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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第 二 話 異形のもの
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三 大百足の復讐

 美琴は西の山に来て、その変わり果てた森の跡を見渡していた。豊かな緑に覆われていたはずのその場所の面影は最早なく木々は倒され、草々を取り払われて丸裸にされた地面がいくつも見える。それは彼女が予想しているより遥かに酷く荒廃していた。何かこの森に起こっていることは分かっていたが、実際に見ると腹立たしい。美琴は静かな怒りを胸に秘めつつ、目的地へ向かった。

「予想は当たって欲しくなかったのだけれど」

 美琴はかつての(ほこら)を見てそう言った。正確にもうは祠とはいえず、散らかった木片と化している。そしてこの祠こそ美琴が探していたものだった。

 ここにはかつて、ある妖怪が眠っていた。蛇や龍の天敵である妖怪、大百足(おおむかで)。その名の通り巨大な百足の姿をした妖怪だ。

 人と(あやかし)、二つの種族が共存できなくなってから幾年ほど過ぎたろう。いつの頃からかどちらもどちらかの存在を認めれば、殺し合うようになった。

 この大百足もそうだった。この大百足は、上野国(こうずけのくに)、今で言う群馬県の赤城山(あかぎやま)を住処としていた妖怪だった。かつては多くの大百足が住んでいた赤城山だったが、ある時人間の侵略にあった。大百足は強大な妖怪だったが、人間の数はあまりにも多かった。そもそも人間の唾液に弱いという特性を持つ彼らには不利な戦いだったのかもしれない。

 多くの大百足がその戦いの中で死に、また逃げ出した。勝利を収めたのは人間だった。

 こちらまで逃げてきた何匹かの大百足は黄泉国で引き取った。彼らは今でも黄泉国で平和に暮らしている。だが、ここに眠っていた二体の大百足は別だった。

 夫婦だった彼らは人間の手で自分たちの子供を殺された。まだ卵から孵って間もない、小さな子だったという。そんな赤ん坊でも、人間にとっては醜い化け物に過ぎなかったのだろう。無残にも彼らの子供たちは焼かれ、砕かれ、一匹残らず惨殺された。

 その行為が二体の大百足を狂わせてしまった。理性を無くし、人間に対する憎しみに囚われた彼らは、ただ人を殺し続けた。怪我をして、死にかけてまでも彼らは止まらなかった。

 暴れ狂い、江戸まで現れたその二体を鎮め、また人間と大百足の争いを終わらせるため、美琴本人が数百年前、この祠のあった場所に異界に続く境界を開いたのだ。そこで大百足は安らかに眠り続けているはずだった。しかし、この祠を壊された以上境界の封印は解かれた。眠りを妨げられた大百足に残っているのは人間に対する憎悪しかない。そして、その大百足が向かうのは……。

 美琴は町を見た。大百足が向かうのは、人が集中する場所。あの妖気、そして蛇の逃亡。大百足が木久里町に来ているのはほぼ間違いない。そして、夜行性である大百足が本格的に活動を開始するのは今夜だ。それに妖気は昼より夜に増加する。

 美琴はポケットから携帯電話を出すと、小町に電話をかけた。

「はい、もしもし」

「小町?私よ」

「美琴様どすか?珍しい。どうしなはったんどす」

「いまどこにいるの?」

「学校どすけど。なにか事件どすか」

「ええ、大百足の祠が壊されたの。今夜木久里町に現れる可能性が高いわ」

「それは困りましたねえ。私はどうすれば?」

「とりあえず今日は木久里町に残って。妖気の変化があったら私に知らせて。あと、恒をお願い。あの子は普通の人より妖気が高いから、食物として狙われる可能性がある」

「分かりました。良介はんや朱音はんは?」

「私が知らせておくわ。私は駅のところにいるから。じゃあまた」

「はい、では御武運を」

 電話を切り、美琴は空を見た。もう赤く染まりかけている。時間は無い。




 放課後、ひとりで学校近くのスーパーに来ていた恒は、ばったりと良介と出会い、二人で帰り途を歩いていた。良介は夕食の買い物に来ていたらしい。美琴の屋敷では彼は食事係を任されており、それ以外の家事は基本朱音に任されている。良介がこっそり教えてくれたところによると、朱音は料理が苦手らしい。

