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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第二一話 それでは皆さんさようなら
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四 死へと誘うもの

 小松と永田が、自分を見て笑っていた。その首からは血を止めどなく流し続け、二人の着ている制服を少しずつ真っ赤に染めようとしている。

「どうして私たちは死んだのに、上野さんは死なないの?」

 小松が笑ったまま言った。言葉を話す度に首の傷口から血の泡が現れては割れる。

「そうだよ。死ねないなんて可哀想。こんなに素晴らしいことなのに」

 永田が口の端から血を垂らしながら本当に楽しそうに言った。

「死んだら、苦しいこと全てから解放されて、痛いと思うことも、眠いと思うことも、お腹が減ったと思うこともなくなるの。それがどんなに開放的か、上野さんにも味わってほしいな」

 二人が笑う。血を流しながら笑う。そこで、映子は目を覚ました。そして、静かに上体を起こす。

 死にたい、とそう思った。それが当然だと思った。どうやって死のうかと考えた。

 確実に死ねる方法。それで思いついたのは、電車への飛び込みだった。あれならば一瞬で確実に死ねる。映子は着替えることもせずに外へと飛び出した。




 上野が帰宅した時、既に映子の姿は家には無かった。鍵も掛けず、携帯も持たずに一体どこに行ってしまったのか。不安はますます積もって行く。

 妹が行きそうな場所を考えてみるが分からない。そもそもいつもの映子ならば鍵も携帯も忘れることはない。あんなに几帳面な性格なのだから。ならば、本当に自殺のために家を出たのか。

 ならばどこに向かったのだろう。自殺の方法などいくらでもある。高所からの飛び降りか、電車への飛び込みか、森で首吊りか、海で入水か。

 とにかく時間が無い。この心配が杞憂で終わってくれればいいが、そうでなければ取り返しがつかないことになる。




 最寄の地下鉄へと入って行き、映子は行き交う人々の姿を見た。

 笑っている人、疲れた顔をした人、無表情の人。みんな無駄なことをしていると思った。私はもうすぐこんな下らないことからは解放される。そうだ、私はこの世で最高の自由を手に入れるのだ。

 映子は頬が緩むのを隠そうともせずに、適当に切符を買って改札を通った。そして駅のホームに立ち後五分でやって来る電車を待つ。

 それが来れば、この世から解放される。

 やがて電車は、轟音を薄闇に響かせながらやって来る。明りが次第に近付いて来て、その存在が明確になる。

 映子はホームの端に立った。誰も自分を止めようとしないのに満足して、線路の向こうを覗き込む。そして、タイミングを見て線路に向かって飛び降りた。




 しかし、映子の体がばらばらになることはなかった。電車は彼女の体にぶつかることなくホームに到着した。

 映子は自分が線路を挟んだ向かいのホームにいることに気付いて、それから自分の体を抱えている誰かがいることに気がついた。

 その者にそっと地面に下ろされ、映子は改めてその誰かを見た。

 青紫の和服に、黒く長い髪。そして何より特徴的な濃い紫色の瞳をしたその少女は、映子の方を見て小さく微笑んだ。




 美琴はホームを蹴り、電車に飛び込もうとした少女の体を空中で抱え、迫り来る電車に掠るようにして、その前を跳び過ぎた。

 安全な場所に着地し、美琴はほっとして映子の顔を見る。虚ろな目はしているが、怪我はない。

 この子が死のうとしたのは、彼女自身が願ったことではない。それが美琴には分かった。何故なら、彼女の背に憑いているものが見えるから。

「いい加減にその子から離れたらどう?縊鬼(いつき)

