四 手合わせ
「罪滅ぼしですか?」
そう問うと、晴明は小さく頷いた。
「うむ。私は人間と一緒になっていたことがあると言っただろう?もちろん、私の子はまた子を生み、子孫も続いていた。その中の一人が、私の妻を追い詰めたんだ。私の妻は妖でありながら人を理解するため、人の社会で生活していたことがある。当時の上皇に仕えてね」
晴明は静かな、しかし耳に心地よい声で続ける。
「その時代の朝廷に仕えている陰陽師の中に、私の子孫がいた。その子孫は、自分の血の中に混じった妖の血を憎んでいたんだ。そして、そのせいで妖そのものも憎んでいた。だから当時の上皇が原因不明の病に伏せった時、その原因を私の妻、玉藻前のせいであると報告した」
晴明は当時を思い出すように目を閉じる。
「それからはひどいものだった。人間たちは我が妻を追い詰めた。私の妻は、非常に優しい性格をしていてね、人を傷つけることができなかったんだ。そして、妻はぼろぼろになり、命を諦めようとした。それを助けたのが、美琴殿だったと聞いている」
「美琴様が?」
「そうだ。二人の交流は、その時から続いているらしい。そして私は、妻に対して責任を感じていた。自分の子孫のせいで、彼女は傷付いたのだからな。それを謝罪するために、会いに行って、そして……」
「そして?」
そこで、晴明は照れたように頭を掻いた。
「一目惚れしてしまったんだよ。もちろん、その頃の私は独り身だったよ。人でも妖でもない私は、人の寿命を超えてしまったときからどちらに属せばいいのか分からなくなっていたんだ。だが、妻はそんな私の存在も、何の隔たりもなく受け入れてくれた。それも、嬉しかったんだな」
晴明は懐かしそうに目を細める。
「それから何度も会いに行って、やがてお互いに二人きりで会うようになって、契りを結んだ。いや、私と妻の慣れ染めの話になってしまった、申し訳ない。私が言いたいのは、もしかすれば、君も私の子孫のようになっていたのかもしれない、ということなんだ。しかし、その様子はなさそうだね。君の顔には、一切邪気のようなものが見えないよ」
恒はどう反応していいかわからず、首を捻った。自分が置かれた立場がどのようなものであるか分かった後でも、誰かを恨もうという気にはならなかった。それは、小町や美琴、良介や朱音など、自分の周りにいてくれた皆のおかげなのだろうと、恒は思う。
「それでいいさ。まあ、何かあれば相談してくれ。きっと力に慣れると思う」
「はい、お願いします」
自分と同じ半妖怪は晴明が初めてだったから、その言葉は心強かった。
「あとは、そうだな。君は私の妹についてどう思ってる?」
「小町さんですか?なんて言えばいいんですかね。家族と言うのも違うし、友達と言うのも遠い気がするし、上手い言葉が思いつきません」
家族ではないけれど、一番近くにいた人、それが小町だった。
「そうか。実はね、小町がこんな風に異性の誰かと仲良くしているのを見るのは初めてなんだよ。きっと小町にとっても君は特別な存在なのだろうね。これからも仲良くしてやってくれ」
「分かりました」
恒は頷いた。こうして小町の家族と話していると、今まで透明だった、自分の知らない小町の部分に、色が塗られていくような気がしている。人物だけが描かれた絵に、背景が追加されていくような感じだった。
自分の中の小町という存在が、段々と補完されていくように思う。それが何だか、嬉しかった。
「ほらほら御二人さん、お昼御飯は好き焼きですよ~。囲炉裏のある部屋に移動して」
襖が開いて、葛の葉が入って来た。片手に肉の乗った皿を持って手招きしている。
「昼から好き焼きか、豪勢だな」
「久しぶりに小町も帰ってきたしね~。恒ちゃんもいるんだし、たまにはええやろ?」
「私も実家で食べるのは久しぶりだな」
「そうよ、あんたもたまには帰って来なさいね、みすずちゃん連れて」
「一応みすずはここの領主だからね、忙しいんだよ。母上も分かってるだろ?」
「なによ、ちょっとくらい母親のために時間作るくらいええやないの。ねえ、恒ちゃん」
「ええ、まあ」
唐突に話を振られても、そう答えるしかない。
