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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一六話 陽炎の記憶
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一 発火能力者の少女

 一人の少女が、ぱたぱたと走って一人の女性に抱きつく。二人はどちらも質素な着物を着ているが、幸せそうに笑っている。

 二人は手を繋いで歩いて行く。その先には、笑顔で二人を待つ良介の姿がある。


第一六話「陽炎(かげろう)の記憶」


「美琴様、ちょっと出かけてきます」

 良介はそう言って、居間の卓袱台(ちゃぶだい)の前から立ち上がった。ここは黄泉国、美琴の屋敷の居間だ。部屋には美琴と朱音がいる。

「ええ、分かったわ。いつ帰ってくる?」

 美琴はテレビをぼんやりと見つめたまま、そう尋ねる。

「朝までには帰ります。では」

「いってらっしゃいませ」

 朱音にそう手を振られ、良介は頷いて答えた。明りのない暗い廊下を進み、玄関を出た後、良介は一つ煙草(たばこ)を咥えた。

 指先に灯した青い炎で火を付け、再び歩き出す。その行き先は黄泉国ではなく、屋敷の裏口の方角にある境界。その先は、人間界だ。




 目的の場所に着いたとき、既にそこにいた一人の少女が良助の姿を見つけて、笑顔で彼の名前を呼んだ。

「あ、良介さん」

「元気だったかい?眞希(まき)ちゃん」

 良介は嬉しそうに駆け寄ってくる少女にそう言った。まだ十三歳ほどのこの少女は、人間の両親から生まれたただの人間だ。ただし、普通の人間にはない力がある。

「火は上手く使えるようになったかい?」

「うん、今月は一度も何も燃やさなかったんだ」

 良介は笑顔で頷いた。

 この場所は人気(ひとけ)のない砂浜。時間帯は夜中。彼女と会うにはこの状況が必要だった。

「さあ、今日も火の使い方を練習するか」

「うん!」

 良助が言うと、眞希は頷いて海の方を向いて目を閉じた。それから間もなくして海の一部がごぽごぽと音を立て、沸騰し始める。

 良介はその様子を真剣な顔で見つめている。

 人間には基本的には強い妖力や霊力は宿らない。単純に不必要だということもあるが、それに耐えられる体が無いせいもある。だが極稀に、強い妖力を持って生まれてしまう人間がいる。それは昔から超能力者と呼ばれる場合が多かった。

 人間が一般に超能力と呼ぶものには、霊力によって発現する場合と妖力によって発現する場合がある。霊力の場合はテレパシーや予知、霊感、千里眼などがそれに当たり、妖力による超能力よりも発現する可能性は高い。基本的に人間は妖力よりも霊力が強いからだ。

 一方で妖力によって発現する超能力は、念写、念力、帯電体質、発火能力などがある。これらは主にその妖力の属性に準拠した力となる。

 眞希もその、妖力による超能力者の一人だ。だがそれによって彼女はずっと悩んできた。彼女の能力は発火能力。良介と同じ火の妖力によって発現する超能力だった。

「火の制御も上手くなったし、成長したなぁ」

 妖力を使うのを止めて、ふうと溜息をつく眞希に良介はそう言葉を掛ける。眞希は嬉しそうに笑って、「うん!」と言った。

 眞希は出会った頃から比べれば、大分明るくなった。あの頃は全てに絶望したような暗い目をしていた。それも仕方がなかったと、良介は思う。人間が妖力を持つということは、その人間自身が異形のものとなることを意味するのだから。

 生まれた時から周りが妖力を使い、また自身の肉体もそれに順応して作られている妖怪などと違って、人間が強い妖力を持ってしまった場合、多くは悲惨な境遇の中で生きて行かなければならない。

 制御できない妖力が溢れだしたり、自分の妖力に自分の体が耐えられなくなったり、その力故に他人に受け入れられなかったり、とある。そして発火能力で最も恐ろしいのは、その力が暴走した時だ。

 人間界で言う自然発火現象というものは、火の妖力によって引き起こされることが多い。念力発火の超能力者の力が外に向かって暴走した場合は、他人が犠牲に。そして内に向かった場合は自身が燃え尽きることになる。

