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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第 六 話 宇宙からの不明物体
23/206

一 宇宙からの不明物体

 暗い、閉ざされた闇の中、それは(うごめ)いていた。記憶も、意思も、感情も持たないそれを突き動かすものはたったひとつ。ただ食欲という本能に従い、それは獲物を探していた。そしてそれは、その闇から獲物へと至る方法を見つけた。

 自身の進行を阻む透明なその壁を、それはある程度溶解させることができるようになっていることに気がついた。その原理になど興味はない。ただそこから出られることが分かれば良かった。

 溶け始め薄くなった壁に圧力をかける。それでできたのは小さな割れ目だったが、それだけの隙間があれば十分だった。

 白衣を着た女の悲鳴が上がった。恐怖によるその叫びも、それにとっては獲物の位置を知らせる信号に過ぎない。すぐに女は悲鳴ごとその体を飲み込まれた。

 そう、食べるということだけが、その怪物の存在する理由だった。

 男も女も、悲鳴を上げて逃げ惑っている。だがそれには関係がないことだった。彼らは皆餌に過ぎない。無力な人間たちは為す術もなくそれに飲み込まれて行った。一しきり餌を喰い終えた後、それはこの場所よりももっと広い場所に出られることに気がついた。

 閉ざされた扉などそれには意味の為さないものだった。一部を溶解させ、隙間に入り込み、それは地上への(みち)を進み始める。


第六話「宇宙からの不明物体」


 全身を黒い服で統一した男が一人、注意深く左右を見渡しながら慎重な足取りで夜の住宅街を歩いている。その手には先ほど民家に忍び込んで盗んだ現金や貴重品を入れた袋が握られている。彼は空き巣だった。しかも今夜が初犯だった。

 男は空き巣が成功した興奮と、誰かに見られているのではないかという不安から鼓動を速めながら、なるべく目立たないために街灯の光を避けるようにして歩いていた。罪悪感は無いこともなかったが、今は自分の身が一番大事だった。

 不況によって職を失い、明日を生きられるかも分からない彼にとって、その手に持った袋は命を左右するほどに大事なものだった。元々はどうせこのまま死ぬのなら、犯罪を犯してでも生き抜いてやろうという心持ちだった。もし捕まったとしても、刑務所なら命の保証はしてくれるという打算もあった。だが窃盗が成功した今では、彼はひどく警察に捕まるのが怖くなっていた。

 もしかしたら、このまま誰にもばれずに済むかもしれない。この金を使えばあと二週間は生きられる。そのあとのことは彼の頭には無かった。ただ目先のことを考えるので精一杯だった。

 そんな彼を暗闇の中から観察しているものがいた。人間ではない、異形のものだ。それは音も無く彼の側まで忍び寄ると、死角から襲いかかった。

 不意に男の足元から何かが現れた。いや、現れたというより、溢れ出したと言うべきかもしれない。道路の溝から緑色で半液体状の何かが空き巣の男に向かって飛び出してきた。それを見た男が短く悲鳴を上げる。

 ゲル状のそれは素早く男の足元を取り囲むと、その哀れな犠牲者の体を一気に這い上り、体中を覆ってしまった。男は声も出せずにもがき苦しむが、ゲル状の生物の力に抗えない。そのまま体を倒され、(どぶ)の中に飲み込まれてしまう。そして、持っていた袋だけが落ち、静夜に音を響かせた。




 それと同じころ、良介は一人、高架下の小さな飲み屋で酒を煽っていた。おでんをつまみに、何杯目か分からない日本酒を飲み干す。客は良介のみで、彼の他には中年の店主がいるだけだ。

