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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第 六 話 宇宙からの不明物体
26/206

四 悪魔の人喰い生物

「反応は?」

 原田が柿原に向かって尋ねた。

「近付いています」

 車内に取り付けられたモニターを覗きながら柿原が答える。原田はそれを聞いて車外に出る。

 タイヤをマンホールの上に乗せたまま、車は止まっている。これはあの少年二人を逃がさないためもあるが、それ以上にあの生物を下水道の中に留めておくための時間稼ぎの意味合いもある。

 今までの経験から、餌が与えられない際のあの生物が暗く湿った場所を好むことは分かっていた。その条件に最も適しているのは下水道だろう。そこに餌の方から入り込んでくれば向かって来るはずだと考えていた。

 あの生物だけは逃したくなかった。どんな犠牲を払ってでも手に入れるべきものだ。

「子供を囮にしてまであんなのが欲しいかね」

 その声に原田が振り返る。そこには先ほど轢き殺したはずの男と、自分の娘、そして殺し損ねた少年の姿があった。




 原田は目を見開いて良介を見た。驚いた表情が娘とそっくりだと、どうでもいい感想が良介の頭に浮かんだ。

「貴様は、さっき車で……」

「残念、この通り健康体だ」

 良介はそう言って一歩足を進める。逆に原田は一歩下がる。

「お父さん、早く子供たちを助けてあげて」

 三枝が言った。原田はそちらをちらりと見てから、再び良介に視線を向ける。

「三枝、何故お前がこの男といるのかはしれないが、それはできん。あの子たちを生かして置いては私の研究が進められん。もちろんそこの男と子供にも消えてもらう」

「まあ、口で言っても分からんようだな、この親父は」

 良介はそう言うなり、車の方に近付いて車体の下から蹴りを入れた。鈍い音を立て、車体が横転する。

 目を見開いて原田と柿原が良介を見る。

「何なんだ、お前」

 茫然と発したその柿原の言葉に、良介は不敵に笑って答えた。

「さあな。この世の不思議って奴かな。三枝さんと秀夫君、そこで待ってろよ」

 良介は片手でマンホールの蓋を放り投げ、穴の中へ身を投じた。

 梯子も使わずに降り立った暗い闇の中、確かに二人の少年の鼓動を感じた。まだ生きている。

「誰?」

 孝太の声がした。

「俺だ、さっきのおじさんだよ」

「おじさん?」

「ああ、こっちへおいで」

 二人の少年が良介に抱きつく。よほど怖かったのだろう。震えている。

 スライムの気配は次第に近付いている。もうすぐそこだろう。良介は二人を片手ずつしっかりと掴むと、両足に力を込めた。スライムが洪水のように迫り来るのがはっきりと見えた。早くここから脱出しなければならない。しかしその瞬間に下水を白い霧が満たした。




「スイッチは押したか?」

 原田の問いに、柿原が頷いて答える。彼が押したのは、対スライム用に用意した冷却材の噴射スイッチだった。簡単なものだが効果はあるはずだ。

「何てことを、中にいるのはあの怪物だけじゃないのに!」

 三枝が甲高い声を上げる。原田はそれを鼻で笑う。

「あの男も十分怪物だ。それに、生体反応も近かった。恐らくあの生物もダメージを受けているだろう」




 自身の体温が急激に奪われて行くのを良介は感じていた。孝太と健太を庇う様に抱き、良介は前を見る。冷却材のお陰か、スライムの動きは鈍っているようだった。しかし着実にこちらに向かって来ている。良介は妖力を体に回して体温を維持すると同時に、真上へと飛び上がった。マンホールの穴を抜け、地上へ降り立つ。