 低く脅すような声で美琴が言った。すると映子の体から黒い影のようなものが溢れて来て、もやもやと漂った後にやがて形を成し、白い死装束を着たやつれた女の姿になった。

 縊鬼、相手の霊体に霊力を作用させ、「死にたい」という欲求を生じさせる(あやかし)。美琴はその異形を睨む。

「お前、人間じゃないね。何者?」

 縊鬼は顔を歪ませ、しわがれた声でそう言った。美琴は太刀(たち)を抜き、映子を守るように彼女の前に立って答える。

「私の名は美琴、死神よ」

「死神ぃ?」

 突如として現れた縊鬼の姿を見た人々は、悲鳴を上げて逃げて行く。その叫びは地下鉄の内部に反響し、やがて聞こえなくなる。

 縊鬼から解放された映子は、床に腰をついたまま震えている。怖がるということは、死ぬことを拒否しているということ。この子はもう、ちゃんと生きたいと思っている。

「あなたが一連の自殺の連鎖の原因ね?」

 美琴が問うと、縊鬼は口の両端を釣り上げて笑った。その邪悪な笑い声に耳を塞ぎたくなりながら、美琴は縊鬼を睨む。

「あたしが原因?あいつらはあたしが殺したんじゃない、手助けしてやっただけだよ」

 縊鬼は美琴から離れた場所を漂いながら、そう話す。

「今の奴らは誰でも死にたいという欲求を持っているのさ。だから、ほとんどはあたしがその気持ちを少し後押ししてやっただけだよ。あいつらが望んでいたことを叶えてやったんだ。いいことしただろ?」

 嘲るように笑って縊鬼は言う。美琴は十六夜(いざよい)(つか)を握りしめる。

「そうやって、自殺した人々の霊気を吸収していたのね」

「そうよ。今の時代は便利だねぇ。機械を使えば離れている人間にも干渉できる」

 パソコンや電子そのものは形があるものだから霊力を干渉させることはできない。だが、「自殺サークル」というサイトに書き込む人々の、死にたいという思いに干渉することはできた。

 「自殺サークル」という、少しでも死を望む人々が集まる場所に取り着いた縊鬼は、そこを通して様々な人々の心を侵した。そして、それは噂や報道として広がり、瘴気が蔓延して縊鬼が活動しやすい環境が作られて行った。

 縊鬼は自殺した人々の負の霊気を食う妖。「自殺サークル」を利用し、瘴気を吸収して力をつけて行った縊鬼はその霊力を使ってさらに犠牲者を増やす、この自殺の連鎖を生んだ。

「だけどあなたは、この子に直接取り憑いた。それは、この子の心に死のうという気持ちがなかったから。直接心に干渉しようとしたのね」

「まあね、そいつは集団自殺の中でも一人死ななかった。気に入らなかったんだよ。こういう奴がいるとあたしが住みにくい世の中になる」

 縊鬼が映子を睨み、映子は短く悲鳴を上げた。

「大丈夫よ。ここから逃げなさい。あの怪物は私が何とかするから」

 美琴の言葉に映子は頷き、走って逃げ出す。縊鬼は忌々しげに映子の後ろ姿を見るが、美琴が前に立ちはだかる限りは追うことができない。

「あなたは、必要以上に殺し過ぎたわ」

 美琴は再び縊鬼を見てそう言った。確かに、自殺の連鎖が起きたその背景には、もちろん死を欲して自殺サイトに書き込んでしまった人々がいる。だが、その死を後押ししたのこの妖怪だ。

「死神のくせに、このあたしをよく責められるね。あんたも何人も殺して来たんだろ?」

「その通りね。言い訳はしないわ。その代わり」

 美琴は太刀を正眼に構える。

「あなたにもその一人となってもらう」

 縊鬼が怒りの形相を浮かべると、その姿がやつれた女のものから変化(へんげ)し始めた。体はおぼろげになって煙のようにたゆたい、頭部は巨大化して黒ずんだ肌に真っ赤な目、裂けた口と凶悪なものになり、伸びた長い髪を両手で握りしめ、怒りの形相で美琴を睨みつけている。

 縊鬼の妖怪としての姿。彼女もまた、自ら命を絶ち、そして現世(うつしよ)への未練によって妖怪化した幽霊。そしてその未練から、生きているものを死へと(いざな)う妖。

 それは身勝手な欲望だ。死にたい、この世からいなくなってしまいたいという気持ち自体は否定しない。死にたいと思うことは罪ではない。それで楽になれるのなら、美琴がそれを留めることはできない。

