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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一三話 夢桜の京
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一 夢桜の京

 初めてあの(あやかし)と出会ったのは、那須野の平原だった。その妖は、ひどく傷付き、弱っていた。圧倒的な力を持ちながら、その妖は誰も傷付けようとしなかった。

 人に裏切られながらも、それを怨もうとしなかった妖。誰かを信じることをやめず、誰よりも優しい妖。

 今の人間世界の伝承では、人を滅ぼそうとした大妖(たいよう)として伝わる妖怪。だが、それは真の姿ではない。

 陰とは逆の、陽の属性の妖力を持った妖。その名は、白面金毛九尾(はくめんこんもうきゅうび)の狐、玉藻前(たまものまえ)


第一四話「夢桜(ゆめざくら)(みやこ)


「ああ、この辺りの道は覚えてるわ!」

 小町は両側を掘に挟まれた道の前まで来た時、そう言った。何度かこの道は通ったことがある。特にこの掘の水は独特の透き通った匂いがするから、良く覚えていた。

 がしゃどくろの事件から一晩が経ち、早朝から三人は旅籠(はたご)を出発していた。普段は週に一度くらいの睡眠で十分な小町だったが、さすがに何キロも歩いたあとのあの事件は応えたようで、体が寝足りなさを訴えていた。恒に至っては未だに目を擦っている。

 でも、故郷が近付いてきたことが分かると、気分も高揚してきた。

「そうね、もうすぐ夢桜京(むおうきょう)よ。私も久しぶり」

 美琴は微笑した。小町は考える。この人は、良く考えれば自分より昔から夢桜京を知っているのだ。そう考えると、不思議な感じがする。

「恒ちゃんも楽しみにしててね、私の故郷、案内してあげるから」

「うん。小町さんの家族に会うのも初めてだね」

「そうやねぇ」

 そう、恒を家族に会わせるのも初めてだ。十六年も一緒にいたのに、今まで恒は妖怪の存在を知らなかったから、仕方がないとはいえ、結構な時間が経ってしまったと思う。

 それも今日で解消される。やっぱり帰って来てよかったと思う。何だかんだと言っても、故郷は故郷だ。懐かしい。

 道を進むにつれて、夢桜京の匂いが濃くなってきているのが分かる。やがて、異界への境界に建てられた門が見えてきた。そこには、夢桜京の象徴である桜の花びらの模様が描かれている。

 美琴が門を押した。そして、異界への扉は開かれた。




 小町の目に、数年振りの故郷の景色が飛び込んできた。

 夢桜京に来て最初に目に入るのは、(みやこ)の中心に聳え立つ巨大な桜。その青空を背に薄紅色の花びらを散らし続けるそれは、夢桜(ゆめざくら)と呼ばれている。この異界の名前の由来だ。

 その高さは二十(じょう)ほどと聞いているから、メートルに直せば六十メートル強といったところだろうか。一年中花を散らさずに咲き続けるその花は、この夢桜京にしかない妖樹(ようじゅ)だ。

「大きな桜だね」

 恒が言った。自分が植えたわけでも育てたわけでもないけれど、そう言われると何だか誇らしくなる。

「そうやろ?あれは夢桜って言うんや。もう数百年以上咲いとるのかなぁ」

「私が初めてここに来た時にはもう咲いていたから、少なくとも一千年以上は咲いているわね」

 小町の言葉を受けて、美琴がそう答えた。

「みすずたちにはあの夢桜の下で待っていると連絡を受けているわ。行きましょう」

「はいな」

 三人は石畳の伸びる道を歩き出す。夢桜京は平安京と同じように碁盤の目状に町が広がっている。だから夢桜までの道は分かりやすい。

 美琴を先頭にして歩きながら、懐かしい町並みを眺める。子供のころからほとんど景色は変わっていない。昼間だから住人の姿はあまり見かけないが、騒がれるよりは良い。自分と美琴はこの国ではそれなりに有名だ。

「ここが私の故郷(ふるさと)。ええ所やろ?」

「うん。黄泉国(よもつくに)とは少し雰囲気が違うね」

「そやねえ」

 夢桜京は京都の、黄泉国は江戸の雰囲気をそれぞれ受け継いでいると、良く言われる。これは昔から人も妖怪の多かった京都と、近世になってから妖怪や人が大幅に増えた江戸の違いがあるかららしい。

 京の妖怪は雅さを、江戸の妖怪は粋を好んだものだ、と良く言われている。今ではそんな違いはないが、どこかその雰囲気は受け継がれているのだろう。

 そう話すと、恒は感心したように頷いた。

「人間界のことも、結構異界に関係してるんだね」

「あの頃は人の世界に住む妖も多かったらしいから。影響はあったやろね」

 そう言ってはみるが、自分もその頃のことは知らない。そこで、「ね、美琴様」と話を振ってみる。

「そうね。あの頃は人と妖が互いに影響し合っていた部分があるから。今はほとんど交流がなくなってしまったけれど。そろそろ着くわよ」

 美琴の言葉通り、夢桜は段々その存在を大きくしていた。改めてみると本当に大きい。天に向かって幹が伸び、空に広がる枝と花々はほとんど空を覆い隠しているようだ。

 桜から舞い散る花びらはほとんどを弱い妖気で構成されているため、地面に落ちる前に消えて行く。それが、薄紅色の雨を見ているようで美しい。そして、その雨の向こうに三つの影がある。




