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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一四話 妖の血
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四 美琴と茨木童子

 みすずは目の前に迫る大蛇を見上げた。その牙から垂れる液体が石畳に落ちる度、その部分が白煙を上げ、穴が穿(うが)たれる。相当に強い毒のようだった。

「貴方様はどうして、この国を襲うのですか?」

 みすずは問うた。疑問なのは、相手から敵意のような霊気が感じられないことだった。ただ機械的にこちらに向かってきているように思う。この蛇も誰かに操られているのだろうか。

「許してください。(わらわ)は貴方を討たねばなりませぬ。この国の主として、貴方を放っては置けませぬゆえ」

 そう呟くように言い、みすずは薙刀を振った。山吹色の妖力が斬撃となって、大蛇の身を切り裂く。だが、それで大蛇は死ぬことはなかった。

 地面に落ちた肉片が、瞬く間に小さな蛇たちに変化した。それは再び本体に戻って、肉体に統合される。この妖怪の特性には、覚えがあった。

七歩蛇(しちほだ)……ですね」

 七歩蛇、噛まれれば七歩も歩かないうちに死に到ることから付けられた名前。そして、傷付ければ傷付けるほど、小さな蛇と化し増えて行く妖。しかし、この妖怪が生まれる背景には悲惨なものがある。

 牙を剥き出しに突進して来る七歩蛇を、みすずは跳んで避けた。そして、七歩蛇の発する霊気に耳を傾ける。

 聞こえてくるのは怨嗟と悲傷の声。それに体を蝕む痛みに対する嘆き。

 七歩蛇は助けを求めていた。死なない限り続く苦痛から、救ってくれるものを求めていた。

「なんてひどいことを……」

 七歩蛇は蟲毒(こどく)によって作られる妖怪だ。蟲毒はある閉ざされた場所に、蛇や蜥蜴(とかげ)蜘蛛(くも)百足(むかで)などを入れて殺し合いをさせる術。そこで生き残ったものは殺したものたちの毒と、怨嗟とを背負い込む。そして、蟲毒の結果生まれた妖の身は、その毒と怨みとに体を蝕場まれて行くこととなる。

 術者はこうして蟲毒の結果できた妖を使役し、敵に向かわせる。体を浸食され続ける妖怪は、術者の簡単な霊術さえも跳ね返すことができず、その結果好き勝手に使われることとなる。苦痛に呻きながら、自分を追い詰めたもののために働かねばならなくなる。

 外道の術だ、とみすずは思う。命を自分の道具としか思っていないものにしかできない術だ。

 毒は妖力となり、怨嗟は霊力となる。確かに、強い妖を作るには効率的な術ではあるのだろう。七歩蛇もこの蟲術で作られる妖のひとつ。種類も大きさも様々な蛇だけを閉じ込め、そこで殺し合いをさせ、その中で生き残った一匹が七歩蛇と化す。

 七歩蛇は蛇の集合体だ。だからこそ強力な毒を持ち、ただ攻撃しただけではその肉体は小さな蛇と化して、死ぬことはない。だが、その強靭な肉体の中で、七歩蛇は死んでいった蛇たちの毒に蝕まれ、そして恨みの念に責められる。完全に死ぬことができるまで。

 みすずは薙刀を握った両の手が震えるのを感じた。こんなことをして、何も感じはしないのか。自分や美琴を殺したいのなら、自ら来ればいい。この子たちには、何の関わりもないことなのに。

 七歩蛇の尾がみすずを打った。みすずは地面に叩き付けられ、それから静かに立ち上がった。空からは、雨が降り始めていた。

 雨脚は次第に強くなり、対峙する妖狐と大蛇とに平等に降りかかる。みすずは七歩蛇を見つめる。そして、決心して薙刀を握り直した。

「ごめんなさい。妾にできるのは、貴方がたを苦しみのない場所へと、向かわせてあげることだけのようです」

 大きく口を開けた七歩蛇が迫る。みすずは薙刀を横に構えると、二本同時に振り抜いた。七歩蛇の頭が体を離れ、地面に落ちる。

 みすずの背後に九本の尾が現れる。小さな蛇たちに変わり始めた七歩蛇に向かって、みすずは九つの妖力の(たま)を放った。山吹色の光を纏ったそれは大蛇の体にぶつかり、閃光を放つ。そして、その後には何も残らなかった。

