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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一八話 冷凍凶獣現る
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三 原始獣レプティリカス

 安田は自分の家に辿り着いて、そしてその光景を見た膝を崩した。

 家は半壊し、中では家具が散乱してばらばらになっていた。安田は震える足をなんとか動かして瓦礫を踏みつけ、中に入る。

 家具や外壁の破片をどかしながら、安田は必死で自分の息子の姿を探した。だがどこにも見つからない。

 逃げ出したのか、それならば良いが、問題はこの辺りに落ちて来たはずの怪物の姿もないことだった。もしかして、食われてしまったのか。安田の脳裏に最悪の光景が浮かぶ。

 安田は家を出て、周囲を見回した。とにかく宗助がどこかにいる証拠が欲しかった。

 だが、空では虚しく雪を纏った風が吹き(すさ)ぶだけだった。




「あなたの名前は?」

 美琴は少年にそう問いかけた。あの半壊した家屋に放って置く訳にもいかず、黄泉国の屋敷まで連れてきたのだ。

「安田宗助」

 少年はそう俯いたまま答えた。頭を短く刈った十歳ほどの少年だった。怪我はなかったようで、宗助は居間に座り、良介の作った暖かなスープを飲んでいる。

「家族はどこに?」

「お父さんは警察署。お母さんは前に死んじゃった」

 宗助はそう言った。美琴は頷く。

「あなたのお父さんは警察官なのね」

「うん。でも、全然帰って来てくれないんだ」

 宗助は寂しそうにそう呟く。それで、この子はあんな天候の中家に一人でいたのか。他の仕事に就く者たちはあんな吹雪の中では働けなくとも、警察はこんな時にこそ働かねばならない。

「お姉さん、助けてくれてありがとう」

 スープを飲んで少し元気が出たのか、宗助はそう言って初めて笑った。

「いいのよ。でも、私のことは怖がらないのね」

「だって助けてくれたから。それにヒーローみたいでかっこよかった」

 そう言われ、美琴は微笑んだ。そして、優しい声で言う。

「あなたのお父さんも、きっとあの吹雪の中でいろんな人を助けているのよ」

「だけど、僕が危ない時は助けてくれなかった」

 宗助は拗ねたような反応をする。この子にとっては父親はたった一人の家族。そんな存在が自分の危機に駆け付けてくれなかったことに傷付くのも分かる。子供は親に、他の何よりも自分のことを見ていて欲しいものだ。

「お父さんがあなたのことを大事に思っていないことはないと思うわ。あの吹雪だったから、きっとすぐには家に駆け付けることができなかっただけなのよ」

 美琴はなるべく優しくそう少年に語りかけた。これがきっかけで、宗助とその父が中違いするようなことがあってはいけない。この子にはまだ、父親が必要だ。

 宗助は納得したのかしていないのか、美琴の問いには答えずにスープを一口飲んだ。

 宗助がどんなに寂しい思いをしたかは分かる。あの異常気象の中一人家を任され、怪物に言えを破壊され、そして襲われたのだから。自分がいなかったら間違いなくレプティリカスに捕食されていたのだ。それは父がいても同じだったかもしれないが。

 美琴は黙したまま考える。警察には、市民を守るということも仕事の一部として当然あるだろう。たった一人の家族と、町に住む多くの市民たち。そのどちらも守らなければいけないのが、宗助の父親だろう。

 だが、たった一人でそれを完璧にこなせるはずがない。どちらかに注意を向ければ、当然どちらかが散漫になる。東京があんな状態になるなど前代未聞なのだから、当然警察がすべき仕事がどれだけ大変だったのかは想像が付く。

