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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一五話 怨恨の彼方
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四 怨恨の彼方

 山崎の話は悲惨なものだった。学校でひどいいじめを受け、行方不明になった少女、(もり)妃姫子(ひきこ)。恐らくその少女が今のひきこであることは間違いないだろう。

 怨恨は強い霊力になる。その霊力は妖力に置換され、肉体に作用して変化させる。そして、妖怪が生まれる。

 遥か昔からそうして生まれる妖怪は多かった。死神という種族もそうだ。そして当然、死神である美琴自身もそうして怨嗟の中で生まれた。

「なぜ妃姫子は殺人をやめないんだ。もうあの子をいじめていた生徒たちは皆行方不明になった。それなのに、子供たちは行方不明になり続けてる。どうしてだ。復讐なんてしたって、何も生まれるわけではないのに……」

 両手で頭を抱えて、山崎は言った。

「復讐というものは、何かを生むために行うのではありません。自分の中にある怨恨を消すために行うのです。だけど、ひきこの怨嗟はただの復讐だけでは消えなかった」

 美琴は立ち上がる。

「教えてください。消えてしまった森妃姫子の家を。そこがきっと、彼女の潜む場所です」




 雨は降り続いている。美琴と山崎、洋一郎の三人は荒廃した空き地にいた。その場所は町の郊外、人のあまり通らない山の中腹にあった。雑草が生い茂り、木片がそこら中に転がっている。まるでそこだけが、何十年も手付かずのまま放置されているように見える。

「もう、家もなくなってしまったのか」

 山崎は言った。彼が最後にこの場所に来た時には、まだ森妃姫子の家はあったのだろう。

「恐らく、なくなってはいません。危ないから二人ともそこにいてください」

 美琴はそう言って、太刀を抜いた。

 ここからは強い霊気を感じる。この場所が、境界だ。

 美琴は太刀を何もないように見える空間に突き刺した。その空間に切れ目が現れ、別の景色が現れる。

 その先が異界だ。美琴は自分で作り出した空間の裂け目に入って行った。





 異界に入って始めて見えたのは外見は比較的綺麗なまま保たれた一軒家だった。二階建てくらいの大きさで、壁は白。二階にはベランダが見える。

 妖気は感じない。まだこの異界には帰って来ていないということか。美琴は玄関のドアに手をかけ、そっと開いた。鍵はかかっていないようだ。

 ドアを開けてまず感じたのは、ひどい腐臭だった。凄まじい悪臭が鼻腔を満たし、思わず美琴は顔をしかめる。

 廊下は真っ直ぐに続いており、正面にひとつ、両の側面に二つずつ部屋がある。そして、玄関のすぐ近くには二階に上がるための階段があった。

 美琴はまず真っ直ぐに進んだ。その先にあるのは、恐らくリビングだと思われる場所。ただしそこにはソファもテーブルもなく、ただ大量の死体だけが並べられて置かれている。ひきこはどうやら自分が殺したものの死体を集めているらしい。

 多くは小学生ほどの子供のものだったが、中には大人のものと思われる死体もあった。その数は十数体ほど。全て白骨化し、ばらばらに部屋の隅に積み上げられている。

 美琴は踵を返しリビングを出た。他の部屋も見て回るが、大体は同じだった。まだ体の大部分が残っているものから白骨化しているものまで、この家は死体に埋め尽くされていた。

 ただ、最後に覗いた部屋だけは違った。学習机と本棚が置いてあるだけの簡素な子供部屋。その部屋にだけは死体がない。

「ここがあのひきこの部屋、ということかしら」

 その部屋の空間には強い霊気が漂っていた。恐らくひきこのものだ。この部屋には彼女の記憶が染みついている。美琴は目を閉じる。そして、ひきこの記憶を呼び出した。




「早く出てきなさいよ!あんたが学校行かないとあたしが恥掻くのよ!」

 そう言ってお母さんは部屋の扉を叩いた。だけどそれは三日後には無くなった。その代わりに、私には食事も与えられなくなった。

 私は学校中を手を縛られて引き摺られた。その時に階段や角に当たって、顔にひどい傷ができた。目も口も痛いし、血が止まらない。だけどこの醜くなった顔は誰にも見せたくなかった。

