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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一九話 呪詛の渦より
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二 八尺様

「なんか腕が痛い」

 恒は右手を振りながらそう言った。腕から手首にかけてずきずきとした痛みがある。

「あれだけ槍を振ってればねぇ。筋肉痛やない?」

 隣を歩く小町が言う。二人は黄泉国を出てバス停までの山道を下っていた。二人の両側に立つ木々は、秋らしく赤や黄に染まり始めている。

 今日は月曜日、二人とも学校へ行かなければならない日だ。

「運動苦手な訳じゃないんだけどな」

「あんな運動はあんまりしないから。普段使わへん筋肉を使ったんやろ。とにかく、やり過ぎもよくないねえ」

 小町はそう言って小さく笑った。昨日はひたすら槍を振っていた。だが、上手くなったのかどうかはよく分からない。それに結局妖力を解放することもできなかった。

 山道を降りると、すぐにバス停が見えて来る。このバス停ではたまに友人である水木と出くわすことがあるが、今日はいないようだ。

 彼は近ごろ学校に来る時間が遅くなっていた。いつもはもっと早起きで、遅刻ギリギリに学校に来ることはほとんどない水木だから、心配だった。

 以前聞いた時には変な夢を見て眠れないと言っていたが、それが未だに続いているのだろうか。そうだとすると、また何か変な霊にでも憑かれているのかもしれない。だが、そんな気配は感じなかった。

「何考えとるの?恒ちゃん」

 小町が恒の顔を覗き込むようにしてそう尋ねた。

「いや、最近水木が変な夢を見て眠れないって言ってたから。また何かに取り憑かれてるんじゃないかと思って」

「ああ、あの妙に霊に好かれる子?どうしたんやろねえ」

 小町は考えるように右手を顎に当てる。

「夢は形のないものやから、霊力の強いものが近くにいると夢に影響が出ることがあるって聞いたことはあるわ。でも、恒ちゃんもこんな状況で人のことばっかり心配しとるね」

「だって放っておく訳にもいかないじゃないか」

 そう言うと、小町はくすりと笑った。

「優しいね恒ちゃん。まあ、困ったら私にも相談するんよ。少しくらいは力になれるから」

「分かってるよ」

 恒は頷いた。小町は自分よりもずっと妖怪や幽霊については詳しい。それに、気兼ねなく相談できる立場にいる人でもある。

「あ、バスが来たよ恒ちゃん」

 小町の言葉で、恒は道路の向こうを見た。見慣れたバスがこちらに向かって走って来ているのが見える。

「今日水木に色々聞いてみるよ。もしかしたら小町さんを頼ることになるかもしれないけど」

「ええよええよ。恒ちゃんはもっと人を頼らへんと、ね?」

 そう微笑む小町に、恒も笑い返した。




「昨日、変な奴が俺の部屋を覗いてたんだよ」

 目の下に隈を、頭にたんこぶを作った水木は、やはり恒よりも遅く教室に入って来て、恒の机の前にやって来てそう言った。

「変な奴?夢じゃなくて?」

 恒がそう尋ねると、水木は「ああ」と溜息混じりに呟いた。

「いつもみたいにあの変な夢を見て夜中に起きちゃってさ、そんでもう一回寝ようとしたら、窓を誰かが叩いてるんだよ。だから、恐る恐るカーテンを開けたら、でかい女がいたんだ」

「でかい女……?」

 窓を叩くことができて、水木の肉眼で見ることができたということは、実体があるということだろうか。

 水木は霊に憑かれやすいのに、霊感はほぼないという不可思議な体質を持っている。そんな彼が見えたと言うのだから、その相手は肉体を持っているのだと思って間違いないだろう。

「そう、でかい女。それでさ、俺その女と昔一度会ったことがあるのを思い出したんだよ」

 水木は暗い声で言った。

「あの夢のことを思い出したっていうこと?」

「そう。俺がどうしてあの部屋に閉じ込められてたのか、何に襲われてたのか、完全に思い出した」

 そう言って、水木は自らの過去を話し始めた。




 水木の母親の実家は鳥取県のとある田舎町にあった。名前は赤施村。小さなころにはよく両親に連れられて、遊びに行っていた。

 自分の住む東京とは違って、ほとんど建物が密集せず、緑豊かなその町が水木は好きだった。

 幼稚園が夏休みだったその日も、水木は父親の走らせる自動車に乗って数時間を掛け、祖父母の家に向かっていた。

「よく来たねえ」

 祖母は水木が家を訪れると、嬉しそうにはにかんだ。

「おばあちゃんこんにちは」

「はいこんにちは。ゆっくりしていくんだよ」

「うん!」

 水木はそう笑って、真っ先に祖父母の家に駆け込む。優しい匂いがするその家も、水木は好きだった。

 夏休みには、いつも一週間ほどこの家に泊まった。普段とは全く違う景色と日常に、わくわくしたものだ。

 昼間には父や祖父と一緒に山や川、海などに行って、虫を捕ったり魚を釣ったり、泳いだりした。夜には祖母と母が作った料理を食べて、それからテレビを見たり、花火をしたりと充実していた。

