四 放たれた狂気
「約束通り、来てくれたわね」
巨大な結界に守られた廃墟と化した遊園地。その中で一人の死神と一人の人間が対峙していた。
空はこれから起こるであろう惨事の予感を孕むように陰険な灰色の雲で覆われ、いつ雨粒や轟雷が降り注いでもおかしくない様相を見せている。
「あの男は、市原冬樹は私の夢に現れるでしょうか」
濃い隈の浮き出た目を擦り、希はそう消えてしまいそうな声で言った。
「ほぼ確実にね。彼は身勝手な怨嗟のために死後も尚さらなる殺しを続けている。そしてその手を緩めることは決してない」
美琴はそう答える。自分を死に追いやったものたちを逆恨みし、次々とその手に掛けている悪夢の怪。そして次にその犠牲となろうとしているのは、この蓑原望という人間。
安田と上野に付き添われ、希はこの場所にやって来た。その間に美琴は準備を進めていた。あの男を夢から引き摺り出し、確実に消滅させるための準備を。
「既に狂気は放たれてしまった。もうそれを止めるには、あなたの協力が必要なの。とても危険な賭けになるけれど、力を貸してくれるかしら?」
死神の口からそんな言葉が漏れた。体を失い、ただ狂気の塊と化した市原冬樹という男は、その復讐心の赴くままに命を奪い続けた。そしてそれを当然だと考えているのだろう。
薄暗い曇り空の下で、古びたアトラクションたちがぼんやりと佇んでいる。遊園地が閉園となってからは手入れもされていないのであろうそれらは塗装がところどころ剥げ、錆がこびりついている。かつて子供たちに夢を与えていたであろう面影は、もう見えない。
その廃墟の中にかつて子供たちに一番人気だった、そしてこの遊園地の凋落の要因ともなったローラーコースター、「モンキードリーム」はあった。
電車を模した子供用の小さなその車両は、レールの上に乗せられてはいるものの車輪は錆び付き、もう動きそうにはない。その色褪せた車両に死神は希を導く。
「あなたには夢の中と同じように、ここで眠ってもらう。とても恐ろしい思いをさせてしまうけれど、あなたのことは必ず守る。信じてくれるかしら?」
「はい。それにこのままじゃどの道私の命も長くないことは分かっています。その悪夢が今日終わるのなら、喜んで協力します」
大きな黒く沈んだ目で力なく笑い、希はそう言った。美琴は頷き、そして車両の座席に着く希の姿を見つめる。
「あなたには、これから眠りについてもらう。そして夢の中でやって欲しいことはただ一つ。市原冬樹を捕まえ、そのまま目覚めてほしい。これは明晰夢を見ることができるあなたにしかできないこことよ」
「……分かりました。それでこの悪夢から解放されるなら、やってみせます」
「頼んだわ。私もあなたが夢の中で死なぬよう、できるだけの手は尽くすわ。そして目が覚めた後のことは、私に任せて」
希は頷き、そしてその固い座席の上ですぐに目を閉じた。そして小さな寝息を立て始める。美琴はそっとその側に寄り、彼女の頬に手を当てた。
夢の中で、希は現実と同じようにモンキードリームの中にいた。ただ違うのはこのコースターが真新しい状態に戻っていたことと、そこら中に赤い血が飛び散りこびり付いていること、そして彼女の他にもこのマシンに乗っている人間がいることだった。
「次は~えぐり出し~えぐり出しです」
あの陰気な声が聞こえ、また前回と同じように小人たちが現れ、スプーンのような器具を希の後ろに座った女性の目に向かって突き立てる。しかしこの小人たちもまた、あの市原冬樹という殺人鬼によって殺され、死んだ後もなお彼に使役され続ける哀れな子供たちなのだ。この子達を解放できるかどうかもまた、自分の行動に委ねられている。
希は背後から聞こえる悲鳴を振り切るようにして立ち上がり、前方へと向かおうと車両を乗り越えた。夢の中なのに、靴裏を通して金属の冷たい温度がリアルに伝わって来るようだ。