「まだ死んで無いのか!」

 原田の怒声が響いた。良介はそちらを向いて笑って見せるが、自身の体が上手く動かないのを感じていた。炎を操る妖怪である彼は冷気には弱かった。

「孝太!健太!」

 秀夫が走り出そうとして、三枝の手に掴まれた。今マンホールや原田たちに近付くのは危ない。代わりに、良介が二人の少年を抱えて三枝の前で降ろした。

「おじさん、大丈夫?」

 孝太の問いに、良介は気丈に笑って答える。

「ああ大丈夫だ」

 早くここから離れなければ、そう考えるが、筋肉が中々言うことを聞かない。後ろから柿原が迫って来るのを感じた。普段ならどうとでもなる相手だが、子供三人に女性を抱え、さらに冷気で体が弱っている今の良介にとっては強敵だった。メスのような刃物を右手に持った柿原相手に、良介は身構える。

 しかし柿原の手が良介に届くことはなかった。マンホールの穴から緑色の粘液が噴水のように溢れ出したのだ。

「まさか……」

 呆然とした顔で、柿原はスライムを見上げた。次の瞬間には彼の体はスライムに飲み込まれ、その一部となった。

「お父さん、早く!」

「何故だ、私ではこいつを捕えることはできないのか」

 原田は呆然と、自分に向かって広がって来る波のような怪物を見つめていた。

 あんな冷却材では一時的に動きを鈍らせることはできても、完全に動きを止めることはできないということだろう。あのスライムを倒すには、もっと強力な力が必要だ。

「お父さん!」

 娘の声に、原田は我に返ったように三枝を見た。三枝は自分を囮にして子供たちを逃がそうとしていた。原田の方に触手を伸ばしていたスライムは、さらに複数の触手を三枝に伸ばした。しかし、原田は急に走り出すと、その前に立ちはだかった。

「三枝、逃げなさい!」

「そんな、お父さんは」

「私は良い、お前だけでも逃げろ」

 そう言った瞬間、原田の体をスライムが包み込んだ。

「そんな、お父さん!」

「三枝、すまなかった」

 その言葉を残して、原田は完全に飲み込まれた。だが、三枝は後ずさりする精一杯で、その間にもスライムは確実に彼女に迫っていた。良介はそれを見て歯軋りする。できれば彼女も助けに生きたいところだが、まだ体が思うように動かない。

 スライムは全てを飲み込むように、無慈悲に体を伸ばして行く。

 スライムの体はマンホールの穴を中心に、放射状に広がっていた。その大きさは三十メートルには達しているだろう。良介は重い体を引き摺りスライムから逃れようとした。しかし良介の動きよりも早くスライムは迫って来る。何とかして三枝だけでも助けなければ。

 靴の先がスライムに触れ、白煙を上げた、その時だった。不意に良介の腹に何かが巻き付いたかと思うと、体が物凄い勢いで後ろに引っ張られた。三枝や少年たちも同じように、細い何本もの紐のようなものに持ち上げられ、スライムから遠ざけられる。

「まさに間一髪でしたね」

 朱音は良介と秀夫、孝太、健太、そして三枝を安全な所に下ろしてからそう言った。良介の体に巻き付いた彼女の髪がほどけ、縮んで行く。

 良介は片手に何か中身の詰まった皮の袋を持った朱音を振り返り、言った。

「すまんな、朱音」

「お礼は後です、今はこの怪物をどうにかすることを考えましょう。美琴様から作戦は聞いていますね?」

「ああ勿論だ。早いところやっちまおう」

 スライムは二人に向かって進んで来る。反対側には三枝たちがいるのだろうが、ここからは見えない。

「さあ、行きますよ」

 朱音は言うなり、持っていた皮袋の端を髪の毛で巻いて持ち上げ、一度大きく回転させてから上空に投げ飛ばした。そしてそれがスライムの真上に達したところで、針のように鋭化した髪の先端を次々と突き刺す。袋が破裂するように破け、中身が拡散する。

 白い砂のようなそれが真上から降りかかると、スライムの動きが目に見えて遅くなった。

 異界で取れる、発炎砂と呼ばれる砂。これには液体状のものを凝固させる働きを持っている。そのためにスライムは思うように体を動かせないでいるのだろう。だが、この砂の特性はそれだけではない。