 眞希もまた、そんな風に生きてきた。良介は彼女と初めて会った日のことを思い出す。




 その日、良介はたまにするように人間界の店で一人酒を飲み、夜の木久里町(きくりちょう)を歩いていた。特に用事もなくぶらぶらとしていたのだが、その時に微弱な妖力を感じた。

 妖気は、海辺の方から流れてくるようだった。良介は咥えた煙草に火を点けながらその方向へと歩いて行った。何にせよ、調べる必要がありそうだった。人間界で妖気を感じる機会はあまりない。

 堤防から砂浜に降りると、遠くに明るい光のようなものが見えた。良介は歩いてそれに近付いて行った。

 そこにあったのは、少女の姿だった。まだ十を少し過ぎたばかりであろう容姿だったが、その目は虚ろで、ただ黒い海面を見つめていた。何よりも異様だったのは、彼女の目の前の海面が泡を立てて沸騰していたこと、そして彼女を囲うようにして炎が所々で燃え盛っていたことだった。

 妖怪だろうか。そうも思ったが、それにしては妖気が異質だった。良介は彼女に近付いて行って、そっと声をかけた。

「なあ、君……」

 その瞬間、少女ははっとこちらを振り向いて、それと同時に炎が良介を纏った。その時の、絶望に満ちた少女の顔を、良介は忘れられないでいる。

「驚いたな」

 良介は呟いて、自身を覆う炎を吸収した。火の妖である良介にとってそれは容易いことだったが、人間である少女は相当に驚いたようだった。

 恐らく、唐突に話しかけたことで彼女の意識がこちらに向いたため、彼女の力も同時にこちらに向いてしまったのだろう。不必要に怖い思いをさせてしまった。もし自分が人間だったら、彼女は望んでもいないのに殺人者になってしまうところだったのだ。

 良介は反省しながら、安心させようと笑顔を作り、少女に言った。

「俺はこの通り、何ともないよ。それに君の能力のことが何か分かるかもしれない。良かったら、話してみてくれないか?」

 少女は安堵したように砂浜に座り込んだ。そして、それからゆっくりと頷いた。




 良介が自分の名を言うと、少女は自分の名前を羽佐間(はざま)眞希(まき)と名乗った。砂浜に正座した眞希は、ずっと俯いたままぽつりぽつりと抑揚のない声で自身の境遇を語った。

「私は昔から、突然自分の周りに火が点くことがありました。遊んでいるおもちゃや、読んでいる本が急に燃え出したり、お風呂に入っていたら急にお湯の温度が上がったり。時には近くにいた人が火傷を負ったこともあります」

 子供らしからぬ表情と口調で、眞希は淡々と話し続ける。それが、彼女のこれまでに背負ってきた苦労を思わせた。

「自分のせいで周りのものが燃えるんだと気付いたのは、最近のことです。今はまだ、大きな事件は起こしていないけれど、いつか誰かを殺しちゃったり、お家を燃やしちゃったりするかもしれない。だから、ここでできるだけ自分の中の火を出すんです」

 最後まで良介の方を見ないまま、眞希はそう話し終えた。良介は一人頷いて、話し始める。

「それは、発火能力だな。たまにそういう、他の人にはない力を持って生まれてきてしまう人間がいるんだよ。まあ、心配しなくていい」

 そう言って、良介は眞希の肩に手を置く。眞希は良介を始めて見上げた。

「俺がその力の使い方を、教えてあげるよ」

「おじさんが……?」

 眞希は少しだけ怪訝そうな表情をして、良介を見る。

「ああ。さっき見たように、俺には火は効かない。なぜなら、俺は火の妖怪だからなんだ」

「妖怪、ですか」

 眞希はほとんど表情を変えなかったが、信用しているかは怪しかった。

「まあ、言葉だけでは信じられないだろうから、証拠を見せよう」

 良介はそう笑って言って、立ち上がった。そして右手を軽く上げて、その手に青い炎を纏わせる。眞希の目が大きく見開かれるのが分かった。

「これは手品じゃない。俺も君と同じく、炎を操ることができる。火の使い方はよく知ってるよ。君もひとりだけでは不安だろう。俺でよければ、君が上手く火を扱えるようになるように手伝ってあげるが、どうだい?」

