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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一四話 妖の血
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二 蠱毒

 みすずは目の前であたふたしている小町を見ながら、微笑した。

 久し振りに故郷に帰ってきた義妹に、相談があると呼び出された。話を聞く限り、どうやらずっと一緒にいたという男の子についてのことらしい。

「ねえ、姉様どう思う?」

 小町はほんのりと顔を上気させながらそう尋ねた。

「つまり、小町は恒様が好きなのですね!」

 そうみすずが手を合わせると、小町の顔はより一層赤くなった。

「好きっていうか……、それが分からないから相談しとるのに」

 小町はそう拗ねたように言う。その義妹の姿がいじらしく、また可愛らしい。

「でも一緒にいたいと思うのでしょう?それは愛してるということではないのですか?」

「愛してるって……。そんなこと考えたことないもん」

 みすずは顔を赤くしたまま俯く小町を見て、「ふふ」と笑う。

「難しく考えることはないのですよ。今までずっと一緒にいて、これからもずっと一緒にいたい。そんな純粋な気持ちがあるのなら、それでいいではありませんか」

「う~ん、でも今までずっと姉弟(きょうだい)みたいに接してきたから、家族愛みたいなものとは違うんかな」

「それを確かめるのは簡単なことです。例えば、小町が(わらわ)や晴明様それに葛の葉様に向ける感情と、恒様に向ける感情とは、同じなのですか?」

 みすずが尋ねると、小町は少しの間考えてから、静かに答えた。

「多分、違うと思う」

「そうでしょう?それが何よりの答えではありませんか」

 そう笑いかけると、小町は「でも……」と食い下がる。

「急に恒ちゃんを意識するようになったのは、母さんに色々言われたからやし……」

「小町、葛の葉様に何か言われたくらいでそう簡単にあなたの気持が変わると思いますか?それは、あなたが元々持っていた気持ちなのですよ。それが、今は急に表に出てきてしまっただけ。きっと今までは、弟さんのように見ていた恒様をそういう風に見ることを、無意識に抑えていたのでしょう」

 小町は多分、自分の中の気持ちを全力で肯定したい気持ちと、全力で否定したい気持ちの間で揺れ動いている。みすずは晴明とであったころのことを思い出す。自分もそうだった。誰かを想うということが初めてならば、それに誰もが戸惑うものだ。

「私、恒ちゃんが好きなのかな……」

 自分で言った言葉に、自分で頭を抱える。その様子が何とも可愛らしくて、思わず抱きしめたくなる。

「急いで結論を出す必要はありませんよ。恒様が小町のことをどう思っているかも確かめなければなりませんしね。もっとも、妾は恒様もあなたのことを想っていると思いますが」

「どうして?」

 少しだけ期待するような目で、小町はみすずを見る。

「晴明様もあのような感じでしたもの。ああいう男の人というのは、自分の気持ちを素直には出せないものなのです。だから小町、諦めてはなりませんよ?少しずつ近付いていけばいいのです」

 その言葉に、小町は小さく頷いた。本当に、この子が異性のことで悩む時が来たのだな、と思う。容姿は綺麗だったから、小町は昔からよく異性から関心を寄せられていた。夢桜京(むおうきょう)の領主である自分の義妹という立場上、それを直接小町に告げる者は少なかったけれど。

 でも、小町はその数少ない自分の気持ちを告げた男性たちに対して、一度として靡いたことはなかった。そもそもほとんど誰かと一緒にいるということがなかった子だった。自分にはよく懐いていたけれど、友達も数えるほどしかいなかった。

 そんなこの子が、黄泉国に行ってからは次第に明るくなっていった。きっと自分の立場から解放されたことも大きかったのだろうが、やっぱり、面倒を見ているという男の子の影響が強いのだろうと美琴は言っていた。誰かに頼られるということを、きっと小町は求めていたのではないかと、美琴と一緒に話し合ったものだ。

 その男の子が恒だ。小町が異性と親しくしているなんて、少し前からは考えられないことだった。恒は小町の心を救ってくれた。そして、今でも小町の心に大きな存在感を占めている。できるなら、小町とずっと一緒にいて欲しいと思う。

