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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第四九話 寂滅為楽と響くなり
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三 此の世のなごり夜もなごり

髪鬼かみおに……、身体髪膚は父母の遺躰なるを、千すじの落髪を泥土に汚したる罪に、かかるくるしみをうくるなり、ですか」

 詩乃が髪鬼に纏わる文章を暗唱する。美琴は頷き、言葉を続ける。

「髪鬼はその名の通り頭髪に纏わる妖怪。様々な念が髪に籠ることで妖と化した存在ね」

「でも、髪鬼の場合は髪そのものが妖となるのではありませんか? 取り憑かれた人間は頭から下の部分は何も異常がないのに、髪だけが異常を示し、どんなに髪を切っても何寸も伸びて来るという」

「それは最初の段階ね。まず人の部分とは別に頭髪が妖と化したのが髪鬼。だけど稀に、人間である部分が髪鬼そのものを飲み込んでひとりの妖と化す場合もある。あの少女はその一例でしょうね」

 髪鬼は元々、女の強い念が込められた髪を落とし、泥土に汚されたことでその髪に妖気が宿り、妖怪化する存在。ある意味では器物の妖のひとつだ。だがあのはつという少女の場合、彼女はその妖気をも取り込んで自ら鬼と化した。

 詩乃の話から類推するに、兄が妹の髪を切ったことが二人をそれぞれ髪切、髪鬼の妖へと変える契機となったのだろう。詩乃もまたそれに思い至ったようだった。

「心中による情死を双子が再現したことが、彼らの妖怪化の要因のなってしまったのですね」

「ええ、そしてそれは彼らに愛し合う男女がともに死ねば、来世においてはより強い絆を手に入れられるという考えに確信を抱かせることともなった。彼らにとって、それは行幸だったのか、それとも不幸だったのか」

 その時不意に美琴の携帯電話が音を鳴らした。美琴は相手が小町であることを確認するとともに、それを耳に当てる。

「何かあった?」

「美琴様の話されていた双子が現れたようどすわ。場所は東公園、そこで大規模な虐殺が起きているようどす。私も今向かっていますが……」

 手短な報告に、美琴もまた僅かな言葉で返答する。

「分かったわ、すぐに向かう。小町、あなたは無理しないで。あの双子は想像以上に危険なようだわ」

「了解しましわ。美琴様もお気をつけて」

 電話が切れると同時に美琴も立ち上がる。それを見て詩乃が一つ言葉を発した。

「現れたのですね」

「ええ、行って来る」

 詩乃の言葉にそう返し、美琴は書庫を後にする。




「へえ、おじさんも僕たちを止めようとするんだ?」

 はさみに変化させた右腕を鳴らしながら、とくはに立った警官を品定めするように眺めている。空にはまだ太陽がさんさんと輝く時間帯。だがその明るい世界にはまるで似合わない景色が双子の周りには広がっていた。

 芝生の生えた地面は零れた血で染められ、そして更にその上にはまばらに人の死体が幾つも転がっている。

 そのうちのひとつは鋭利な刃で肉を切り裂かれた死体。そのうちのひとつは大きな力によって首を折られた死体。

 そしてそのどれもに共通することは、もう息をすることはないという事実のみ。

「この人たちは、お前たちが殺したのか……!」

 若い警官は震える手で警棒を掴み、構えながらそう問うた。それに対しとくはこともなげに答える。

「そうだよ。本当はあそこにいるご夫婦だけで良かったのに、みんなが僕たちの邪魔をしようとするからさ。仕方なく殺したんだ。おかげでこんな心中に相応しくない場所であの人たちを殺すことになっちゃったのは残念だけど」

