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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一八話 冷凍凶獣現る
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四 冷凍凶獣現る

 レプティリカスは海底で自身を氷で覆い、眠りながら体が完全に復活するのを待っていた。

 何万年も生きてきて、体を破壊されたことは何度もあった。しかし、レプティリカスがそれで死んだことは一度もなかった。

 レプティリカスは翼を広げ、自身を包む氷塊を破壊する。まだ次の長い長い眠りに就く時ではない。

 自身の後ろに氷の軌跡を残しながら、レプティリカスは海中を上昇する。やがて水面を突き破り、再び冷凍凶獣は地上に姿を現した。




 美琴は宗助の手を引いて、彼の住んでいる町へと向かっていた。美琴の後ろにはいつもの良介と朱音の他に、お(びょう)三川(さんせん)もついて来ている。

 レプティリカスはすぐにでも現れるだろう。宗助を父親の元に送り届けたら、被害を拡大させる前に決着をつけるつもりだった。放っておけば日本中の問題になりかねない力を、あの異形は持っている。

 人間界の吹雪は収まり、空は晴れ始めていたが、やはり気温は低く、雪もちらほらと降っている。

「警察署の場所は分かる?」

「うん、何度か行ったことがあるから」

 屋敷に一晩泊めたため、宗助が父の元から離れてかなりの時間が経っている。父親もかなり心配していることだろうと美琴は思う。早く子供の顔を見せてやりたかったが、あのレプティリカスの動向にも注意しておかねばならなかった。

 あの異形と戦わねばならない自分たちの側よりは、警察署にいた方が幾分かは安心だろう。全ての命を救うことはできないが、目の前の命ぐらいは助けたい。

 積もり積もった雪のせいで交通機関はほとんど麻痺していたため、美琴たちは歩いて警察署を目指した。途中辺りを捜索している警察官を見つけ、宗助の父について知っているか尋ねようとした、その時だった。

 美琴は強い妖気が迫るのを感じて、その方向を見た。同時に建物の向こうで凶獣が急上昇して空を羽ばたくのが見えた。

「もう再生したのね」

 美琴は苦々しげに呟いた。まだ一晩しか経っていないのに、体をばらばらにされてあそこまで妖力を回復しているのか。流石に数万年を生きる怪物なだけはある。

 レプティリカスの憤怒に満ちた瞳が美琴らを捉える。美琴は睨み返しながら、宗助に告げる。

「そこにいる警察の人と一緒に、近くの建物に避難していなさい」

 宗助が頷いて、警察官の元へと走る。美琴は警察官に言う。

「この子をお願いします」

「お願いしますじゃないよ!君たちも早く避難しなさい!」

 警察官はそう言った。当たり前の反応だろう。だが、説得している暇はない。レプティリカスは凄まじい速度でこちらに向かって来ている。

「朱音、頼むわ」

「はい、美琴様」

 朱音は答え、髪を伸ばして二人を包み、そのまま軽々と持ち上げて近くの建物の中まで運んだ。警察が驚愕した顔で何も言えないでいるうちに、美琴たちはその建物から離れる。ここで戦えば確実に巻き込むことになる。

「あれがレプティリカスですか。大きいわね~」

 お屏が空を見上げてそう呟く。レプティリカスの姿は見る見るうちに近付いて来る。

「良介、朱音、お屏、三川、話した通りに行くわよ」

 レプティリカスの口が開き、白い妖力が溜まり始める。冷気の攻撃の前触れだ。

 まず良介と朱音の二人がそれぞれ左右に散った。だが、レプティリカスは真っ直ぐに突っ込んで来る。美琴は太刀を抜いた。どうやら狙いは自分のようだ。

 レプティリカスの口から氷の妖力が弾丸となって放たれる。

「ここはお任せを」

 お屏が美琴の前に出て、袖から竹筒を取り出した。その栓を抜き、竹筒を振ると中から液体が(ほとばし)る。

 お屏は(てのひら)の上でその液体を操りながら、妖力を加えることで増幅させていく。妖怪「垢嘗(あかなめ)」である彼女の能力は、液体を自身の妖力の媒介として操り、武器とすること。お屏はにやりと笑って、両腕で液体を操作する。

