表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第二十話 潮騒
79/206

一 牛鬼の封印

 朱音と、彼女によく似た女性が並んで歩いている。

 彼女たちの横には崖があり、その下では波が絶壁に当たっては砕かれる。

 朱音の隣の女性が立ち止まり、海を覗きこむようにして見つめる。朱音は優しげに微笑んで、その様子を見守っている。


第二十話「潮騒(しおさい)


「肝試しのルールは、この先にある牛鬼塚(ぎゅうきづか)の水晶を取って来ること。分かったか?」

 夜の暗闇の中、三人の男がそんな会話している。全員二十代前半で、酒の入った缶を片手にだらしなく笑い合っている。彼らが経っている場所は砂浜で、背後には広大な海が、そして前方では洞窟が直径二メートルほどの入り口を開けている。

「誰か度胸ある奴はいねえか?」

 三人の中の一人がそう言うと、一人が手を上げた。

「じゃあ俺が行く~」

「お、隆介(りゅうすけ)、やるね~」

 隆介と呼ばれた男は歓声を受けたように両手を上げて、一人洞窟の前まで歩いて行く。

「じゃあ、水晶取ってきたら五千円って約束、忘れんなよ」

 洞窟の入り口で一度立ち止まり、振り返ってそう確認する。

「分かってるって」

 二人の友人が笑いながら言った。隆介は「約束だかんな」と念を押し、明りのない洞穴の中へと入って行った。

「くれえなあ」

 隆介は一人呟いて、ポケットから携帯電話を取り出し、そのライトを点灯させながら奥へと進んだ。

 洞窟の真ん中には海へと続く海水の流れがあり、そのせいか狭い穴全体がじめじめと湿っている。

 壁面をフナムシが這いまわり、充満した潮の匂いが鼻を突く。正直に言えば早く出たかったが、あんな風に言った後、ここで出てしまっては格好がつかない。

 濡れて滑る足元に気を付けながら五分ほど進んで行くと、前方に注連縄(しめなわ)が見えた。隆介はそれを躊躇することなくまたぐと、その向こうへと足を勧める。

 少し歩くと、急に空間が広がった。半径五メートルほど半球のような形のその空間の中心には、人工的に作ったような形の整った小さな塚があり、その頂上には片手に丁度収まるぐらいの大きさの水晶玉が置いてある。

「あったあった」

 隆介は水晶を掴むと、それを塚から持ち上げた。

 もうここには用はないとばかりに隆介は塚に背を向けて歩いて行く。だが彼は、その背後で土の塚が音もなく崩れて行くことに気がつかなかった。




 一人の男が、海辺の道を歩いている。スーツ姿の男で、秋とは言え白い日差しの降り注ぐ砂浜にはその男の姿は似つかわしくない。

「やってらんねえよ……」

 男は就職活動中の大学生だった。この時期になっても就職先が見つからず、自暴自棄になった彼は何もかもが面倒になり、ただ目的もなく海に足を運んでいた。

 だが、海を眺めて波の音を聞いたところで何か変わる訳でもなく、男は黒い鞄を砂の上に放り投げた。もうどうでもよくなってしまった。

 その時、男は自分と同じように砂浜に立つ人影に気がついた。

 その女性は、白い和服を着て波打ち際に佇んでいた。さっきまでそんな人間はいなかったのにと、男は目を凝らす。

 すると、女の方が彼の方を見た。綺麗な人だと男は思った。

 そして女性は、儚げとも妖艶ともとれる微笑みを彼に見せた。思わず、彼も笑いを返す。その瞬間から、彼の体は動かなくなった。

 背後で巨大なものが動く気配がした。だが、男の首は回らない。彼は自分を襲うものの正体も分からずに、それに飲み込まれた。




「隆介、お前なんてことをしてくれたんだ」

 一人の老婆が、二十を少し過ぎたくらいの隆介と呼ばれた男の胸倉を掴んでいる。彼の名前は並木。そして怒りを向けている相手は彼女の孫だった。

「何だよババア?いきなり」

 隆介は鬱陶しそうに言う。その右手には、透き通る巨大な水晶玉が握られている。

「お前、牛鬼塚からそれを取って来たのか?」

「まあな、肝試しってことでさ。どうよババア?綺麗だろ?欲しい?」

 隆介は全く悪びれる様子もなくそんな風に言って、水晶玉を持った右手を上げる。

 昨夜の肝試しの後、彼は戦利品として水晶玉を持ち帰っていたのだ。昼まで寝ていた彼は、それを他の友人たちにも自慢しようと水晶を持ったまま出かけようとしていたところを、祖母に捕まったのだ。

