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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第 九 話 正義の資格
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一 正義の味方

 木久里駅前の百貨店、十代半ばの容姿をした少年が壁に並んだキーホールダーを眺めている。一つを手に取り、少年を小さく笑みを浮かべる。(いたち)の姿をした可愛らしいそのキャラクターの代金を払い、少年は店を出る。

 紙袋に入れられたそれを大事そうにポケットに入れ、歩き出す少年の後ろ姿。その後を付けるように動き出す黒い影がある。


第九話「正義の資格」


 少年、吉孝(よしたか)は人間ではなかった。黄泉国(よもつくに)の住人であり、滅多に異界の外に出たことはない。当然人間界に知り合いなどいるはずはなかった。そのため、声を掛けられた時にはひどく驚いた。

「ちょっといいかな」

 そう吉孝の肩を叩いた男は二十代の半ばほどの年齢で、整った容姿をしていた。細い体を白で統一した服で包み、形の良い目は穏やかな微笑みを浮かべている。

「何でしょうか?」

 少し警戒しながら吉孝は言った。人間界で自分が妖怪であることがばれると大変だと聞いている。今日の外出も姉に頼みこんでやっと許されたのだ。もしばれたとしたら、もうしばらくの間は人間界には出してもらえないかもしれない。

「怖がらなくていいよ」

 そう男は言うと、吉孝の耳元に頭を近付けた。

「僕は伏見(ふしみ)、妖怪だ」

 それを聞いて、吉孝はほっと胸を撫でおろした。人間界に仲間がいるのは心強い。それに、その穏やかな表情からはこの人は悪人では無さそうだと思った。

「君は人間界にはあまり慣れてなさそうだね。僕が案内してあげようか?」

「良いんですか?」

「ああ、もちろんだ。僕もこんなところで同族に会えてうれしいんだ」

 そう言って、伏見と名乗った青年は笑った。吉孝も笑い返す。この短い間に吉孝はすっかりこの男を信用してしまっていた。

「さあ付いて来てくれ、おすすめの場所があるんだ」

 伏見が歩き出す。吉孝もそれに疑いも無く付いて行く。




「馬鹿な奴だ」

 ビルの地下駐車場、伏見がぼろぼろになって倒れた妖怪を見つめている。地下の片隅に転がされたその体は傷だらけで、来ている服の大部分が血を吸っていた。少しずつ呼吸量も減って来ている。

 伏見は吉孝をこの駐車場に連れ込んで、騙したまま背後から襲ったのだ。伏見はその血だらけの体を蹴り上げて仰向けにし、ふんと鼻を鳴らした。

 こんなに簡単に騙されるとは思わなかった。自分は妖怪などではないし、ましてこんな獣の仲間でもない。この木久里町は巨大な異界と繋がっていると聞く。そのためもっと手こずるかと予想していたが、そうでもなさそうだ。

「妖怪がこんなもん持ちやがって」

 伏見は吉孝の手に握られていたキーホルダーをむしり取った。そのまま振り返りもせず、駐車場を後にした。




 午後三時頃、銀髪の少女はビルに背中を預けて、人々が行き交う通りを見ていた。特にそれが楽しい訳ではないが、やることがない。皆忙しそうだな、などと思っていた時、一人の人間がこちらに歩いてくるのに気がついた。

 小町は怪訝(けげん)な顔をして、近付いて来る人間を見る。

 目の前に現れた男からは、奇妙な匂いがした。無理矢理妖気に似た匂いを作り出し、それを垂れ流しているような人工的な匂いだ。

 全身を白い服で包んだその男で、手には小さなキーホルダーを持っている。最近人気のキャラクター、確か名前は「イタチー」だっただろうか。鼬をモデルにしたキャラクターとしては安易な名前だったので、覚えていた。