しかしその直後、一番前方の車両からひとつの人影がゆらりと立ち上がるのが見えた。長身痩躯のその男は、ゆっくりとこちらを振り返り、そしてにんまりと笑った。
「お客さん、走行中に立ち上がるのはおやめ下さいねぇ」
それで今度こそはっきりと思い出す。私はこの声を、子供の頃に何度も聞いている。廃墟となったあの遊園地で、このモンキードリームの中で。そして振り返った男の顔は、紛れも無くこのアトラクションを担当していた係員であり、そして多くの子供たちをその手に掛けたというあの市原冬樹のものだった。自分は何度もこの男が走らせるこのアトラクションに乗り、そして一度はこの男に連れ去られ、殺されようとしたのだ。
その顔を見た瞬間、思わず足が竦んだ。もうほとんど記憶は消えかけていたはずなのに、本能がこの男から離れろと命じているようだった。だがそれではだめなのだ。希は震える足に力を込め、そして飛び掛るようにして前方へと足を踏み出した。
「言うことが聞けないお子様は、お仕置きが必要ですねぇ」
どこから取り出したのか、小型のチェーンソーのスイッチを入れながら市原は首を傾げた。夢の中にも関わらず、チェーンソーの刃が回転しながら震える音が空気を震わせて伝わって来る。ふと後ろを見れば、小人たちは既にえぐり出しの儀式を終え、あの訳の分からない挽肉用の機械を持ち、こちらに少しずつ近付いて来ている。
小人たちに捕まったら終わりだ。自分は肉を切り刻まれ、砕かれ、そして現実でも死ぬこととなるだろう。だからもう迷っている場合じゃない。
希は気合を入れるために頭をぶんぶんと横に振り、そして市原を睨んだ。自分がやることはひとつだけ。あの男の体に触れれば良い。そうすれば、あの死神の少女が自分を目覚めさせてくれる。
希はモンキードリームの固い座席を蹴った。そして姿勢を低くして、市原の体に飛び掛かる。それは予想外の反応だったのだろう。市原の反応が一瞬遅れた。希は自分の手が市原の制服をしっかりと掴んだのを確認して、そして叫んだ。
「夢よ覚めろ……! 覚めろ! 覚めろ!!」
希が目を見開いたとき、そこにあったのはあの男の顔と、その向こうに広がる灰色の空だった。市原は相変わらず落ち窪んだ目で希を見つめ、そして回転するチェーンソーの刃を彼女の首に押し当てようと近付けて来る。だがその腕は別の細い腕によって掴まれ、直後市原の姿が希の視界から消え失せた。
急いで身を起こすと、あの痩せた男の体が宙を飛び、錆びたフェンスを砕いて地面に落ちるのが見えた。そして希の側に立つのはあの死神の少女の姿。ただしその身に纏う和服は青紫の生地に銀色の蝶々をあしらったものに変化しており、また市原を睨むその瞳は紫色に染まっている。
「ありがとう。あなたのお陰であの男を現の世界に引き摺り出すことができたわ」
美琴は口から血を垂らしながら立ち上がる市原から注意を逸らさず、そう言った。
「運行中の立ち入りはお控えくださ~い」
暗い怒りを滲ませた声を発し、長身痩躯の男が死神を睨み返す。彼は短い呼吸を繰り返し、そして改めて驚いたように口元に手を当てた。
「あら? 息が吸えることに驚いたかしら?」
腰に佩いた合口の刀を抜きつつ、少女は問う。その言葉に、怒りはどこへ消えたのか市原は口元をにんまりと微笑ませた。
「これは……僕の体が、戻ったということなのかな?」
「ええ、もう一度死ぬ為にね」
「体か……、体が戻ったのか……。なら僕は、また人形を作れるんだね? ああ、なんと素晴らしいことだろう。この世にはまだ希望があったのだね?」
死神の言葉を無視するように、引き笑いを混ぜながら市原はそう感想を漏らす。
「僕は、猿から人間に戻れたんだ……!」
「残念ながら、人間とは程遠いけれど」
灰色に濁った瞳が美琴を捉える。市原の周りには、いつの間にか彼が作り出した人形たちが出現していた。希が小人と表現した、小さな人間の姿そっくりに作られた人形たち。そして、市原に殺された幼子たちの成れの果て。