「牛鬼様の封印を解いてまった」

 彼の祖母は膝から崩れるようにして座り込んだ。隆介はその様子を見下して、軽侮するように言う。

「ババアもまだそんな子供みたいなこと信じてんのかよ。現実見て生きた方がいいぜ。じゃあな」

 隆介はそう笑いながら言って、玄関を潜る。最初は恋人にでも見せようか、そんな呑気なことを考えていた。



 朱音は久々の故郷の空気を吸い込んで、大きく吐きだした。潮の匂いが体を満たすようで心地がいい。

「気持ちいいですね、美琴様」

 朱音は後ろを振り返り、そう言った。彼女の視線の向こうには、風に吹かれた髪を直す美琴の姿がある。

「久し振りね伊予に来るのも。今では愛媛か」

 美琴はガードレールの向こうに見える海を眺めながらそう言った。朱音は笑って頷く。

 ここは四国地方の愛媛県。朱音が生まれた土地だった。

 毎年この時期になると、朱音は故郷であるこの愛媛に帰ることにしていた。それには理由がある。

「妹さんの命日は、明日だったわよね」

 美琴が言った。そう、明日は朱音の妹が命を落とした日だった。普段は美琴の命令がなければ黄泉国(よもつくに)から離れない朱音だが、この日だけは毎年この四国へと帰っていた。

「ええ、鈴音(すずね)の命日です。でも美琴様までついて来て下さることなかったですのに」

 朱音はそう言いつつ、内心では嬉しかった。事件などないのに、美琴と二人で遠出をするのは久し振りだ。美琴が自分の故郷である伊予にやって来たのは、何年振りだろう。

「私も八百久万里(やおくまのさと)にも久し振りに寄りたいしね」

 美琴の言う八百久万里は、この愛媛県に繋がる四国地方最大の異界だ。隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)と呼ばれる狸の妖が領主として異界を収めている。

 元々四国には妖狸(ようり)が豊富だ。朱音がこの辺りに住んでいたころからそうだった。狐のいない狸の王国、それが四国だ。

 妖怪の住処が人間界から異界に移った今でも、それは変わっていない。八百久万里も狸を中心として、様々な妖たちが暮らしている。

「どうする?このまま八百久万里に行く?それとも人間界に用事がある?」

「大丈夫です。まず八百久万里に行きましょうか。妹のお墓参りは明日ですしね」




 八百久万里に入るための境界は、久万山(くまやま)という名の山にある洞窟に存在している。朱音自身はその異界で生まれた訳でも住んでいた訳でもないが、行き方は知っている。

 美琴とともに山の中腹にある洞窟に入り、その中に設置された門を開いた。すると、その向こうには竹藪の間に作られた広い道と、大きな町が見える。

 あれが八百久万里だ。朱音もこの異界に最後に来てからかなりの年月が経っていた。朱音自身は人間界の生まれなので、妹の墓参りに来てもわざわざこの異界に来る用事がなかったのだ。

 町に入るための門の前に、一人の中年の男の姿をした妖が立っていて、美琴と朱音の姿を見つけると近付いてきた。

「お待ちしておりました。死神殿、針女殿」

「あなた、隠神刑部の使い?」

 美琴の問いに、男は抑揚のない声で答える。

「はい。城へとご案内します。付いてきてください」

 無愛想なまま男は歩き出す。美琴と朱音はその後ろに従った。




「いや、よく来てくれた」

 三十前くらいの若い男の姿をした(あやかし)が、美琴と朱音を見てそう言った。彼の後ろには家来や女中が何人も控えており、その身分の大きさを明示しているようだった。

「久方振りね、隠神刑部」

「ああ、三十年ぶりぐらいか、美琴殿」

 隠神刑部と呼ばれた男ははにかんで、そう挨拶する。その笑い方は昔と変わっていない。美琴も微笑を返す。

「大分一国の主らしい風格がになったじゃない」

「先代が死んでもう二百年は経つ。流石にもう子供じゃないさ」

 多少むっとした様子で答える。この八百久万里は現在では様々な種族の妖怪たちが棲んでいるが、元々は狸たちの異界だった。そのため、この異界を収める領主は代々、ある妖狸(ようり)の一族から輩出すると言う決まりがあり、そして領主となった狸は皆同じ、隠神刑部という名を受け継ぐ決まりとなっている。

 彼は十二代目だっただろうか。妖の寿命は長いが、かつては妖同士や人間との戦いによって命を落とすものも多かった。

 美琴が最初にこの異界を訪れた頃は、まだ十一代目が領主をしていたことを覚えている。

 十一代目は、江戸時代に起きた妖間の戦争で亡くなった。そして、その息子であった今の彼が領主の座を継いでいる。初めて会った頃はまだ美琴にとっては子供のような存在だったから、今目の前で尊大に座っている姿には多少違和感がある。

「まあいいわ。私が聞きたいのは、鬼のこと」

 美琴がその名前を出すと、隠神刑部の頬がぴくりと動いた。

「鬼?」

「そうよ。私と鬼との因縁は知ってるでしょう?」

「ああ、知ってるよ。それが、我々に何の関係が・」

 隠神刑部は(いぶか)しげに美琴に尋ねる。

「ええ。つい先日、中国地方で七尋女房(ななひろにょうぼう)という妖の封印が解かれ、関東に現れた。その際に悪五郎から、中国地方を鬼と思われる妖がうろついていたとの知らせを受けたわ。恐らく、七尋女房の封印を破壊したのは、鬼の一族」