 しかし、本人の意思に関係なく自殺へと向かわせることは違う。直接手を下していなくても、それは殺していることと同じ。

 死神は太刀に妖力を通わせる。これは殺しの穢れを背負うもの同士の、殺し合いだ。




 映子は何度も転倒しそうになりながら駅の階段を上り切った。膝をつきながらも、やっと地下から外に出ることができて少しだけ安堵する。

 後ろを振り返るが、あの恐ろしい化け物の姿はない。自分の中から出てきた化け物。あの化け物が自分の体にいた時、死にたくて仕方がなかった。あの怪物が、小松や永田の命を奪ったのか。

 映子は恐怖と同時に悔しさを感じた。やっぱりあの二人は死にたい訳じゃなかったんだ。それなのに、あんな化け物のせいで死んでしまうなんて。

 映子はやりきれない思いで地面を叩いた。痛いという感覚が自分の生を実感させてくれたが、それは虚しさも感じさせた。

 自分は逃げ出してしまったが、駅の中では自分を助けてくれた人があの化け物と対峙している。見た目は自分と同じぐらいの歳だった。それなのに、たった一人置いてきて良かったのか。

 戻るべきか、そうも思ったが体が動かなかった。またあんな風に死にたいと思わせられるのは嫌だ。まだまだ生きてやりたいことがある。

「映子!」

 その時、兄の声が聞こえた。映子は震える顔でその声がした方を見る。兄と、その後ろから昨日自分を家まで送ってくれた安田という警察官が走って来るのが見えた。

「大丈夫か映子!」

 兄に抱きかかえられ、映子はやっと立つことができた。

「何があった?」

「駅の中に、化け物が……」

 それしか言えなかった。だが、それに反応したのは安田だった。

「化け物?化け物がどうしたんだお譲ちゃん?」

「あの化け物がみんなを殺していたの……。人に死にたいと思わせて……。私も死にたいと思って、駅まで来て、それで……、紫色の目をした女の子に助けられたの」

「……そうか」

 安田は頷いた。こんな話信じてもらえる訳がないと思ったが、安田は少し考えるようにしてから、言った。

「上野は妹さんとここにいてやりなさい。私が様子を見て来る」

「安田さん!」

 兄が声を上げる。兄は戸惑っているようだった。それが当たり前だろう。安田は自分の言葉を信じてくれているのか、それとも適当に流しているだけなのだろうか。

 そう考えていると、安田は映子の方を見て、小さく笑って言った。

「大丈夫、その女の子と私は知り合いだ」




「首を斬れ」

 縊鬼が低くなった声でそう告げた。彼女の能力は相手の霊体に霊力を作用させ、自ら死に向かわせること。美琴の刃の先が自らの首へと少しずつ動いて行く。

「斬れ!」

 縊鬼が地下鉄に反響するような大声を上げた。十六夜の刃先が美琴の首を抉り、切り裂いた。同時に、縊鬼の勝ち誇ったような笑い声が聞こえた。

 縊鬼は笑い声を上げたまま、映子が逃げて行った方向へと進み始める。あの子を殺すつもりなのだろう。美琴は瞼を開くと、静かに体を起こした。

「残念だったわね」

 縊鬼の頭を、立ち上がった美琴は後ろから鷲掴みにした。自身の太刀に(えぐ)られたその首の傷口は既に塞がろうとしている。

「お前、死んだ筈じゃ?」

 縊鬼の恐怖と驚愕が混じった声が聞こえる。美琴は表情を変えずに言う。

「人間ばかり殺してきたから、妖怪の殺し方には慣れていないみたいね」

 美琴は縊鬼を掴んだ右手に力を込める。骨が軋む音がして、縊鬼が苦痛の声を上げる。

「私は首を斬ったぐらいじゃ死なないの」

 怒りを滲ませた声で美琴は言った。この妖は、今まで自殺していった者たちの怨みを背負っている。死神は右腕に妖力を通わせ、一気に筋力を増幅させる。

「やめろぉぉぉぉ!」

 断末魔が響く中、美琴は縊鬼の頭を握り潰した。血の代わりに青白い妖力が放出され、空気中に霧消していく。美琴は手を振って、纏わりついた妖気を払った。

 これで自殺の連鎖は止まる筈だ。美琴は息を吐く。だが、多くの人間は救うことができなかった。

「やはり、君だったか」

 そんな声がして、美琴は振り返った。見ると見覚えのある警察官が階段を下り、こちらに向かって歩いて来ているところだった。

「安田さん、でしたか」

「ああ、覚えていてくれたか」

 先日、レプティリカスという異形が現れた際に美琴は彼の息子を保護したことがあった。その息子も異形のものに対する記憶を残していたが、安田もまた記憶をとどめていたのか。