「母さん、兄さん、姉様……」

 小町は桜の下に立つ三人を見て、そう呟いた。向こうもこちらに気付いたらしく、小さく手を振っている。あれは義姉だ。

 小町は少しだけ急ぎ足で、三人の方に歩いて行く。皆自分の家族だ。一番最初に会っておきたかった。

 真ん中に立つのは、ここ夢桜京の主、白面金毛九尾(はくめんこんもうきゅうび)の狐、玉藻前。妖狐の中でも最上級の、九本の尾を持つ大妖怪、なのだが……。

「ああ、小町。久しぶりですね!」

 最初に反応したのは、血の繋がっていない義姉だった。いきなり小町を抱きしめると、小さい子供にするように頭を撫でる。

「ちょ、姉様、恥ずかしい」

「小町、病気や怪我などはしませんでしたか?寂しくはありませんでした?」

「大丈夫やって、ほら、見られてるから」

 小町はなんとか義姉から離れる。そこでふと、自分の恒の可愛がり方はこの人に影響を受けているのではないかと思い当たる。どちらも血は繋がっていないのも共通している。

 そして、恒が恥ずかしがる理由も分かった気がする。確かにこれを他人に見られるのは恥ずかしい。少し反省しながら、改めて義姉を見る。

 雪のような白い顔には、優しげな笑みが浮かんでいる。髪は黒絹のようで、眉の上で切り揃えられている。そして高貴な臙脂色(えんじいろ)の和服が良く似合っている。

 ただ、その気高さを感じる風貌からは考え難いほど、この人の気性は優しい。兄や母を差し置いて自分のところに来てくれたことからも分かる。

「あらあら、ごめんなさい。それに美琴様も、お久しぶりです」

 最後に一度小町の頭を撫でてから、義姉は美琴の方を見た。

「ええ、久しぶり。それに相変らずね、みすず」

「ふふ、数年越しの可愛い妹との再会ですもの。これくらいは、ね。それに、貴方様が恒様ですか?」

 最後に恒を見て、義姉が言った。恒がぎこちなく頭を下げる。

「そう、この子が恒ちゃんよ」

 小町が紹介すると、義姉は嬉しそうに「あらあら」と言って、笑った。

「小町からお話は聞いております。小町と仲良くしていただいていたようですね。(わらわ)はこの夢桜京の領主、玉藻前と申します。よろしくお願いします」

 義姉は丁寧に頭を下げる。その対応に、恒も慌てて深く頭を下げる。この光景は見ていて少し面白い。

「ええと、池上恒と申します。よろしくお願いします」

 義姉は柔らかく笑って、「はい」と答えた。絶世の美女と謳われる義姉の容貌だから、普通の男の人なら話すこともままならないはずなのだけれど、美琴やら朱音で慣れている分意外と対応できている。できれば、その慣れの相手に自分が入っていて欲しいと、小町は思う。

「ねえ、うちらのことも紹介してよ小町」

 いつの間にか横にいた母に小突かれる。容姿としては三十前くらいの母は、艶のある白い髪を肩の少し下の辺りで切っていて、薄緑色の和服を着ている。身内だから表現しにくいが、まあ美形なのだとは思う。

