一 ババアたちの宣言
※この話に登場するババアたちは全て都市伝説が存在する妖怪たちです。
とあるあばら屋を埋めつくすように座る老婆の群れ。ただ腰が曲がった、人間と変わらない姿をしたものから、鎌を持ったもの、包丁を持ったもの、バスケットボールを持ったもの、ブーメランを持ったもの、背中にヘリコプターのプロペラをくっつけたものなど様々な老婆たちが、壇上の一人の老婆を見つめている。
「皆の衆、良く集まってくれたああ!」
壇上の老婆がそう声を張り上げると、周りの老婆たちが歓声を上げる。それに満足げに頷き、一人目立つ老婆は再びその容姿からは想像できない大声を上げる。
「ババアは弱い!ババアは寝たきり!ババアは魅力がない!ババアは役に立たない!本当にそうなのか!?言わせておいていいのか!?」
大歓声が老婆を包む。そして、壇上の老婆は一段と大きく息を吸い込む。
「今こそ、我々が立ち上がる番じゃ!!」
第二二話「ババアたちの逆襲」
美琴は庭の草花に水を撒きながら、ひとつ欠伸をした。ここ二週間ほど特に大きな事件もなく、平和だったせいか少し気が緩んでいる。
もうすぐ冬が来る。そうなればこの花たちは枯れてしまうが、それまではきちんと水をやって、心地よい生活の場を与えてやりたい。植物だって意志や心は持っている。
また来年も綺麗な花を咲かせてくれるように、こういう世話は欠かせない。いつも目を和ませてくれる感謝を込めて、全体に水が行き渡るように撒く。
「これでよし、と」
美琴は桶に柄杓を入れ、そう呟いた。来週あたりには雪が降るだろうか。そんな気温だ。
縁側の側に柄杓と桶を置き、草鞋を脱いで屋敷に上がる。恒も小町も学校は休みで黄泉国にいることだし、今日もまた、平和に終わってくれればいい。
この後は良介の作った昼食を食べて、のんびり夜まで本でも読むか、たまの睡眠を取ろう。そう思いながら居間に入ると、丁度良介が出来上がった昼食を運んで来るところだった。
「美琴様、すぐ食べますか?」
「そうね。朱音と恒も呼んで、食べましょうか」
美琴は言って、卓袱台の前に座り、何気なくテレビを点けた。人間界の情報を手っ取り早く知るのにはこれが良い。
美琴は適当にチャンネルを回そうとして、映し出されたニュース番組のテロップに思わず目を疑った。
「おばあさんたちが首都高を占領!」という文字列。まるで意味が分からない。思わず二度瞬きする。その間にも画面の中ではニュースが読み上げられる。
「本日午前十一時ごろ、突如として現れたおばあさんたちによって江戸橋ジャンクションが占領されました!おばあさんたちの人数は五十人以上!その上なんらかの手段によって空を飛ぶおばあさんや高速で走るおばあさんがいるようです!」
テレビから聞こえて来るそんなふざけているとしか思えないような文言は、しかし至って真面目な口調で発せられている。
「妖……怪……?」
何となく認めたくない気持ちになりながら、美琴はそう口に出してみる。
「現場の河野さん!」
「はいこちら現場の河野です!現在おばあさんたちと警察が交渉しているようですが、おばあさんたちは全く退く様子がありません!」
テレビの向こうでは確かにたくさんの老婆たちが何やら喚き立てつつ、道路のコンクリートを引き剥がして投げている。まあ、人間ではないのだろう。びょんびょん飛び回っている老婆や背中にプロペラ付けて飛んでいる老婆までいる始末だ。
美琴は頭を抱えた。一体この妖怪どもは何がしたいのだろう。こんなにたくさん、人間界で目立つようなことをして。
「あ、おばあさんたちからの要求が公表されました!それによると、我々にも年金を寄越せ、住む場所を提供しろ、もっと敬え、BBA48を結成させろ、などの要求があるようです!」
いつの間にか居間に入って来ていた良介が口から何か吹き出した。その後ろから居間に入って来た朱音は呆れた顔で画面を見て、呟く。
「なんですか、これ?」
「これは、行くしかないか……」
ものすごい面倒なことになりそうで気が進まないが、放置する訳にも行かない。関東で起きていることのようだし。
「良介、朱音、準備しておいて」
「どうじゃ、我々の力を思い知ったか若造ども!」
老婆が近付いて来た警察官を投げ飛ばし、そう言った。警察官は宙を舞って集まっていた警察官の群れの中に突っ込む。そしてその老婆は道路に放置された白い車の上によじ登ると、十メートルほどの間隔を開けて対峙する老婆たちの群れと警官たちの群れを見た。