「良ちゃん、そろそろやめなよ。大分飲んだでしょ今日」

 顔馴染みの店主がそう言うが、良介は手をひらひらと振って笑う。

「大丈夫、大丈夫、たまにしか来れないんだからさあ」

「そんなこと言って、月に一度は来るでしょうに」

 言いながらも、店主は良介に酒を注いでやる。良介は「どうも」と言ってそれを一口飲むと、小さく溜息を着いた。

「何?仕事上手くいってないの?」

 おでんをよそいながら、店主が尋ねる。

「いんや、そういうわけじゃないんすよ。皆良い人たちだし、仲も良いんですよ?でも、偶には仕事を忘れたいときだってあるじゃないですか」

 良介はそう言って、大根を齧った。

「今度その同僚さんたちを連れて来てみれば?一回も来たことないでしょ」

「それがねえ、俺以外に酒好きなのがいないんですよ」

「そりゃあ寂しいね」

 店主が笑いながらそう言った。良介も笑いながら「そうでしょ」と返すと、残った日本酒を一気に飲み干した。

「親父さん、いくら?」

「三千二百円」

 良介は懐から財布を取り出すと、金を払って暖簾を潜った。高架上では、深夜だというのに電車が走り、轟音を立てている。

 良介は煙草を取り出すと、指を鳴らし、小さな青い炎を指先に発生させて、火を点けた。そして一度煙を吐くと、夜の街を歩き出す。

 ここから黄泉国(よもつくに)までは歩いて二十分もあれば着く。今は夜中の一時だから、人間の町はほとんど寝静まっていて音もない。しかし妖怪の世界は活気づいている頃だろう。

 酔ってはいたが、良介の足取りはしっかりとしていた。元々妖怪なのだから普通の人間よりも酒には強い。その中でも良介は得に強かった。そして酒を飲むこと自体も好きなのだが、問題は周りに酒好きな者がいないことだった。

 美琴は飲めないことはないのだがあまり好きではないようだし、朱音は妖怪の癖に一杯飲んだだけでふらふらになるほど下戸(げこ)だった。恒はまだ未成年だから勧められないし、小町も一応学生ということで控えているらしい。そうなると独りで飲むか、こうして人間界の店まで出て来る、または黄泉国の飲み屋に行くかという選択肢になる。改めて考えてみると何となく自分が寂しい男のような気がした。

 後数年したら恒を誘ってみようかと、ぼんやりと考えながら住宅街を歩いていた時だった。不意に背後で何かが動く気配がした。良介は静かに後ろを振り返る。街灯に照らされた夜道に人の姿はない。しかし確かに何かが動いている。

 良介が闇の中を凝視していると、それは突然道の脇の(どぶ)から飛び出した。液体のような体を持ったそれは、体の形を絶えず変えながら良介に襲いかかる。

「なんじゃこりゃ」

 良介は一人呟くと、その軟体の生物に向かって右手を伸ばした。良介に怪物の体が届く寸前で、その生命体のに青い火が灯った。炎は瞬く間に広がり、軟体の怪物は甲高い鳴き声のようなものを上げて地面に倒れ伏した。

 怪物はのた打ち回りながら、灰と化していく。だが、それでも怪物は完全には死なない。比較的損傷の少ない体の部分を切り離すと、その小さな軟体の怪物は良介から逃げるように地面を這って行く。

