表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一二話 鬼哭の古道
50/206

四 鬼哭の古道

「こっちの方だ」

 恒と小町は両側を木に挟まれた細い道を歩いていた。草が生い茂り、もはや道と言えるか怪しいものだったが、かろうじて道筋がどのように続いているかは分かる。

 近付いて来ると、霊の声は小町の耳にもはっきりと届くようになってきたようだった。

「何か、悲しんでいるような、怒っているようなそんな声やね」

 小町は死者の声に、そう感想を漏らした。恒も同意見だった。この声には恨みと嘆きが混ざっていて、しかも一人のものではない。五人、六人、いやもっとたくさんだ。それが一つの場所に集まっている。

「何で幽霊がこんなところに」

「さあ、普通の人間は境界なんて知らへんはずなんやけど……。妖怪が死んどるんやろか」

 どちらにせよ、知ってしまったからには放置はしておけない。恒と小町は声が発生している場所に急いだ。そして、森が開け広い場所に出た二人が見たのは、一人の男を鷲掴みにする巨大な骸骨だった。

「助けてくれ!」

 骨だけの手に捕まった男は、二人の方を見てそう叫んだ。だが、骸骨はその叫びを無視して、男を口の中に捻じ込んだ。

 骨と肉を砕く音が夜空に響き渡った。咀嚼された人間だったものは、食道のない骸骨の口からぼろぼろと落ちて来た。その赤い塊に、思わず恒は口を抑える。

 その肉片を、周りにいた巨大な鳥たちが咥えて飛び上がった。「いつまでも」「いつまでも」と鳴き声を上げながら怪鳥たちは骸骨の周りを飛び回る。

以津真天(いつまで)……、ということはあれはがしゃどくろ?」

 小町が言った。

「いつまで、って?」

「以津真天は野晒しにされていた死体から生まれる妖怪なの。いつまで死体を放っておくのか、という気持ちが霊力となって、死体自身を妖鳥に変え、その以津真天は同じような野晒しの死体を見つけると、その肉体を啄ばんで同じ以津真天を作り出すと聞いたことがあるわ」

 巨大な骸骨が二人の姿に気付いた。眼球のない眼孔が、二人を捉える。

「そして同じように野晒しにされた死体から生まれるのががしゃどくろ。複数の白骨化した死体が集まり、ひとつの巨大な妖と化す。やから、複数の以津真天が現れた時は、がしゃどくろが現れる前兆やと言われとる」

 がしゃどくろが声帯のないはずの喉で、身も震えるような吠え声を上げた。その声は言っていた。生きているものが妬ましい、憎いと。

 それが分かったということはあの声は物理的なものではなく、霊的なものだ。だが、それが分かったところでどうしようもなかった。十メートルはある巨大な骸骨は、一歩ずつ二人の方に迫って来ている。

「逃げるよ恒ちゃん!」

 小町が恒の手を取った。だが、恒はそこから動こうとしなかった。

「なんしたのよ、恒ちゃん!?」

「小町さん、さっきの霊たちの声の主は、あの妖怪だよ」

 恒は確信していた。咆哮の中に混じる、悲しい叫び。殺され、野晒しにされたまま誰にも弔ってもらえなかった、死者たちの嘆き。

 野晒しにされた人間がなる妖怪。つまりここに、死んだ人間たちがいた。ここで事故でたくさんの人が死ぬとは考えにくい。それに、あの恨みの籠った声。恐らくここにいた人間たちは殺されたのだ。

 犯人は、先程がしゃどくろに殺された男だろう。あの男に対する霊たちの怒りは尋常なものではなかった。しかし、あの男が死んだ今もがしゃどくろの中の霊たちの感情は収まっていない。生きているもの全てに、怒りが向けられているようだった。