「おい、ターボババアや、BBA48ができたら、わしがせんたーとかいうのをやってもええかの?」
バスケットボールを持った白塗りの老婆が、車上で警察官を蹴飛ばしている老婆に問う。
「何言うとんのじゃドリブルババア!あいどるは実力勝負じゃ!人気があるのが真ん中に居座れるんじゃい!」
ターボババアは目を充血させて言った。興奮状態にある彼女の顔は、般若の如き形相になっている。そのターボババアに話しかけるのは、背中に巨大なプロペラを付けた老婆だ。
「若いもんはわしら熟女の魅力をちいとも分かっとらんからの。まずはわしらの成熟した色気、分からせてやらんとな!」
「よう言うたぞ、ヘリコプターババア!」
「おうよ!」
ターボババアの言葉に、ヘリコプターババアがサムアップで応える。
「そうじゃ!人間どもは年寄りは使えない弱い役立たずだと思うとる!この少子高齢化の時代に、時代遅れじゃな!」
ターボババアは声を張り上げる。すると後ろにいるババアたちが同意の声を上げる。
「いいから、とにかく高速道路から降りなさい!ここは徒歩で入っていいところではありません!」
警察官の一人がメガホンを通してそんなことを言う。ターボババアはそちらを睨むと、ババアの群れの中に向かって声を掛ける。
「おいババア空爆隊、やっちまえ!」
その言葉に反応したのは、隊と呼ばれたにも関わらずたった二人のババアだった。一人はヘリコプターババア、もう一人は金属製のバケツと柄杓とを片手ずつに持ったババアだ。
「おう、まかせとけ!行くぞくそかけババア」
「あいや!」
ヘリコプターババアはくそかけババアの胴を抱えると、背中のプロペラを回転させ始めた。粉塵が舞い上がり、二人のババアの体が宙に浮く。
「食らえ、ババアエアーレイド!」
くそかけババアは柄杓をバケツの中に突っ込むと、その中身を警官たちに向かってばら撒き始めた。悪臭を放つその半固体の物体を浴びた警官たちは悲鳴を上げ、ひどいものでは嘔吐を始めた。それを見た周りの男たちは青い顔をして逃げて行く。
「片腹痛い!口ほどにもないわ!」
ヘリコプターババアとくそかけババアが着地する。ターボババアはふん、と鼻を鳴らし、右往左往している人間の男たちを見た。
「しっかし若いもんどもがあの体たらくじゃと、この国の未来も憂いたくなるの~」
鉈を握った首かりババアがターボババアに言う。ターボババアは「全くじゃ」と同意すると、自動車の上から飛び降りた。首かりババアの言う通りだ。このまま人間にこの国を任せておけば全部だめになってしまう。
「行くぞ突撃じゃ!わしらの力思い知らせてやるんじゃ!」
「そうじゃ!そうじゃ!」
ババアたちが口々に叫び、動き出す。先陣を切ったのはジェットババアと百キロババア、そして百メートルババア。どれもスピード自慢のババア妖怪だ。
自動車を凌ぐそのスピードで三人のババアが警官の群れに突っ込んで行く。警官たちは当然怯む。だがババアたちは止まらない。三人に続いてたくさんのババアたちが走り、跳び、侵攻する。
「ババアキック!」
ジャンピングババアが高く跳び上がったかと思うと、警官たちに向かって急降下して跳び蹴りをかます。その衝撃で複数人の大の男たちが吹き飛ぶ。
「車じゃ!車を狙え!」
ターボババアが指示を飛ばす。パトカーがこちらに向かって突っ込んでこようとしている。こちらは肉弾戦で応じていると言うのに、礼儀を知らない若者たちだ。
「ババアダイビング!」
飛び込みババアがパトカーの前方の窓に張り付き視界を遮ると、ブーメランババアが跳び上がり空中で自らの体をブーメランの如く回転させる。
「ババアスラッガー!」
ブーメランババアがパトカーに向かって凄まじい勢いで飛んで行き、その車体を真っ二つに切り裂いた。中の運転手はハンドルを握ったまま、口をあんぐりと開けて風の吹き込む分断された車体を見つめている。
さらに三人のババアが案内板の上に立った。それぞれ脇に卵の入った籠、小豆の入った笊、蜜柑の入った段ボールを抱えている。
「ババア投擲部隊!ファイヤー!」
三人のババアたちは物凄い勢いで卵、小豆、蜜柑を投げつけ始める。卵は人間たちに当たっては割れて中身を撒き散らし、小豆がばちばちと皮膚に食い込み、蜜柑は潰れて卵と混ざり奇妙な匂いをさせた上に乾いてべたべたと纏わりつく。
ただ不快なだけのその攻撃に、人間たちも戸惑い動きが鈍る。ババアたちが何をしたいのか、彼らには全く見当もつかない。
「よし、今じゃ!散れ!」
「おう!」