「まあとにかく、二人とも移動して。あっちで小町が準備しとるから」
恒は晴明に続いて、部屋を出た。囲炉裏部屋は、居間から少し離れた場所にあって土間と接しており、囲炉裏は床敷の中央にあった。 既に囲炉裏には火が焚かれており、その上には鍋が吊るされている。そしてその鍋に小町が好き焼きの材料を淹れて、火加減を見ていた。
「あ、恒ちゃん。こっちおいで」
何故だか目線を逸らしながら、小町は自分の隣の床を小さく叩いた。多少違和感を覚えながらも、恒は言われた通りに座る。
「あら、いい感じやない。お肉入れて食べよっか」
葛の葉と晴明もそれぞれ囲炉裏の前に座る。そして、皆で鍋に向かって手を合わせた。
「もうこんな時間ね」
美琴は夢桜の向こうに沈もうとしている夕焼けを見て、そう言った。昼間にここに到着して、ずっと話し込んでいた。気がつけば空をもう暗くなり始めている。
「本当に。美琴様と久しぶりにお話しできて、時間を忘れてしまっていたようです。お昼御飯食べ損ねてしまいましたね」
みすずは胸の前で両手を合わせて、そんなことを言った。
「そうね。たまにしか会えないもの。積もる話もあるわ」
美琴が言うと、みすずは「そうですよね」と微笑した。
「どうします?夕食まではまだ少し時間がありますが」
「まあ、一食抜くくらいは別に平気だけれど」
「なら、久しぶりにしますか?お手合わせ」
そう言いながら、みすずは立ち上がった。美琴も立ち上がる。身長は、少しだけみすずの方が高い。
「手合わせねぇ。最後にしたのはいつだったかしら?」
「もう四、五年前だと思いますよ?美琴様もたまにはちゃんと妖力使わないと、体に溜まってしまうでしょう?」
みすずが問い、美琴が頷く。確かに、もうずっと妖力を小出しにすることを強いられていた。そうでなければ、周りに与える被害が大きすぎるからだ。
「そうね。でも、あなたもでしょう?」
美琴が言うと、みすずは照れたように「ええ」と言った。
「まあ、妾たちが全力を出す機会なんて中々ありませぬもの」
美琴は頷く。少しだけ、気分が高揚してきた。戦いを前にこんな気分になるなんてことは、ほとんどない。いつもは誰かの命を奪うために行うことだけれど、今回はそうではない。それが大きかった。
「じゃあ、行きましょうか」
逢魔刻、空を夕闇が染める中、美琴とみすずは対峙して立っていた。辺りは草も生えていない荒野で、遥か遠くに夢桜と城が見えるだけだ。
ここは城の裏手にある、妖の修行用の広場だった。かつて大きな戦いがあった際に崩壊した土地で、その後は修行用に使われていたのだが、ほとんど妖同士、妖と人とが争うことがなくなった今ではほとんど使われていない。
「本気を出すのはやめてくださいね?この異界ごと壊れてしまいますから」
「分かってるわよ。あなたこそね。最近武器なんて振ってないでしょう?」
「一応武芸の稽古は欠かしておりませぬ。何か会った時、領主が国を守れなくてはどうにもなりませんから」
みすずはそう笑って、両手に葉を持った。右手には桜の葉、左手には梅の葉。それらを振ると、一対の薙刀に変化する。
それを片手ずつに持って、みすずは美琴の前に立つ。美琴も鞘から十六夜を抜いた。それを正眼に構える。
自分の妖力を全力でぶつけられる相手は、もうほとんどいなくなってしまった。みすずは、それをできる数少ない相手だ。さすがにみすずに対して全力を出すことはしないが、それでもこの場所、この相手なら気兼ねなく刀を振うことはできる。
たまには殺す目的でなく、楽しむ目的で戦うと言うのはいい。精神的にも楽だし、妖力もたまに一気に使わないと体に悪い。
美琴の体を紫の妖気が纏うと同時に、みすずの体を山吹色の妖気が纏った。それぞれ自身の妖気の色の和装に、姿が変化する。それぞれの体を守り、身体能力を上げるための妖力の鎧だ。
「いざ、参りましょう」
美琴の陰の妖力に対し、みすずは陽の妖力。逆の妖力を纏わせた二人が動くのは同時だった。
美琴の縦に振った十六夜を、みすずは右足を軸に回転することで避けた。相手を見失った紫の斬撃が地面を抉り、傷を付ける。