市原がいる限り、その肉体は彼の支配下から解放されぬ。そしてそのままでは、子供たちの霊体が救われぬ。美琴はちらと空を見た。灰色の雲を背にして、七つの魂があの男の死を待ち望んでいる。
「あとは君たちを殺せば、僕は自由だ。そうなんだね? 僕は知っているんだ。人を殺す方法を。人間って案外簡単に壊れるんだよ?」
人形たちが各々の手にそれぞれの凶器を握り、歪に体を動かして美琴に向かって来る。哀れな人形たちの饗宴も、もう終わる。
「残念ね。私は人を殺す方法じゃ死にはしない。それに」
小人の一人によって投げ付けられた太く長い針を、美琴は片手で掴んで投げ捨てた。それは死神の体を串刺しにすることなく、乾いた音を響かせて地面に転がる。
「命を奪うことに関しては、私の方に一日の長があるわ」
そう、自分は死神。殺すことには長けている。そして無論、この男を殺すための下拵えも既に整っていた。
この場所を選んだのは、この男の体をこの世に実体化させるためだった。市原がかつて自分の勤務先であり、また犯罪現場となった遊園地。この地の景色を夢の中で好んで使うという情報を希から得たため、ここを戦いの舞台として選んだ。
夢と現実を近づければ近づけるほどに、夢の中にのみ現れる特殊な存在を現実へ引き摺り出すことができる可能性は高まる。夢という概念が生じさせる霊気を、現実の世界と無理矢理に一致させ、混乱を引き起こさせる。その上この遊園地全域に結界を張ったことで妖気と霊気とを充満させておいたため、既に肉体を得るには十分な年月と霊気とを溜め込んだこの怪異ならばこの結界内ではすぐにでも現世に具現化する。
それが前段階だ。この怪異を、今度こそ確実に黄泉の底へと送らんがための。美琴は太刀を中段に構えた。そして、両足に妖力を込め、固い地を蹴る。
「次は~活け造り~活け造り~」
市原の楽しげな声が聞こえた。同時に、包丁のような刃物を構えた人形二人が美琴に向かって襲い来る。だが美琴は刀を翻すと、その刃物を弾き飛ばした。そのまま二人の人形の間を駆け抜ける。
「続いて~煮え滾り~」
ふざけた子供のように市原のアナウンスは続く。直後、美琴の目の前に現れた一人の人形が、煮え滾った油を美琴の顔面に向かって降り注ぐ。
白い煙が上がり、美琴の顔の皮膚が焼け爛れた。同時に「轢き潰し~」という陰気な声が聞こえ、見えない何かが美琴の四肢を潰さんと圧し掛かる。だが美琴は自らの肉体に妖力を通わせ、両手足を無理矢理に持ち上げてその物体を弾き飛ばした。
「言ったでしょう? あなたに私は殺せない」
焼け爛れ、剥がれ落ちたはずの瞼は既に再生している。美琴は自身の言葉を証明するように、一度瞬きして見せた。
「ペースト……」
市原の喉の奥からそんな声が漏れた。しかし美琴の頭上に現れた重プレス機は、美琴が振るった刀の一撃で真っ二つに切り裂かれ、機能を失って大地に割れる。
「次は挽肉~、挽肉です!」
だがその一瞬の隙を突き、市原の姿が美琴の目の前に迫っていた。彼が掴んでいた小型のチェーンソーは、今や闇雲に刃を増やしたような、彼の狂気を再現するような形に変わっている。
回転する刃の轟音が近付く。しかし美琴は素早く刀を握り直すと、市原の体を右肩から斜め下に向かって叩き切った。
袈裟斬りにされた市原の体は、しかし人のものではない故に真っ二つにはならず、そのまま宙を舞ってある場所に墜落した。
それは朽ち果て、寂れ果てたモンキードリームのマシンの上。彼が生前担当していた、そして彼の悪夢の基礎となったアトラクション。
子供たちの夢を運ぶはずだったそのライドマシンは、彼の手によって悪夢へ誘う地獄への切符となった。そんな因縁の場所で、市原は自身が作り出した人形たちに囲まれていた。
人形たちの手には、市原が彼らの元になった素材たちを殺すために、そしてその死体を処理するために使われた凶器が握られている。
市原によって眼孔に嵌め込まれた無機質な目からは、感情は読み取れない。切り取られ、縫い付けられた唇が動くことはない。それでも、市原はこの人形たちが自分へ復讐の念を抱いていることを感じ取っていた。