 レプティリカスの妖力が届く前に、お屏の液体が彼女らの前に壁を作った。氷の妖力がその液体に直撃し、氷結させるがその壁を貫くことはできない。

「この液体は冷気を吸収する。氷の妖気では突破できない」

 お屏が得意気に言うと、妖力による攻撃を阻まれたレプティリカスが苛立だしげな声を上げ、凶獣はそのまま直接攻撃をしようと急降下して来た。

 美琴とお屏はそれを跳んで避けた。後に残るのは三川のみ。彼は氷壁を突き破って突進してくるレプティリカスを前に妖力を開放した。

 体中が黒い毛で覆われ、筋肉が隆起するとともに身体が巨大化する。口は大きく裂け、その中には真っ赤な舌が覗く。

 彼の種族は「赤舌(あかじた)」。妖怪の姿となった三川はレプティリカスの体を正面から受け止めた。

「今です」

 三川の声とともに美琴が正面から、そして良介、朱音が側面から飛び出す。それぞれ刀、拳、髪に妖力を通わせ、一斉に攻撃を放った。

 だが、その攻撃はレプティリカスの皮膚にぶつかるだけで止められた。皮膚の硬さが以前より増している。その事態に三人の動きが一瞬怯む。

 その隙を逃さずにレプティリカスは羽根で良介と朱音を弾き飛ばし、三川の首筋に噛み付くと同時に、美琴を右手で掴む。

 三川がうめき声を上げてレプティリカスから離れた。黒い体毛を伝って血が流れる。

 美琴は体中の妖力を込めると、握り潰そうとするレプティリカスの指を引き千切った。解放され、美琴が地面に降りる。

 つまりこの怪物は再生と同時に以前に受けた攻撃に耐性をつけるのか。ばらばらになったレプティリカスの右手は既に再生を始めている。

 レプティリカスは咆哮を上げると羽ばたき、空に舞い上がる。そして上空から今度は溶解液を撒き散らし始めた。

 お屏が前に出て、妖力でその液体を操り、相手に向かって打ち返す。だが、レプティリカスの皮膚は自身の溶解液にはびくともしない。

 レプティリカスは笑うように口角を釣り上げて、ビルに自身の尾を叩きつけた。

 巨大な瓦礫が強風に晒された雨のように美琴たちに向かって飛んで来る。

「液体じゃなきゃ専門外よ!」

 お屏はそう漏らして自分の夫の後に隠れた。三川は噛まれていない左腕を使って瓦礫を叩き落とす。

 美琴は瓦礫を避けながら凶獣に向かって跳び上がった。先程までの攻撃は通用しない。ならば、今まで以上の攻撃を加えるのみ。

 刀身が紫色に覆われるほどの揚力を込め、レプティリカスに向かって振り上げる。

 だが、レプティリカスは突然美琴の前から急降下した。身構える三川とお屏ともを無視し、その後ろに向かって行く。そこにあるのは……。

「まさか」

 美琴は一度地面に降りて、レプティリカスの後を追った。だが、遅かった。レプティリカスの両手には、先程の警官と宗助が握られていた。




 安田は暴れ狂う怪物の姿を見た。安田は自分が拳銃を持っていることを確認して、その怪物がいるであろう場所を目指して、パトカーを走らせる。

 怪物が何かに向かって口から白いものを吐くのが見えた。何かを襲っているのか、それとも戦っているのか。氷で効かないハンドルを必死に制御して、彼がその場に辿り着いた時に見たのは、自分の息子を鷲掴みにする怪物の姿だった。

