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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第 七 話 死神のつくり方
27/206

一 二人の死神

 少年は遥か下に広がる固いアスファルトの地面を見下ろした。夜中であるため、眼下にはほとんど人の姿はない。ただ、暗い空間がどこまでも広がっているように見える。

 少年は深く息を吸って、そして吐いた。これから自分がやろうとしていることを想像し、身震いする。しかし、もう他に道はなかった。

 少年は目を瞑った。これまでの日々を頭に思い描いてから、そっと足を夜に踏み出した。


第七話 「死神のつくり方」


 木九里(きくり)駅前を二人の男子高校生が歩いている。

「あ~面倒くせえ」

 そう言いながら水木は溜息をついた。そのうなだれた友人を見て、恒は苦笑する。

「塾かあ、大変だね」

「そりゃあ俺が中間であんな点数取ったのが悪いんだけどさ、勝手に入る場所決めるのはひでえよな」

 言いながら水木は後頭部を掻いた。

 彼は成績不振により、ついこの前あった高校の中間テストにおいてある程度の点数を取らなければ、塾に行かされることになっていたらしい。しかし結果はいつも通り散々だったため、こうして彼は晴れて塾へ向かって歩いている。恒は駅前で買い物をするついでに水木の愚痴に付き合っているところだった。

「ちゃんと勉強しておけばよかったのに」

「いやあ、なんかテスト前になると諦めがつくっていうか、何とかなるって思っちゃうんだよな。何とかなってたらこんなとこ歩いてねえけど」

 そう不満げに言う水木に、恒はどう返すべきか迷いながら駅の方を見る。水木に合わせてゆっくりとした歩調で歩いているものの、塾のある駅前の中心街は着々と近付いて来ている。

 自分は成績は悪い方ではないが、もし自分の両親が生きていたとしたら自分もこんな風に塾に行かされていたりしていたのだろうかと想像する。意味のない想像だとは思うものの。

「あれ?」

 その時、恒は前方に見覚えのある女性の姿を見た。淡い藤色の洋服を着て、カフェの前にあるテーブル付きの椅子に座っている。向こうも恒たちの方に気がついたらしくこちらを見た。

「知り合いか?恒」

「うん、知り合いっていうかなんていうか」

「お前葛葉(くずのは)先輩もいるってのにまだ……」

 ぶつぶつと何か言っている水木を無視し、恒は美琴の方へ歩みを進める。普段は滅多に屋敷から出ない彼女だから、こんな昼間から一人でこんな人通りの多いところにいるのは珍しい。

