二 日常と非日常
その日の学校は特に何があるということも無く、いつもの通りに過ぎた。午前の授業の終わりと昼休みの開始を知らせるチャイムが鳴る。
恒は水木とともに教室を出ると、飯田を誘って購買へ向かった。一人暮らしの恒はもちろん、水木も弁当を持ってこないのでいつも買って食べることになる。飯田は二人に付き合い、弁当を持って付いて行く。いつもの変わらない日常だ。
「買い過ぎじゃないそれ?」
両手いっぱいにパンやおにぎりを抱えた水木に向かって恒が尋ねた。恒は片手にパン二つ、それに缶ジュースを一本しか持っていない。
「俺の趣味は食べることだからな。運動すればそうそう太らないし」
「まあそう言うなら……」
三人は生徒たちに自由に解放されている高校の中庭に出ると、空いているベンチを見つけ、座った。
飯田が弁当を開きながら恒に話しかける。
「そういえば池上君、二日前は君の誕生日だったんじゃないですか?」
「え、まあそうだけど……」
いきなり飯田に尋ねられ、恒は驚いてそう言った。たしかに前に自分の誕生日を言った覚えはあるが、まさか覚えているとは思わなかった。恒は一口パンを齧る。
「うん? そうなのか?言えよ水臭いな~」
水木がおにぎりを頬張りながら恒の肩を軽く叩く。恒は口の中のパンをジュースで飲み込んでから口を開いた。
「いや、気を遣わせても悪いし」
「そんなことねーよ、よし今日は町の方へ行こうぜ。俺たちがなんか奢ってやるよ、な、飯田!」
「まあしかた無いね、一年に一度のことだし」
「いいよ悪いし……」
二人が家族がおらず、独りで暮らしている自分に気を使ってくれているのは分かっていた。いや、それは自分の勘違いかもしれないが、どうしてもそんな風に考えてしまう。恒は残ったパンを一口に飲み込んだ。
「遠慮すんなって」
水木が言う。その直後、後ろから四人目の誰かの声。
「そうそう遠慮せん方がええよ、恒君」
「え?」
恒、水木、飯田のうち誰のものでもない女性の声に三人が同時に振り返る。その反応がおかしかったのか、くすくすと口に手を当てて笑う少女の姿。
「驚かさないでよ、小町さん」
恒は少女を見て言った。小町と呼ばれた少女はその特徴的な銀色の髪を撫でながら、微笑んだ。細い鼻、長いまつげ、白い肌、それに細いながらぱっちりとした目と、まるで作られたように均整のとれた顔立ちに、水木と飯田が顔を赤らめる。
「水木君も飯田君も純粋に祝いたいだけよきっと。ね?」
「も、もちろんです!葛葉先輩!」
小町に笑いかけられ、しどろもどろになりながら水木が答えた。飯田はまるでショートしてしまったように動かない。
「町の方は危ないらしいから気をつけるんよ。あ、恒君誕生日おめでとう」
「うん、ありがとう小町さん」
小町は軽く手を振ると、三人から離れて行った。水木はその後ろ姿を見送りながら恒に言う。
「いいなあ葛葉先輩。お前がうらやましいぜ恒」
「別に、ただ古い知り合いなだけだよ」
「それがうらやましいってんだよ~」
水木の反応に恒は苦笑いをした。たしかに小町とは幼稚園のころからの付き合いだ。恒よりひとつ年上で、家が近いらしく良く遊んでもらっていた。だが恒は一度も彼女の家に行ったことは無く、もっぱら恒の家か外で遊んでもらっていたように思う。銀髪については本人はハーフだからといっていたが、その両親や家族については聞いたことがなかった。ひとつ聞いたのは、母親が京都出身のため自分も京都訛りなんだということだけだ。
「まあ葛葉先輩も言ってたことだし、今日はパァーっといこうぜ恒!」
「う~ん、じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな」
「そうこなっくちゃ、なあ飯田」
「そう葛葉先輩も言っていた。うん葛葉先輩も言っていた」
「多少壊れてるなこいつ」
小町に限らず、慣れていないのか飯田は器量の良い女性に会うと固まる傾向にあった。恒は飯田の肩を揺さぶって正気に戻す。
「飯田大丈夫?」
「も、もちろん。私としたことが多少取り乱してしまった」
「いつものことだろ。お、もうすぐチャイムなるぜ、帰ろう」