「小町さん、美琴様を連れてきて!僕は何とかこの霊たちと話してみる!」

「なに言うとるの!そんなこと許せるわけないやない!」

 小町が怒鳴った。当たり前だ。自分はかなり危険なことをしようとしている。

「でも、殺されて、野晒しにされて、そして妖怪化してまた殺されるなんてひどすぎるよ!それを知ってて逃げるなんてできない」

 恒は頑なに言い張った。がしゃどくろは怒声と泣き声が混ざったような声を上げる。その周りを、以津真天が「いつまでも」と鳴きながら旋回している。

「……、分かったわ。私もここに残る。美琴様なら、こんな大きな妖気や霊気に気付かない訳なやろうから」

「ありがとう、小町さん」

 恒は小町に笑いかけて、がしゃどくろに向き直った。

「僕の話を聞いてださい!」

 恒が叫ぶと、がしゃどくろは顔を彼の方に向けた。肉のないその顔からは、表情は読み取れない。

「あなたたちが殺されて、ずっと野晒しにされていたことは知っています!僕たちがあなたたちのことは皆に伝えます!きっとあなたたちの家族にも、そしてあなたたちが誰かによって殺されてしまったことも、伝えます!だから、生きている人たち全てを憎むことはやめてください!そんなことをしたって、あなたたちの心は救われないはずです!」

 恒の訴えに、がしゃどくろは一度動きを止めた。複数の霊が苦悩の声を上げるのが恒に届いた。怒りと理性の狭間で慟哭を上げる。彼らの姿を見るのが、恒には辛かった。

 どうして殺されて、妖怪化するまで人を恨まなければならなくなったのか。彼らはどんな思いで、境界に放置された自身の遺体を眺めていたのか。この人間は誰もやってこない古道の果てで。そんなことは簡単に想像できるものではない。

 がしゃどくろは月に向かって咆哮を上げた。そして、再び足を踏み出す。妖怪の中に宿るたくさんの霊たちは、この感情は抑えられないと叫んでいた。

「恒ちゃん危ない!」

 小町に手を引かれ、恒は走り出す。だががしゃどくろはその大きさを生かしてすぐに距離を詰めてくる。

 がしゃどくろの右手が二人に振り下ろされる。逃げられない、そう思った。

「本当に無茶なことするわよね、あなたたち」

 がしゃどくとの掌は、死神によって受け止められた。

 紫の着物姿の美琴が、片手で受け止めたがしゃどくろの右手を思い切り弾き飛ばした。バランスを崩し、がしゃどくろが地響きを立てて地面に沈む。

恒はほっとした気持ちで、美琴を見る。巨体の妖怪に全く物怖じしないその姿は、心強かった。

「私は止めようと……」

「あなたの場合は今回だけでなく、この前の陰陽師のときのことも含めてよ」

 小町が押し黙る。先日の陰陽師事件で相当無茶なことをしたとは恒も聞いていた。

「でもまあ、あなたたちのおかげであのがしゃどくろは完全には妖怪化していないみたい。たくさんの霊体が集まっているせいもあるけどね。あとは任せなさい」

 がしゃどくろが両手を付き、立ち上がる。美琴は腰に()いた太刀(たち)を抜く。

「任せろって、どうするんですか?」

 恒が尋ねると、美琴はにやりと笑って答えた。

「以津真天はいつまで死体を放っておくのかという怨念が作り出す妖怪でね、死体そのものが変化するわけではないの。最初に生まれた以津真天は、同じ境遇にある死体を見つけると、それを啄ばんで栄養にし、仲間を増やす」

 がしゃどくろが立ち上がり、美琴に対して咆哮を上げる。

「そしてがしゃどくろは、野晒しにされた複数の死体、というより以津真天に啄ばまれた白骨が、同じ生者への恨み、妬みという感情によって統合され、ひとつの妖怪と化す。だから、生きているものたちへの怨嗟があの妖怪の存在理由なの。つまり、あの巨大なひとつの体を共有している限りは、霊体は成仏できない」

 がしゃどくろが再び右手を振り上げる。

「だけど、恒が説得してくれたおかげで、あのがしゃどくろの中の霊たちは完全にひとつのものにはなっていない。まだ霊体までは妖怪化していないということね。だから、やることはひとつ」

 がしゃどくろが腕を振り下ろす。

「肉体を壊せばいい」

 美琴が上に向かって太刀を横に()いだ。がしゃどくろの手が手首から分離し、地面に落下する。

 同時に美琴が跳び上がった。三日月を背に、死神の太刀は紫を纏う。そのまま、両手で真上に振り上げた太刀を落下とともに振り下ろす。

 がしゃどくろは避けようとしたが、完全には無理だった。左肩を肩口から切断され、うめき声を上げる。

 地面に着地した美琴は、そのまま走り出してがしゃどくろの左足に刀を叩きつけた。足首の上が砕かれ、バランスを崩してがしゃどくろが仰向けに倒れ込む。危うく潰されそうになって、恒と小町は慌てて逃げ出した。