 とくが指さす先には、手足を髪の毛で繋がれた男女の死体がある。だがその顔は幸せとは程遠く、恐怖に目を見開いたまま息絶えている。

「本当に良く分からないわ。なんでみんなしてあたしたちの邪魔をするのかしら」

 不機嫌そうにはつが言った。その疑問に、警官は唾を飲み込む。

「なんてことを……」

「やっぱりお兄さんも人殺しはいけないことだって言うの? あたしたちの邪魔をするの?」

「そっか、なら、僕たちはお兄さんも殺さなきゃ」

 双子は不満そうに口を尖らせた。そして警官が逃げる間もなく、その顔は黒い髪に覆われている。やがてそれは体全体を包み込んで行く。

 やがて彼は悲鳴を上げることもできず、全身の骨を砕かれて転がる死体の仲間入りを果たした。




「また、殺したのね」

 美琴がそこに辿り付いた時、残っていたのは七人にも及ぶ人の死体だった。真昼間の公園。頭上に照る太陽は、双子の作り出した凄惨な現場を余すことなく照らし出している。

 赤く染まった遊具は鈍く光り、生を失った人間たちの瞳は光さえも返さない。

 その地獄の中心で双子はまた新たな犠牲者を作り出したところだった。はつがほどいた髪の塊の中から体を物理的に潰された警官と思しき若者の死体が滑り落ちる。腕や足の至る所が奇妙な方向にねじ曲がったその姿は、生きているとはとても思えなかった。

「なんだ、今度はこの前のお姉さん、死んでなかったんだ。また僕たちの邪魔をしに来たの?」

 とくが美琴に尋ねる。だが死神はその言葉を無視し、口を開く。

「これは全てあなたたちがやったのね」

「そうだよ。僕たちが、みんな殺しちゃった。お姉さんもやっぱりこの人みたいに人殺しは悪いことだって僕たちに言うの?」

 悪戯を叱られた子供のような目で美琴を見て、とくは言った。

「あなたたちに説教をする気はないわ。この場所を見れば、そんなことは無駄だって分かるもの」

「へえ、賢いんだねお姉さん。じゃあ何で僕たちのやってることがいけないことなのか」

 小馬鹿にしたようにとくが笑った。美琴は微かに眉根を寄せる。

「人も妖も死を恐れる。それでは答えにはならないかしら?」

「全然分かんない。だって、それは死んだ後に幸せになれるってことを知らないからでしょう? 知らないことを怖がるのなんて、どんなことだって一緒よ。だから知っているあたしたちが教えてあげるの。愛する人と一緒に死ねば、来世からはずっと一緒にいられるんだって」

 その笑顔に嘘はない。そう美琴は思う。そして故に、彼らは人を殺すことに一切の戸惑いも恐れも感じないのだろう。

「お姉さんみたいに僕たちを止めようとした人たちはたくさんいたよ。でもね、ここに転がってるみたいに、みんな死んじゃった」

 はつの笑い声が聞こえて来る。そして、続いてとくの屈託のない明るい声。

「でも怖がらなくてよいんだよ。生きているものってね、幸せに辿り付くために死ぬことを繰り返すんだ。死んで、死んで、死んで死んで死んで、生まれ変わり続けることで最後にやっと本当の幸福を手に入れられるんだ。僕たちのように。だから、お姉さんにもその手助けをしてあげる」

 とくの鋏が美琴に迫っていた。だが美琴は一歩も引くことなく、逆に足を大地から持ち上げた。

「生憎ね、私はあなたたちなんぞより死には詳しいわ」

 美琴の放った蹴りがとくの腹を打ち、彼を後方へと吹き飛ばす。彼の体は大地に落ちる前にはつの髪によって抱き留められるが、とくは苦し気に咳を漏らした。

「最後に聞いておくわ。あなたたちにとって、誰かの命を奪う理由は復讐のためではないのね。あなたたちを虐げて来たものたちへの」

「復讐? 何を言ってるの?」

 はつがとくをそっと下に下ろしながら、無邪気に口角の両端を吊り上げ、首を傾げた。

「あたしたちは今までに誰かを怨んだことなんかないよ? こんなに幸せなんだから、誰かを怨む必要なんてないもの。あたしたちはただ、みんなを幸せにしてあげたいの」

 その言葉に嘘はないようだ。そしてそれは、彼らが悪意を抱くことなく人を殺していたということの証左となる。それが分かればもう十分だった。

 美琴は刀を握り占めた。そして、口を開く。

「命を奪うことに、あなたたちは何も思うものがないのね」

「そんなお説教は聞き飽きたよ。そういうことを言う人は決まって僕たちを妬んでいるんだ。愛する人と一緒に死ねること、そんなに幸せなことってないのに。そして、二人で一緒に死ねば、二人は来世ではもっと強い絆で結ばれるんだよ。それの何に不満があるというのさ」