「良くこれだけ集めたな、朱音」

 体が大分動くようになったのを確認しつつ良介が言った。

「すごく大変だったんですよ。さあ、仕上げは頼みますよ、良介さん」

 良介は口元を微笑ませて、スライムを睨む。

「はいよ」

 この砂はその名の通り、強力な発火性を持っている。よって全体をこの砂で固められたスライムは、最早ただの可燃性の燃料に過ぎない。

 良介は掌に大きな青い炎の塊を作ると、それをスライムに向かって投げ付けた。

 炎が触れた瞬間、スライムの全身を青い火が包み込んだ。甲高い音を鳴らし、スライムがのたうち回る。




 自身を焼き尽くさんとする高熱の中、スライムの本能が命じたのは、自身の最も大事な部位、すなわち核を体外に排出することだった。核さえあればスライムは何度でも蘇ることができる。凝固した体内を何とか抜け、体外へと出る、それでスライムは死なないはずだった。

「そう上手はく行かないの」

 そこに立ちはだかったのは美琴だった。彼女はスライムの核が体から放たれた瞬間に、それを一刀両断に切り捨てた。呆気の無い最後だった。




 こうして木久里町を襲ったスライムの脅威は終わった。残ったのは焼け残った灰と、真っ二つにされた核の残骸だけだった。

「終わったんですね……」

 風に流される灰を眺めながら三枝が呟いた。

「ああ終わった。君も、忘れた方がいいな。今日のことは。まあそういうわけにもいかないんだろうけどさ」

 良介が言うと、三枝は小さく頷いた。

「父が、初めて親らしいことをしてくれました。研究ばかりで母にも捨てられた父が。でもこれが最後なんですね」

 三枝はそう言って空を仰いだ。日は沈みかけ、夕焼けが空を照らしている。

「君はこれからどうする?」

「母のところに帰ります。もう、研究はこりごりです。こんなに多くの命が消えていくことに、私は意味を見出せませんから。子供たちが無事で、本当に良かった」

 そう言って、三枝は良介の方を向いた。そして深く頭を下げる。

「ご迷惑をおかけしました。私の口からでは足りないかもせいませんが、深く感謝しています」

 その謝罪を良介は軽く手を振っていなす。

「いいよそんなの。これが俺たちの仕事だからさ。ただ俺たちのことは口外してくれなければ嬉しいな。まあ、喋ったところで信じては貰えないだろうとは思うがね」

「そうですね、今日のことは、私の胸の中にしまっておきます。本当にありがとうございました」

「ああ、もうこんな事件が起きないことを祈るよ」

 今日のことは、彼女には忘れ難い記憶として残るだろう。それを乗り越えてくれることを、良介は密かに願う。

「おじさん!」

 三枝の背中を見送っていた良介に、秀夫が跳びかかってきた。続けて、孝太と健太も走ってくる。

「おじさんは、ヒーローみたいで恰好良かった!」

 興奮気味に孝太が言った。健太もしきりに頷いている。

「そうか?まあ、おじさんは男と男の約束守ったからな」

「うんおじさんありがとう!」

 孝太がそう言って笑った。この子たちが明るいことは良介にとっては救いだった。今日はこの少年三人も、ひどい経験をした。誘拐され、囮にされ、目の前で人が死んだのだ。

「今日あったことは多分、大人に言っても信じてもらえなだろうなあ」

 孝太がふと、そんな感想めいた言葉を漏らした。

「そうだな。でもおじさんは君たちに恰好良かったと言ってもらえただけで満足だよ。それに、おじさんたちの正体はあまり他の人には知られちゃいけないんだ」

「何で?ヒーローだから?」

 そう問う秀夫に、良介は微笑みかける。

「まあ、そういうことだ。だから秀夫君に孝太君と健太君、おじさんたちのことは、皆に黙っていてくれると約束してくれるかな?」

「男と男の約束?」

 孝太が尋ねる。良介は頷いて答えた。

「ああ、そうだ」

「うん、分かった」

 孝太と健太が拳を前に突き出す。良介も笑って、拳を二人と軽くぶつけあった。




