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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一一話 霧の向こうから聞こえる
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二 元灯台守の小説家

 戸部とは、食事を終えてから店の前で別れた。戸部はこれから帰って家で小説を書かなければならないのだと言っていた。作家も大変なのだな、と呑気(のんき)に思う。

 朱音はぶらぶらと日暮町を歩いた。この町の名前ではないが、それこそ日暮までやることがない。

 日暮町は大きな町ではない。漁業を中心に発展した港町だ。海風に晒された町並みは昔から変わっていないようで、潮風で錆びついた看板だったり、市場や商店街の活気がまだまだ残っていたり、どこか昭和の雰囲気を残している。

 近代という時代は黄泉国(よもつくに)よりは新しく、人間界ではもう古いものだから、最近ではその空気を味わえることは少ない。何だか懐かしい気分になる。

 何となく目に入った書店に足を運ぶ。朱音は美琴ほど読書を好んでいるわけではないが、何か調べ物をするのなら訳のわからない電子機器よりは紙に情報が書かれた書物の方が好きだった。

 あまり人のいない本屋を静かに歩く。ふと、理科系の本のコーナーで足が止まった。その中から生物系の本が置かれている棚を探し出す。

「ありました」

 小声で言って、それを何冊か本を棚から引き出す。それらの表紙にはどれも、「恐竜」の二文字が書いてある。朱音はその中でも最も初心者向けだと思われる本を選んで、レジに持って行った。

「甥っ子に頼まれて」などと特に意味のない言い訳をしてから、紙袋を下げて外に出る。書店は商店街の中にあったため、結構人が歩いている。昔ながらの商店街といった感じで懐かしい。昭和のころは木久里町(きくりまち)にも似たような商店街があって、美琴や良介に頼まれて良く買い物に出たものだった。今では駅前の発展に伴って、姿を消してしまったけれど。

 その中にかなり異質な人たちがいた。皆カメラを持っていて、二十~四十代くらいの男性の集団、なにやら「ユーマ」という言葉をしきりに話しているのが聞こえた。

 ユーマというのは、未確認動物を指すあのUMAだろうか。人間界に迷い込んだ妖怪などがUMA扱いされ、大騒ぎされると、大抵の場合面倒なことになる。ただの噂であることを祈りながら、朱音はその場を後にした。




商店街を抜けて、海辺の公園を見つけ、そのベンチに座った。

「自分で本を買うなんて久しぶりですね」

 独り言を言いつつ、丁寧に紙袋を開けて本を取り出す。表紙に大きな肉食恐竜の描かれた本。タイトルはシンプルに『恐竜図鑑』と書いてある。

 恐竜そのものに興味がある訳ではないが、昼間の戸部との会話を思い出していたら、何だか読みたくなってしまった。朱音は最初のページを開き、恐竜に関する概要のようなものを読み始めた。

 この本によれば恐竜というのは基本的に陸地に生息していたものだけを差し、翼で空を飛んでいたものは翼竜、海に生息していたものは首長竜や魚竜と呼ぶようだ。見た目はあまり変わらないのに、と思いながらも、科学的に分類するためには必要なことなのか、とも思う。

 科学はあまり得意ではない。朱音が生まれた時代には自然科学なんて学ぶどころかきちんと発達さえしていなかったし、その後もわざわざ一から学ぶ機会もなかった。それに妖怪というのは今の一般的な科学では語れないものばかりだし。そう自分に言い訳しながら、初心者用であるはずの本を四苦八苦しながら読んで行く。

 恐竜が生息していた時代は中生代と呼ばれていて、それが三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の三時期に分かれるというのは分かった。さらにそれぞれで異なる恐竜が出てきたらしいが、基礎の知識がないのでどれが進化した恐竜でどれが進化前の恐竜なのか区別がつかない。

 とにかく、恐竜は二億年以上前、中生代の三畳紀に現れて、それから今度は二億年近く繁栄していたらしい。気が遠くなるような数字だ。妖怪や人間が現れたのは長くて数百万年前、本当に想像がつかない。地球にとっては、我々のような存在よりも恐竜たちの方が馴染み深い存在なのかもしれない。

 しかし、そんな恐竜たちが大絶滅する事件が起こった。隕石だったり火山だったり、伝染病だったり色々な説があるようだが、とにかく一斉に恐竜たちは地球上から姿を消した。

 これから逃れることができたのが、今異界で生き残っているという恐竜たちなのだろう。異界と人間界は境界のない場所では隔絶されているから、人間界で起こった事件の影響をあまり受けなかったのかもしれない。その時代だと人間界というのも変な話だけれど。

 彼らが絶滅したのは、六五五〇万年前だという。これもまた途方もない数字だ。億が万になったところで想像できないのは変わらないようだ。それにしても二億年も繁栄を誇っていた種族が、あっさりと絶滅させられるのだから恐ろしい。人間だの科学だの妖怪だの妖術だのと言っていても、結局自然にかかればどうすることもできないのだろう。

 何だかそう考えると自分がちっぽけな存在に思えてくるけれど、それはそれで何だか安心する。そんな圧倒的な力を持っているよりは物騒(ぶっそう)でなくてよい。

 概要の後の図鑑の部分には、たくさんの恐竜がイラスト付きで載せられていた。ティラノサウルスやトリケラトプス、ステゴサウルスなど朱音でも聞いたことのあるような名前から、体調二十五メートルもあったというブラキオサウルスや、子育てをしていたというマイアサウラなど、本当に姿も生態も違う恐竜たちが存在していたことを教えられた。