そう、自分が死んだとき、自分を死に追いやったものたちへ感じた殺意、それが巨大な固まりとなって冷たく自分に向けられていた。
「そうかぁ、僕は自分で作った人形に、殺されるのか」
もはやまともに体が動けないことは、久々に覚えた体の痛みが如実に物語っていた。巨大な針が、人の脂の付着したスプーンが、ぼろぼろの包丁が、錆びついた小型チェーンソーの刃が、少しずつ彼の皮膚に迫る。
「ああ、それなら良い。訳も分からないあの化け物に殺されるよりずっと良い! 僕は僕が作り出した子供たちによって殺されるんだ! 完璧だ、僕に殺意を向けたときに、君たちは僕が目指していた人形になったんだ!」
人間でしか持ち得ぬと思っていた殺意。それをこの人形たちは抱いたのだ。ならばそれは、限りなく人に近い人形となったはず。彼が目指し、創り上げようとしていた人形のはず。その完成を間近に見ることができただけで、彼にもう思い残すことはなかった。
二度目の死の間際にして、彼は完璧を手に入れたのだ。
狂ったような市原の笑い声は、溢れ出す血と肉とに掻き消されるように、次第に消えて行った。その情景を直視できず、希は目を逸らした。そして音が消えたときには、もうあの市原の姿も人形たちの姿も消えており、そして辺りには少量の血痕が残っているのみだった。
「これで、あなたの悪夢も終わるわ」
いつの間にか希の側に立っていた美琴が言った。その眼は既に紫色から黒色へと戻っている。その目で死神は優しい笑みを見せた。
「あの男は、死んだのですね……」
不意に遠くなる意識を何とか引き戻す。もう眠気が限界だった。美琴は柔らかく笑んで、彼女の頭をそっと撫でた。
「もう我慢せずとも良いのよ。ゆっくりと眠りなさい」
その言葉はまるで子守歌のように心地良く希の中に響き、そして体から力が抜けた。薄れゆく意識の中で、自分の体を誰かが受け止めたことが分かった。そして一瞬緑色の瞳をした誰かの姿が見え、最後に優し気な男性の声が聞こえた気がした。
「よく頑張った。ゆっくりお休み」と。
その声は、とても懐かしく、そして温かな声だった。
異形紹介
・猿夢
ある女性が夢を見ていた。彼女は薄暗い無人駅に一人立っていたが、そこに普通の車両ではなく遊園地に良くあるお猿さん電車のようなものが入って来て、その座席には数人の顔色の悪い男女が一列に座っていた。彼女は自分が夢を見ていることを自覚していたが、明晰夢である故怖くなれば目を覚ませば良いと考えて電車の後ろから三番目の席に乗り込んだ。すると出発を告げるアナウンスが流れ、電車が動き始めた。
その時点で彼女はこの電車が子どもの頃に遊園地で乗ったスリラーカーの景色であることに気付き安堵するが、その直後「次は活けづくり~活けづくりです」という陰気な声のアナウンスが流れ、さらに電車の一番後ろに座っていた人間が四人のぼろきれを纏った小人によって刃物で切り裂かれて内臓を取り出される場面を目撃する。続けて「次はえぐり出し~えぐり出しです」というアナウンスが流れ、今度は二人の小人がスプーンで彼女の後ろに座っていた人物の目を抉り出す光景を目の当たりにする。そして次の対象は三番目に座る彼女の番。アナウンスは「次は挽肉、挽肉です~」と流れ、小人が彼女のひざの上に乗って奇妙な機械を近付けて来た。そこで女性は目を覚ました。
それから四年間の間、女性はこの夢を忘れて日常を過ごしていたが、ある晩に突然その悪夢は再び彼女を襲った。夢はえぐり出しのアナウンスから始まり、やがて挽肉へと移行する。体に機械が近付いたとき、女性は何とか夢から目覚めることに成功するが、ほっとして目を開こうとした瞬間、確かに現実の世界で「また逃げるんですか~次に来た時は最後ですよ~」という声が聞こえて来た。
そして女性は次に同じ夢を見たときには自らの死を覚悟していると語り、この怪談は終わる。
