、暴食の獣はのた打ち回りながら呻き声を上げる。

「くそ、まだだ、まだ……」

 男は震える手でさらにカルタを掴み、発動させようとする。だが、肉体は限界を迎えたようで、彼は目を見開くとともに口から大量の血を吐いた。

「人の身で耐えられるものではありませぬ。その邪悪なる妖気は」

 悪人とは言えこれ以上苦しめる必要もないだろう。詩乃は最後の歌を唱えるべく、古今和歌集を捲る。




 様々な武器を模した赤黒い触手たちは、美琴に向かって一斉に降りかかった。美琴は後ろに跳び退き、巨大な(はさみ)と鎌の攻撃を回避する。

 その美琴を逃げ場のない空中で捕らえようと、槍の形状をした触手が背後から美琴に襲い掛かる。美琴は振り向きざまに太刀を薙ぎ、それを真っ二つに切り捨てると、着地と同時にもう一度太刀を振い、他の触手たちを一撃で葬った。

「本気を出さないのは、これも戯れだから、ということかしら?」

 美琴はメフィストを睨み、そう言葉を掛ける。

「いえいえ、私ごときでは貴方の力に及ばぬだけのこと。神族の名を継ぐ貴方には、ね」

 メフィストは蔑むような笑みを美琴に向け、言った。

「何が言いたいの?」

 美琴は刀を構え、問う。

「この宇宙という御馳走を塾せる奴は、ただ「神」あるのみです。神は自分だけは永遠の光耀こうようの中にいて、我々を闇の中へ追いやった。それはつまり、悪魔は神には勝てぬということですよ。例え零落し、黄泉に堕ちた神でもね」

 美琴は力を込め、十六夜を握った。挑発しているつもりか。

 そもそも西洋の神と東洋の神の概念は違う。相手はそれを分かっていて言っている。ただ、自分とあの人を愚弄するために。美琴は柄を握る両手に力を込める。

「安い言葉ね」

 美琴が斬撃を放つ。だがメフィストはステッキを地面に突き立てて巨大な壁を作り、それを犠牲にして攻撃を防ぐ。

「さて、そろそろ頃合いか」

 メフィストはそう呟くと、体を赤黒の沼にもぐりこませ、姿を消した。




 坂井は悲鳴を上げる体を押さえつけ、何とかカルタを掴んでいた。このカルタは自分に力を与えてくれる。まだ中々使いこなせないが、この頭脳にこの力が加われば、自分はどんなことでもできる。

 体中が焼けるように痛い。だがきっとこれを耐えれば、自分は神にも等しい存在になれる。

 坂井は腹を押さえ、大量の血を吐いた。今はこんなものどうでも良い。まずは目の前の、あの人間ではない女を殺さなければ。

「お体の調子が優れないようで」

 いつの間にか、彼のすぐ隣に悪魔が現れていた。悪魔はあの人を小馬鹿にするような笑みを顔に張り付け、体を曲げて腹部を抑える坂井を見下ろしている。

「ああ……、何とかしろ」

 坂井は言った。この悪魔なら、この苦痛を一時的に抑えることぐらいは余裕だろう。悪魔はにやりと片方の口角を釣り上げて、頷く。

「喜んで」

 メフィストは言うと、ステッキの先を坂井の背中へと突き立てた。激痛が走り、坂井は目を見開いて悪魔を見る。

「悪魔のメルヘンカルタは、邪悪な心の持ち主に取り憑き、その人物が六つの身体になり体以外のすべてを支配する。このメルヘンカルタの契約の通り、貴方はこの童話に描かれる六つの異形となり、全てを支配する力を手に入れるのです。その代償として元の肉体と霊体は私に支配されるのですがね。まあ、安いものでしょう?」

「何を……」

「分かりませんか?」

 メフィストは今までにない、邪悪な笑いを見せた。

「貴方が最後の生け贄なのですよ。七つの大罪の最後の一つ、傲慢のね」

 坂井の体が内側から壊れて行く。彼は悲鳴を上げることもできずに死へと向かう自身の体を見つめるしかない。

「それに、悪魔との契約には代償が不可欠でしょう?私は貴方の望みを叶えた。今度は私がその魂を頂く番ですよ」




 メフィストは坂井の体に一気に自身の妖力を注ぎ込む。それは彼の体を浸食し、傷口から次第にその体を消失させた。後には彼の持っていたメルヘンカルタだけが残った。

「肉体がなくなれば、どうせ痛みも感じないでしょう」

 このカルタを完成させるためには「傲慢」の素質に富んだ、邪悪な心の持ち主が必要だった。そのために世界中を旅していたが、この日本でそれに相応しい人間が見つかるとは。

 全てを支配する力を求め、悪魔に騙されて殺された男のお伽噺。それがこのカルタの最後の童話。

 この「悪魔のメルヘンカルタ」はかつてヨーロッパの魔術師が六つの生け贄を元に、悪魔を呼び出して作ったとされるカードだ。

 その魔術師はその力の根源をこの世の悪に求めた。そしてその題材として選ばれたのが七つの大罪。「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「強欲」「暴食」「色欲」という七種類の悪、これらはキリスト教において人間を罪に導くものであり、悪魔と関連付けられることも多かった。それが、その魔術師の発想の元になったのかもしれない。