 良介は咄嗟に近くに落ちていたワンカップの空き瓶を拾うと、それに覆いかぶせた。中の生物は逃げ出そうと狂ったように暴れ回っている。

 適当にそこらの石を使って蓋をし、良介は瓶を持ち上げる。緑色の泥のようなその生物は、変形しながら体をガラスにぶつけている。

 それを見ながら、良介は再び呟いた。

「何じゃこりゃ」




「これはスライムね」

 不愉快そうな顔をして美琴はそう呟いた。緑色のアメーバのような生物は相変わらずガラスの中で暴れ回っている。

 良介は美琴の判断を仰ぐため、この生物を黄泉国に持ち帰っていた。

「スライムですか」

 横から覗き込み、朱音が顔をしかめる。

「気持ち悪いですね」

「そうね」

 美琴はそう言いながら、卓袱台を挟んで座っている良介に瓶を渡した。

「もういいわ。燃やして」

「はいよ」

 良介が手にカップを手にした瞬間、中のスライムが青い炎を上げて燃え始めた。小さな怪物はすぐに燃え尽き、ただ灰だけが残る。それを眺めながら良介が言う。

「スライムねえ、そんなんもいたなあ」

「良介さんお酒臭いです」

 今度は良介の方にしかめ面を向けながら、朱音が言った。

「そりゃあ飲んで来たんだから仕方がないだろう」

「飲み過ぎですよ。私お酒の匂い苦手です。というかもう良介さんが臭いです」

「そんなことないだろ。朱音、お前その潔癖症治した方が良いんじゃないか」

 そう良介が言うと、それが気に障ったらしく、朱音はむっとした顔で反論する。

「潔癖症じゃないですー。良介さんこそ煙草やらお酒やらで不健康ですよ。ねえ美琴様」

 美琴はそれには答えず、茶を一口啜(すす)ってから一言呟くように言った。

「真面目な話をして良いかしら」

「あ、はいどうぞ」

 朱音が素直に会話を譲る。美琴は良介の方に視線を向け、尋ねた。

「良介、あなたに襲いかかってきたスライムは(どぶ)から出てきたのよね」

「そう見えましたが」

「そのスライムに核はあった?」

 良介は少し考えて、答える。

「それらしいものは、見てないですね」

 言いながら、良介は事が割と重大であることに気付いた。酔っていたこともあり、燃やしてしまって、もう済んでしまったようのことに思っていたが、相手がスライムとなるとそうもいかない。

「そう。なら、スライムはまだ死んではいないと考えた方が良さそうね」

 表情を変えずに、淡々と美琴が言った。それに不安そうな表情をした朱音が問い掛ける。

「あっさり言ってますけど、それってかなり危ないんじゃ……」

「そうね、早目に対処しなければひどいことになる。私たちで何とかするしかないわ」




 翌朝、美琴は居間に恒と小町を呼んだ。まだ日が昇って間もない早朝だったためか、恒は目をこすっている。良介と朱音は既に外に出たため、居間には三人しかいない。

「何どすか?話って」

 制服姿の小町が尋ねた。先ほど起こして来た恒はまだ寝巻のまま、うつらうつらしている。美琴は目の前に座る二人に向かって話し始める。

「簡単に言えば、木久里町(きくりちょう)に危険な生物が野放しになっているのよ」

「危険?」

 小町が首を傾げる。

「スライムよ。話ぐらいは聞いたことがあるでしょう?」

「はあ、見たことはありまへんけど」

「スライムって、あのゼリーみたいな奴ですか?ゲームとかによく出てくる」

 まだ寝足りないのか、ぼんやりとした口調で恒が言った。

「多分、あなたの想像しているものとは全く異なると思うわ」

「私もよく知りまへんわ。テレビゲームの印象だと、雑魚敵っていうイメージが強いどすけどねえ」

 美琴はぼんやりと座る小町と恒を見据えた。よく知らないのだから当然なのかもしれないが、スライムという生物に対して二人はあまり警戒心を持っていないようだ。しかしそれではあまりにも危険だ。

「まず言っておくけど、スライムを甘く見ない方がいいわ。人間界でどんな認識がなされているのかは知らないけれど、スライムは一種の自然災害のようなものと見た方が良いわね」

「自然災害どすか」

「ええ、スライムが恐ろしい理由は、その食欲よ」

 美琴は二人の顔を見回す。いまいちピンと来ていないようだが、話は聞いている。

「スライムは相手が動物ならば、というより肉ならば何でも食べてしまう。半液体状の体を持った異形で、明確な口と呼べる器官は無いわ。体全体で餌を吸収して、消化してしまう。その上食欲の上限というものがなく、餌がある限り無限に食べ続けることができるの。そして食べる度に大きく成長して行くわ。それにも限度がない。しかもどんな形状にも体を変形させることができるから、襲われても物理的な攻撃は意味をなさない」

「それなら、どうやって倒せばいいんですか?」

 段々と頭がはっきりしてきた様子の恒が尋ねた。

「スライムにも弱点はあるわ。熱、または冷気に弱いのよ。ただ、相手が小さければ何とかなるでしょうけど、巨大に成長していれば倒すことは難しい。スライムが厄介なのは、そこもあるのよ。恒、アメーバという生物は知っているでしょう?」