2ちゃんねるのオカルト板の「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」初代スレッドにて二〇〇〇年八月二日に書き込まれた怪異のひとつ。この怪談の中では猿夢という言葉自体は出て来ないが、お猿さん電車に乗るという夢の内容からそう呼ばれるようになったと思われる。先の概要では性別を女性としているが、書き込まれた情報の中では性別を特定できる情報はない。
次に怪談中に出て来るお猿さん電車について、固有名詞としてはかつて上野動物園に「おサル電車」というニホンザルが運転する電車のアトラクションがあったが、この怪談では猿が運転しているという情報はなく、恐らく子ども向けの電車アトラクションの比喩としてお猿さん電車という言葉を使ったのではないかと思われる。またスリラーカーについては現在浅草花やしきに同名のアトラクションがあり、基本的にはこれを指すようだが、ここでのスリラーカーが花やしきのものを指すのか、それともライド型のお化け屋敷全般を指しているのかは不明。
そしてこの話を読んだためにその四日後、猿夢の続きのような夢を見たという話が「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?36」スレッドに二〇〇三年五月二日に書き込まれ、通称「猿夢+」と呼ばれるこの話では途中で舞台が新幹線に変わる他、元の怪談と比べると「吊るし上げ」、「串刺し」などの殺人方法が追加されていたり、同じ夢を見ている人物と会話ができたりといった違いが見られる。またその後も「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?202」スレッドにて「猿夢エゴマ」と呼ばれる話が二〇〇八年一二月五日に書き込まれ、こちらではヤキニク、ペースト、エグマといった殺害方法が描かれている。加えて「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?212」スレッドにおいても二〇〇九年五月一四日、猿夢を見たことがある人物の体験談が描き込まれ、ここでは串刺し、煮えたぎり、弾き飛ばし、轢き潰しという殺害方法が語られている。
また書籍上に記された類例として、常光徹著『学校の怪談B』ではこんな話が載る。ある男性が夢の中で線路の上を歩いていると、「線路を歩いては行けません。怖い目に遭います」と書いてある看板があったが、夢だから覚めれば良いと考えて進んで行くと鉄橋があった。用心深く電車が来ないことを確認し、その鉄橋を渡り始めるとその中程まで来たときに前方から電車がやって来た。そのため思わず危機を感じた男性が夢から覚めようとしてもなぜか覚めない。そこで必死に前方の電車に向かって手を振って叫んでいると五〇メートルほど手前で電車が止まり、安心して脱力したところで目が覚めた。
しかしそれから一年後のちょうど同じ日、あの鉄橋の上から再び同じ夢の続きが始まった。電車は五〇メートル手前で止まったまま。逃げるなら今だと男性は鉄橋を引き返し始めるが、背を向けた途端電車が動き始めた。間もなくがむしゃらに走る男性のすぐ後ろに電車の音が迫ったとき、目が覚めた。死んでしまうかと思ったと溜め息を吐いたとき、不意に耳元で「つぎの夢で最後ですよ」という声が聞こえた。
また夢の中の存在が現実にも干渉して来ようとするという話は他にもあり、不思議な世界を考える会著『怪異百物語4』には「夢で追われる」という題名で夢の中で包丁を持った男に襲われて逃げていると、「お前がこの夢を忘れた頃、必ず追いついて殺してやる」と言われたという事例が載っている。これの類例だと常光徹著『学校の怪談9』において、棒を持った男に追い掛けられた夢を見た際、目覚めたときに後ろから「夢じゃないぜ」という言葉が聞こえて来たという話が載る。