「君が一人で立っているということは、もう終わったということか」

「ええ。これで自殺の連鎖は止まる筈です」

 美琴は言い、太刀を仕舞う。

「そうか……。また助けられたな」

「いえ、化け物が起こした事件ならば、化け物が解決するのが道理です」

「そんなことは……」

「いえ、良いのです。多くの死人を出してしまったことには、私にも責任がある」

 美琴は目を伏せて、安田に告げる。

「あの子には、今日の出来事は悪い夢だった。明日になれば忘れていると伝えてください。きっとそれがあの子にとっては幸せでしょうから」




 朝が来て、映子はベッドから起き上がった。何だか頭が重い。二、三度頭を掌で叩いて、映子はベッドから立ち上がる。

「昨日は何してたっけ」

 どうしてだか、昨日の記憶が曖昧だった。確か、地下鉄にいて、それから、どうしたんだろう。

 永田と小松が事故で死んでしまったのが一昨日だということははっきりと覚えているのに。これ以上考えても仕方がないか。

 今日は二人のお葬式だ。警察に遺体が収容されていたため、少し遅れてしまったけれど、今日こそはきちんと彼女たちとお別れしなければならない。

 胸が痛くなるのを覚えながら、映子は着替えのために立ち上がる。




 美琴が人間界の町を歩いている。瘴気が消えた空は明るく、清々しい。

 縊鬼は消えた。これで異常な自殺の連鎖は終わった。だが、それだけだ。

 美琴の視線の先には家電量販店の展示品であるテレビがあり、、有名人が自殺をしたと原稿を読むニュースキャスターの姿が映っている。自宅で首を吊っていたのだそうだ。

「縊鬼がいなくたって、命を絶つものがいなくなる訳ではないのよね」

 美琴は一人呟く。死というものはこの世全ての苦しみから解放されるものだと信じられている。死は生き物ならば全てのものが恐れるはずのものなのに、それを自らが望む程の苦しみを背負うものがいるということ。

 それは誰にも止める権利はない。自分にできるのは、望まぬ死に直面したものを助けることだけ。

 美琴は目を伏せて、その場を後にした。今日この瞬間にもどこかで、何人もの人間が自らの命を絶っているのだろう。それがなくなることは、霊体(こころ)を持ったものがこの世からいなくならない限りはない。

 美琴は一人、瘴気の晴れた人間の町を離れて行く。



異形紹介

縊鬼(いつき)

 縊鬼(いき)(くび)れ鬼とも言う。人に憑き自らの命を絶たたせようとする妖怪で、中国においては『小豆棚』『太平御覧』『聊斎志異』などの文献に記述がある。一定の人口が定められた冥界に、転生するため自分の代わりの死者を連れて来ようと死者が生者に自らと同じ死に方をさせようとすることを「鬼求代」と言い、その中でも首を吊らせて縊死させようとする死者のことを縊鬼と呼んだらしい。

 日本においては幕末の幕末の旗本文士・鈴木桃野の随筆『反古のうらがき』に縊鬼の記述が見られ、そこでは「首をくくる約束をした」と言い出す同心に縊鬼が取り憑いたと見抜いた組頭が酒を飲まして引きとめたところ、別の場所で首吊り自殺が起きたという話が乗せられている。

 また、『夜窓奇談』という文献においては水木しげる氏も参考にした縊鬼の絵が描かれているが、これは物語の中で主人公を脅そうとして巨大化し、恐ろしい姿となったものであり、その前後ではやつれた女の姿をしていた。

現在の文献においては首を括らせるだけでなく、水死者の霊であり、入水自殺させる妖怪として書かれることも多い。

 また、竹原春泉の『桃山人夜話』においては、自害を起こさせる妖怪のことを「死神」として紹介している。

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