 私はずっと布団に入って泣き続けた。でも動かないからといってお腹が減らない訳じゃない。食事を貰えなくなって一週間が経ったとき、私は限界を迎えた。

 その日は雨が降っていた。私は部屋の窓を開けて、外を飛び跳ねているヒキガエルを掴み生きたまま食べた。おいしくはなかったけれど、空腹だけは満たすことができた。

 だけどその光景を母に見られていたらしい。お母さんは私のことを気味悪がってドアの隙間から一日に一度、おにぎりと水をくれるようになったけれど、それ以外には私と関わろうとしなくなった。

 お父さんはたまに私の部屋にやって来た。それは決まって酔っている時だった。私の部屋に無理矢理入って来ては私を罵倒しながら暴力を振った。私にはもう、どこにも居場所がなかった。

 そのまま何年もの間、私は部屋に閉じこもったまま時を過ごした。変化のない日々は自分の存在を不安にさせる。自分の存在が不確かになる度に私はカッターに口と目の傷に向かって突き立てた。その痛みが自分がここにるということを実感させてくれた。そして自分をこんなにも追い詰めた者たちへの憎しみも、思い出させてくれた。

 どれだけ時間が経ったかわからない頃、私は自分の体に変化が起きたことを知った。体に不思議な力が満ち溢れているようだった。

 私はこの力を最初に使う相手を決めた。ずっと一番近くにいながら、私を追い詰めていた人たち。私は部屋から出て寝ている両親の首を折って殺した。それが私の最初の殺人だった。

 そして私は、雨の日が来る度に自分をいじめた者たちへ復讐して行った。雨の日は皆傘を差していて私の姿を見られなくて済むから。

 だけど、私をいじめていた人たちを殺しても、私の心は収まらなかった。だから私は殺すのだ、子供たちを。特にかつて私に対してやっていたように、誰かをいじめている子供たちを。

 それが私の、生まれた意味だから。




 美琴は目を開く。これで大方、ひきこの正体は分かった。学校でのいじめ、そして家庭内での迫害、その二つが彼女を追い詰めた。

 その中で蓄積されていった怨恨が、彼女の霊力の糧となった。そしてそれは妖力に変換され、彼女は自分を傷つけて行ったものたちに復讐するために妖怪化した。怨恨の果てに人間「森妃姫子」は妖怪「ひきこさん」へと変わった。そして、この家も彼女の怨念によって異界に取り込まれた。ひきこが、人の世界で生きることを拒んだから。

 ひきこの自分の姿を隠す能力は、おそらく人に自分の傷ついた姿を見られたくないという思いが生んだ能力だ。それが副次的に彼女の妖気や霊気をも拡散させていたのだろう。

 ひきこが姿を見せるときはただ一つ。相手を襲う時だけ。自分の姿は相手を恐れさせるものだと分かっているから、ひきこは襲う対象にだけは自分の姿を見せる。自分をこんな風にしたのは、お前たちだと知らしめるために。

 ひきこの気持ちはよく分かった。自分も死神。怨恨によって妖怪化したのだから。彼女がどんな想いで妖怪にまでなったのかは、痛いほどに分かる。

 美琴は太刀を抜いた。だからと言ってこのまま放って置く訳にはいかない。ひきこは殺し過ぎた。もう後戻りはできないところまで。

 美琴が十六夜を振う。その斬撃は、一撃でひきこの家を崩壊させた。自分の作り出した異界が壊れれば確実に分かる。ひきこはもうすぐにこの家へと帰って来るだろう。自分が第二の生を受けたこの場所へと。

 美琴は境界を抜けて、人間界に戻った。そして、山崎や洋一郎の視線の先を辿る。そこにはぼろきれのようになった子供の死体を掴んだ、ひきこの姿があった。

 ひきこは怒りを霊気に(たぎ)らせて、歩いて来る。もはや自分の姿を隠す気もなさそうだった。

「森妃姫子、なのか?」

 山崎の問いに、美琴は頷く。その変わり果てた姿に山崎は茫然としていた。

「森、こんな姿になってしまって……。私のせいだ……許してくれ」

 山崎が近付いて来るひきこの前に座り、雨に濡れる道路に頭を擦りつけた。そして、ひきこは山崎の存在に気が付いた。足を止め、じっと山崎の姿を見つめる。その目に一瞬だけ、人間の頃の光が戻った。