 行方不明者や負傷者が多発し、またどさくさに紛れた犯罪も起こらないとは限らない。その仕事に手一杯で、宗助の父は息子のところまで手が回らなかったのだろう。

「とりあえず、あの雪が収まるまではここにいなさい。それから一緒に、あなたのお父さんを探しましょう」

 美琴がそう言うと、宗助は素直に頷いた。ただしその前にレプティリカスは倒さねばなるまい。ただ宗助を父親に届けるだけでは何も終わらない。

「朱音、この子を見ていてくれる?」

 美琴は居間に入ってきた朱音にそう告げて、立ち上がった。

「分かりました。美琴様はどこへ?」

「調べ物をしてくるわ。あの化け物を倒すためのね」

 あの再生能力、ただ攻撃するだけでは意味がない。確実に倒すための(すべ)を探す必要があった。

「宗助君、少し出かけてくるから、何かあったらこのお姉さんに言ってね」

「分かった」

 宗助が頷くのを見てから、美琴は居間を出て屋敷の玄関を潜った。人間界は吹雪で空の変化がほとんど分からなかったが、黄泉国の空はもう夕焼けに染まっている。




「あらあ、美琴様、何か御用ですか?」

 美琴が御中町の中にある書庫に入ると、受付に座っていた赤い和服を着た女の妖怪がそう言った。

「ええ、詩乃。少し調べたいことがあってね」

 美琴は詩乃と呼ばれた妖怪にそう言った。詩乃は文車妖妃(ふぐるまようび)と呼ばれる妖怪で、この黄泉国最大の書庫である御中書庫の管理を任されている。

「そうですかぁ。それにしても今日は寒いですねぇ」

 詩乃はそうのんびりとした口調で言った。美琴は「そうね」と頷いて、書庫の奥に向かう。

 この書庫には様々な書物が集められている。人間界にあるものから、異界で作られたもの、それらの中には外国のものまで含まれている。

 美琴は規則正しく並ぶ本棚の中から、古代の異形について記された書物の収められた棚を探した。そして、その中から目当ての書物を取り出した。

 この本には、あの冷凍凶獣についての記述が載っている。あれを倒すための手掛かりがあればいい。美琴はそう思いながら何百年前に作られたか分からない書物の頁をめくる。この書庫全体には妖術が掛けられているから、紙の状態は悪くない。

 やがてあの凶獣の姿が描かれた頁に辿り着き、美琴の手が止まる。筆絵で描かれたレプティリカスを一度眺めてから、美琴はその横に書かれた文字を目で追った。

 この書物に依れば、レプティリカスはやはり凄まじい生命力を持っていると書かれている。傷はおろか、肉片からでも完全な体へと再生できる。それは自分の目で見た通りだ。

 個体数は少ない、というよりもしかすればあの一体しかいないのかもしれない。太古からの出現の記録はあるが、同時期に複数が現れたという記録はない。

 基本的に短くても数十年、長くて千年以上の間隔を空けて現れている。その度に、当時に異形たちや人間たちが多大な犠牲を払って討伐している。

 確かに、彼らはレプティリカスを倒した。だが、殺してはいないのだ。美琴は考える。討伐されたレプティリカスは、長い時を経て妖力を蓄え、何らかの理由によって復活を遂げ、今回のように暴れ狂う。その繰り返しだったのだろうか。

 たった一体の異形のものに、何千何万もの生物たちが殺されてきた。そしてそれがまた起ころうとしている。

 美琴は頁を(めく)る。そこに書かれているのはレプティリカスの討伐の記録だ。

「心臓?」

 美琴は呟いた。この書物が記すところによれば、レプティリカスの弱点は心臓のようだった。かつてのものたちは、この心臓を狙うことであの凶獣に勝ったと書いてある。

 その方法は、レプティリカスの心臓を、何らかの方法によって封じること。あの異形の再生能力は、この心臓を中心として働いているらしい。

 かつての者たちは、心臓を何かに閉じ込めるなどをして、その再生を防いでいた。だが、その封印が未来の誰かによって破られた時、レプティリカスは復活を果たし、世界を極寒に閉じ込めた。

 美琴は書を閉じた。これで対処方法は分かった。どうやら、助っ人を頼む必要がありそうだった。




 宗助はぼんやりと、居間の壁を眺めていた。

 宗助の家には和室はないから、この部屋の景色は新鮮だった。それにみんな優しくしてくれるから、居心地も良かった。

 あの人たちは普通の人間とは違うようだけど、自分を助けてくれた。あの怪物がうろついている町にいるよりは、ここにいた方がずっと安心だった。

 でも、父はまだあの町にいる。考えるつもりはなくとも、どうしてもたった一人の家族のことが頭に浮かんだ。ここにいる人たちのように優しくはなくて、厳しい父親だった。それに強くて、死ぬところなんて想像もできない人だった。

 だからきっと大丈夫だとは思う。でもそれなら、今は自分のことを探しているのだろうか。それとも、まだ仕事をしていて、自分がいなくなったことにも気付いていないのだろうか。

「宗助さん、どうしました?」

 朱音と呼ばれていた女の人にそう問われ、宗助ははっとする。

「何でもないです」

 宗助はそう答えた。父が心配なのだとは言いだせなかった。恥ずかしい気持ちもあるが、これ以上迷惑をかけるのも嫌だった。母親が死んでから、宗助は誰かの手を煩わせることに敏感になっていた。

「お腹は空きませんか?何か持って来ましょうか」

「あ、はい」

 正直に言えばひどく空腹だったが、自分からは言い出すのは恥ずかしかった。しかし朱音は温かく笑って、「では、お菓子でも持って来ましょう」と言って、立ち上がった。

 こういう風に女性の優しさに触れるのは久し振りの経験だった。でも、それはつい数年前は当たり前の光景だった。

 母が自分のことを気にかけてくれて、お菓子やご飯を作ってくれた。洗濯をしてくれて、掃除もしてくれた。そして、出かける時には見送ってくれた。

 もう、それは遠い昔の出来事だったように思える。母が死んでからは、忙しい父に代わって家事はほとんど自分でやっていたし、食事もいつも一人だった。父は嫌いではないが、母の代わりをしてくれることはほとんどなかった。