 恒も一人暮らしをしていたおかげでそれなりに料理はできるのだが、良介の方が料理の腕は遥かに上だった。そのため、恒は食事は基本良介に任せるか、手伝うくらいにしている。

 スーパーでの買い物を済ませ、夕闇に染まり始めた空の下を歩きながら良介が言った。

「知ってるかい恒ちゃん。今日町に蛇が大量発生したらしいね」

 その事件は恒も聞いていた。昼過ぎの町に、普段はほとんど見ない蛇たちが大量に現れたというのだ。恒は学校にいたので大した被害は無かったが、何人か咬まれて負傷者がでたらしい。

「すごかったらしいですね」

「ああ。美琴様もその頃町に出てたんだけど、まだ帰って来ないんだ。まあ、あの方に限って何かあるってことは無いだろうけど」

 良介がそう言ったとき、彼のポケットからバイブ音が聞こえた。良介はポケットに手を突っ込んで携帯電話を取り出すと、その相手を見てにやりと笑った。

「ほら、噂をすれば」

 そう恒に言うと、良介は携帯を開いて耳に当てた。

「もしもし」

「良介?私よ」

「美琴様?何かありましたか」

「ええ、事件よ。できるだけ早く駅に来て」

「今恒ちゃんが一緒なんですが、どうします?」

「仕方がないわ、連れてきて。あなたと離れる方が危険だから」

「分かりました」

 短い会話を終え、電話を切る。良介の顔は先程までの柔和な顔から固く引き締まった厳しい表情に変わっている。

「どうかしたんですか」

「ああ、妖怪関係の事件みたいだ。恒ちゃんは俺の近くにいた方が良い」

「一体何が……」

「行けば分かるさ。行き先は木久里駅だ」

 良介が歩き出す。恒は一瞬悩んでから、その後を追った。




 段々と世界が暗くなる中、さらに薄暗い路地裏を歩く二人の若い男。酒を飲んでいたのか、顔は紅潮し、足取りはおぼつかない。

「昼間っから飲みすぎちゃったな~」

「いいんでね、たまにはこういうのも」

 そう言って一人がへらへらと笑う。もう一人は気分悪そうに体を折り曲げたあと、嘔吐しそうになって何とかこらえた。

「おいおい、大丈夫かよ」

 笑っていたほうの男が路地裏の奥に何かを見つけた。

「ん?あれ見ろよ」

「あん?」

 二人の男が見る先に、大量の小さく細長いものがうごめいていた。よく見ると五、六センチ程の百足が大量に一匹の蛇の死体に群がっている。蛇の方はもうほとんど原形を残しておらす、その特徴的な骨格からかろうじて元が蛇だったと分かる程度だ。

「気持ちわりーな」

「おい、知ってるか?百足って唾で死ぬんだって」

 そういうと、若者の一人が百足に近寄り、それらに向かって唾を吐き、足で踏み潰し始めた。何匹もの百足が潰れ、砕けて体液を撒き散らしながら身もだえている。

 もう一人の男の方も笑ってそれを見ていたが、突然その顔が恐怖に引き攣った。その視線は潰される百足のいる足元ではなく、頭上へと向けられている。

「お、おい。あれなんだよ」

「あん?ってなんだこいつ」

 もう一人のほうも異変に気が付いた。壁を這い、二人の男に向かって来る巨大な生物。左右対称に生えた触覚と、体の両側に並んだ無数の足、そして黒光りする外殻。暗闇の中、複数ある目だけが鈍く輝いている。

それは巨大な百足だった。十メートルはある百足が壁を這い、二人に近づいて来る。

「な、マジでなんなんだよこいつ!」

「逃げようぜ!」

 二人が逃げ出そうとした瞬間、二人を観察するようにゆっくり動いていた大百足が急に動いた。百以上ある足を機械的に動かし、生きた二つに肉魂に噛みつく。二人の男は悲鳴を上げる間もなく、残骸と化した。




