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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第 一 話 死神の少女
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一 蝶の夢

 夜の暗闇、浮かぶ月。

 銀色の羽の蝶が月光の下を舞い、零れる鱗粉が闇夜に輝き、そして消える。

 蝶は静かに夜空を下ると、一人の少女の肩に止まった。少女の紫色の瞳が何かを捉える。


第一話「死神の少女」


 少年は少女を見た。

 満月が映える夜空の下、余り大きくはない神社の前。銀色の蝶があたりを舞うその神社の屋根の上に、その少女は立っていた。

 紫の生地に銀色の蝶の刺繍(ししゅう)をあしらった和服を(まと)い、夜風に(なび)く黒い髪は腰の下辺りまで伸びている。年齢は見た目一七、八歳ほど。作られた人形のように端正な顔立ちだが、少年に向けられた眼は突き放すような冷たさとある種の妖しさを湛えている。そして何よりも特徴的な紫色に光る瞳は、真っ直ぐと少年を見下ろしていた。

 少年の名は池上恒(いけがみこう)。彼は自分でも自分でも気付かない内にここにいた。この神社に至るまでの記憶は全くない。

 そして、この神社にもその上の少女にも見覚えはない。

 だが恒は紫の瞳の視線に射抜かれた様に、立っている場所から動けずにいた。まるで脳が筋肉を操る方法を忘れてしまったかの樣に身体(からだ)を動かそうという意志が働かなかった。視点は少女の方に固定され、その紫の瞳を見つめ返している。全てを見透かす樣に透き通った瞳。恒は何か言葉を発しようとしたが、息が吐き出されるだけで音が出ない。立ったまま金縛りにあっているようだ。

 そうしていると、今度は少女が口を開いた。そこからは確かに音が出ている。恒は耳を傾ける。

「あなたに危険が迫っているわ。気を付けて」

 静かな声でそう言い終わると、少女は闇に溶けるようにして消えた。その瞬間に目の前の世界が歪んだ。恒は何もできず、そこに立ち尽くすまま、歪みの中に取り込まれた。




 恒が目覚めたのは自宅のベッドの上だった。脇の窓のカーテンの隙間から差し込んだ光に目を細める。

「……夢?」

 一人呟く。それにしても不思議な夢だった。満月に神社、そして死神と名乗る少女。夢の内容全てを鮮明に覚えている。彼は何故か幼い頃から霊感が強く様々な不気味な経験をしてきたが、この樣な体験は初めてだった。確か、自分に危機が迫っていると言っていた。心当たりは無いが、そのまま忘れてしまうことは簡単には出来なかった。彼女の声は妙な懐かしさがあった。いつか、記憶はないけれど、どこかで聞いた気がする。しばらく考えていたが、結局思い出せなかった。

 恒はベッドから体を起こすと、近くの時計を見た。午前六時二十分。いつも起きる時間よりいくらか早いが、もう眠れそうもない。彼は起き上がるといつもより早い登校の準備を始めた。




 今住んでいる家は元々祖父母の家だ。ずっと三人で住んでいたのだが、二年前祖父が、そして去年祖母が相次いで亡くなった。母と父は彼が物心ついたときには亡くなっており、頼れる親戚もいないため、この東京の端、木久里町(きくりちょう)にある一軒家は恒に残され、独りで住むこととなった。今年高校へ入学し、祖父母や父母が残してくれた財産とアルバイトでなんとか生活している。

 鏡の前で四方八方に飛び跳ねる癖毛と格闘し、いつも通り諦めたあと、食パンをトースターで焼いてマーガリンを塗り、砂糖を多めに入れたコーヒーとともに軽めの朝食を取る。

 今朝の夢が気になり、何かニュースでもあるだろうかとテレビの電源を入れる。だが特に危険なニュースは無く、芸能人のスキャンダルだとか政治家の汚職だのが流れている。

 やはりただの夢に過ぎないのだろうか。少し心に引っかかるような感じがするが、気にしないように努めつつ恒は高校へ行くためのバッグを持った。




 少女は(まぶた)を抑え、溜息をついた。六畳ほどの部屋の中、畳の上に正座していた少女はゆっくりとした動作で立ち上がり、纏った黒い和服の(しわ)を伸ばす。歩き出すと、腰の下まで伸びた黒髪が微かに揺れた。

「これだけじゃ駄目よね」

 一人言を呟いて、少女は部屋の襖戸(ふすまど)に手をかける。木の廊下を渡り、階段を下りる。

 十五年前にある少年に掛けた結界が、限界を迎えようとしている。このままだとあの少年の命が危険だ。やはり、今日あたりに動き出すべきだろう。

 この世界には人の世とは異なる世界があり、そして人とは異なるものたちが暮らしている。彼らは基本的に人の領分を侵さない。それが形のない掟となっているから。

 しかし、それを守らぬものたちもいる。そして彼らの中には人の世において罪を犯すものも多い。

 少女は口元に手を当て、考える。黒く濡れた瞳は一点を見つめている。

 あの結界がある限り私は彼に近付き過ぎることはできない。かといって、無理矢理結界を破ればあの少年の体に害が及ぶ可能性が高い。それがあの強力な結界の欠点だ。彼を守るためにはそれが必要だった。