 とくが言葉を進める間に、その左腕が大きな鋏に変わっている。彼の肌と同じ白い色をした鋭利な刃。それは互いに擦り合い、鈍い音を奏でる。

「そう、この世にいる限り愛し合う二人は離れ離れになってしまうかもしれない。だって、所詮は他人だもの。だから一緒に死ぬの。そして来世でまた一緒になるのよ。同じ魂を持った、絶対に途切れない絆を持つ存在になるの。このあたしたちみたいに」

 そうはつは兄の右腕に自らの腕を絡ませる。そして彼の肩に預けたその頭から、髪が溢れ出すようにして再び伸び始める。

「そう……、分かったわ」

 美琴は刀を中段に構えた。その眼が二人を静かに睨む。

「あなたたちいが他者の命を奪うことをそう捉えているならば、私の選ぶ道行きは、ひとつしかない」

 黒に染まった舞台で美琴は覚悟を決めたように一度目を閉じ、そして開いた。死神の目が彼らを睨む。

「私があなたたちの舞台に、最後の夜を与えましょう」

 その言葉とともに、美琴は刃に妖力を通わせた。




あに様、あに様、あの人はどうして怒っているのかしら?」

 はつはそう可愛らしく首を傾げた。その間にも、彼女の頭部からは流れ出る水のように黒髪が伸び続けている。

 その黒き水流はやがて双子の中に沼を造り出し、静かに死神へと迫り来る。死神は刀を下段に構えた。

「きっと、僕たちが幸せなことが憎いのさ。だって、彼女は一人だろう?」

 そう徳は笑った。心中によって男女の来世の幸福が訪れると信じる双子。彼らにとって、たった一人で殺されに来た美琴は、愚かな存在にしか見えぬのだろう。

 だが彼らは思い違いをしている。例え二人であろうとも、この死神を殺すことは容易いことではないことを、知らぬ。

「さあ、僕たちを殺すことなんてできるかな?」

 とくの妖気がはつへと移るのを感じた。直後、彼女の足元まで伸びていた髪が幾つもの巨大な鋏の形に変じて美琴に襲い来る。

 だが美琴は、刀を真一文字に振るってそれらを薙ぎ払った。妖力を掻き消された髪の束が力なく落ちて行く。

 美琴の体が跳躍し、彼女を突き刺し切り裂こう再び伸びたはつの髪が宙を舞った。その直後、死神の姿が双子の間を通り抜けた。

 遅れてはつの喉から短い悲鳴が上がった。同時に噴き出した血がとくの顔を染める。その赤に濡れた顔を怒りに強張らせ、美琴を振り返る。

「兄の鋏を切りたかったのだけれど、庇ったわね」

 死神の冷たい声が響いた。彼女のすぐそばに肘から下を切断された白く細い腕が転がっている。美琴は刀を振り、血を落とす。

「兄様が無事でよかった……」

 はつは自らの腕の切断面を髪で縛りながらそう笑みを浮かべた。とくは自らの顔に掛かったはつの血を愛おし気に舐めた後、妹の体を抱きしめ、そして死神に向き直った。

「この報いは必ず受けてもらう」

 そしてそう言葉を吐いた後、彼らの体をはつの髪が包み込み、溶けるようにして消え去った。だが姿は見えずとも、彼らの妖気や霊気が消える訳ではない。

「報いには受けて立ちましょう。だけれど、もうあなたたちの妖気と穢れは覚えたわ」

 美琴は消えて行く黒の海に向かって呟く。

「もうあなたたちには、誰一人として殺させない」




「美琴様」

 小町の声が聞こえ、美琴は振り返る。

「これは、その双子たちが……」

 小町は公園の景色を赤く染める惨状にそう恐る恐ると言った様子で呟いた。

「そう、彼らがやったのよ。その上、彼らにとってこれは、貧しいものに小銭を与えるぐらいの感覚なのでしょうから性質たちが悪いわ」

「どういうことどすか?」

 小町は理解できないというように眉を潜めた。美琴は彼女を見つめ、答える。

「彼らは死こそが人を幸せにするのだと信じている。愛し合う男女は共に死ぬことで永遠の絆を手に入れ、そうでないものは転生を繰り返して幸せになれないこの現世から逃れることができる。それが彼らの考え方。だから彼らは誰かの命を奪うことに躊躇がないのよ」