 魔術師は独自の魔術によって、。傲慢以外の罪を象徴するものたち六人を生け贄に、ある悪魔を呼び出した。そして、悪魔に願ったのだ。「自分の命を代償に、そのカードの悪魔の魔力を込める」ことを。そう、七つ目の罪、傲慢の生け贄は、その魔術師自身だった。

 悪魔はその契約に応じ、魔術師を殺して十二枚のカードを作り上げた。そのカードは永久に不滅であり、誰かの手に渡ればそこに封じ込められた悪を発現する。そうやって、魔術師は永遠の力と悪をこの世に残した。

 何が彼をそうさせたのかは分からない。だが、それは面白い試みだった。お陰で、何度も楽しい光景を見させてもらった。悪魔のメルヘンカルタを完成させるためには人間が人間を生け贄にすることが必要だった。

 悪魔はステッキを回して笑う。魔術師が召喚した悪魔は、彼メフィストフェレスだった。魔術師が残したカードはメフィストの手に渡り、彼によって様々な人間に手渡された。カードの踊らされる人間たちの姿は滑稽で、非常に面白みがあった。

 しかしメルヘンカルタは今日完成した。十分な妖力がこのカルタたちにも溜まっている。既にこれそのものが異形と化している。

「あなた、何を……!」

 伊耶那美の後ろに付いていた日本の異形が言った。彼女も言霊を操る妖なのか、書を開いて何かを唱えようとしている。

「邪魔ですな」

 メフィストは言い、ステッキを振った。巨大な手が地面から現れ、その妖を弾き飛ばす。

 彼は六枚の絵札と、六枚の文字札を眺めた。これが完成した今、この場にはもう用はない。悪魔はカルタの中から一枚を取り出した。

「Le Avventure di Pinocchio,acedia」

 「ピノッキオの冒険」の絵札が変化し、巨大な木偶人形がメフィストの前に現れる。「怠惰」を象徴するこの使い魔は、少しの攻撃ではびくともしないだろう。

「素晴らしい……」

 メフィストはそう呟いた。自分を通し、カルタに宿った言霊が妖力に変換され、放出される感覚。自身の妖力を混ぜれば、より強力な使い魔を作り出すことができる。その上、自分の妖力がある限りはこのカードは死ぬことも壊れることもない。命のない兵器となる。

 これがあれば、自分の力はより強大なものとなる。メフィストは満面の笑みで赤い闇を見上げた。




「詩乃!」

 美琴はメフィストによって弾き飛ばされた詩乃を受け止めた。

「すみません美琴様、油断しまいましたわ」

「いいわ、あなたはここにいなさい」

 美琴は突如現れた大きな木製の人形を見上げる。当然ただの人形である訳はなく、その体中に妖力が(かよ)っている。

 その後ろにメフィストがいるようだが、これを破壊するしかあの悪魔と相まみえる方法はなさそうだった。美琴は刀身に妖力を込め、人形を下から斬り上げる。

 その一撃で人形は葬られた。中心から真っ二つになった人形が割れ、悪魔が姿を現す。だが、その姿は既に夕闇のように薄れ始めている。

「十分な時間稼ぎができました。では、ご機嫌よう」

 悪魔は美琴の攻撃によりカードへと戻ったカルタを掴み、一礼した姿を最後にその存在は見えなくなった。同時にあの赤黒い空間が消え去り、美琴と詩乃は再び青空の下に戻っていた。

「また、逃がしたわ」

 美琴は苦々しげに言い、太刀を収めて妖術で隠した。そして、歩いて来た詩乃に問う。

「怪我はない?」

「ええ、何とか」

 詩乃は古今和歌集を袖の中に収めた。美琴は頷く。

「厄介なものが現れたわね」

 メフィストフェレス。もうこの状態からは追跡することは不可能に等しい。美琴は溜息をついた。

「本当に、鬼だけではなく西洋の悪魔まで」

 詩乃が言った。その通りだ。悪いことには悪いことが重なる。

「そうね。まあ、何が来ようとも見過ごす訳にはいかないわね」

 美琴は悪魔の消えて行った空間を見つめた。またあの悪魔とは相見えることになるだろう。



異形紹介

・悪魔のメルヘンカルタ

 「悪夢のメルヘンカルタ」とも言い、日本の都市伝説の一つ。その全文は以下のとおりである。


 ヨーロッパの呪術師がこの世の悪を封じ込めたカルタ。

 白雪姫、赤ずきん、ヘンゼルとグレーテル、人魚姫、不思議の国のアリス、ピノキオの6枚の絵柄のカルタからなる。

 邪悪な心の持ち主に取り憑き、その人物が6つの身体になり身体以外のすべてを支配する。


 これがこの都市伝説の全てであり、魔術師とは何者なのか、この世の悪とは何なのか、6つの身体になり身体以外の全てを支配するとはどういうことなのか、といったことについては一切説明がなされていない。

 また童話に関してもそれぞれヨーロッパで作られたものという以外には共通点はなく、謎の多い都市伝説である。

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