みすずは回転の勢いを乗せて、二本の薙刀を美琴に向かって叩きつける。だが、美琴はそれを逆手に持ち変えた太刀によって弾き、後ろに跳んだ。それに、みすずの追撃が襲って来る。
まるで舞うような動きで、みすずは二本の薙刀を巧みに操る。下から、上から、右から、左から、斬撃がどこから襲って来るのかは予想がつかない。美琴はそれを太刀によって防ぐのに専念しながら、一瞬の隙を付いて二本の薙刀を同時に弾いた。
紫と山吹の妖気がぶつかり合い、地面の一部が吹き飛ぶ。美琴はその地面の無事な部分をしっかりと踏み締め、下から上に向けて太刀を振り上げた。みすずはそれを、右手の薙刀で防ごうとする。だが、片手では防ぎ切れず、後方に飛ばされた。
空中で一回転して、みすずは地面に降りる。美琴も無理には追撃しなかった。その理由は、みすずの背後に見える九本の黄金色の尾。ひとつひとつが凄まじい妖力を湛えたその尾の先に、狐火のように山吹色の珠が浮かぶ。
美琴は本当に久方振りに、戦闘を楽しいと感じていた。気兼ねなく妖力を使えるのはすっきりする。それも相手がみすずであり、自分の攻撃に付いてきてくれると分かっているから。美琴は次の相手の攻撃に備えて、足に力を込める。
九尾の先に灯った山吹色の珠が、次々と美琴に向かって放たれた。美琴はまず最初の珠をかわし、次の珠を十六夜で叩き落とした。それから大きく跳んで珠の軌道から逸れ、刀身に妖気を込める。
八弾目、九弾目の珠が美琴に向かって放たれる。だが、美琴の放った巨大な斬撃がそれを一気に掻き消した。みすずはそれを見て、両の薙刀を同時に横に振う。その攻撃で、美琴の斬撃は両断された。
地面に着地すると同時に、美琴はみすずに向かって走り出した。みすずも薙刀をしっかりと両手に握り、迎撃の態勢を見せる。
美琴の太刀と、みすずの薙刀が、そして陰と陽の妖力が、今まさにぶつかり合おうとした。
異形紹介
・玉藻前
別称、白面金毛九尾の狐。『絵本三国妖婦伝』などではインドの華陽夫人、中国の妲己、褒姒と同一視され、三国に現れた大妖怪とされることも多い。
その姿は顔は白い毛に、体は金色の毛に覆われ、九つの尾を持っていたとされる。
日本では平安時代に現れ、鳥羽上皇に玉藻前という名の女官として仕え、寵愛を受けるが、上皇は次第に病に伏せるようになる。
その原因が分からず困窮していたところ、安倍泰成(秦親とも)が現れ、その病の原因は妖狐である玉藻前であると進言し、その正体を暴く。
それによって玉藻前は宮中を脱走し、栃木の那須野に逃れる。そしてその那須野において八万の軍勢と戦うが、一度はそれを退ける。
だが、犬の尾を狐に見立てた犬追物によって訓練された兵士たちによって玉藻前は追い詰められ、最後は矢に貫かれ、さらに刀によって切りつけられて息絶える。
だが、死した後も九尾の狐は巨大な毒石と化し、近付く生物の命を奪うようになった。その石は殺生石と呼ばれ、後に玄翁和尚によって砕かれ、日本各地に飛散したと謂われている。
この伝説は「葛の葉」と同じく様々な文学作品、演劇の題材となった。また、近世に入ると鬼の頭領である「酒呑童子」、天狗の長である「崇徳院」と並び、日本三大悪妖怪として称せられるようになる。
室町時代の御伽草子『玉藻の草子』では二尾の狐とされており、九尾になったのは妲己や褒姒らと同一視されるようになってからのことである。
また、九尾の狐について最初に記したのは中国の『山海経』で、そこでは人を喰らう妖と描かれているが、『周書』や『太平広記』においては九尾の狐は平安な世の中を迎える吉兆であり、幸福をもたらす象徴として描かれており、一慨に凶悪とは言い難い妖でもある。
日本においても現在は神として祀られており、栃木県には玉藻稲荷神社という玉藻前を祀った神社が存在している。
また、余談であるが本編における玉藻前の「みすず」という名について記したい。基本的に玉藻前は幼少時「藻女」と呼ばれていた、とする伝承が多いが、多田克己の『幻想世界の住人たちⅣ 日本編』においては藻という名であったとされている。これ以外にはこの名称は見つからなかった(近いものでは岡本綺堂の小説『玉藻の前』で藻と読ませているものがあった)が、響きが可愛らしいので採用した。