「偶然ね、恒」

 近付いて行くと、美琴はそう言って微笑んだ。

「お友達?」

「はい。ええと、彼は水木国男。そしてこの方は美琴様」

「こんにちは」

 そう言いながら美琴は小さく頭を下げた。水木も挨拶を返す。

「ところで、お二人はどういう関係で?」

 興味津津な様子で水木が言った。

「ほら、この前僕が居候させてもらっている家があるっていいったでしょ。そこの、なんていうかお嬢様かな」

 恒は横目で美琴を見ながらそう説明した。美琴は肯定も否定もしない。

「親戚か何かということで?」

「まあ、そんなものね。水木君、あなたのことは恒から聞いてるわ。よろしくね」

「はい、どうも」

 美琴に微笑みかけられて、水木がにやにやとしながら頭を掻く。恒が腕時計を見ながらそのふやけた様子の水木に声をかける。

「ところで水木、塾の時間は大丈夫なの?」

「え、やっべ。もう行かねえと」

 水木も自身の腕時計を見て、かなり焦った様子でそう言った。わざとゆっくり歩いていたせいもあって時間が無いらしい。

「俺もう行かないと!じゃあ明日な、恒。あと美琴さん、さようなら」

「じゃあね」

「さようなら」

 二人に手を振って、水木は小走りで去って行った。遅刻をしないようにしているところを見ると、一応それなりに真面目なのだろう。

「立ってないで座ったら?」

「はい」

 美琴に促され、恒は美琴の横の席に腰を下ろす。

「お嬢様なんて、初めて言われたわ」

 小さく笑って美琴がそう言った。

「すみません、他に表現が思いつかなくて」

「まあ本当のことは言えないものね。私も外見だけはあなたたちとそう齢は変わらないように見えるし、特に問題はないでしょう」

 美琴はそう言って、カップに入った紅茶を一口飲んだ。

 こうして二人でいると、この少女に連れられてあの大きな屋敷に初めて入った日のことを思い出す。あの時は体が強張るほど緊張していたのに、今ではすっかりリラックスしてしまっている。居候という立場なのだから、もう少し緊張した方が良い気もする。

「珍しいですね、美琴様が一人でこんなところにいるなんて」

 美琴が人間界に出るのは、事件がないときは朱音やら良介に誘われた時がほとんどである。彼女は基本、騒々しいところが苦手らしい。だからこんな昼間から美琴がこんな人通りの多い場所にいることが気になった。

「待ち合わせよ。古い友人がこちらに来るの。西の方からね」

「西、ですか」

 近畿や四国のことかと尋ねると、美琴が首を横に振った。

「西と言っても国内ではなくてね、欧州、つまりヨーロッパよ。フランスなの」

「フランス……」

 意外な言葉が美琴の口から発せられ、恒はそれを自分の口で繰り返した。フランスと言われてもすぐにはどんなものが来るのか想像ができなかった。そもそも美琴の古い知り合いというのだから、人間である可能性は低い。

「来たわ」

 美琴の声に恒が顔を上げる。人混みの向こうに薄い金色の髪をした女性が歩いて来るのが見える。恐らくあれが美琴の言う古い友人だろう。そう思っていると、その女性は美琴らの方を見て軽く手を上げた。




 佐藤峰雄(さとうみねお)は何故自分が生きているのか分からなかった。いや、正確には一度死んだ筈の自分がどうしてこんな風に地面の上を歩いているのか、分からなかった。

 彼は昨夜、マンションの屋上から飛び降りた。落ちながら頬に当たる冷たい風の感触も、地面にぶつかった瞬間の衝撃も覚えている。確かに自分はあの瞬間に、死んだ筈だ。しかし次に目覚めたとき、峰雄は傷一つない姿で地面の上に寝ていた。

 その瞬間に、自分はもう人ではなくなったことを悟った。理屈ではなく、直観的にそれが分かった。

 しかし再び得たその命を、どう使えばいいか彼には分からなかった。生きているのが嫌だから死のうとしたのだ。それなのに生き返ってもどうしようもない。

 人のいない路地裏に座り込んで彼は頭を抱えた。どうせ自分には帰る場所さえない。

 峰雄の人生はつい一年前から狂い始めた。きっかけは母親だった。母は他に男を作っていた。それだけならまだしも、峰雄の年の離れた妹が彼の父親ではなく母とその愛人の子だと判明した。そして母は裁判をする間もなく、夜逃げのようにして家を去った。中学一年だった峰雄と父を捨てたのだ。

 そのせいで今度は父親が壊れた。仕事を辞め、酒に浸るようになり、峰雄に対して暴力を振うようになった。当然金もなく、生活は逼迫した。しかし父は酒を飲むことを止めず、峰雄は日々を飢えの中過ごすことになった。

 そして母親の浮気はもう一つ峰雄に不幸をもたらした。学校でのいじめである。どこから漏れたのか、彼の母の所業はすぐにクラスに知れ渡った。クラスでもそれなりに人気者だった峰雄は、たった一晩で蔑みの対象となった。

 近頃は殴られたり罵倒されたりは当り前で、ものがなくなったり、彼にとっての唯一のまともな食事であった給食に虫やチョークの粉を入れられ、食べられないようにされた。担任は黙って見ているだけで、何もしてくれなかった。こんな問題のある家庭に関わるのが嫌だったのだろう。