水木の一声に、三人は昼食のゴミを捨て、歩き出した。
転がる二つの死体。ひとつは全身焼き焦げ、炭化している。もうひとつは原型をとどめないほど穴だらけにされ、肉塊と化している。
それを見下ろすのは、背の高い男と、髪をひとつに束ね、ポニーテールにして腰まで届くほどに伸ばした女。
男が指を鳴らすと、人差し指の先に小さな青い炎が灯った。男はそれに煙草を近付け、火を点ける。
「やはり美琴様の言った通りだな」
「ええ、やはり彼らは結界が切れかけていることに気付いているようですね、良介さん」
良介と呼ばれた男は口からゆっくりと煙を吐き出した。白い煙が空に昇り、消える。
「そうだな。朱音、俺たちも早く仕事を済ませないとならんぞこれは」
朱音と呼ばれた女は不安気な様子で良介の方を見る。
「恒君、大丈夫でしょうか」
「大丈夫さ。そっちは美琴様に任せよう。行くぞ」
「はい」
二人は路地裏から出ると、雑踏の中へと進み出す。
あと二、三時間といったところか。美琴は自室の窓から空を眺めながら考えていた。良介や朱音が恒を狙うものたちを排除してくれているだろうが、それでも全てとはいかないだろう。
美琴自身が自ら仕掛けた結界だ。結界が消えた時、恒の居場所は大体把握はできる。その時に恒の近くに彼を狙うものがいなければ良いが、その可能性に縋るばかりでは何にもならない。できるだけ早く彼の元に向かわねば。
十五年、長いようで短い年月だった。最も美琴の生きてきた年月に比べれば一瞬のようなものだが、恒にとってはそれが人生の全てだ。それを今日、終わらせる訳にはいかない。彼にはまだ知らなければならないことがたくさんある。
美琴は空から目を放し、部屋の中心に座した。目を瞑り、精神を集中させる。
恒、水木、飯田の三人は木久里町の中心にある繁華街へ来ていた。東京にあるとはいえ、人口の少ない木久里町にはあまり娯楽というものがない。そのため、ほとんどの若者が学校帰りなどは電車かバスに乗ってここに来ることになる。もちろん休日にはもっと東京の中心に行くものの方が多いのだが。
彼ら三人もたまにこうして遊びに来るため、ここの勝手はそれなりに知っていた。
「よっしゃ、恒何食いたい?何でも言ってみろよ。あんまり高いのは嫌だけどな」
水木が興奮気味に言った。ここに来るのは久しぶりらしい。
「分かってるよ。いつものファミレス行こう」
恒が答える。
「よし、飯田もそれでいいか?」
「構わないよ、もちろん」
意見が一致し、三人はたまに行く全国チェーンのファミリーレストランへ向かう。値段の割に量が多く、学生に人気の店だ。
店に入り、店員に案内されて席に着く。渡されたメニューを眺めながら、恒はまた今朝の夢のことを考えていた。
恒はまだ夢のことを忘れてはいなかったが、水木と飯田といると心強く、あまりそのことは気にならなかった。飯田に話せば多分オカルト好きの彼のことだ、あの夢に多大な興味を示すだろう。彼なら予知夢とか悪夢とかに詳しいはずだ。それに水木も何かに憑かれているときには度々悪夢を見たり、金縛りにあったりするらしい。
彼らに話せばなにかアドバイスをくれるかもしれない。だが恒は話す気にはならなかった。たかが夢のことで二人を心配させたくない。別に体に異常はないし、ただあの少女の言葉が不自然に胸に引っかかっているだけなのだ。一体あの少女は誰なのだろうか。夢の中に出る人物は必ず自分の記憶の中の人物、つまり一度は会ったか、少なくとも見ているはず。恒はそれを思い出そうと頭を捻るが、一向に答えは出そうになかった。
「恒決まったか?あとお前だけだぞ?」
水木の言葉に急に現実に引き戻された。恒は慌ててメニューのページをぱらぱらとめくる。
「ごめんごめん、じゃあ僕はこのチーズハンバーグにしようかな」
「よし、すいませーん」
水木が店員を呼び、それぞれの注文を言う。その間に飯田が恒に話しかけてきた。
「池上君、大丈夫かい?何か悩み事があるような顔をしているが」
恒は見透かされていることに多少動揺しながらそれに答えた。
「大丈夫だよ。気にしないで」
「あんまり無理すんなよ。俺たちいつでも力になるぜ」