「宗助……!?」

 生きていたのか。しかし、今にもあの怪物に殺されそうになっている。安田はアクセルを思い切り踏み込んだ。




 レプティリカスは美琴の前に二人の人間をかざした。人質であり、盾であるらしい。これで迂闊には攻撃できない。歯を食いしばる美琴に向かって、尾が振るわれる。

 美琴はビルの壁面にぶつかり、雪に落ちた。下手な動きを見せればあの二人が握り潰されかねない。

 その時、レプティリカスに向かって、一台のパトカーが突っ込んで来た。その車両は凶獣の体にまともにぶつかり、予想外の攻撃に一瞬だがレプティリカスの注意がそちらに逸れた。

 美琴はその隙を逃さなかった。刀身に今まで以上の妖力を込めると、怪物の両腕を切り落とした。

「宗助!」

 パトカーから飛び出した男がそう叫んで、落ちて来る息子の体を受け止めた。

「お父さん?」

 宗助がそう言うのが美琴の耳にも届いた。父に助けられたのか。もう一人の警官も地面に体を打ちつけたようではあったが、意識は失っていないようで呻きながらも立ち上がろうとしている。

 美琴はレプティリカスを睨みつけた。十六夜を構え、レプティリカスの放つ溶解液を避けながら駆け出す。

 美琴の振った刀は三日月状の巨大な紫の斬撃を作り出した。妖力の塊であるそれは、レプティリカスの片翼を切り離す。

 その直後に三川が動いた。地面に拳を叩きつけ、水柱を呼び出すとそこに妖術を掛けるとともに、お屏の取り出した液体を混ぜ込んでレプティリカスに降りかからせた。この液体には相手の傷の再生を阻害する効果がある。幾ら異様な再生力を持つレプティリカスでも、三川とお屏、二人の妖力が通ったこの液体の効果を簡単には破れないはずだ。

 空への逃避能力を一時的に失ったレプティリカスに向かって、今度は良介と朱音が向かって行った。

「今までの攻撃が効かないのなら、これでどうだ」

 良介の体を炎が包み、やがて赤い体毛を纏った獣の姿に変えた。火車は右の拳を青い炎で包み込むと、レプティリカスの頭部に叩きつけた。鈍い音がして、その長い首が不自然に曲がる。