「分かったって。恒ちゃん、この人が私の母で、(くず)の葉というの。もちろん種族は妖狐よ」

 母は「よろしくね~」と恒に笑いかける。恒も頭を下げた。緊張しっぱなしだろう。少し可哀想だ。

 あとは最後にもう一人、紹介しなければならない人がいる。恒と同じ半妖怪であり、自分の兄であり、義姉の夫。

 小町が視線を送ると、それまで樹の幹に寄り掛かって事の成り行きを見ていた兄がこちらに向かって歩いてきた。

「恒ちゃん、この人が前に話した私の兄。名前は……」

「安倍晴明です。君のことは聞いているよ」

 小町が紹介する前に、兄はそう言った。

 恒はかなり驚いた顔をしていた。何故か知らないけど、兄の名前は最近人間界で有名らしい。だから黙っていた方が面白いかと思って黙っていたのだけど。

「美琴ちゃん、私の娘が迷惑かけなかった?」

「大丈夫ですよ。私も仕事を手伝ってもらったりしますから」

 母と美琴が会話している。美琴に向かってちゃん付けで呼ぶ妖怪は母以外には見たことがない。久し振りに見ると、自分の母ながら新鮮な光景だ。

「小町、大人になりましたね」

 義姉が急にそう話しかけてきた。

「何?姉様突然」

「ふふ、何だか、一回り大きくなった気がしますよ」

「そう?」

 照れ臭くなって、小町は頭を掻く。久々の故郷だけれど、何だか帰ってきてよかったと思った。




 それから、小町は城に戻るという義姉と、それに付いて行くという美琴と別れて、恒を連れて実家に行くことにした。もちろん、母と兄も一緒だ。

「ねえ恒ちゃん、小町とはどれくらいの知り合いやの?」

 既に母が恒を自分と同じ呼び方で呼んでいる。初対面なのに。

「もう十二、三年になると思います」

「へえ、そうなんや。小町とはずっと学校一緒?」

「ええ、そうですね」

 質問攻めにしている。母としては、娘の友人は気になるものなのだろうか。

「兄さん、母さんって話好きよね」

「昔からだ。みすずの時もああだったよ。色々知りたいのだろうな」

 兄はそう言って、一人で頷く。歳は離れているけど、この兄は話しやすい。

「兄さん、半妖怪のこと、恒ちゃんに色々と教えてあげてね。私兄さんしか他に半妖怪の人、知らへんの」

「分かってる。半妖怪の子は現在では珍しいからな。あの恒という子も苦労したろう。話してやりたいことはたくさんあるよ」

 何だかんだといっても頼りになる。そう思いながら、小町は恒を見る。母に早口で話しかけながら、ちゃんと対応している。幼馴染の男の子と、自分の母親。何だか微笑ましい光景だと、小町は思った。




「この城に入るのは何年ぶりだったかしら」

 美琴は夢桜から少し離れたところにある城を見上げて、そう言った。城郭の分類は、平地に築かれた平城(ひらじろ)。周りを掘に囲まれたその城は夢桜と同じくらい大きく、圧倒的な存在感を放っている。

「そうですねえ、前回は妾が黄泉国に伺いましたから、その前ですか。もう五、六年は経っているのではないですか?」

 掘の上に設置された、城郭みすずはそう答える。長年の友人同士だから、気兼ねはない。

「でも、美琴様は変わりませんね。会った頃のままです」

「そう言うあなたも変わってないわよ」

 美琴はそう言って笑った。みすずも笑う。

 東西南北とあるうちの、東の城の門を潜り、城の塀の中に入る。この城の名前は「夢桜城」といい、縄張は輪郭式だ。

 縄張とは城の基本設計のようなもので、輪郭式は本丸、または主郭と呼ばれる城郭内の中核となる区域を、さらに二の丸、三の丸と呼ばれる区域で囲み、守護する構造のことを言う。分かりやすく言えば同心円状、いや形状的には正方形だから、大きい四角の中に一回り小さな四角を、さらにその中にもう一回り小さな四角を置いた構造と言えばよいのだろうか。それが三の丸、二の丸、本丸だ。

 二人はその中の二の丸にある御殿に向かった。ここにある大広間からは城の美しい日本庭園が見渡せる。昔からよくここで二人は語ったものだった。

「変わってないわね、ここも」

「はい。変わらぬということは、平和なことでもありますから」

 美琴は異界の桜を眺める。この散ることのない桜は、変わらないことの象徴なのだろうか。

「桜ですか?」

 美琴の視線に気付いたのか、みすずが問うた。

「ええ。あの桜も変わらないわね」

「そうですね。でも、桜というのはよく儚い花のように言われます。でも、妾は桜というのは、夢桜に限らず永遠を象徴するものだと思いますの」

「永遠を?」

 美琴が尋ねると、みすずは目を閉じて頷いた。

「はい。桜というのはすぐに花を散らしてしまうから、短命の象徴のように言われることが多いですよね。でも、桜は次の年にはまた同じ花を咲かせます。それを繰り返すのだから、永遠を象徴する花でも良いと思うのですよ」

 みすずはそう笑った。彼女らしい考えだと思う。みすずは桜が好きだった。昔は二人でよく色々な場所の桜を身に歩いたものだ。まだまだ二人とも若い妖だったころの話だ。それは思い出として、美琴の心の中に残っている。

「でも、人の世界は変わったしまったわね」

 美琴はみすずと会った頃のことを思い出す。平安時代、あの頃はここまで人は多くなかった。昼と夜で、人と妖の時間がきちんと別れていた時代。

「そうですね。仕方のないことではあるのでしょう。文化が発達すれば、それに合わせて世界も変わって行く。妾たちの住む異界だって、元々はただの野原でしかなかった。それに道ができ、建物が建ち、妖怪たちが住み、そうやって広がって行く。だから、変わらぬなどというのは、思い込みなのでしょうね」

「そうかもしれないわね。ただ、変わるのに使う時間が、短いのか長いのかだけ」

 風が吹いて、夢桜の花が揺れる。散り行く花々は空の中で消えてしまって、本当に夢のようだと美琴は思う。

「みすず、私たちが初めて会ったのも春だったわよね」

「はい、そうでした。那須野でのこと、今でもはっきりと覚えていますよ」



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