 朱音という()と別れて、日が傾き始めたころ、私は日暮灯台の下にいた。夕焼けが沈んでいく橙色の海原(うなばら)を眺めてから、灯台の中に入る。

 今日は久しぶりに他人と話した。ずっと家に(こも)って小説を書いているか、食事をするためだけに町に出るかのどちらかしかない生活だったから、新鮮だった。こんな老人と話してくれる人もまだいるのだな、と笑顔になりながら、ずっと昔に働いていた灯台の階段を上り、二階にあたる灯室に入った。

 ここは、光を出す機械類を置いている場所だ。ここから、灯台の外部を点検するために作られた踊り場である、回廊に出られる。

 今の日本にはもう、有人の灯台はない。現在はもう船舶の位置はGPSで分かってしまう。人が海を見守るよりずっと、その方が安全なのだろう。

 昔この日暮灯台の近くに併設されていて、ここで灯台守していたころに住んでいた官舎も、取り壊されてしまった。

 私は回廊の鉄柵に掴まって、赤い太陽が沈み行く海を見守る。もうすぐ、あの海の向こうから友人がやって来る。




 意外と夢中になって読んでしまって、本を閉じたときには辺りは夕闇に包まれていた。妖怪であるためにあまり暗さは気にならないせいで気がつかなかった。

 本を紙袋に戻して、ベンチから立ち上がる。

「お仕事の時間ですね」

 誰も近くにいないと独り言を言うしかない。そう思いつつ朱音は日暮岬への道を急いだ。まだ妖気も霊気も感じないけれど、何かあったら美琴に申し訳が立たない。




 月がはっきりと空に見えるころになってから、朱音は日暮岬に辿り着いた。異変は特にない。安堵しながら、朱音は灯台の側まで行ってそれに寄り掛かった。

 夜の海は昼の海とはまた違う表情を見せる。今日の月は下限の月。弦を下にして沈んでいく月を眺めながら、一息つく。海は昼間と違い、夜空を映して一面黒い色に変っていて、その中で月の白い光が反射し、波に拡散して輝いている。

 平和な光景だ。これから一体、どんなことが起こるのだろうか。何か異変があるのは確かなのだろうけど、あまり大きなものではないのだろう。そう思っていたら、上の方から声が聞こえてきた。

「柳谷さん、何やってるんです?」

 戸部の声だった。上を見ると、灯台の踊り場からこちらを見下ろしている老人の姿があった。

「今下に降ります」

 戸部はそう言って、一度姿を消した。そして二分ほど経ってから、灯台の中から出てきた。

「女性がこんな時間に一人でいたら危ないですよ」

 朱音は苦笑して、「すいません」と謝る。だけど、すぐにひとつ疑問が浮かぶ。

「でも戸部さんこそどうしてここに?」

 老人だってこんなところにいたら危ないはずだ。それに、この人は作家なのだから、わざわざこんなところで仕事をするとも思えない。

「私は……」

 戸部は答えることを躊躇(ためら)っているようだった。どうやら、ただ昔の灯台の仕事が懐かしくてやって来たという訳ではないらしい。

「柳谷さん、私がこれから話すことを誰にも話さないと誓ってくれますか?」

 用心深く、戸部はそう言った。初めて穏やかでない、真剣な戸部の表情を見た。

「ええと、はい、約束します」

 朱音が言うと、戸部は再び和やかに笑って、頷いた。そして、月の輝く海の方に顔を向けて、言う。

「この季節になるとね、私の友人が海の向こうからやって来るんです」

「友人、ですか?」

 海外の人だろうか。そう尋ねると、戸部は静かに首を横に振った。

「正確には、人ではないんですがね。この季節になると、あの月が夜空の真上まで昇ったころ、海が霧に包まれることがある。友人は、その霧と一緒にやって来るんですよ」

 戸部は目を細めて、海原の向こうを見る。

「彼は、ずっとこの灯台で働いていた灯台守たちに伝えられてきた伝説だった。私はその伝説を受け継ぐ最後の灯台守になった」

 戸部はしみじみとした調子で言って、懐かしそうに微笑した。

「その友人というのは一体……?」

「恐竜、なんですよ」

 朱音の問いに、戸部はそう答えた。

「恐竜?」

「そう。何十年もの間語り継がれてきた伝説です。私も最初は信じていなかった。この目で見るまではね。だけど、恐竜は本当に存在したんですよ」

 戸部は目を輝かせて言う。

「普段はどこに住んでいるのかは分からない。でも、この夏の数日の間の真夜中にだけ、彼は現れるんです。どうしてだと思いますか?」

 朱音は尋ねられ、首を傾げる。恐竜がいる可能性は否定できない。それがここで起きている異変の正体だということは十分考えられる。だけど、この岬に現れる理由は、分からなかった。

「あそこに、小さな建物があるでしょう?」

 戸部が指さす先には、灯台に併設された白い建物があった。長方形で、戸部の言うように大きなものではない。

「あれは霧信号所と言ってね、霧笛(むてき)を鳴らす施設なんです。今はもう使われなくなったが、昔は音によって、海にいる船たちに場所を知らせていたんですよ。特に、霧がかかって視界が悪い日などにはね」

「そうなんですか」

「うん。そして先程話した恐竜はね、どうもその霧笛に誘われて、この岬にやってくるようでした」

「霧笛に?」

 戸部は頷いて、夜空に息を吐いた。

「その恐竜の声は、霧笛にそっくりなんですよ。岬にやって来る恐竜はいつもたった一匹。きっと彼は、霧笛にかつての仲間の面影を感じて、やって来るのだと思う」

 朱音は海を見た。あの向こうから、恐竜がやって来る。それをずっと昔から知っていた人間がいる。何だか不思議な感じがした。

 


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