「はい、あの単細胞生物でしょう?」

「そう。スライムが単細胞生物なのかは分からないけれど、アメーバに核があるように、スライムにも核が存在するわ。それがスライム最大の弱点、逆に言えば、それを壊さなければスライムは殺すことができない」

「野放しにしておくと、どのくらいの被害が出るんどすかね」

「一週間もあれば木久里町ぐらい全滅させられるわ。しかも食べれば食べるほど巨大化するから、被害の進む速度も速くなる。スライムは眠ることも子孫を残すこともしない、ただ食欲の権化(ごんげ)のような怪物だから、生態系も何もあったものじゃないわ」

「でも、そんな生き物がなんでこんなところに?」

 そう尋ねたのは恒だった。すっかり頭は覚醒したようだ。

「さあね、そもそもスライム自体この星に自生していた生物ではないと思われているの。誰かによって作られたか、それともこの星の外からやってきたか」

 そう言いながら、美琴は立ち上がった。

「とにかく今日は二人とも学校に行くのはよしなさい」

 そう言い残し、立ち去ろうとする美琴の背に小町が声を掛ける。

「美琴様はどこへ?」

「木久里町よ。どうにかしてスライムを見つけないと。あなたたちはここにいなさい。外に出ては駄目よ」

 美琴は振り返って二人にそう告げると、襖を閉めた。




 平日の朝にも関わらず、木久里町は閑散としていた。ちらほらとスーツ姿のサラリーマンらしき人間を見る以外には、ほとんど人の姿はない。登校途中の学生もゴミ袋を持った主婦もいない。高く上がった太陽だけがただ明るかった。

 そんな太陽の下を美琴は歩いている。洋服ではなく和装のまま出てきたが、そんなことはどうでもよかった。着替える時間も惜しかったのだ。どうせ人もほとんどいないのだから、どうということもないだろう。

 スライムは昨日の時点で活動を始めたのだろうから、被害者が出ていても不思議ではない。恐らくこの町がこのように静寂に包まれているのはそれが原因だろう。スライムは獲物を一瞬で消化し、吸収してしまう。残るのは身体に身に着けていたものだけだ。

 人間たちはスライムの存在など知らないだろうから、昨日から今日にかけて原因不明の失踪事件がこの町で多発したことになる。そんな町を朝から子供に歩かせる()れ者など普通はいない。無論成人だってこんな時に家からは出たくはないのだろうが。

 美琴は聴覚を頼りに、周辺の気配を窺う。スライムは決まった形の体を持たないため、どこに潜んでいる分からない。よって視覚に頼り過ぎると危険だ。美琴は普通の液体とは違う動きをしている音はないか、耳を澄ます。

 普通の異形ならば妖気を辿るのだが、スライムという怪物は妖力を持たない。その上霊体を持たないため、霊気を探すことさえできない。それがスライムが人工的に作られたとか、宇宙からやってきたなどと言われる所以だ。地球上に生息している生物であれば少なからず妖力も霊力も持っているはずなのだ。しかしこの怪物は、思考もしなければ感情もなく、ただ本能に従って生きている。もしかしたら感情や思考も存在するのかもしれないが、そうだとしてもこの星の生き物の常識では計れないものなのだろう。

 スライムは、ただ喰うという行為のために存在する機械のようなものだと美琴は思う。どうやって生まれるのかも、また何のために存在するのかも分からない。ただ本能のままに動物を喰らい、無限に成長していく。子孫を増やすことはなく、ただ己の成長のためだけに栄養を使う。それはきっと、地球上の生物全てを喰らい尽くすまで止まらないのだろう。

 美琴がスライムと遭遇したのは、遥か昔ただ一度だけだ。その時は相手の体が成長する前に倒すことができたが、それでもひどい嫌悪感を覚えた。この怪物はどんな生態系からも外れている。まるで生物兵器のようなものだと思う。それも、間違っていないのかもしれない。どこかの狂人が星を滅ぼすために作った兵器と言われても、納得するだろう。本当に自然災害だ。

 もし倒すことができぬほど大きくなってしまったら、それはこの星の終わりを意味するかもしれない。





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