「美琴様、今です!」

 朱音がレプティリカスの背中に飛び降り、その髪で今度はレプティリカスの尾を縛りつけ、動きを封じた。美琴は頷き、レプティリカスの背部に向かって飛び掛かる。

 十六夜の刀身が紫色の妖気を纏う。圧縮されたそれはレプティリカスの強固な鱗をも切り裂いた。

 レプティリカスの体内から冷気が放出される。美琴は自身の体に陰の妖力を纏ってそれを防ぎながら、太刀の先を肉体の中に突き刺す。そして、凶獣の体から心臓を抉り出した。

 レプティリカスの体から力が抜け、雪の積もった地面に向かって倒れ込んだ。美琴は未だに鼓動を止めようとしない心臓を刀に突き刺したまま、怪物の背から降りた。

「このままではまた再生してしまう。お屏、頼んだわ」

「分かっております」

 お屏は袖の中から竹筒を取り出し、栓を抜いた。中から灰色の液体が流れ出してきて、美琴の太刀から抜かれた心臓を包む。

「これは結鋼液(けっこうえき)と言って、空気に触れれば硬質化し、鋼のように固くなる液体。しかも温度の変化では壊れない」

 お屏の言う通り、レプティリカスの心臓を包み込んだその灰色の液体は見て分かる程の急激な勢いで固まり始めた。

 これで再生能力は使えない。残ったレプティリカスの体も、動く気配はなかった。東京を氷河期に変えた怪物の事件は、やっと終わりを告げた。




「君たちが宗助を助けてくれたのか。ありがとう」

 そう言って、安田は頭を下げた。隣の宗助も一緒にお辞儀をする。こうして見ると親子はやっぱり似ていると、美琴は感想を抱いた。

「いえ、宗助君を助けたのは、あなたの力があってこそですよ、お父さん」

「いや、親が子を助けるのは当然のことですから」

 美琴の言葉に、安田は生真面目な口調で答えた。その答えに、宗助が少しだけ嬉しそうな顔で父を見上げる。この親子はもう大丈夫だろう。

「宗助君、またね」

 そう美琴が言うと、宗助は笑顔で頷いた。そして、美琴は隣でそわそわしているお屏に言葉を掛ける。

「あなたも最後に何か言ったら?」

「ええと、宗助君、昨日は楽しかった。ありがとうね」

「僕も楽しかったです」

 お屏は頷いて、笑った。

 安田は何も美琴たちのことを何も聞いてはこなかった。それが彼なりの、妖たちに対する礼儀だったのかもしれない。

「帰るわよ」

 美琴は名残惜しそうに宗助を見ているお屏にそう言った。その理由は分かっている。もしかしたら、彼らはもうすぐ自分たちの存在を忘れてしまうかもしれないからだ。

 異形や異界の存在を知った人々は、基本的にはその記憶を忘却させられることになる。そうやって、長い間異形のものたちは自分たちを守ってきた。

 お屏は最後に宗助に手を振ってから、歩き出した。

「あの子も、あたしのこと忘れちゃんでしょうか」

「さあね、それは分からないわ」

 美琴にはそれだけしか言えなかった。




 岩のようになったレプティリカスの心臓は、黄泉国に持ち帰られることとなった。偶然による復活を阻止するためだ。

 黄泉国の海まで運ばれたそれは、海溝の深いところをめがけて投げ込まれた。これで、無理矢理誰かがそれを引き上げない限りは復活することはないだろう。

 レプティリカスが倒れてから一週間が経ち、東京の雪も消えた。当然のように冷凍凶獣の存在は忘れ去られ、あの吹雪は原因不明の異常気象だったと報道されている。

 黄泉国の気温も上がり、秋らしい涼しい風が吹いている。美琴はその秋風の中を、一枚の折りたたまれた紙を持って歩いていた。

 御中の湯の暖簾を潜ると、番台に座ったお屏の姿が見えた。お屏は少し意外そうな顔で美琴を見ている。

「美琴様、また何か事件ですか?」

「違うわ。手紙が来てたわよ」

 美琴はそう言って、お屏に手に持った白い紙を渡した。その差出人の名前は、安田宗助。

 お屏はその名を見て、驚いた顔をした後に嬉しそうに顔をほころばせた。

 人間が妖怪に対して悪意や偏見を持たない場合、稀に記憶を無くさないことがある。宗助の場合もそうだったのだろう。境界の門はあの子一人だけでは開くことはできないが、それでも手紙を門の前に置くことはできた。

「ありがとうございます」

「いいのよ」

 美琴はそれだけ言って、お屏に背を向けて歩き出す。

 暖簾を再び潜った先には晴れた景色がある。美琴は小さく息を吸って、吐いた。吹雪の中で見つけた小さな幸せ。悲惨なことばかりが起こる世の中でもない、ということか。

 美琴は一人微笑みながら、石畳の道を歩いて行く。



異形紹介

・レプティリカス

 1961年の映画『冷凍凶獣の惨殺』(ビデオ邦題『原始獣レプティリカス』原題『Reptilicus』)に登場するモンスター。龍のような細長い体に小さな手足と翼を生やした姿をしており、牛や人を襲って食う肉食の怪物で、口からは緑色の溶解液を吐き、水中でも活動可能。また肉片からでも再生できる能力を持っており、実際に劇中では凍った肉片から再生した固体が暴れ回った。

 また邦題は『冷凍凶獣の惨殺』となっているがレプティリカスが冷気を使った攻撃をすることは劇中にはない。その設定はこの小説独自のものであることを記しておく。

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