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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第四九話 寂滅為楽と響くなり
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二 夢の夢こそあはれなれ

「確かに、近世の頃に同じような事件が起こっていますわね。享保の頃、体に毛髪を巻かれた男女の心中死体が幾つも上がったと。その時代以降も何度か同じような死体が見つかっているようですわ。最初は大阪の方で起きていたようですけれど、やがてそれが双子の妖が引き起こしたということが判明した。ただ美琴様の前に現れたように、その後彼らは捕えられることも殺されることもなかったようですが」

 詩乃は古びた書物を眺めながらそう美琴に告げた。黄泉国の薄暗い大書庫の中で、二人の女妖は向かい合って座っている。

「やはりあの時代なのね。詩乃、彼らは何故男女の二人組を襲い、同時に殺害すると思う?」

 美琴の問いかけに詩乃は書物から目を上げて答える。

「江戸の頃、男女の双子は心中者の生まれ変わりとされて忌まれておりましたわね。それが根本にあるのでしょうか」

 やはり詩乃もそこに思い至ったようだった。美琴は頷き、言葉を続ける。

「私もそう思うわ。心中の末に情死した男女が来世に一緒になるというと、やはりね。ただそれが幸せになるというのは、彼らが双子であることを思うと江戸の生まれにしては随分と奇妙な価値観だけれど」

 この国の歴史で見ればそう遠くない昔、男女で生まれて来る双子は心中により命を絶ったものたちの来世であると考えられていた時代があった。しかもその当時、心中は人々にとっては大きな罪であり、死んだ二人は正式な葬儀を許されず、また片方が生き残った場合でもそのものは殺人者として処刑されるような状況にあったことも事実だ。

 それ程までに心中というものが禁忌であった故、男女の双子はかつて忌み嫌われ、そして双子を生んだ母は畜生腹などと呼ばれて蔑まれた。

 無論、心中者が双子に生まれ変わるなどということに根拠はない。だが、当時はそれが事実だと信じられていた。それが重要だ。転生の有無を正確に確かめる術がない以上、それは信じられることで当事者たちの中においては真実となり得たのだから。

「もしそうだとしたら、その双子は自分たちの境遇の怨みから妖になった、という可能性も考えられますわね。幸せにするというのは方便でしょうか」

 詩乃の言葉に美琴は頷く。人が異形と化す要因として最も多いのは怨恨だ。彼らが男女の二人組ばかりを狙って殺害するのは、自分たちの前世と言われていた心中者たちへの怨みによるものかもしれない。だが、それはただ最も分かり易い解答というだけのもの。それが真実だとは限らない。

「だけれど、それだとどうも引っかかるところがあるのも事実なのよね」

「引っかかる、ですか」

「ええ、彼らの発する霊気からは、少なくとも大きな怨嗟は感じなかった。寧ろ楽しんでいるといった様子だったわ」

 本当に怨みのみを理由として人を襲っているのならそうはならない。だから彼らの存在が掴み辛い。だが、彼ら自身が言うように本当に人々の幸福を願って彼らが人を殺しているのだとしたら、それはただ怨みによる行動よりも恐ろしい事かもしれぬ。

「そうですね。最初の動機が復讐であっても、後に人を殺すこと自体に楽しみを見出すようになった、という可能性もありませんか?」

「そうだとしたら悲しいことだけれど……。詩乃、彼らの過去をもう少し調べることはできる?」

「お任せあれ。夢桜京むおうきょうから書物を取り寄せることができれば、より詳しいことが分かると思いますわ」

 美琴は頷き、そして考える。まずは彼らのことを知らねばならぬ。彼らの命を奪う前に彼らが人を殺す理由を知ることができるのなら、その方が良い。




「おいしいね、あに様」

 はつが白い肉まんを齧りながらそう言った。二人は公園のベンチに座り、過行く人々を眺めている。春が近いとはいえ、まだまだ風は冷たい。コートを羽織ったサラリーマンや、ジャンパーに身を包んだ子供たちが彼らの前を往来する。

「寒い日にはこれが一番だよ」

 そう言ってとくもまた肉まんを頬張る。今はどちらも洋服を身に纏っており、一見すればただの人間の双子のように見える。だから彼らの側を通り過ぎる一組の男女も、彼らを警戒する様子もなく幸せそうに言葉を交わしている。