 七歩蛇を倒すには、その肉体を全て焼きつくすしかない。そうしなければ、数百の小さな猛毒の蛇となって逃げ出してしまう。そしてその蛇たちは、また新たな被害を生み出すことになる。

 これで、七歩蛇の元になった蛇たちは救われただろうか。みすずはやりきれない思いで大蛇のいた場所を見つめた。

 雨は、さらに強さを増して行く。





 晴明の放った水の式神は、雨を吸収して巨大化し、鬼童丸を襲う。鬼童丸の放つ斬撃は式神を切り裂くが、そもそもが液体のその式神は二つに分離しただけで前と後ろ、両側から鬼童丸に迫り、その体を取り込んだ。

「溺死はしないだろうが、頭くらいは冷えるだろう?」

 晴明の挑発に、鬼童丸は体から妖力を放出させ、式神を吹き飛ばして答えた。

「相変らずうっとおしいんだよ、お前」

 鬼童丸が刀を振う。しかしその斬撃は晴明の金の式神が作った壁によって防がれる。

 晴明は小町と恒に鬼童丸を近付けないように注意しながら戦っていた。怪我をしている彼らを巻き込む訳にはいかない。

 相手の妖力の属性は氷。晴明は土と金の式神を同時に発動させた。土生金、土は金の式神を強化する。

 地面に広がった土の式神から、無数の金の式神が針状になって飛び出して来る。しかし、鬼童丸はそれを飛び上がって避けた。さすがにこれくらいでは倒せないか、と晴明は次の式神を取り出す。相手は千年を生きた鬼なのだ。

 晴明は火の式神を投げた。雨を蒸発させながら、巨大な炎の帯が空中の鬼童丸を襲う。逃げ場はない。鬼童丸は刀を振うが、不定形の炎を簡単に消滅させることはできない。

 炎が鬼童丸の足元を舐めた。しかし、その瞬間に何か液体が降りかかって来て、式神を消滅させた。

「撤収だ。鬼童丸」

 その言葉を発した鬼に、晴明は覚えがあった。朱雀門の鬼。水を操り、骸を利用する鬼だったはずだ。

「散れ」

 その声と同時に、晴明たちを囲っていた死体が一斉に液状に変化した。妖術を解いたのだろう。

「待て、俺はまだこいつと決着を付けていない!」

「子供を殺す仕事も満足にできないような奴が偉そうなことを言うな」

 朱雀門の鬼はそう言い放ち、晴明を見た。

「陰陽師よ。勝負はお預けだ」

「私がそれを許すとでも?」

「貴様に勝つのは難儀だが、逃げるのは容易(たやす)いことだ」

 朱雀門の鬼は左手を振り上げた。その動きに連動して、先程までは人の形をしていた液体が一斉に動き出し、鬼二体の姿を覆った。

 晴明は金の式神を呼び出してその液体の膜を切り裂いたが、既にそこには鬼の姿はなかった。




「お前の存在が忌々しくて仕方がないんだよ」

「あら奇遇ね、私もよ」

 雷を纏った茨木の打刀(うちがたな)を、闇を纏った美琴の太刀(たち)が弾き返す。雨の中に金属音が響き、雨音の中に消えて行く。

 この戦いの中、未だどちらも相手に傷を与えられないでいた。茨木は防御に徹した戦いをして、中々攻撃を通す隙を与えない。逆にその消極的な状態での茨木の攻撃は、美琴の剣術の前では意味をなさない。

「この場所では本気は出せんだろう。近くの家には夢桜京の妖たちがいるからな」

 美琴はその問いには答えなかったが、その通りだった。自分が全力を出してしまえば、確実にこの周辺の住民たちに被害を与えることになる。

 膠着状態だった。いや、茨木童子はわざと時間を稼いでいるのか。恒を殺すための時間を。美琴は刀を振り上げ、巨大な斬撃を放った。しかし、茨木童子は二本の刀を体で交差させ、その攻撃を防いでしまう。

 だが、その時間稼ぎも終わりを告げたようだった。

「時間稼ぎは結構だけれど、あなたのお仲間を見る限りは失敗に終わったみたいね」

 美琴は茨木童子の背後に現れた二体の鬼を見て、そう言った。茨木童子は憎らしげに美琴を睨む。

「そうみたいだな。今日のところは諦めよう。だが、貴様も、九尾も、あの裏切り者の子供も許しておくことはしない。近いうちに再び相見えるだろうな」

 その捨て台詞とともに、朱雀門の鬼が水の妖術を使った。大きな水流が彼らを包み、茨木と鬼童丸、朱雀門の鬼の姿は消え去った。美琴は太刀を仕舞う。とにかく、恒と小町は無事のようだ。