 良介がそう提案すると、眞希はしばらく黙っていて、それから静かに頷いた。




「良介さん何考えてるの?」

 明るい眞希の声が聞こえてきて、良介は現在に意識を戻した。

「いや、君と初めて会った時のことを思い出していてね」

「ふーん。もう三年も前になるね。あの時は急に良介さんが近付いて来るんだもん。びっくりしちゃった」

 そう言って、眞希は無邪気に笑った。その様子からは三年前のあの、黒く濁んだ目をしていた少女の面影はない。

「夜中に火の中に一人女の子がいたら心配になるさ」

「でも、私は良介さんと会えてよかった。お陰で火はある程度使えるようになったし、相談できる相手もできたし」

 良介は頷く。眞希は自分の力を誰にも話すことができず、ずっと一人で抱え込んでいた。誰かを傷つけることを恐れながら、たった一人で生きていた。

「そう言ってくれると嬉しいよ。俺も君に会えてよかった」

 そう言うと、眞希は嬉しそうに微笑む。会った頃と比べて本当に明るくなったと思う。今ではちゃんと友人もいるようだ。妖力を制御できるようになったお陰で、他人を近くに置いておくことに抵抗が少なくなったのだろう。

「でも、良介さんは妖怪何でしょう?どうして人間の私にこんなに長い間構ってくれていたの?」

 眞希は良介の隣に座って、そう尋ねた。もうすっかり、自分が妖怪だということは信じてくれたようだった。

 良介は空に煙を吐いた。

「ただの親切心から、という答えじゃ駄目かい?」

「それだけじゃないことくらい分かってるよ。もう三年も前から知ってるんだもの」

 良介は苦笑いした。女の子というのは、勘が鋭いものなのだろうか。

 良助は夜を見上げながら、ぽつりぽつりと語り始める。

「そうだな、俺に妻と子供がいたんだ。ずっと、もう気が遠くなるような昔のことだがね。その娘が、ちょうど初めて出会った頃の君と同じくらいの時、死んでしまった」

 良介は目を閉じて思い出す。自分の腕の中で目を閉じたまま動かなくなった娘の姿を。

「……そうなんだ。じゃあ良介さんは、その子と私を重ねてたんだね」

「そういう部分もあることは否定しない。だけど、眞希ちゃんは眞希ちゃんだと思っているよ」

 そう言って頭を撫でると、眞希は照れたように笑った。




「美琴様、良介さん月に一回ぐらい夜中にいなくなりますよね」

 ほとんどの局が放送を休止したテレビのリモコンをいじりながら、朱音が言った。

「お酒飲みに行ってるのかとも思いましたけど、帰って来た時別にお酒臭い訳じゃないし、何やってるんでしょ」

「何か、人間の女の子と会ってるみたいよ」

 美琴はそう言って、皮を向いた蜜柑の実をひとつ口に入れた。これは先日夢桜京で土産にもらったものだ。異界で採れたものだから、人間界のものとは少し味が違う。

「人間の女の子、ですか。恒君やと小町さんだけでなく、良介さんまで……」

 朱音がにやにやと笑いながらそんなことを言う。

「違うわよ。女の子と言ってもまだ十を少し過ぎたくらいの子よ。そんな子に手は出さないわよ」

 美琴がそう言うと、朱音は腕を組んで考えるような仕草をした。

「そうですかね。でも何百年も一緒にいますけど良介さんが特定の女の人と仲良くなってるのって見た事ありませんね。どうしてでしょう?」

「良介にも昔色々あったのよ」

 美琴はもうひとつ蜜柑を食べた。季節は夏の終わりだが、しっとりと甘い味がする。

「また、私よりお二人の方が付き合いが長いからってぼかすような言い方をする」

 朱音は不満そうに口を尖らせた。

 確かに、自分と良介との付き合いは長い。みすずとの関係よりは短いが、もう八百年以上にはなるはずだ。

 自分の最初の眷属(けんぞく)であり、長い間共に戦ってきた。自分が黄泉国を離れるときには彼と、ここにいる朱音に国のことを任せることが多い。どちらも自分が最も信頼している黄泉国の住人だからだ。