 夕闇が終わり、夜になろうとしている木久里駅前。その歩道の街路樹の横に立ち、町を歩いている銀髪の少女。その後ろから黒い髪の少女が声をかける。

「小町」

「あら美琴様、恒ちゃんを探してるんどすけど、あの子携帯持ってないから探し辛くて」

 おろおろと言う小町に、美琴が言う。

「大丈夫、恒は良介と一緒にいるわ。でもここに大百足が来ているのは確かみたい」

「そうどすか。安心しました」

 小町は心底ほっとしたように息を吐いた。先日恒が鬼に襲われたときも小町が一番心配していた。恒がずっと小さなころから彼を見ているのだ。それも当たり前だろう。

「良介と恒を迎えに行ってあげて。恒はあなたに任せる。大百足は私と朱音、良介で止めるから。恒にはなるべく見せないでね」

「はい、お任せください」

 その瞬間、美琴と小町が同時に反応した、妖気だ。美琴が小さな声で言った。

「来たようね」

「そうどすな」

 二人は妖気のした方向へ走り出した。




 夜が来た。大百足が動き出す。それまでは路地裏や下水道、ビルの地下など、暗い場所に潜み、長年の眠りで落ちた妖力と空腹を満たしていた大百足が、活動を開始する。彼らにはもう知性も理性も残されてはいなかった。彼らの記憶に残るのは、かつて人間の手によって平穏な日々を壊され、そして子供たちを殺されたという事実のみ。その人間の手によって眠りを妨げられた今、彼らに残された選択肢はひとつだった。




「おい、何だよあれ」

 町中で、一人のサラリーマンが米倉建設と書かれたビルを指差して叫んだ。突然の大声に、町を歩いていた人々も驚いてその彼を見る。そして、彼が指差している方向を見た。

 女性の悲鳴が上がった。続いて、様々な叫びが上がる。彼らの注目を集めているのは、ビルとビルの間から現れた巨大な百足。それが、人間の叫び声に反応して、まるで複数の生き物のように体の節を動かし、動き出した。

「建物の中に避難してください!」

 警官と思しき黒い制服の男が、逃げまどう人々に呼びかける。だが次の瞬間、大百足が吐いた黄色の粘液が警官を直撃した。警官が苦痛の叫びを漏らすと同時に、その肉が白い煙を上げ溶けて行く。腐食性の毒液だ。ものの数秒で、警官であったものは溶けたタンパク質の塊となった。




「やはり現れたわね。でも、一体だけか……」

 ビルにその細長い体を巻き付け、波のように百本以上の足を動かして地面へ向かう大百足を見て、美琴が呟く。最初から武力行使に出るつもりは無かった。一応、大百足の怒りの原因は人にある。美琴は昼間見た、切り開かれた森と木片と化した祠を思い出していた。それに何百年も昔の、人間に追われ、傷付いていた大百足の姿が頭を過る。しかしここにいる人間はそれには無関係だろう。大百足の怒りも分かるが、彼らを怒りの対象とする訳にはいかない。

 美琴は人間たちが建物の中へと避難するのを確認しながら、大百足を見る。

 大百足は地面に下りると、手当たり次第に逃げ惑う人間を襲い始めた。大顎を使い、人々を捕食するでもなく噛み砕いて行く。

 やはりあれは人間に対する怒りに支配され、行動している。美琴は小町とともに人間たちを建物の中に逃がしながら、そう考えた。

 美琴が止める間もなく、眼の前で一人の男の体が大百足が飛ばした毒液により寸断された。肉が焼け、骨が溶けて毒液の当たった部分から二つにされたのだ。上半身と下半身に別れた肉魂が地面に落ちる。

 大百足の毒液が当たった部分は鉄だろうとアスファルトだろうと煙を上げて溶け始める。人間であればひとたまりもない。

「できれば、手荒なことはしたくなかったのだけれど」

 もう言葉は通じないであろうことは分かったが、美琴はそう呟いた。大方の人間が建物の中に避難したのを確認し、妖力を開放して姿を変えた。瞳が紫に染まり、衣服は洋服から青紫の着物に変わる。