「ちょっといいですか」

 その男は、にこやかな笑顔で小町に近付いて来た。胡散臭(うさんくさ)い顔だ、そう思ったが、それをなるべく顔に出さないようにして対応した。

「なんでしょう?」

 男は手に持ったキーホルダーを見せて、小町に尋ねる。

「妹に頼まれて、このキャラクターのグッズを買いに来たんですけど、名前が分からなくて、もし知っていたら、教えてくれませんか?」

 変なことを聞くものだと思いながらも、別に断る理由はなかった。だけど、男が自分のことを探るような目で見ていることは気になった。

「イタチーだったと思いますけど」

「そうですか。ありがとうございます」

 男はそう言って、すぐに去って行った。変な人だ。そう思いながらも、銀髪の少女はあまりそれを気にしなかった。

 今日の小町は上機嫌だった。久しぶりに恒が自分を誘ってくれたからだ。中学に入ったころから照れなのか恒は小町と外出することにあまり積極的にならなくなった。先日美琴に連れられてどこか行ったというから、もしかしたらそのときに彼女が何か言ってくれたのかもしれない。あの人は意外と世話焼きな部分がある。それもまた、慕われる理由なのだろうけど。

 とにかく、昔のように一緒に恒が行動してくれるようになったのは嬉しいことだ。小さなころはずっと自分の後ろにくっついていたことを小町は思い出す。まるで本当の姉のように慕ってくれていた。さすがに今そうしろとは言わないが、離れようとされるのは寂しい。たまにこうやって二人で色々と話ができれば良いのだけれど、やはり思春期の男の子とは難しいものなのだろうか。

 恒が歩いて来るのが見えた。両手にはアイスクリームを一つずつ持っている。

「小町さん買ってきたよ」

「あら、ありがと」

 恒から抹茶味のアイスを受け取る。暑い日にはやはりこれだ。

「小町さん、美琴様に頼まれた本ってなんだっけ」

 恒はバニラ味のアイスを食べながらそう言った。

「確か……、佐伯圭二(さえきけいじ)って人の『夕焼けの塔』やね」

 小町は携帯電話のメモ機能を表示させながら答えた。美琴は外出をあまり好まないため、こうしてお使いを頼まれることがたまにある。いつも世話になっているから、これくらいはお安い御用だ。ただもう少し外に出た方がいいとは思う。

「そういえば恒ちゃん、さっき変な人に話しかけられたわ」

 アイスを一口かじってから恒にそう言った。

「どんな人?」

「何か白尽くめの服を着てて、いきなり話しかけてきたのに、やっぱり人違いでしたって」

「ふ~ん。ナンパか何かじゃないの?」

「そうなんかねえ、私が変な人にナンパされてたら恒ちゃん助けてくれる?」

「そりゃあ、できる限り助けるようにはするよ」

 そんな下らない会話をしながら、恒と二人駅前をぶらぶらと歩き、本屋によってから帰路に着く。目的もお金もないけれど、ただうろうろとするのも楽しいものだ。黄泉国とは違う鉄とコンクリートの建物たちに最初は戸惑ったものだったが、今では馴染み深い。

「そういえばさ、妖怪のひとたちってこういう風に人間の世界に良く出てくるものなの?」

 恒の問いに、小町は顎に指を当てて答える。

「そうやねえ。最近はあんまり多くないみたやね。美琴様や朱音はんみたいに元から姿が人間と変わらなかったり、私みたいに人間の姿に変化することできるっていう前提がまず必要やしねえ」

 本当はもっと複雑な歴史があるらしいが、そんな昔に小町は生まれていなかった。どうせ今の世の中で妖怪なんて現れたら、捕まえて見世物にされるか、殺されるかのどちらかだ。人間界で生きる術は、人間になりきるしかない。それを説明すると、恒は少し心配そうな顔で言った。

「小町さんは危なくないの?」

「私は大丈夫よ~。狐や狸は元々変化が得意な妖怪やからね。普通の人に見つかったりはせえへんよ。でも心配してくれてありがとね」

 私を心配するより、まず自分を心配するべきなのに、小町はそう思いながら恒を見る。妖怪なのは半分だけで、今までずっと人間界で暮らしていたとはいえ、黄泉国で暮らすようになってからは発する妖気も濃くなってきている。そろそろ妖力の使い方を教えなければならないかもしれない。