「小町、美琴様の側にいるのなら、生きるものの最も強い感情のひとつは、恨みだということは知っているでしょう?」

 小町は唐突な問いに、少し戸惑いながら頷いた。

「だけど、霊力になりやすい感情は、恨みだけではありません。全く正反対のものだけど、恨みと同じくらい強い感情。それが愛です。分かりますか?」

 小町の顔がまた赤くなるのをみすずは見た。微笑ましい。

「恒様に対するその強い感情を、捨てないようにしてくださいね?それは霊気となって、いつか相手に届くはずです。きっと、恒様も答えてくれますよ」

 そう言うと、小町は少しだけ嬉しそうに頷いた。みすずはその銀色の髪を優しく撫でる。本当に、この子には幸せになって欲しいと思う。

 この子にばれないように、恒の気持ちを聞いてみようか。そう考えながら、みすずは自分に身を任せる義妹を見て微笑んだ。





 暗闇の中、その妖怪は自分の作品を見て口角の両端を釣り上げた。汚れた布を被り、灰色の顔をした鬼の妖怪だ。彼の前に眠っているのは、巨大な細長い姿をした妖。窓から洩れる白い月明りに照らされる体は血のように赤黒く、小さな手と足が生えている。いかにも毒々しい体色と姿をした生き物だった。

「できたか?がごぜ」

 がごぜと呼ばれた妖怪が振り返る。そこにいるのは和装の男。見た目の歳は三十ほど。腰の両側に日本刀を差している。

茨木童子(いばらきどうじ)様。できましたとも。最高級の蟲毒です。明日辺りにでも向かわせますか?」

「そうだな。伊耶那美(いざなみ)どもがいつまであの異界にいるのか分からん」

 茨木童子は腕を組んで、そう言った。がごぜは板を擦るような笑い声を洩らす。

「楽しみですなあ。奴らが悲鳴を上げてのた打ち回ると思うと」

「そんな簡単に行くかなあ」

 がごぜの言葉に反応する者がいた。外見(そとみ)の年の程は二十ほど。赤黒い髪を方の辺りまで伸ばし、整った顔を嘲るように歪めている。

「なんだ鬼童丸。文句でもあるのか?」

 茨木童子に問われ、鬼童丸とよばれた妖怪は首を横に振る。

「いんや、文句を言ってるわけじゃないよ。たださ、あそこには伊耶那美だけでなく九尾もいるんだよ?その蛇だけじゃどうにもならないでしょ」

 鬼童丸の言葉に、がごぜがむっとした顔をする。だが、茨木は表情を変えない。

「そんなことは分かっている。もちろん俺たちも赴く。どちらにせよ直接あいつを殺せなければ俺の気が済まん。それに、今回の直接の目的は伊耶那美でも九尾でもないしな」

 茨木は部屋の隅に座っている男を見た。五十ほどの男の外見をしているその妖怪は、茨木の視線に気付いたのか顔を上げた。

「朱雀門、準備はできているな?」

「貴様の要望を満たすのには苦労したぞ、羅城門よ」

 朱雀門と言われた鬼は、そう一言だけ言って、再び俯いた。

「愛想のない奴だ。まあいい」

 茨木童子は邪悪な笑みを浮かべた。そして、右手の拳を握る。

「今回は宣戦布告に過ぎん。伊耶那美と九尾、奴らに対するな。だからと言って手は抜くな。夢桜京も黄泉国も、いずれ我らの手で落とす」




 翌朝、恒は小町と共に城を出て、夢桜京を歩いていた。雲は少し曇っていて、湿った空気が町を包んでいる。午後には雨が降りそうだと恒は思う。

「天気あんまり良くないね」

「うん、そうやねえ」

 小町はいつもより幾分か小さい声で答える。どうしてかは分からないが、昨日から小町の様子が変だった。

 反応が遅かったり、何か考えているように急に黙ったり、唐突に笑ったり、よくわからない。何かあったのか聞いてみても、答えてくれない。何か秘密にしていることでもあるのだろうか。

「小町さん、どこ行くの?」

 どう見ても行き止まりの方向に向かって歩いて行く小町に向かって恒は声をかける。小町ははっとして、戻ってきた。

「ごめんね。ぼうっとしてて」

「大丈夫?具合悪いんなら無理に外に出なくてもいいよ」

「具合が悪いわけやないのよ。一緒に夢桜京を回るって約束してたんやから、行こか」

 小町は笑って、今度はちゃんとした道を歩いて行く。どうしてだか、今度は嬉しそうな顔をしている。悲しそうな顔をしているよりは、その方がいいとは思う。

 それから、小町と一緒に色々な店を回った。夢桜京ではやはり小町は有名らしく、ほとんどの妖怪が彼女のことを知っているようで、歓迎されていた。

 夢桜京の景色は黄泉国と似ていたが、やはりどこか違っていた。賑やかな黄泉国とは違い、こちらは静かな場所が多い。売っている商品だったり、食べ物だったり、和服だったりも欲見れば黄泉国ではあまり見ないものばかりで、比較しながら眺めると楽しかった。