「危ないどすよ美琴様!」

「あら、ごめんなさいね」

 あまり悪びれず、美琴が言った。

 がしゃどくろは尚も立ち上がろうとするが、両手と片足を失った状態ではそれも難しい。ただ恨めしげに、眼球のない眼孔を美琴に向ける。

「恨みだけで生きていても、何も面白いことはないわよ」

 美琴は言って、がしゃどくろの額に太刀を突き刺した。そして、その柄の底に向かって掌底を叩き込む。

 刃が一気に刺し込まれ、同時に紫色の妖力が注ぎ込まれたようだった。額部分の骨にひびが入り、やがて紫の光が漏れ出す。そして、ひびは次第に頭全体に広がって行き、ぼろぼろに崩壊し始めた。

 美琴は太刀を抜くと、鞘の中に収めた。頭蓋を失ったがしゃどくろの方は力を失い、関節部分からばらばらになっていった。

 そのがしゃどくろの亡骸から、複数の霊が空の登って行くのが見えた。それと一緒に、以津真天も飛んでいく。

 霊魂自体が消えて行っている訳ではないから、成仏している訳ではないようだ。それでも、これで彼らの魂が救われる可能性は残せた。

「さて、終わりよ。恒」

 美琴が恒の方を睨む。

「……はい」

 恒が委縮して答えると、美琴は人差し指を彼に向けた。

「今回はあなたのお陰で彼らの魂は妖怪化せずに済んだ。それは良くやったと思うわ。でも、それは結果論。あなたが殺されていたら何の意味もなかったのよ。分かる?」

「……分かります」

 恒が言うと、美琴は表情を崩して微笑んだ。

「でもまあ、あなたの気持も分かるわ。怪我もなかったし、よしとしましょう。あの死んでしまった人間たちのことは、私が責任を持って後処理をしておきます。だから、あなたたちは旅籠に戻って寝なさい。明日も早いからね」

 美琴にそう言われ、二人は頷いた。あの霊たちがどうなるのかは気になったが、美琴に任せるのが一番だと思った。経験も知識も彼女の方が遥かに上だ。




「また美琴様に助けられちゃったね~」

 帰りの林道を辿りながら、小町が言った。

「仕方ないよ。あんな大きいの僕たちでどうにかできる訳ないし」

「でも、美琴様は恒ちゃんのお陰であの幽霊たちは妖怪にならないで済んだっていうてたやん。役に立ってないわけやないんよ」

「うん、そうだね」

 自分のやったことが、少しでもあの霊たちの助けになったのなら嬉しい。彼らは人間の世界に帰りたがっていた。あのまま本当に妖怪になってしまったら、それも叶わなかっただろう。

 ただ、生きているものへの怨嗟を叫びながら美琴に殺されるだけだった。それでは、あまりにも虚しい。

「あ、見えてきた」

 小町が言った。あの旅籠の前で、お幸と呼ばれていた妖怪が心配そうに待っている。

「心配かけちゃったね」

「そうやねえ、謝らないとね」

 恒と小町は、顔を見合わせて、そして笑った。

 二人はお幸に向かって手を振って、境界の古道を歩いて行く。



異形紹介

・がしゃどくろ

 その姿形、性質とは裏腹に、昭和に入ってから生まれた妖怪。斎藤守弘の『世界怪奇スリラー全集2 世界のモンスター』という著作に出たものが確認されている中では最も古く、その後佐藤有文が歌川国芳の「相馬の古内裏」の絵を挿絵として使用し、また水木しげるがそれを元にがしゃどくろの絵を描いたことで、がしゃどくろといえば上半身を突き出す巨大な骸骨、というイメージが広まった。

 元々「相馬の古内裏」の巨大骸骨は滝夜叉姫の繰り出す妖術であり、妖怪とは少々異なる。

 がしゃどくろは野垂れ死にした人々の髑髏が集まって十メートルほどに巨大化した妖怪であるとされ、がしゃがしゃと音を立てて人を食うという。また、京極夏彦はがしゃどくろは餓者髑髏と当て字ができると述べている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