 十分も歩いていると、ほとんど人気はなくなってきた。黄泉国に入るための境界は山の中にある。一応道は整備されているが、麓にはバス亭があるくらいで他はコンビニもスーパーもないので、人が訪れることは少ない。精々近くに民家が数件あるくらいだ。




「あらお帰りなさい」

 屋敷に入ると、美琴が出迎えてくれた。

「お邪魔します」

 小町は言って、石畳の玄関を上がり、木でできた廊下に上がる。この家の匂いはまったりとしていて優しい。匂いの刺激が強い人の世界から帰って来ると改めてそう思う。頼まれていた本を渡すと、美琴は「ありがと」と笑顔で受け取った。

「小町、晩御飯食べて行くでしょ?」

「いいどすか?ならお言葉に甘えて」

「今日は良介いないから私が作るけどね。いつもと違う味だけど我慢してね」

 この家ではいつも良介が料理を担当している。理由は簡単で、一番上手だからだ。だから基本的にこの家で晩御飯をごちそうになる時は良介の料理だった。かといって、美琴の作る料理も決して下手ではない。しかし基本的には作らないから、最後に食べさせてもらったのは何年も前だ。

「美琴様のお料理どすか。久ぶりやなあ」

「今から作るから、待っててね」

 そう言い残し、美琴は居間から出て行く。この屋敷に世話になるようになってからどれくらい経ったろう。一人で暮らしている小町にとっては、たまにこうしてこの屋敷で過ごす時間が楽しみだった。一人暮らしも気が楽でいいけれど。

「美琴様ってお母さんみたいな感じよね」

 テレビを点け、チャンネルを回しながら恒に言う。いつも見ている番組を探すが、今日は野球中継でやっていないようだ。「東京フォレスツ対狩野フォックス」とテロップにはあるが、どちらがどちらのチームなのかもわからない。

「うん、何か側にいると安心する」

 野球中継を見ながら恒が答える。そういえば昔、恒はフォレスツが好きだと言っていたような気がする。茶色と深緑(ふかみどり)のユニフォーム、どっちがフォレスツのものなのか分からないが、名前的に深緑の方だろうか。

「そうやねえ、まあ私たちよりずっと長生きしてるんだから当たり前なのかもねえ」

 そう言って、小町はひとつあくびをした。




 美琴が作った料理は、甘辛く焼いた豚バラ肉とキャベツの千切り、漬物にに油揚げの味噌汁というものだった。

「簡単なものでごめんね」

 美琴はそう言いながら卓袱台の前に座った。

「そんなことありまへんよ。私は誰かにごはん作ってもらえるだけで嬉しいどす」

 小町は言って、自分の前にある料理を見た。丁度良く焦げた醤油や、暖かな味噌汁の良い匂いがする。普段は一人で料理して食べているからこそ、こんな風に誰かに食事を作ってもらうありがたさが身に染みる。

「いただきます」

 三人でそう言って、夕ご飯を食べ始める。こういうことをする機会もあまりない。湯気の立つ味噌汁を一口飲んで、味わう。普段は面倒臭くて味噌汁なんて滅多に作らないからか、とても懐かしい味のような気がした。

 小町は何年も昔、まだ故郷である夢桜京で暮らしていた頃を思い出す。あの頃は、父や母と一緒にこうして食事をしていた。

「何か、こうしてるとあっちで暮らしていた頃のこと思い出します」

 小町がそうぽつりと漏らすと、美琴が反応した。

夢桜京(むおうきょう)?しばらく帰ってないわよね。たまには里帰りしたら?」

「そうどすねえ、でも帰ってやることも別にないんどすよね」

「別に目的が無くたっていいじゃない。家族の顔を見るだでも十分よ」

 それもそうなのだろう。今度時間を見つけて帰ってみようか、なんて思いながらご飯を口の運ぶ。

「恒ちゃんも私の故郷行ってみたい?」

「行ってみたいと言えば行ってみたいけど」

 恒は満更でもなさそうに答える。恒はここ以外の妖怪の国を知らない。色々と見てみたいものもあるのだろう。自分の家族に恒を紹介したい気持ちもある。特に、同じ半妖怪である兄とは話をさせてあげたい。