水木が参加してくる。恒はそれに「大丈夫」とだけ答えた。彼らが心配しているのは自分が一人で暮らしているからだろう。彼らのように頼る家族がいないからだ。恒はそう考えていた。
両親は幼いころ、交通事故で死んだ。恒はそう祖父母から聞かされていた。自分が一歳になるかならないかのときだったらしい。そのため両親の顔は写真でしか知らず、触れ合った記憶もほとんど残っていない。
しかし恒自身はあまりそれを苦にしてはいなかった。幼い頃はたまに寂しさを覚えたが、祖父母は彼に優しかったし、両親も自分にかなりの財産を残してくれていた。そのために祖父母が無くなった後でも、彼はバイトをしつつではあるが高校に通えているのだ。
「おまたせしました」
ウェイトレスが注文した料理を運んできて、三人の前の置いて行く。
「ごゆっくり」
水木は料理を前にして嬉しそうに言う。
「お、きたきた。恒遠慮するなよ、今日は俺たちのおごりだ」
「うん、ありがとう」
こうして友達もいる。自分の人生に一体どんな危険があるだろう。恒は一口ハンバーグを口に運んだ。
「おい、あいつ見たか?」
「ああ間違えねえ」
レストランの外、車道を挟んだ向こう側。二人の大男が恒たちの座るテーブルを窓を通して見ていた。一人は赤いジャンパーにジーパンで、顎髭を生やした男。年齢は見た目三十歳ほど。もう一人は濃い青いスーツにメガネの男。歳は二十代中頃ほど。
「やっちまうか?」
赤い方の男が首を鳴らしながら言った。
「いや、まだ近付けない。結界もあるし、それに人間が多すぎる。一人になるまで待とう。ほら奴が店を出るぞ」
青い方がメガネを上げながら言った。恒たちがレストランから出てくる。彼らはそれを見ると、一定の距離を保ちながら尾行を始めた。
「今日はおいしかったよ。ごちそうさま」
恒が水木と飯田に向かっていった。彼らはすでにバスに乗り、帰路に着いていた。
「なあに気にすんなって。でも俺たちの誕生日の時もたのむぜ」
「はは、わかったよ」
「またなにかおもしろいことがあれば連絡してくれたまえよ」
飯田が言った。彼は恒に何か不思議なことが起こったら時間を構わず携帯に連絡してくれ、と頼んでいた。連絡が来ればどんな方法でも行くらしい。ちなみに恒は携帯を持っていないため、連絡はもっぱら家の電話からとなる。
「分かってるよ。じゃあ僕らはここだから、またね」
「またな飯田」
「はい、また明日」
恒と水木は飯田に別れを告げ、同じバス停で降りた。
「じゃあな恒!」
「うんまた明日」
恒と水木はバス停からすぐのところで別れた。水木の家はこの近くの住宅街に、恒の家は人家の少ない山の方にある。山の向こうは赤く染まっている。もうすぐ黄昏だ。
一人で歩いていると、突然恒を激しい胸騒ぎが襲った。この急激な不安の正体が分からない。恒は一瞬夢のことを思い出した。どうして今日はこんなにもあの夢が気になるのだろう。いつもなら朝に見た夢など、起きた直後から思い出すのにも苦労するのに。
肩で息をしながら、恒はやっとのことで家の前まで辿り着いた。鍵を取り出し、ドアを開けようとする。その時だった。
「やっと一人になったか。我々を拒む力ももう無いようだな」
「まったく待ちくたびれたぜ」
低い男の声、恒は振り返った。そこにいるのは青いスーツの男と、赤いジャンパーの男。どちらもこちらを見ている。だが恒にはこの二人に見覚えは無かった。
「ええと、どちらさまでしょうか」
なるべく丁寧に、相手を刺激しないように言った。何故か直観的にこの二人は危険だと分かった。額を汗が流れる。動悸が激しくなる。
赤い男が馬鹿にしたように笑ったあと、青い方に話しかけた。
「俺たちが誰かだとよ。なあ青」
青い男もにやりと笑う。
「教えてやろう。ここには他に誰もいない」
窓から入ってくる夕焼けの赤い日差しが、美琴の顔を染めている。もうすぐ日が沈む。黄昏だ。
何かを感じて、少女の眼が開く。その黒い瞳に映るは、同じく漆黒の一本の刀。鍔がなく、鞘と柄がぴたりと嵌る合口の刀だ。
「結界が壊れた……、潮時ね」
少女は静かに手を伸ばしその刀を掴むと、ゆらりと立ち上がった。