「恒ちゃん、似合う?」

 小町が試着した山吹色の着物を見せて、そう言った。少しずついつもの小町に戻っているようで恒も安心する。

「似合ってるよ」

「ほんと?ありがとね」

 小町は顔を輝かせる。自分の言葉でこんなに喜んでくれるのは、この人だけだ。

 幼いころは、いつか小町が自分の目の前からいなくなることに怯えていた。自分の両親がいなくなったように、幽霊が見えると聞いた友人たちが去って行ったように、この人もいつか消えてしまうのではないかと思っていた。でも、小町はずっと同じ場所にいてくれる。

 これからもし離れることになるとすれば、どちらかに特定の相手ができたときだろうか。小町は異性に人気があるから、その可能性も高い。その時は素直に祝福してあげたいと思っている。いつまでも彼女を縛りつける弟ではいたくない。

 だけど、それを想像するのは寂しいのは確かだった。小町はほとんど自分の生活の一部になっているから、それが消えてしまうことを受け入れるのには、きっと時間がかかるだろう。それでも、恒は小町の幸せを優先してあげたいと、そう思う。

「恒ちゃんはさ、女の子を好きになったことってあるの?」

 そんなことを考えていたら、小町にそんなことを問われた。

「どうしたのさ、急に」

「何となく気になったんよ」

「う~ん、この前も話したような気がするけど、ないと思う。でも小町さんと一緒にいるのは楽しいよ」

「ほんまに?私も恒ちゃんと一緒にいると楽しい」

 少し顔を赤らめて、小町が言う。やっぱり今日は変な気がする。いつもなら「ありがと~」とかいいながらふざけて撫でるなり抱きつくなりしてくるものなのに。人前だからやらないのか、それともいつも自分が嫌がるからだろうか。

「あのね、恒ちゃん。私がさ、もし他の男の人と付き合ったりしたら、寂しい?」

 途切れ途切れにそんなことを聞いて来る。普段はあまり自分のことは話さない小町なのに、今日は不思議だ。とりあえずさっき考えていたことを口に出す。

「寂しいよ。小町さんが誰かと付き合ったら僕が一緒にいる訳にはいかないしさ。でも、その時は僕は身を引くよ」

「そっか、寂しいと思ってくれるんやね。でも大丈夫。私は恒ちゃんの側を離れないし、他の男の人とも付き合わへんから。だから安心してね。でも、その代わりお姉ちゃんは、恒ちゃんが他の女の子と付き合うのも嫌やけど」

「それは、多分ないから大丈夫だと思う」

 そう言うと、小町は楽しそうに笑った。それは自分と小町が一緒になると言うことではないのかと思いながら、多分そこまでの意図はないのだろうと思い直す。この人は本当に昔から自分を可愛がってくれていたから。でも、仮にそうなってもいいかな、とは思う。

 これまで散々世話をしてもらって、守って来てもらったのだから、今度は自分が小町に対して何かできればいい、そう思う。

 そんなことを考えていたら、ふと昔のことを思い出した。

「小町さん、ずっと前に、僕が小町さんに言ったことを覚えてる?」

「なに?」

「ほら、僕がいじめられてて、小町さんが助けてくれた時のこと」

「ああ、そんなことあったねえ。恒ちゃんがしてくれたあの約束ね」

 恒は頷く。まだ小学校低学年の頃、幽霊が見えると主張して、体の大きな同級生にいじめられて泣いていた恒を、小町が助けてくれたのだ。

「もう泣かないのよ。恒ちゃんにはお姉ちゃんがついてるから、いつでも私は恒ちゃんの味方だから」

 小町はそう言って、慰めてくれた。その時に、小町に誓ったことがあった。

「あのとき、たしか恒ちゃんは……」

 そう小町が言いかけた時、夢桜京の町の中に、悲鳴が響き渡った。




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