「つまり、その鬼どもがこの四国にも来ている可能性があるということか」

 隠神刑部の言葉に美琴が頷く。

「その可能性は高いわ」

「そうだな。美琴殿が心配するのも分かる。ここには、かつて四国で暴れ回った末に茨木童子の配下となった手洗い鬼がいる」

 手洗い鬼、三里の山を跨ぎ、海でその手を清めたとされる四国に伝わる伝説の鬼。彼は室町時代、この八百久山里を含む四国の異界で暴れ回った末に、四国の妖たちに故郷を追われ、同じ鬼たちが集まる茨木童子の配下に加わった。

「奴がこの四国に復讐のために戻って来ることはないかと、その恐れもある訳か」

 隠神刑部が腕を組む。

「そうね。茨木童子の配下には全国の鬼たちが集まって来ている。四国に寄ったのだから、これくらいは警告しておこうと思ってね」

「分かった。だが、そこまで心配することはないぞ。私はもう子供じゃない」

「分かってるわ」

 美琴は小さく笑って、そう言った。昔は自分に懐いていたものだが、少しは一国の主としての肝が据わっただろうか。しかしやはり、言動の端々が子供っぽいと思う。

「とにかくも、忠告感謝する。今日はゆっくりして行ってくれ」

「お言葉に甘えさせてもらうわね」

 話はそれで終わり、美琴と朱音は用意された客室に通された。今日一日はここに泊らせてもらい、また明日には出て行く。黄泉国は良介に任せているが、あまりここに長居できるような状況でもない。

「三助も成長したわね」

 美琴は部屋にあった座椅子に腰かけ、そう言った。三助とは現在の隠神刑部が、その名を継ぐ前に呼ばれていた名だ。

「そうですね。昔は美琴様の姿を見ると喜んで付いて来るような子供だったのに。今ではすっかり一国の主の風格がついてしまって」

 朱音は柔らかく笑って言った。彼女も三助がまだ子供だった頃を知っている。彼女と出会ってからもかなりの時が経っている。

「そうね。小さなころから知ってるせいで、つい心配になってしまうのよ。私もおせっかいよね」

 わざわざ四国まで赴く必要はなかったかもしれないが、中国地方に鬼たちが現れたという情報を耳にしてから、三助のことが心配だった。彼は異界の領主の中でもかなり若い部類に入る。もし八百久万里が鬼に襲われれば、その責任の所在は自分にもあると、美琴は考えていた。

「でも、特に異変は無さそうでよかったですね」

「ええ。鬼たちが鳥取に現れたのは、ただおみさを解放することが目的だったのかしらね」

「それに、戦力の補強もあったのじゃないですか?十五年前の戦いで彼らも相当の戦力を失っているはずですし」

「そうかもしれないわね」

 十五年前、恒の両親が鬼たちによって殺された時、美琴率いる黄泉軍(よもついくさ)と鬼族との間で戦いが起こった。その戦いによって鬼たちは多くの同胞を失っている。

 もうすぐやって来る我々黄泉軍との戦いに備えて、全国を周りその減少した戦力を補おうとしていることは想像できる。悪行を働いたなどの理由によって、特定の異界に属さずにいる妖は多くいる。

 彼らに接触し、集めればそれなりの戦力にはなる。そのためには、派手な行動はしないだろう。目立てば動きにくくなるはずだ。もしかすればおみさもその一人だったのかもしれないが、自分の感情を優先させて水木の元に現れたか。いや、恒の近くに水木がいることを知り、敢えて放置したのかもしれない。

「でも、警告したのですから三助様ももう大丈夫でしょう。あの方だって二百年以上も国を守って来たのです」

「分かってるわ。もう私の力はいらないか」

 先代隠神刑部が倒れ、三助がこの異界の主になったばかりの頃はみすずとともによく彼を助けていた。江戸時代、妖間で大きな戦争があった頃のことだ。

「時の流れは早いものね。朱音と出会ってからももう何年になるかしら」

「七百と数十年になりますね。私も正確な数字は覚えておりません」

 美琴は頷く。良介と出会ってから、数十年が過ぎた頃のことだった。美琴はこの四国、伊予国で、朱音に出会った。

「四国に来ると思い出すわね」

「そうですね。まだ妖になったばかりだった私を導いてくれたのは美琴様でした」

 そうだった。強い思いによって妖と化し、そして進むべき道が分からずにさ迷っていた妖怪、針女。それが朱音だった。




「もうすぐだ……。もうすぐ妖力が溜まる」

 その妖は暗い海の中で呟いた。月の光が届かない海水の中で、黄色の目だけが奇怪な輝きを放っている。

「それまでは、お前を利用させてもらうぞ……」

 妖の目線の先には、白い和服を着た女の姿がある。彼女の虚ろな目は海底の方を向けられたまま、何も答えることはない。

 妖は咳き込むような声で笑い声を上げる。だが、女はそれに何の反応も示さず、ただ暗い海の底を見つめている。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