「話は分かりますが、理屈は分かりまへんねぇ。死ねば幸せになるかどうかなんて分かる筈もないのに」

 小町は困惑したように言う。それが普通の考え方だろう。だが、あの双子にそれが通じるかといえば否だ。

「そうね。そもそも輪廻転生という考え方に基づいたところで人が必ず次も人に生まれるとは限らないし、人を殺して人に生まれるわけがない。だけれど、あの双子にそんな理屈は意味をなさない」

 彼らの行動の根本にあるのは、恐らく自分たちの体験だ。彼らは自分たちを心中した男女の生まれ変わりだと考えていた。かつて愛し合いながら共に生きることができなかったものたちが、来世でともに生きるために生まれ変わった姿なのだと。

 そして更に、自分たちも情死することで人間とは比べ物にならぬ程に長い寿命を持った妖として蘇ったことが、彼らなりの論理を裏付けてしまった

「彼らは自分たちの身に起きたことが他のものたちにも起きると考えている。故に死に対する意識が薄い。だから、自分たちの邪魔になろうものなら簡単にその命を奪ってしまう。それが気に入らないわ」

 あの双子は、ただ自分たちの満足のために人を殺す。故に誰かの命を奪うという行為の重さを知らぬ。それを許容することはできない。

「私は彼らを追うわ。次で決着をつける。あなたはもう帰りなさい。あとはもう私がいれば大丈夫だから」

 小町には、あの子供の姿をしたものたちを傷付けさせたくなかった。それに彼らは他者を傷付けることに容赦がない。そんなものたちの前に彼女を立たせたくはない。

「……分かりました。お気をつけて下さい、美琴様」

「ええ、ありがとう小町」

 美琴は小町に告げ、そして前を見据えた。そしてあの双子の穢れを追い、歩き始める。



異形紹介


髪切かみきり

 髪切りとも書く。何者かによって知らずのうちに髪を切られてしまうという怪異。その正体については髪切り虫の仕業、狐の仕業、人間の仕業など様々な説があった。また『百怪図巻』や『化物尽絵巻』等においては長いくちばしと鋏のような腕を持った妖怪が髪切として描かれている。


 江戸時代に被害が多発した怪異。喜多村信節の随筆『嬉遊笑覧』においては寛永14年(1637年)に髪切り虫という虫の仕業であるとの記述があり、また菊岡沾涼の雑書『諸国里人談』においては元禄のはじめに夜中に現れては男女問わず元結から髪を切り落とされるという事件が記されている。これにおいては髪切の正体は語られていないが、これに襲われた人間は髪を切られた際に一切気付かず、人に指摘されて初めてそれを知って気を失ったという。根岸鎮衛の随筆『耳嚢』においては三人の女が髪を切られ、その後野狐を殺して腹を裂いたところ、腸内に髪が詰まっていたという話が載せられており、大田南畝の随筆『半日閑話』にいては ある家の婢が朝起きて玄関の戸を開けようとし際、不意に酷く頭が重くなり、突然髪が落ちた、という話が載る。また朝川善庵の『善庵随筆』には人間の男と婚姻していた野狐が、夫に正体がばれ追い出される際、夫の髪を切って逃げ去り、その後京で髪切りが流行ったとの話がある。歌川芳藤 による錦絵『髪切の奇談』においてはある女中が夜半厠に行く際に襲われたという、女の髪を齧る真っ黒な化け物が描かれているが、これは現代では「黒髪切」という名前で髪切とは区別されることも多いが、原文では天鵞絨びろうどと形容されている。されている。天鵞絨とはビロードのことで、そのような真っ黒な化け物という意味だと思われる。


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