 自然に壊れるのを待つのが一番なのだが、敵ももうすぐ結界が弱まっていることに気付いているだろう。妖気が薄いものなら、かなりの距離まであの少年に近付ける。結界がある限り手は出せないだろうが、恐らく放っておけば結界が壊れた瞬間にあの少年は襲われる。

 それを見過ごすことはできない。

「良介、朱音」

 階段を下り、部屋に入った少女が呼ぶと、男と女が一人ずつ彼女の前に現れた。男の方が口を開く。

「何でしょう美琴様」

「恐らく今日の内に結界が壊れる。もう鬼たちも動き出しているでしょうから、頼むわ。町に現れる鬼たちを頼むわ」

「了解しました。でも恒さんは?」

 女の方が答えた。

「彼のところには私が向かう。小町にも連絡するように言ってあるから。二人とも、気をつけて」

 美琴と呼ばれた少女は、そう二人に告げた。




「よう恒!」

 バス停でバスを待っていると、恒は後ろから声を掛けられた。振り返ると中学校以来の友人、水木国男(みずきくにお)がこちらに歩いて来るところだった。

「おはよう水木」

「今日はいつもより早いな」

「お互いにね」

 他愛の無い会話をしながらバスが来るのを待つ。

 水木は顔や性格は悪くないのだが、自分で認めるほど何かに憑かれやすい体質で、いつも周りの者に気味悪がられ、孤立しがちだった。常に彼の周りではトラブルが起きる。そんな風に見られていたようだ。彼自身が何かした訳でもないにも関わらず。

 だが中学で恒と出会い、変わった。水木本人は霊感を持っていないのだが、霊感の強い恒とは同じような悩みを共有できるようになり、二人は友人となった。

 普通の人間は霊や妖怪など信じない。いや、恒や水木の二人でさえまだ半信半疑な部分もある。だが二人の共通の友人は、そういった意味では普通ではなかった。

「やあやあお二人共お揃いで」

 バスに乗ってすぐ特徴的な喋りが聞こえ、二人はその主人を見つけた。

 分厚い眼鏡越しに恒と水木を見返すのは飯田信夫(いいだのぶお)。オカルトマニアで、二人の体質に興味を持って付きまとっているうちにいつの間にか仲良くなった。

 三人は中学校からの友達で、同じ高校に入った。祖父母が亡くなった時に一番恒の力になってくれたのも水木と飯田だ。

「よう飯田、今日も何かいいネタ仕入れたか?」

「聞いてくれるかね、最近この付近で妖怪を見たって人間が大量に発生しているのだよ」

 水木に尋ねられて飯田が目を輝かせて答える。

 が、彼の情報は証明された試しが無い。そもそも彼には霊感が全く無いのだ。

「妖怪?」

「そうだよ池上君!妖怪だ!これが正しいのならば僕の今までの研究は正しいと証明される!」

 飯田に熱弁されて、恒は苦笑いを向ける。霊はいくらでも見たことがあるのだが、妖怪と呼ばれるものは全くない。そのため恒は曖昧に頷いた。

「で、その妖怪って?」

 いつものことなので多少興味のあるふりをして、水木が飯田に尋ねる。

「目撃者からの情報をまとめるとその妖怪は四、五メートルの大きさで頭部には一本または二本のつの、棍棒のようなものを持っていたとの証言もある。ここからある妖怪が浮かび上がる。そうだろう池上君?」

「え、いや……」

 突然話を振られ、恒はしどろもどろに答える。霊感があるといってもそういうことに特に詳しい訳ではない。話す言葉が見つからないでいると、飯田は鼻を鳴らした。

「全く勉強不足だねぇ。これは特徴から見て鬼だよ、鬼。日本で最も有名な妖怪の一つじゃないか」

 飯田が呆れたように言う。そこに水木が発言する。

「でもなんで情報が分かれてるんだ?変身でもするのか?」

「いい質問だ水木君。確かに一体の鬼が変化している可能性もある。だが僕が考えるにこれは複数の鬼がいると考えるのが自然ではないかい?確かに複数を一度に見た者はいないが、そう考えるのが一番理にかなっている」

「鬼ねぇ……そういえば最近起こってる連続通り魔事件に関係あるのかね」

 飯田の眼鏡がきらりと光る。

「鋭いね水木君!実はその通りなのだよ!」

「え、なんか当たっちまった……」

 水木は困惑した表情で恒の方を見る。恒は苦笑いを彼に返すしかない。水木にしてみれば話題を逸らしたつもりだったのに、逆に飯田を焚きつける結果になったらしい。

「鬼が目撃された場所と通り魔事件が発生しているエリアは照らし合わせるとほぼ一致している。心臓をえぐり出されて殺されるという残虐性からみても関連性は高いと言えよう」