「あなたとの付き合いも十分長いでしょうに。それに、あなただってこの数百年浮いた話はないじゃない」

 美琴がそう指摘すると、朱音は照れたように笑って、だが自慢げに言う。

「私は美琴様のお側に仕えていられれば、それで幸せですから」

「なら、良介のこと、とやかく言うことはないじゃない」

「そうですけど……、でも気になるじゃないですか」

 朱音はそう言って、悪戯っぽく笑った。

「そういうことは、私ではなく彼本人から聞きなさい」

 美琴は特に反応せず、ただそう言って最後の蜜柑の粒を口に入れた。

「分かりましたよ~。良介さんが帰ってきたら聞こうっと。美琴様、お茶飲みます?淹れてきますよ」

「そう?ならお願いしようかしら」

 朱音が「分かりました」と笑って居間から出て行く。美琴はひとり居間に座って、思い出す。良介と初めて会った日のことを。あの時の良介は、身も心も傷だらけだった。

 きっと良介は、あの人間の女の子と自分の娘とを重ねているのだと思う。大人になるまで育てて上げることができなかった娘の面影を、日々大きくなっていく人間の少女に見ているのだろう。




 その異形のものは、餌を探していた。自分が人間たちによって失わされてしまった妖力を回復するための餌を。そして、それを見つけた。

 妖力の高い人間。人間を餌とする彼にとって、それは最高の御馳走だった。唾液を垂らしながら、それは獲物となる少女を見つめていた。彼女の隣には、男が一人。どうやら人間ではないようだった。だが、まだ本調子ではないとはいえ、何人も人間を食った彼の体は、それなりに妖力を取り戻していた。

 あの異形は邪魔だが、抵抗してくるようなら殺せばいい。そう考えながら、その異形は物影から二人の姿を見つめる。空腹はもう、限界に近かった。




 良介は再び火の妖力の使い方を練習し始めた眞希を見ながら、思い出していた。かつて彼に家族がいた頃のこと。もう、八百年以上前のことになる。

 その頃は、まだ人と妖との境界が曖昧で、どちらもが同じ世界に住んでいた。

 もう、自分がどこで生まれ、どこで育ったかは忘れてしまった。だが、親に育てられたと言う記憶はない。ただひとりで、国中を歩きながら生きていたことを覚えている。

 良介が知っているのは、自分が火車と呼ばれる妖怪であり、火を生み出し、操る能力を持っている、ということくらいだった。

 特に旅に目的はなかった。ただ行った先で妖怪や人間と出会い、別れを繰り返しながら国を渡り歩いた。

 それはそれで、楽しい日々だった。妖怪という理由で人間に攻撃されたり、妖怪同士の諍いに巻き込まれたり、と危険なこともあったが、腕っ節には自信もあった。

 短い期間ならば同じ場所に留まっていることもあったが、流浪するのが好きだった。その生活に終わりが訪れたのは、ある(あやかし)に出会ってからだった。

 その女の妖は、自分と同じ火を操る妖だった。いつもぼんやりとしていて、よく何もないようなところで(つまず)く、そんな女性だったことを覚えている。

 出会った時、その女妖は掌で炎を弄びながらぼうと川の流れを見ていた。良介が話しかけると、一瞬普通より遅れて振り向いて、「はい?」と眠そうな顔をして言った。

 その妖は、名前をお(えん)と名乗った。

 最初は、同じ火の妖として興味を持って一緒にいただけだった。だが、そのうちに彼女の行動の危なっかしさに放っておけなくなり、いつの間にかずっと一緒に時間を過ごすようになって行った。自分が守ってあげなければと、そう思わせる女性だった。

「お縁、大丈夫か?」

 そう尋ねると、彼女は決まって、

「はい、大丈夫ですよ」

 と眠そうな、ゆっくりとした口調で答えるのだった。

 良介とお縁とは、そのまま同じ家で暮らすようになった。二人で一緒にいる時間は、幸せだった。まるで燃える火の側にいるように温かく、明るかった。この女性(ひと)と一緒に生きて行こうと、良介は思った。



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