「美琴様も、しばらく姉様と会ってへんのでしょう?一緒に行きまへん?」

「そうねえ、みすずとも久しぶりに会いたい気はするけれど、私はあまりここを離れる訳にはいかないのよね。でもまあ、二人が行きたいというのなら一週間ぐらい時間は作るわよ」

 美琴はそう言って微笑んだ。一人でも帰れない訳ではないが、やはり美琴がいてくれると心強かった。黄泉国から夢桜京まではかなり距離がある。人間界を通って行けば関東から近畿への距離となるが、異界同士の距離は人間界とはまた違う。

 それに恒はまだ鬼族の生き残りに狙われている可能性もある。美琴もそれを案じているのだろう。何にしろ、久しぶりの里帰りが楽しみになって来た。




 夕食を終えた後は三人で何となくまったりとした時間を過ごしていた。テレビを点けると懐かしのヒーロー特集のようなものがやっていた。巨大怪獣と戦う巨大ヒーローだったり、怪人と戦う等身大のヒーローだったりが次々と映っては、消えて行く。

 小町は恒がまだ小さかったころ、よく一緒にこんな番組を見たことを思い出した。

「懐かしいね恒ちゃん」

「うん、子供の頃良く見てたよ」

「男の子ってみんなこういうのが好きなんやろか」

「さあ、僕は好きだったけど、全員が全員って訳ではないんじゃない?」

 熱いお茶を飲みながらそんな話をする。テレビ画面は戦隊もののヒーローに変わっている。

「昔から不思議なのだけれど、こういう番組ってどうして正義のヒーローっていうのかしら」

 一緒にテレビを見ていた美琴がそう言った。

「どういうことですか?」

 恒が尋ねると、美琴は「番組の内容に文句を言っているわけではないのだけれど」と前置きしてから、答える。

「最近だと、悪の対義語として正義という言葉が使われるでしょう?でも、悪の対義語は善で、正義の対義語は不義とか不正なのよ。似てはいるけど違う言葉なの。それにどれも哲学の分野の言葉だから、そんな難しい言葉を混ぜて使うのは子供には分かりにくいんじゃないかって昔から思ってたのよ」

「美琴様は博識どすなあ。じゃあ、善と正義の違いってなんなんでしょ」

「長く生きてると必要ない知識も入ってくるものなのよ。違いといっても、ほとんど混同されて使われているから、明確な違いというのは言いにくいんだけど」

 美琴は考えをまとめるためか、数秒の間口を閉じてから、話し出した。

「善って言うのは元々は宗教的な概念なの。例えばゾロアスター教は善悪二元論を取っていて、キリスト教やイスラム教にも影響を与えているわ。哲学では倫理学といって、善とは何かを探求する学問もあるの。そして正義というのは、古くは古代ギリシャからある概念でね、社会だったり宗教だったり、色々なものに関わってくる概念なの。ただその分提唱する人だったり時代によって色々な正義論があってね、絶対的に正義と言えるものはないのよ。まあ私の考えだから必ずしも正しいとは限らないけれど」

 美琴はひとつ息を吐いてから、結論を口にした。

「善と正義とは必ずしも対立する概念ではないし、共通する部分もあるだろうけど、学問的には別々に考えて、別々に結論を出していくものだから、同じものではないわね。まあどちらもこれが正解っていう結論はないのだけれど。ただ共通して言えることは、善も正義も、たくさんの人々の中で生まれたものだということ。決して独り善がりのものになってはいけない言葉だということね」

 美琴はそう言って、茶を啜った。かなり噛み砕いて説明してくれたのだろう、小町にも何となく分かった。今使われている正義という意味と、元来の正義の意味は大分異なっているようだ。

「何となくわかりました。結構複雑なんどすなぁ」

 小町が言うと、美琴は頷いた。

「そうね。まあ、私も野暮なこと言っているというのは分かってるのよ。それに正義の味方は嫌いじゃないわ。物語の中くらい、絶対的な希望となれる誰かがいたっていいものね」



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