 峰雄は自分を取り巻く環境、全てを恨んだ。父も、母も、母の愛人も、クラスメイト達も、学校の先生も。しかしその環境から抜け出せる力が彼にはなかった。だから峰雄は自分からこの世界を去ることを選んだ。自分の死が、少しでも彼らの復讐になればいいと思った。

 しかし、自分はこうしてまた生きている。死んだ筈なのに、またこうして息を吐いている。

 一体何のために自分は蘇ったのだ。だがその答えは唐突に見つかった。

「あん?なんだこいつ」

 それが自分に向けて放たれた言葉だとは峰雄はしばらく気付かなかった。それよりも彼は鼻を突く妙な匂いが立ち込めたことに気を取られていた。良いとも悪いとも言えぬ、不思議な匂いだった。

「中学生だろ?金持ってるか聞いてみようぜ」

 先程とは違う、嘲笑うような声が聞こえて、ようやく峰雄は顔を上げた。髪を金髪に染め、口や耳にいくつもピアスを付けた二人の若い男が峰雄を見下ろしていた。

 峰雄はその二人を見て、強烈な違和感を覚えた。彼らの体に何か霧のような靄のようなものがまとわりついているように見える。それは何色とも認識できない不可思議な色をしていた。そして彼が先程感じた奇妙な匂いはその気体から発せられているようだった。

「よう兄ちゃん、金持ってない?」

 一人が薄笑いを浮かべながらそう峰雄に聞いた。しかし峰雄の耳にはその言葉はほとんど届いていなかった。

 峰雄は二人の男を見た瞬間から、ある強烈な感情に襲われていた。何日も食べていない状態で御馳走を目にしたような、そんな感覚だった。

「おい無視すんなよ」

 一人が峰雄の胸倉を掴んだ。その瞬間に峰雄は自分が存在する理由を理解した。

 峰雄は腕を後ろに引くと、拳を思い切り男の顔面に叩きつけた。ピアスだらけの顔がひしゃげると同時に、男の首が後ろを向いた。

「な、なんだよお前」

 もう一人の方の男が怯えた声を上げる。胸倉を掴んでいた方は既に力を無くして地面に倒れている。

 そう、これが自分が生き返った意味だ。この男たちを見て溢れ出した感情は、殺意だということに彼は気付いていた。峰雄は怯えている男を見る。あの匂いがする者を殺すことが自分に与えられた使命だった。

 峰雄はにやりと笑った。そしてもう一度拳を振り上げた。




「久しぶりね、セリナ」

  そう美琴が言うと、金髪を肩のあたりで切りそろえた蒼眼の白人女性は「久しぶりー」と流暢な日本語で返した。外見を見る限り年齢は十代後半ほどに見えるが、恐らく本当の年齢は全く違うのだろう。

「恒、セリナよ。セリナには恒のことは話してあるわ」

「よろしくね~恒君」

「よろしくお願いします」

 笑顔で差し出された右手を取る。気さくな感じのする人だと恒は思った。

「それでセリナ、その伯爵とやらが日本に来てるのは確かなの?」

 真面目な調子で美琴が言うと、セリナは少さく眉間に皺を寄せた。

「もっとなんかさあ、久しぶりに会った友達を祝福する言葉とかないの?」

「それは解決した後で存分にしてあげるわ。まずは解決が先よ」

 にべもない様子で美琴が言った。それに対しセリナは恒に耳打ちするように小さく「ねえ、美琴って真面目過ぎると思わない?」と言った。

「聞こえてるわよ。とにかく敵の情報を教えて」

「分かったわよ」

 やれやれといった様子で、セリナが話し始める。

「まず、敵はオルロックという名のドイツの吸血鬼よ。ノスフェラトゥという盗賊団を率いている。それは知ってるわよね?」

「ええ」

 美琴が小さく頷く。

「自分たちでは怪盗と名乗っているけど、美術品や骨董品、それに名のある武器やいわくつきの物とか、珍しいものを手に入れるためなら手段を選ばない連中よ。最も、物に固執しているのはオルロックぐらいで他の連中はただ暴れたいだけみたいだけど」