「先……生……、私……、醜い……?」

「……そんなことはない……!」

 山崎は涙を流しながら、ひきこに言った。だが、ひきこは首を横に振った。嘘を付いていても分かるというように。

 彼女の言う醜さは、自身の傷付いた体のことなのか。それとも怨嗟のままに無関係な子供を殺し続ける心のことなのか。それはひきこにしか分からない。

「お姉さんは、ひきこさんを殺すの?」

 洋一郎が問う。美琴はそれに頷いて答える。

「ええ、もう駄目なのよ。ひきこは、もう森妃姫子には戻れない。このまま怨恨の中で生きて行くしかないの。それは彼女にとって幸せなのか、それとも辛いのことなのかは分からない。だけれど、そのために無関係な子供たちが犠牲になるわけにはいかないの。それを分かって」

 洋一郎は、俯いたまま答えなかった。ただ子供たちを殺すということに自分の存在する意味を見出してしまった異形のもの。それがひきこさんと呼ばれる怪異。

「もうあの子に、歪んだ復讐は続けさせない」

 美琴は太刀を構える。ひきこは山崎の横を通り過ぎ、迫って来る。美琴は刀身を翻した。


 十六夜は、雨とともにひきこの体を切り裂いた。美琴はその手応えとともに、静かに呟いた。

「怨恨の彼方には、何もないのよ」

 ひきこの体から力が抜け、倒れようとする。美琴はそっとその体を支えた。死によって怨恨から解放されたその顔は、眠るような表情をしていた。




「最後くらいは、人として彼女を弔ってやってください」

 美琴はひきこの死体を優しく地面に横たえて、そう言った。周りのもの全てから否定されて、妖怪化した子供。最後くらいは人として受け入れてあげて欲しかった。

 それがひきこにとって救いになるのかは分からない。人として生きることを拒んだのは森妃姫子であり、ひきこさんなのだ。どんなものでも彼女の怨恨を消すことなどできなかったのかもしれない。それでも彼女を人として認めてくれるであろう二人がひきこを弔うことを美琴は望んだ。

 ひきこは彼女の家がかつて存在した場所に埋められた。墓標となるものはなかった。だけど山崎と洋一郎とは、ひきこが眠っている場所に向かって手を合わせた。美琴もひきこが救われることを祈る。彼女のやって来たことは許されないことだ。だが、死んでしまった後にまで責める気にはなれなかった。

「ひきこさんが自分をいじめていた人たちを殺したのは、悪いことだったのかな」

 洋一郎はぽつりとそう言った。

「ひきこさんは妖怪になるまで、追い詰められていたんだ。その復讐をすることが、悪いことだったのかな」

 美琴は静かに首を横に振る。

「私は神様じゃないから、ものの善悪を断じることなんてできないわ。でも、森妃姫子を追い詰める人たちがいなければ、こんな事件が起こることはなかったということは、言えるわね」

 美琴は言って、洋一郎の頭にぽんと手を置く。

「恨むこと、憎むことがいけないことだとは言わないわ。生き物なら、誰だって持っている感情だから。でも、それだけに囚われることはないようにしなさい。それはあなたをいじめているものたちのためではなく、あなた自身のためだから。だけどそれはそんな簡単なことではないのよね」

 恨みという感情は、生き物が持つ感情の中でも最も強いもののひとつだ。だから、自分のような死神はそれを認識して戦うのだ。

「先生、この子のことをしっかりと見てやっていてください。人は周りに味方がいなくなってしまうと、自分の中に感情を閉じ込めるようになる。それが爆発してしまったのが森妃姫子なんです。だからあなただけでもこの子の味方でいてください」