 本来、大百足は人間に祠と森を破壊され、住処と子供を奪われた被害者の方だ。しかし、憤怒と憎悪に狂い、無関係な者たちを殺していることも確か。それにそんな彼らを見ているのは辛かった。もう彼らには復讐という感情しか残っていないのだ。

 美琴は腰に佩いた太刀(たち)(さや)から抜くと、自分に向かって来た毒液を跳んで避けた。

 その近くに小町がやってきて、尋ねる。

「私は恒君と良介はんを迎えに行ってきます」

「頼むわ」

「はい!」

 小町はそう返事をすると、周りを確認するように首を動かした。避難し終わった者も、逃げている者も、大百足のせいで人々はパニック状態に陥り、誰も彼女たちを見ていない。それに満足すると、小町は姿勢を低くした。まずその頭から狐の耳が生え、次に三本の銀毛の尾がはえる。そして銀髪から除々に銀毛が体を覆い、体型が変化して大きな銀色の狐の姿となった。

「では、行って参ります」

 妖狐の姿でそう言い、小町は四本の足で走りだした。それに気付いた大百足の毒液を身軽に避け、地面を、壁を高速で駆けて行く。

 美琴はそれを見送ると、再び大百足と対峙した。残った人間たちが逃げられるよう、妖気を発して百足の注意を自分に向けさせる。だが、その時少女の叫び声がして美琴の注意が逸らされた。続いて、野太い男の声がする。

「邪魔だ!クソガキ」

 スーツに身を包んだ男が一人の少女の腕を掴み、後ろに引いて転倒させた。その痛みと恐怖のせいだろう、まだ三、四歳であろう少女が火の着いたように泣き出す。男はそれに目もくれず、ビルの中に逃げ込もうとする。だがその瞬間に、地面からもう一体の大百足がコンクリートを突き破って現れ、男を大顎で噛み砕いた。さきほどの大百足よりも体色が明るく、体が小さい。

 少女はそれを見て、さらに大きな声で泣き出す。その甲高い声に反応し、大百足が彼女に近付こうとする。

 嫌なものを見た。自分本位な人間はいつの時代にもいる。それが今回の事件を引き起こした。避難し遅れた人間たちは少女には目もくれず、我先にと建物の中に駆け込んで行く。

 美琴は片手に妖力を集め、逃げ遅れた子供を襲おうとしている大百足に向かって放った。少女の体に大顎が食い込む前に妖力の塊が大百足の頭部に当たり、その体を大きく逸らす。

 美琴はその子供を抱え上げると、大きく跳んだ。そのまま人間たちが避難している建物の前まで連れて行く。

「大丈夫?」

 子供は泣きながら頷くだけだ。

「ここは危ないから、はやく逃げなさい」

「お姉ちゃんは?」

「私は大丈夫よ。さあ、早く」

 美琴が微笑むと、女の子は気丈に頷いた。

「うん」

 子供が駆けだす。美琴は彼女が他の大人たちのところまで辿り着いたことを確認すると、再び大百足に向き直った。大方の人間たちは避難したようだ。

 美琴は刀を握り直すと、向かって来る二体の大百足の方に歩き出した。




「良介はん、恒君!」

 駅への道を急いでいた時、銀色の妖狐が二人の前に降り立ち、人間の姿に変化した。恒が驚いて声を上げる。

「小町さん!」

「美琴様はどうした?」

「一人で戦ってます。もう少し行った、駅の前辺りどす!」

「そうか……」

 良介はそう言うと、鋭い目つきで駅の方角を見た。

「小町君、俺は美琴様の方へ行く。案内を頼んでいいかい?」

「美琴様にもそう頼まれてます」

「ああ、ありがとう」

 小町が再び妖狐の姿に変化し、良介が恒を掴んでその上に乗った。二人を乗せた銀色の狐は、夜の街を風のように駈け出した。



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