「また近いうち、ね」

 そう呟いて、美琴は鬼たちとは反対の方向を歩き出した。




 鬼の襲撃から、一晩が過ぎた。怪我をしたのは恒と小町の他にも、夢桜京に幾人かいたようだったが、死者は出ていないという。鬼たちが現れたのは半分は自分も原因であるから、美琴はほっと安堵した。

 それに、恒の体にも変化が起きたと聞いている。最近妖気が濃くなってはいたが、ついに覚醒したのか。それなら、そろそろ父親のことを話しておかなければならないだろう。

 美琴は恒を呼び出した。恒は右腕に、小町は脇腹に怪我を負ったようだが、ひどいものではなかったようだ。それは晴明のお陰であり、また二人が勇気を出して鬼童丸に立ち向かったお陰でもある。

「二人とも、昨日は災難だったわね」

「はい、本当に、生きててよかったです」

 恒が言った。美琴は頷いて、静かに切り出す。

「そうね。まず恒。鬼童丸はあなたのことを裏切り者の息子、といった言葉で呼んでいたでしょう?」

 美琴が問うと、恒は首を縦に振った。

「やはり、それについて話さないとならないわね。あなたの父親の種族はね、鬼だったの」

 美琴は記憶を辿りながら、話していく。

「昨日の妖怪たちと同じでね。だけど、明長はそれにも関わらず、彼らを裏切って、私の元を尋ねてきた。あいつらのやり方は性に合わない、なんて言っていたわ。それで彼らと因縁がある私の元に行こうと思ったらしいの」

 美琴は思い出す。ある日突然、ふらりと現れた鬼の姿を。飄々(ひょうひょう)として掴みどころがない性格だったが、正義感は誰よりも強かった。それが、鬼たちと相いれなかった理由だろう。

「しばらくは平和だったわ。彼は私の部下として働いてくれていた。でもある時、明長は一人の人間の女性と恋に落ちた。それがあなたの母親。これはもう話したわよね」

 恒が頷く。美琴は話を続ける。

「そして明長は、私の元で戦い続ける日々よりも、麻衣さんと一緒に平和に暮らす生活を選んだ。人間界でね。でも、それは鬼たちにとっては格好の機会でしかなかったの。私と鬼たちとの因縁は平安時代まで遡ってね、私はかつて彼らの頭領を殺しているの。だから彼らは私を怨んでいた。そして、裏切り者である明長も。だから、あの時はその両方に復讐できる絶好の機会だった。そして二人は殺され、あなただけが生き残った」