 だからこの温かさは懐かしい。宗助は眼の奥が熱くなるのを堪えた。あの頃に戻りたいと、そう思った。




 美琴は御中町の銭湯、「御中(みなか)の湯」の暖簾を潜った。番台に座っていた垢嘗のお(びょう)が美琴に気付いて顔を上げる。

「あら、美琴様。珍しい」

「ええ、久し振りねお屏」

 お屏は頷く。普段は屋敷にある風呂に入るから、美琴がこの銭湯に来ることはあまりなかった。

「それで、何かご用事ですか?美琴様のことだからお風呂に入りに来た訳ではないんでしょう?」

「そうね。少しあなたの手を借りたいの。あなたの夫もね」




 お屏に銭湯を一時的に閉店の札を掛けて貰い、美琴らは銭湯の二階にある座敷に上った。

 御中の湯は御中町の中でも大きな建物であることもあって、普段はお客が入浴後に休憩するために使われているこの二階の座敷も相当に広い。

 その座敷の隅、座布団の上に座った美琴の目の前にはお屏と、その隣に座った口元と顎に髭を生やした大柄の男がいる。彼はお屏の夫であり、この銭湯の主人でもある三川(さんせん)だ。

「それで、我々に何の御用ですかな?」

 三川は穏やかな声でそう言った。

「人間界に現れた異形のことよ。簡単には倒せない相手でね、あなたたちの力を借りたいの」

「珍しいですね、美琴様がそんなことを言うなんて」

 お屏はそう言って、少しだけ笑った。

 この二人もかつて妖の世界でも争いが頻発していた頃には、美琴と一緒に第一線で戦っていたものたちだった。現在では妖怪の社会も安定し、滅多なことでは大きな争いは起こりはしないから、普段彼らに戦いに参加してもらうことはない。

 黄泉国の主として、できるだけこの異界に住む者たちを危険から遠ざけることはせねばならないことだった。だが、今回はどうしても彼らの力が必要だ。

「我々にできることならば、手伝いましょう。少し体は鈍っているかもしれませんがね」

 三川はそう静かに言った。美琴も頷く。

「助かるわ。じゃあ、今から作戦を話すわね」




 話を終えると、三川は納得したように頷いた。

「分かりました。確かに我々の力が必要そうですね。強力しましょう」

「ええ。お願いするわ。あと、お屏」

「はい?」

 美琴はお屏の方を向いて、小さく笑って言う。

「もうひとつ、あなたの力を借りても良いかしら?」




 その夜は屋敷に泊まらせてもらうことになって、宗助は居間でテレビを見ていた。

 この場所でも、やっている番組は自分が住んでいる家と変わらないんだな、と思いながらぼんやりと画面を眺めていると、襖が開いて美琴が現れた。そしてその隣には灰色の皮膚と赤い目をした女の人が立っている。

「お帰りなさい」

「ただいま、宗助君」

 宗助が言うと美琴はそう微笑して答えて、居間の卓袱台の前に座った。灰色の女性も一緒に居間に入って来て、同じように座る。

「あなたが宗助君?あたしはお屏。よろしくね」

 そう言って、お屏と名乗った女性は笑った。宗助も頭を下げる。外見はともかく、怖い人ではなさそうだった。

「宗助君今何歳?」

「十歳です」

「十歳かあ」

 お屏はそう嬉しそうに言った。

「懐かしいなあ。宗助君、あたしにもね、息子がいるのよ。もう大人になって出て行っちゃったんだけどね。あの子もこのくらいの時があったなあ」

「そうなんですか」

「うん。今日はこのお屋敷に泊って行くんでしょう?ならこのお屋敷にいる間は、あたしのことをお母さんみたいに思ってくれていいからね」

 そう温かな声で言われて、宗助は頷いた。とても懐かしい気持ちがした。母も確かこんな風に笑っていた。

 それから、宗助はお屏と少し話をした。お屏は学校の話や、家の話を笑顔で聞いてくれた。こんなことを話す機会は長い間なかったからか、次々と口から溢れて来た。

 自分はこうやって甘える人が欲しかったんだと思った。母を失ってから、父の言う通りずっと一人で強く生きようとしていた。でもやっぱり、誰かの温もりが欲しかったのだ。

「そっか。お父さんが厳しいのね」

「うん。家に帰って来てくれないし、すぐ怒るし。僕のこと嫌いなのかな」

「そんなことはないと思うよ。きっと、お父さんもあなたのことを愛してるわ」

 お屏はそう言って、宗助の頭を撫でた。

「宗助君だって、お父さんのことは嫌いじゃないでしょう?」

「……うん」

「男の人って、不器用だから。言葉ではお互いの気持ちを伝えにくいものよね。だから心配しなくていいのよ」

 宗助は頷いた。美琴やお屏、父のことは知らないはずなのに、その言葉に反発する気にはならなかった。宗助も心の中で、父が自分のことを大事に思ってくれていると信じていたかもしれない。




「眠ってしまったのね」

 美琴はお屏の膝に頭を乗せて、寝息を立てている宗助を見てそう言った。

「ええ。この子、寂しかったみたいですね。自分のことやお父さんのことをたくさん話して、それから安心したように寝てしまいました」

「そう」

 お屏は優しく宗助の髪を撫でる。

「本当に、息子がこんな小さかったころを思い出しましたわ」

「あなたも宗助君も、お互いに良い時間を過ごしたようね」

 美琴の言葉に、お屏は静かに頷いた。



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