 いとこがやって来れば一緒に遊び回って、泥だらけで帰って来た。小さな子供にとってのあの一週間は、夢のような日々だった。

 そして明日にはもうここを出て、家に帰ると言う日、水木は一人祖父母の家の縁側に座ってスイカを食べていた。

 隣には誰もおらず、水木は一人で夏の太陽を浴びていた。日差しは明る過ぎるほど明るいから、一人でも何も怖いものはなかった。

 スイカを食べ終わって、水木はしばらくの間縁側に座ってぼうっとしていた。明日にはこの家を離れて帰るのかと思うと、少し寂しかった。

 最後の日である今日は何をしようかと頭を捻っていると、生垣の向こうに何かが見えた。それは白い帽子を被った、女性の頭のようなものだった。

 幼い水木は高い生垣の向こうに女の頭が見えることにはほとんど疑問を感じなかったが、女の口から発せられる音の異常さは薄々感じていた。

「ぽぽっぽぽぽぽっぽぽっぽっぽ……」

 女は途切れ途切れにまるで男のような低い音で、そう声を発していた。

 水木は生垣の向こうを移動するその女をしばらく見ていた。昼間であるからか、祖父母の家にいるからか、あまり恐怖は感じなかった。

 だが、女は急に生垣の向こうからこちらに顔を向けた。そして、にんまりと水木に笑顔を投げかけた。その顔は、水木が今までに見てきた何よりも不気味なものだった。

 水木は短く悲鳴を上げ、慌てて家の中に入って行った。そして祖母の姿を見つけて、その足に抱きついた。

「あらどうしたの国ちゃん」

 祖母は優しくそう言ってくれた。水木は少し落ち着いて、今見たものを必死に彼女に伝えようとした。

「あのね、庭に大きな女の人がいたの!」

「大きな女の人?」

 祖母は訝しげに言った。

「うん!ぽぽぽって言ってた」

 その言葉を聞いた瞬間に、祖母の動きが止まった。急に水木の肩を掴んで、問い詰めるように言う。

「本当に、その女の人はぽぽぽと笑ってたのかい!?」

「う、うん」

 水木が頷くと、祖母は青い顔をして祖父を呼びに行った。水木は一人台所に立ったまま、何か取り返しのつかないことが起こってしまったことを子供ながらに感じていた。

「なんてこった」

 やってきた祖父は見るからにうろたえながら、水木を抱き上げた。

「まさかまだあいつがこの村にいたなんて……。国男、今日はこの家から出るなよ。じいちゃんはお母さんとお父さんを呼んで来るから、ここでおばあちゃんと待ってるんだぞ」

 祖父の言葉に水木は素直に頷いた。あの大きな女がいる外に出ようなんてことは、少しも思わなかった。




 それからしばらくの間、水木は祖母の膝の上で震えていた。自分の身に何かとんでもないことが起きてしまったことは分かっていた。

「国ちゃんは悪くないよ。八尺様に魅入られてしまったんだね」

「八尺様?」

「そう。昔からこの近くに出るお化けなの」

 お化け、その言葉は子供を怖がらせるのに十分な力を持っていた。水木が祖母に抱きつくと、祖母も優しく孫の体を抱き返してくれた。

 やがて祖父が両親を連れて戻ってきた。そして、そのもう一人、知らない人も一緒だ。

「さっき説明した通りだ。信じられんかもしれないが、とにかく国男は今危険な状態にいる」

「危険な状態と言われても、お父さん?」

 母は訝しげな表情で祖父を見た。

「とにかく、この子を一晩だけわしの言う通りにさせてくれればそれでいい。分かったな?」

 祖父の言葉に、母はしぶしぶといった感じで頷いた。父は黙って二人の話を聞いている。

「この子かい?魅入られたのは」

 祖父が連れてきたもう一人の男がそう言い、水木に近付いてきた。大柄で、祖父と同じくらいの年の老人だった。

「そうだ、葛城(かつらぎ)さん。この子なんだ」

「そうかい」

 葛城と呼ばれた男は水木の前にしゃがみこむと、人懐こそうな顔で笑って、水木の手にお守りを置いた。

「怖かったな。でももう安心だ。わしが守っちゃる」

 葛城はそう水木の頭を撫でると、祖父の方に向き直った。

「水木さん、今夜この子を守るための部屋の準備をする。手伝っとくれ」

「何でも言ってくれ」

 そう言って、二人の翁は離れて行った。水木は貰ったお守りを握りしめたまま、その後ろ姿を見つめていた。




 その夜、水木は祖父母の家の二階にある部屋に連れて行かれた。客室なので、普段は使われていない部屋だった。

 窓は全面新聞紙が貼りつけられ、さらにその上にお札が貼ってあった。そして四隅には塩が盛られている。

 部屋の奥には四角い木製の箱と、その上に乗った小さな仏像があり、また用を済ますためのおまるも置いてあった。他にある物と言えば、テレビと小さな折り畳み式の机ぐらいだ。

 祖母がおにぎりと水筒に入ったお茶、それにいくつかお菓子を持ってきて、部屋に置いてくれた。

「お腹が減ったらこれを食べなさいね」

 祖母の言葉に、水木は心細くなって彼女の顔を見上げた。祖母は目を閉じて、辛そうに首を横に振る。その側に立っていた祖父が厳かに口を開いた。

「明日の朝になるまで、ここから出てはいけないぞ。わしもばあちゃんも、父さんも母さんも、絶対に国男のことを呼ぶことはない。だから、誰かの声が聞こえても絶対に戸や窓を開けるんじゃないぞ。分かったかい?」

 水木は頷くことしかできなかった。

「朝になったら、自分からこの部屋を出てきなさい。テレビを見れば朝かどうかは分かる筈だ。本当はお前を一人にしたくはないが、そうしなければいけないんだ。分かってくれるかい?」

 初めて聞く祖父の泣きそうな声だった。水木は彼を安心させようと、精一杯力強く答える。

「大丈夫!」

 だが、その声に混じる震えを隠すことはできなかった。今まで一人で夜を過ごしたことは一度もなかった。でも、そうしなければとんでもないことになるということは、幼い頭でも分かっていた。

「お守りはなくさないようにしなさい。頑張るんだぞ。明日になれば全部終わるからな」



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