 美琴は目を伏せた。

「あの時、私がもっと近くにいれば防げたかもしれない。ごめんなさい」

「僕は、美琴様を責めるようなことは思っていません」

 恒は毅然と言った。

「でも、両親のことを知ることができたのは良かったです。僕が狙われる理由も分かりました」

「ええ。でも、復讐なんてことは考えてはいけないわ。あなたでは、あの鬼たちには歯が立たない。それに、戦いの場に身を置くことは、あなたの両親が望んだことではないわ」

「……分かっています」

 恒はそう言って、頭を下げた。

「ただ、自分の身や、小町さんを守るくらいの力は欲しいです。昨日僕は、結局何もできなかった」

「……、分かっているわ。それは私も考えておくから。だから今は、傷を治すことに専念しなさい。ね?」

「……はい」

 恒はもう一度頭を下げ、部屋を去って行った。美琴はその後ろ姿を心配そうに見送った。




 美琴が一人部屋で座っていると、みすずが入ってきた。

「恒様は大丈夫でしたか?」

「ええ、体は大丈夫。でも、色々と思い悩んでいるわ。仕方ないわね。両親を殺した仇が、今度は彼自身と小町を殺そうとしたんだもの」

「そうですね。でも、いつかは対峙せねばならない問題ではあるのです」

「そうね……。私もできることはするわ。でもきっと、私だけじゃ足りないわね」

 あの子には、家族がいない。それは鬼たちに奪われてしまった。その代わりができる自信は、美琴にはなかった。

「はい、でも恒様には小町がいますもの。少しは妾の妹を信用してくださいな。あの子が一番、恒様にとっては精神的な支えとなるはずですよ」

「ええ、そうね。小町がきっと、恒のことは支えてくれると思っているわ。私には分からないような深い絆が、あの二人にはあるものね」

「そうですよ。小町がいる限り、恒様も無茶なことはしませんよ」

 美琴は頷く。本当に、小町がずっと恒と一緒にいてくれてよかった。自分も彼らを支えるために、できる限りのことをしよう。




「恒ちゃん、恒ちゃん」

 小町は縁側に座る恒を見つけて、そう声をかけた。恒は物憂げな表情で前を見ていたが、小町の姿を見つけると笑顔を見せた。

「小町さん、怪我はいいの?」

「まだ痛いけど、歩くくらいは大丈夫よ」

 小町は恒の横に腰を下ろした。そっと寄り添って、恒に言う。

「ねえ恒ちゃん、昨日はありがとね。私のこと守ってくれて」

「いや、僕なんて全然役立たずだった」

「そんなことあらへんよ。言葉だけでも嬉しかった」

 小町がそう言うと、恒は「ありがとう」と答えた。

「小さなころに約束したことだったから、ずっとそれを実現しようと思ってたんだ。でもやっぱり、力不足だ」

「私は恒ちゃんが危険なことをするのは望んでへんのやけどなあ」

「それは、分かってるよ」

 恒は雲に月が隠れた空を見上げる。やはり、自分の両親の死についてのことを知って、思うところもあるのだろう。それがふと、小町の心を不安にさせる。

「恒ちゃん、私の側からいなくならないでね」

「急にどうしたのさ」

「だって、恒ちゃんどこかに行ってしまいそうな顔をしとるから」

 そう言うと、恒は「大丈夫だよ」と笑った。

「小町さんの側からはいなくならないよ。小町さんがいて欲しいって言ってくれるなら」

「何度でも言ってあげるから。だから、ずっと一緒に……」

 小町は顔を赤くして、俯く。恒はあの日、自分を守ってくれるという言葉のあとにした約束を、覚えているのだろうか。「僕がお姉ちゃんと結婚して、ずっと守ってあげる」と言ってくれた、あの言葉を。

 小町はそっと、恒の肩に寄り掛かる。

「小町さん?」

「こうしていると、お腹があんまり痛くならないの」

 そんな嘘をついて、恒の優しさに身を任せる。この想いはまだ、心の中に仕舞っていよう。少なくとも今恒を悩ませている問題が解決するまでは。これ以上恒の中で自分が大事な存在になってしまったら、きっともっと彼の心に負担を掛ける。でも、これくらいは良いだろう。幼馴染の特権だ。

「恒ちゃん、恒ちゃんの側には私がいてあげるから、一人で悩んでは駄目やからね。お姉ちゃんとの約束」

「分かったよ。新しい約束だね」

 恒の声は少しだけ明るくなっていた。小町は彼に寄りかかったまま目を閉じる。きっと、この子が傷ついたときは、私がそれを癒してあげよう。これまでもしてきたように、これからもずっと。

 小町は微笑む。いつかそれがいらなくなった時が来ても、きっと彼は自分を必要としてくれるだろう。小町は恒の温かさに、そっと目を閉じた。



異形紹介

七歩蛇(しちほだ)

 七歩蛇(しちふじゃ)とも言う。江戸時代前期の仮名草子作家、浅井了意の小説集『伽婢子(おとぎぼうこ)』の中に見られる蛇の妖怪。

 妖蛇の怪があるという京の東山の西麓を、浦井という人物が買い求める。浦井はそこに家を建て、移り住むが、そこに蛇が数匹現れた。

浦井はこの蛇を退けるが、次の日にはさらに蛇が増えて現れ、それは打ち捨てる度に増えて行った。

 そのため浦井が地鎮祭を行ったところ、その夜何者かが騒ぐ音がして、夜が明けてから様子を見てみると庭の木々、草叢が次々に枯れ、石をも砕かれていた。そしてその岩の砕かれた場所から、四寸(約一二センチ)ほどの蛇が現れた。

 蛇の姿は体色は真っ赤で、小さな四本の足が付いており、竜に似ていたと言う。

 人々がこんな蛇は見たことがないと話していると、南僧寺の僧が現れ、「これは七歩蛇というもので、七歩歩く間に死んでしまう程の猛毒を持つ蛇だ」と語ったとされる。


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