 まるで人間の胸を心臓ごと抉り取ったような跡を残し、殺す。それが最近ここ木久里町で起きている通り魔事件だ。主に夕方から夜にかけて人気(ひとけ)のない時間帯が狙われ、すでに十人以上の被害者が出ている。被害者は全て路地裏に連れ込まれて殺されており、その現場を目撃した者はいない。警察も総力を挙げて捜査しているようだが、明確な犯人像はいまだ判明してはいなかった。ここ数日で夜間に出歩く者はめっきり減り、外出しても二人以上で歩くものがほとんどだった。

 そんなことを思い出していた恒は、ブレーキを掛けたバスに一瞬体のバランスを崩しそうになり、何とか踏みとどまった。そして慌ててバス停の名前を確認し、言う。

「あ、着いたみたいだよ」




 三人はバスを降りてバス停のすぐ先にある学校へと向かった。木久里高校、ここ木久里町にある唯一の公立高校で、それなりの伝統を誇る学校である。少子化の影響で生徒数は減ってきてはいるが、まだまだ廃校の心配はないらしい。

 三人は教室前の廊下で二手に分かれた。恒と水木は同じ一年D組、飯田は一年A組へ向かう。

廊下を歩きながら水木が口を開く。

「ほんとあいつオタクだよな~」

「すごい情報収集能力だよね」

「池上は本当に妖怪なんていると思うか?」

「さあ、見たこと無いからなんとも言えない」

「ふ~ん、霊は見えるのに妖怪は見えない、か。やっぱいないんかね~」

「でも霊はいるんだから可能性は捨てきれないんじゃない?」

「まあお俺は霊だけでもこりごりだけどな~。今日の俺憑いてない?」

 水木が笑いながら恒に尋ねると、恒は首を曲げて水木の背中の方をちらりと見た。彼の場合たまに本当に憑いているから洒落にならない。この前は動物霊に憑かれて大変なことになった。だが、今日は何も特別なものは見えない。どうやら霊はいないようだ。

「大丈夫みたいだね」

「そりゃなにより。ところで今日の一時間目なんだっけ?」

「たしか数学だったはず」

「まじかよ?俺あの先生苦手なんだよな~」

 他愛のない話をしていると教室の前にたどり着いた。恒が扉を開ける。

 一クラス四十人弱だが、それにしては多少狭いように感じる教室。まだ生徒は半分ほどしか来てはいないようだ。

 窓際の席に座ると、日差しが窓から入ってきて恒の顔を照らした。

 恒は肘を机に付き、窓の外を見た。何故か今朝の夢が気になる。妙に内容を覚えているからだろうか。

「どうした恒?思いつめたような顔して」

「え? いや何でもないよ」

 いつの間にか席の近くにいた水木に話しかけられ、慌てて返事をする。変な夢を見てそれが気になってる。自分に危険が迫っている。などと相談する気にはなれなかった。




 木久里町の繁華街。そのどこかの路地裏。薄暗く、ゴミなどで汚れたこんな場所に、昼間から居座るものなど普通はいない。まして殺人事件が多発しているこんなときならば。

 だが今は二つの人影がそこにあった。緑の着流しを着た老人と、黄色の着流しを着た若者。若者は町の方に背を向ける格好で地面にしゃがみ込み、老人はそれを見下ろしている。

「まだ終わらぬのか」

 緑の方が苛立った声で話し掛けるが、若い方も怒気を滲ませた声で答える。

「うるせーな、飯ぐらいゆっくり食わせろや」

 振り向いた黄色の口から赤い液体が垂れる。彼の握っているものを見る限りその血は彼自身のものでは無いらしい。

 黄色は右手に持った、桃色と赤色が混ざったような色の物体をまた一口齧った。それは食い千切られたことで半分ほどの大きさになった、人間の心臓。既に鼓動を諦めたそれは男の手に弄ばれ、そして黄色の傍らには元々その心臓の主であったと思われる女性の亡骸が転がっている。その胸には、中身を抜かれた直径十センチほどの穴が開いていた。

「生き胆も良いが、我らの仕事を忘れるな」

 緑の男が不機嫌そうにそう言った。黄色の方はへらへらと笑いながらそれに答える。

「わーってるよじいさん。この辺にいるんだろ?あいつは」

「ああ。わずかな妖気でも見逃してはならぬぞ」

「わーったわーった。ん?」

 相槌をうちながら立ち上がり、繁華街の方に振り返った。その顔に怪訝そうな表情が浮かぶ。

「やれやれ、白昼から堂々と……」

 二人のものとは違う男の声。その主はいつの間にか路地裏の入り口に立ち、老人と若者を見ていた。その声の主の隣にもう一人髪の長い女が居る。

「なんだてめーらは?」

 黄色の方が凄み、低い野獣のような声が響く。だが彼らを見つめる男と女に怯む様子はない。女の方が転がった人間の死体を一瞥し、それから二人の男に嫌悪の混じった冷ややかな視線を向けた。

「相変わらず下劣な(あやかし)ですね。さっさと始末して差し上げましょう」

「貴様ら、伊耶那美(いざなみ)の使いか」

 緑が指を鳴らしながら突然現れた相手を睨みつける。それを見て、男の方は不敵な笑みを見せた。

「さあ、始めようか」



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