「欧州で追われたから、こちらに来たの?」

「それもあるけど、多分ヨーロッパにも飽きたんでしょ。オルロックは純血種だし、吸血鬼の中でもかなり強い方よ。簡単に逃げたりはしないはず。おそらく、ここでひと暴れしたらまたヨーロッパに戻るつもりなんでしょう。だから、ここで悪事を働く前に叩くつもり」

「そうね」

 美琴は一言そう言って、立ち上がった。ただ二人の会話を聞いているだけだった恒もそれに倣って椅子から腰を浮かせる。

 美琴は服の皺を伸ばしながら、セリナと恒に向かって言った。

「帰りましょう。良介たちと一緒に対策を練るわ」




 父親は、首を締めたら簡単に死んだ。つい昨日まではあんなに恐ろしかった父は、虫のようにちっぽけな存在に見えた。彼の暴力も、今の峰雄には傷一つ付けられなかった。

 峰雄は力を失い、ぐったりとした父親の体を投げ捨てた。飲み干し、放置されていた酒瓶を破壊しながら父の体が床に叩き付けられる。それを見ても何の感情も湧かなかった。むしろすがすがしい気分だった。

 峰雄は父親の死骸を見下ろした。先程まであんなに元気に振舞っていた人間が、今はゴミと一緒に散らかっている。峰雄はふんと鼻を鳴らした。

 父は帰ってきた自分にまず罵声を浴びせた。どこへ行っていたんだやら、学校はどうしたやら、どうせ気にもしていないことなのに、ただ文句を言えれば良かったのだろう。そして、いつものように拳を振り上げて、殴りつけてきた。

 しかし頬にあたる拳の感触は、蚊が当たったようなものだった。

 父親からはあの匂いがした。そして峰雄が自分が生まれ変わったことに感謝した。天は自分に復讐の機会を与えてくれたのだ。

 峰雄は自身の体に力が漲るのを感じていた。その正体は分からなかったが、どうでもよかった。とにかく自分にはやらねばならぬことがある。

 峰雄は台所に行くと包丁の柄を掴んだ。それをそのままズボンに挟む。今さらこんな刃など怖くはない。

 峰雄は拳を握りしめると玄関を出た。傾きかける太陽の赤い日差しの中、峰雄は静かに口元を歪ませた。




「そのオルロックとやらは東京にいる確率が高いと?」

 良介の言葉にセリナが頷く。美琴は茶をすすりながらそれを聞いていた。黄泉国の彼女の屋敷、その居間には美琴ら五人とセリナが各々座っている。

「あいつは何かを盗むときには怪盗よろしく必ず予告を送るの。まあ、その後やることは虐殺だから、怪盗なんて言えないんだけど」

 セリナによれば、オルロック率いるノスフェラトゥという盗賊団は、まず予告状を送り付けそれに対策を行わせたうえで押し入り、殺戮の末に欲しいものを手に入れる。そのため彼の元には暴虐を好む部下たちが集まっているという。

「自分には宝を、部下には暴力を、ということかしら」

 美琴の言葉にセリナは頷いた。

「そういうこと。オルロック自身は自分のことを伯爵と言ってるけど、手下は荒くれ者の集まりよ。しかもしょっちゅう戦ってるせいでかなり手強い。それにオルロックは手下を駒のようにしか思っていないから、彼らを盾にして逃げることもままあるわ。だから中々捕まらないんだけど」