 山崎はしゃがんで、しばらくの間森妃姫子が葬られた土を見ていた。そして、立ち上がり、しっかりと頷いた。

「分かった。もう、あの子のような存在は生み出させないさ。本当に済まなかった、森。私は綺麗事ばかり言うだけで、君を助けることはできなかった……」

 その顔は雨に濡れてはいたが、山崎は泣いているようだった。

 きっと洋一郎はひきこのようにはならないだろう。山崎が彼の味方でいてくれる限りは、洋一郎には頼ることができる人物がいるのだから。




 後は人間であり、妃姫子のことを思ってくれている彼らの任せよう。美琴は二人を残し、帰途を辿り始める。「ひきこさん」は、「森妃姫子」として葬られた。それが彼女の望んでいたことであってくれることを美琴は願う。

 美琴は雨脚が弱まっていることに気付いて、顔を上げた。雲間から光の杖が伸びて来て地面に刺さる。

 怨恨もこの雨のように、いつか必ず晴れるものであったらいいのにと美琴は思う。だが、そうはいかないのが心というものだ。

 もうこんな事件は二度と起こらなければいい。そんなことはあり得ないと分かっていながら、そう思わずにはいられない。

 美琴は雨上がりの道を歩いて行く。その姿を、雲間の陽光は淡く照らすだけだった。



異形紹介

・ひきこさん

 都市伝説から生まれた現代妖怪のひとつ。口角と目尻が裂けた顔に、ぼろぼろの白い着物を着た容姿をしており、背は非常に高い。

 雨に日に子供の亡骸を引きずって現れるといい、違う子供を見つけると横歩きにも関わらずとてつもないスピードで追ってきて、子供を捕まえて肉片になるまで引き摺り続けるという。また、子供の死体は自宅にコレクションされているともされ、普段持ち歩くのはその中で一番のお気に入りだとされることもある。

 自身の醜い顔を嫌っており、鏡を見せると嫌がって逃げ出し、また子供を襲う際に「私の顔は醜いかぁぁ」と叫ぶこともある。また雨の日にのみ現れるのは、みんなが傘を差すため視界が悪くなるからだそうだ。

 元々は(もり)妃姫子(ひきこ)という名の人間だった。背が高く、活発で可愛らしかった彼女は先生たちに気に入られ、同級生たちはそれを妬んでいた。ある日、同級生の誰かが名前が偉そうだという理由で妃姫子を虐め始めた。ランドセルに虫を入れられたり、上靴をズタズタにされたりした。そして虐めはエスカレートし、虐めグループの何人かが彼女の足に紐を括りつけ、「ひいきのひきこ。ひっぱてやる」と言いながら学校中を引き摺り回した。それにより妃姫子は顔に酷い傷を負って、次の日から学校へ行かなくなった。

 ずっと部屋にこもり、布団を被って泣いているだけだったが、妃姫子の父親は酒乱で、酔っては登校拒否する彼女を殴りつけた。また母親もそれに同調し、学校であったように妃姫子を引き摺りまわしたりし、ついには食事も与えなくなった。その間、妃姫子は部屋に入って来る虫や蛙を食べて餓えをしのいでおり、それを見た両親はますます彼女を気味悪がった。

 そのまま、何年かが過ぎた。痩せ衰え、異常に背が高くなった妃姫子はまだ生きていた。彼女は傷が塞がりそうになる度に自身の顔を傷つけ、怨みを忘れないようにした。そしてある雨の日、彼女は部屋から出てきて、まずその両親に手を掛けた。最早彼女は森妃姫子という人間ではなくなっていた。怨恨により生きながら妖怪化した彼女は、雨の日に現れては自分を虐めたものたちや、小学生たちを襲いに現れるのだ。

 一部の文献には「ひきずり女」の別称として「ヒキコさん」が載っているが、この妖怪の本名は「りょう子さん」であるとされ、妃姫子ではない。また2000年前後に出現したと考えられるこの都市伝説だが、古い情報だと「ヒキコさん」と書かれていることも多いため元々はカタカナで名前が表記されていた可能性もある。

 かなりマイナーな都市伝説だった「ひきこさん」であるが、「運命のダダダダーン」で紹介されたことにより知名度が上がり、現在では何本かの映画や、多くの創作物の中に登場している。ちなみに筆者が最も好きな都市伝説はこの「ひきこさん」である。

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