ターボババアの命令を受けて、ババアたちが一斉に高速道路から飛び降りて思い思いの方向に向かって走り始めた。
それに慌てたのは警察たちだ。慌ててババアを追おうとするが、高架下へと生身で飛び降りたババアらを追いかけることはできず、走り去るババアたちを見つめることしかできない。
「これがわしらの時代の幕開けじゃああ!」
ターボババアが声高々に宣言する。この日、東京においてババアたちの逆襲が始まった。
美琴は車道を走る自動車を、車道を走る老婆が追い抜かすのをその目で見た。まさか生身で疾走する老婆に抜かされるとは思っていなかったのか、その自動車はハンドル操作を誤り、電柱に激突して黒煙を上げている。
「どうじゃ!若造めわしの力を思い知ったか!」
老婆は自動車の上に乗り、そう誇らしげに言い放っている。どう考えても人間ではないだろう。美琴は自身に妖気を纏う。
「お?なんじゃあんた?人間じゃないな?」
老婆が車両から飛び降り、美琴を睨んで言う。その姿は白髪を団子に結び、灰色の和服を着た人間の老婆と変わらない姿。しかし、体に滾らせている妖力は人間の比ではない。
「おう姉ちゃん妖怪ならわしらの手伝いしてくれんかね」
老婆は曲がった腰に両手を置いて、ゆっくりとした足取りで近付いて来る。美琴は紫の瞳でそれを見つめたまま、問う。
「何の目的で人間を襲っているのかしら?」
どうやらあの自動車の中にいた人間の命には別条はなさそうだった。頭を押さえながらなんとか車のドアを開け、それから一目さんに逃げて行くのが見える。
「理由?決まっておる!人間どもは年寄りも妖怪もないがしろにするからな!」
老婆はそう胸を張って豪語する、が、何とも抽象的で具体性のない理由だ。美琴は小さく溜息をつく。簡単な話ただ暴れる理由が欲しいだけではないのか。
美琴の反応に、老婆は頭部に血管を浮き上がらせる。右脚を上げ、振り下ろすとアスファルトが砕けた。
「おう、姉ちゃんわしの言うてること馬鹿にするんかい?」
「馬鹿にはしていないわ。ただ下らないと思っただけ」
「それが馬鹿にしとる言うんじゃ!」
老婆が足に力を込め、弾丸のように美琴の方に向かって飛び掛かった。だが、美琴は闘牛士のように体をかわし、それを避ける。体当たりするはずの目標を失った老婆は近くのコンビニのガラスを突き破り、そしてジュース塗れになって帰って来た。
「このジェットババアの動きを見切るとは、なかなかやるのぉ、小娘」
そう老婆は不敵に笑うが、その顔からは赤やら黒やらの液体が滴り落ちている。
「じゃが、今のは準備運動じゃ。次は外さんけえのう」
老婆は再び足に力を込める。美琴は無言のままそれを見つめる。
「食らえ、ババアアタック!」
そのままの技名を口にして、ジェットババアが時速何百キロかのスピードで突進してくる。だが、真正面からならば対策は難しくない。
美琴はジェットババアが自身にぶつかる前に、手刀を振り下ろした。頭頂部を強打され、ジェットババアの顔面が地面に沈む。
「こういうのがたくさんいるのかしら……」
美琴はうつ伏せで地面に倒れたままぴくぴくしている老婆を見て、そう面倒臭そうな口調で言った。こういう、なんとなく人間界に来て、なんとなく暴れているものたちをひとりひとり見つけ出して倒していかなければならないのは労力がいる。良介や朱音に手分けして探してもらってはいるが、それでも時間はかかるだろう。中心になって扇動している妖がいるのかもしれない。
幸い、老婆たちは人の命を奪うということまでは考えてはいないようだ。取り返しのつかないことになる可能性は低いだろう。
道の向こうで人間の悲鳴と老婆の笑い声が聞こえた。美琴は片手で頭を押さえ、走り出す。
異形紹介
・くそかけババア
トイレの作法に詳しい老婆が死後妖怪となり、トイレを汚すと柄杓で糞をぶっかけるという。似た妖怪に黄色ババアがいる。
・飛び込みババア
資料では「飛び込みおばあさん」と記載されている。交通事故で亡くなった老婆が自分が死んだときのように車に飛び込んで姿を消すのだという。
・たまごババア
島根県のとある学校の地下プールのロッカーや、深夜の屋根の上に現れ、卵を投げつけてくるのだという。
・蜜柑ババア
普段は森にゴザを敷いて座っているが、目が合うと鎌を持って追いかけてきたり、蜜柑を投げながら追いかけてたりするのだという。
・小豆ババア
夜道に現れて人に小豆を投げてくるのだという。
・ジェットババア
都市伝説に多い高速移動する老婆の一体。