 セリナが美琴の方を見る。

「ついこの間もここらで強盗だか盗賊だかに襲われたってことがあったでしょう?」

「ええ。三日ほど前ね。ここから遠くない異界で事件があったらしいわ。朱音、調べてくれた?」

「はい。襲われたのは古い武家の妖怪の屋敷のようですね。どうやら狙いはその家に伝わる宝刀だったようで、警備についていたものから、お手伝いさんのような方々まで皆殺しにされています。前日に予告状のようなものが届いていたようですし、セリナさんの言う吸血鬼の仕業と見て、間違いないでしょうね」

 朱音の言葉に美琴は頷く。やはりオルロックはこちらに来ている。となれば、日本から逃げ出す前に討たねばなるまい。

「小町、次の予告が来た場所は?」

「人間界のようどすな。木久里博物館という場所どす。あまり大きなところではないんどすが、由来のある槍を展示しているらしく、それが狙いのようどすな。実行は三日後とのことのようで」

「そう、ならオルロックはこの近くにいる可能性は高いわね。小町、調査は任せたわ」

「任せてくださいな。恒ちゃんも危ないから外出るときは気をつけるんよ」

「え、うん」

 急に話を振られ戸惑っている恒を横目で見つつ、美琴は考える。

 確かに半分とは言え恒には妖の血が流れている。無防備に出歩いていれば確率は低いだろうがならず者の集まりだというノスフェラトゥとやらに襲われる可能性がないとは言えない。恒も微弱ながら妖気を持っている。

 しかし逆にこちらから相手を探す場合も同じ方法が使える。隠れているとしても大量の異形が同じところにいれば、妖気は漏れる。特に妖狐は鼻が利くから、簡単に見つけられるだろう。居場所を突き止めれば後は殲滅するのみ。