 その後、三枝は子供たち三人を送ると言って良介たちに礼をし、彼らと手を繋いで去って行った。残された三体の妖もまた、家へ帰るための道を辿る。

「今日は疲れました。ねえヒーローさん?」

 夕暮れの道を歩きながら、朱音が小さく笑って言った。

「本当、濃い一日だった」

 良介も同意する。とにかく色々なことがあったが、被害は最小限に抑えられたのだろう。だからといって今回の事件で死んでいった命が無駄だったという訳ではない。

 研究所の所員たちも、行方不明になった人たちも、死ぬために存在していた訳ではないのだ。偶々あのスライムという生物と関わったため、命を落した。不幸だったとしか言いようがない。

 そんな中でも、秀夫に孝太や健太、それに三枝といった救うことができた命があったことは、素直に喜びたかった。この仕事をやって行く上でそれは数少ない、大きな喜びだ。

「雨が降ってきそうね」

 美琴が空を仰いで、呟く。確かに雲が空を覆っているようだった。

「本当ですか?私傘持ってきてませんよ」

「みんなそうよ。ねぇ良介」

「そうですね」

 良介は笑って返事を返す。先ほどまでの緊張感はまるでなく、どこかぼんやりとした空気が流れている。だがそんな時の流れも、良介は嫌いではなかった。

「急いで帰りましょうか。恒も晩御飯を待っているでしょうし」

「そうですね~、良介さんも、早く帰りましょ。良介さんがいないと晩御飯が食べられないですし」

「全くお前は、人任せだなあ」

「だって私、料理できないですもん」

「そうね、私も良介が作ったご飯が食べたいわ」

 そう言って美琴が微笑む。良介もつられて笑う。

「分かりましたよ。今日は何を作りましょうかね」

 異常な事件の後には、こんな風にまた平穏な日常が帰って来る。それが分かっているからこそ、自分はこの仕事を続けられる。そして誰かの平穏な日常を守りたいからこそ、良介はこの仕事を続けている。きっとそれは美琴も朱音も同じなのだろう。

 あの少年たちや三枝の日常はこれから平和に続いてくれるだろうか。だとしたら自分はこの仕事をした価値があったのだろう。

 そんなことを考えながら良介は前を歩く女性二人の後を追って、帰途を辿る。



異形紹介

・スライム

 有名なアメリカ発モンスター。小説から映画、ゲームへとその活躍の場を広げ、比較的新しい怪物であるにもかかわらず知名度はかなり高い。現在は弱いモンスターという印象が強いスライムだが、元来はかなり危険な怪物であった。

 まず、不定形の怪物が初めて登場したのは、H・P・ラヴクラフトの『狂気の山脈にて』という小説における「ショゴス」であると考えられる。これは自在に形態を変化、また器官を作り出すことができ、人間に擬態する程度の知能もあった。

 スライムという名称が登場したのはジョセフ・ベイン・ブレナンの小説『沼の怪』が初めてだ。本来スライムは「汚らしい粘液」という意味であるが、この作品では太古から海底に住み、地殻変動により地上に現れた底なしの食欲を持つ不定形の怪物を指している。この怪物は生物ならなんでも溶かし、食べてしまうというスライムの基本的な設定を生み出した。

 スライム系のモンスターが初めて映像化されたのは、1956年の『X The Unknown』で、邦題では『怪獣ウラン』と名付けられたこの不定形生物は放射能を吸収する怪物だった。次に作られた1958年の『The Blob』、邦題を『マックィーン絶対の危機』という映画では、「ブロブ」呼ばれる苺ジャムのような赤い不定形の怪物が、人間を消化吸収して無限に巨大化していく姿が描かれた。この映画はひとつの続編、ひとつのリメイクがあり、リメイク版の邦題『ブロブ 宇宙からの不明物体』は今回のサブタイトルの元ネタである。

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