「小町、あなたも気をつけてね。戦う必要はないから、危なくなったらすぐに逃げなさい」

「分かってますよぉ、死んだら偵察も何もこもないどすから」

 小町がそう言って笑う。こういった調査や偵察は何度も任せているから心配はないと思うが、用心に越したことはない。

「それにしても厄介な輩が現れましたね、美琴様」

 良介の言葉に静かに首を縦に振って美琴が答える。

「そうね。確認も必要なさそうだわ。良介と朱音は準備しておいてね」

 良介と朱音の二人にそう告げた後、美琴はセリナの方に向き直った。

「セリナ、ちょっといいかしら」

「ん、なに?」

 美琴はセリナとともに、廊下に出る。庭に面した廊下はもう赤い夕陽に照らされている。その中を歩きながら、美琴が言う。

「気付いている?さっき外に私たちの同族がいたわ」

「ああ、いたけど、あれあんたの知り合いじゃないの?」

「違うわよ。そもそもあんなに妖気を垂れ流しにしているんだから、まだ死神になってそう経っていないのでしょう」

 美琴は縁側の外に足を下ろし。座る。

「そりゃあ、ちょっと危ないかもしれないわね」

 セリナも同じように座りながらそう言った。

「私たちはただでさえ悪党どもからは嫌われてるんだから、オルロックが来てる今となるとねえ」

 死神は他者が背負う怨恨、つまりその者が他のものたちから買ってきた恨みを認識することができる。その度合いが一定以上になると、死神は動き出す。

 だからこそ死神は悪行を犯すものには目の敵にされる。そのため、死神となって間もない者は格好の標的となって殺されることも少なくない。

「まあ、自然の摂理よね。弱い者はどちらにせよ死神としては生きられないわ」

 セリナは言いながら、靴の先で地面にとんとんと叩いた。

「誰かの下につくというのなら別だけど」

 死神の怨みを見る能力は、裏切りや相手の素性を見破るのに役に立つ。そのため大きな組織の中では死神を金で雇ったり、仲間に引き込んだりすることも多い。

 この能力は否定しようがない。死神として存在する時点で怨恨という感情から逃れることはできなくなる。それはこの異形としての種族の宿命だ。

「またなんか難しいこと考えてるの?」

 地面に足をついて立ち上がりながらセリナが言った。美琴は答えずに、縁側の下から履物を出す。

「じっとしてるから、暗いことばっかり考えんのよ。どう?久しぶりに手合わせしない?」

 美琴は顔を上げて、セリナの方を見た。彼女なりの気遣いなのだろう。美琴はふと笑って、履物を履いて立ち上がる。

「あなた、私に勝ったことないじゃない」

「うるさいわね、最後にやったのはもう十年ぐらい前じゃないの」

 言いながら、セリナは妖術で隠していた武器を取り出す。右手にはブロードソードを、左手には五角形の角を丸くし、細長くした形の盾を装備する。盾は黄色で、銀色で中心に大きな鳥の紋章と淵とをあしらえてある。剣と楯を使った西洋の騎士のような戦い方が彼女の得意とするものだった。

 美琴も黒い太刀を取り出す。鞘から刃を抜き、鞘を縁側に置く。庭は本気で戦うには十分な広さとは言えないが、別に殺し合う訳ではないのだから問題はないだろう。

 美琴とセリナは互いに十メートルほど離れ、それぞれの武器を構える。

「じゃあ、行くわよ」

 そう言いつつ、セリナの体は既に動いていた。右足で地面を蹴ると、一気に美琴との距離を詰める。

 だが美琴は刀を振ってそれを弾いた。空中でバランスを崩したセリナに対し、返す刀で斬りかかる。しかしセリナはそれを盾で防いで距離を取った。それを美琴が追撃する。

 セリナの足が地面に付くと同時に、美琴が日本刀を縦に振り下ろす。セリナは再び盾を構えるが、重い一撃に足元がぐらついた。その隙を逃さず、美琴は刀を水平に振り抜いてセリナの剣に叩きつけた。

 鋭い金属音とともに剣が宙を舞って土に突き刺さる。セリナはそれを恨めしそうな視線で見て、剣を持っていた右手を軽く振った。

「また負けた」

 そう言いながら、セリナはブロードソードを引き抜いた。刃を振って土を払ってから鞘に納める。美琴も鞘を手に取ると、その刀身を納めた。

「盾で防ぐだけじゃなくて、もっと避けることも考えなさい」

「肝に銘じとくわ」

 再び縁側に座り、セリナはふうと息をついた。そして美琴に隣に座るよう勧めるが、美琴は静かに首を横に振った。

「私は少し外を見て来る」

「何、一人で戦いにでも行く気?」

 その言葉に、美琴は刀を妖術で隠すと同時に振り返る。

「違うわ。ただじっとしているのが嫌なの。私も一応、この国の主だからね、責任があるのよ。何かあったら連絡する」

 静かにそう言ってセリナに背を向けた。庭を横切り、裏門を開ける。境界を抜けた人間界は異界と同じく暗い夜に覆われている。

 涼しい夜風に髪を(なび)かせながら、美琴は早足で坂道を下った。暗い山道からは夜の闇に光を灯らせる木久里町が見える。

 既にこの近辺ににオルロックの一団が既に来ているのは確からしい。彼らは人間界、異界を問わずに、オルロックの命令ひとつで襲撃する。オルロックには宝を、部下たちには暴虐を、その標的に黄泉国が選ばれる可能性は低いとは言えない。実際、つい数日前に近くの異界が襲われているのだ。美琴自身も、知らぬ場所ではなかった。

 黄泉国には多くの住人たちがいる。領主として彼らを危険な目に合わせる訳には行かなかった。ただでさえ自分は死神として多くの者と戦う必要がある。それに他の住民たちを巻き込みたくはない。

 それにもうひとつ気になることがあった。町へと続く山道を歩きながら美琴は辺りに流れている妖気に集中する。

 この町には、自分とセリナ以外にもう一人死神がいる。しかもつい最近生まれた死神らしい。平常時ならまだしも、今はノスフェラトゥがいる。殺されるか、逆に取り込まれるか、どちらにせよ放って置く訳には行かない。

 美琴は一人静かに頷くと、木久里町へと足を踏み出した。



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