 そんな二人の後ろ姿を眺めながら、はつが呟く。

あに様、あの人たち、幸せそうだね」

 とくは頬張っていた肉まんを飲み込み、頷いた。

「そうだね。次は、あの人たちにしようか」

 とくはそう優しく笑った。そして、その二人の後ろ姿を見つめたままにベンチから腰を浮かせる。

「あの人たちも喜んでくれると良いね? あに様」

「きっと喜んでくれるさ。だって、僕たちみたいになれるんだからね」

 そう互いに微笑みながら、双子は手を繋いだ。同時にその姿が黒と白の着物を纏った妖のものへと変わって行く。




 その男、井畑が背後に迫る黒い影に気が付いた時、既に彼とその隣に立つ恋人の運命は決まっていたと言って良いだろう。ただの人間である彼らに、双子から逃れる術などありはしなかったのだから。

「なに?」

 井畑が振り返ったのに反応し、彼の恋人が同じように背後に体を向けたとき、既にその二人の子供は彼らから三歩の距離も離れていない場所に立っていた。どちらも邪気のない笑みを浮かべ、井畑たちを見上げている。

「あら、どうしたの君たち。こんなところに二人でいたら危ないよ?」

 とても綺麗な顔立ちをした兄妹だと思った。今時には珍しい着物姿が、彼らの日に当てられずに育てられたようなきめ細かな肌にとても馴染んでいる。

 年齢は中学生ぐらいだろうか。もう夜の九時を過ぎたこんな時間に子供二人で歩いているのは確かに危ない。そう思い、恋人に続いて彼らに家に帰るよう促そうとしたとき、少女の方が口を開いた。

「お兄さんとお姉さんは、今幸せ?」

 小首を傾げ、小さな白い歯を見せて少女は笑う。その齢には似合わない妖艶さを湛えた笑みだった。井畑は思わずどきりとしたのを悟られていないか恋人の顔を見る。

「幸せ? う~ん、幸せかな」

 彼女は自分の方をちらと見て、そうはにかんだ。ちょうど彼らは婚約を済ませたばかりだった。これで幸せでないと言われたら立つ瀬がなくなる。

 しかし彼らは知らなかった。それが双子のある行動を引き起こすことになるのだと。そしてそれはもう手遅れだった。

「そっか。なら、もっと幸せになりたいよね」

 今度口を開いたのは少年の方だった。どこからか鉄と鉄をこすり合わせるような、奇妙な音が聞こえて来る。

「永遠に一緒にいられる、特別な絆が欲しいよね」

 その言葉が少女の口から発せられたと同時に彼女の背後に黒い空間が広がった。それが伸びた髪の塊であることに気付いた時には、二人の体はその黒髪に絡め取られ、四肢の自由は奪われている。

「知ってる? 愛し合っている二人の男女が一緒に死ぬと、来世では双子に生まれ変わるんだよ。僕たちみたいに、血の繋がった、魂を分けた、二人で一人の永久に共にいられる存在になれるんだ」

 少年は屈託のない笑みを見せた。髪の隙間から見えるその表情が更に井畑をぞくりとさせた。何を言っているのか理解できない。だが自分たちに死が迫っていることだけは本能的に分かってしまう。

 それが更なる恐怖を促進する。

「さあ、その鋏を手に取って、髪を切って」

 手に巻き付いた髪が形を変え、まるで鋏のような姿を取る。そして腕に纏わり付いた髪が井畑の腕を操り人形のように動かし、同じように髪に全身を覆われた恋人の首筋に持って行く。そして、真っ黒な髪の間から垂れた彼女の茶色がかった髪を一房切り取った。

 はらりと落ちた髪を、今度はまだ腕の形を保ったままの左手が掴んだ。髪に操られ、自分の意志に反して動く自分の体が酷く気持ち悪い。

「その髪が、あなたたちを来世で繋げてくれるんだよ」

 少女が言った。同時に、体に巻付いた髪が蠢き、鋏を握った腕を恋人の方へ向かって動かし始める。それと同時に彼女の方もまた同じように黒い鋏に変形した腕を自分に向かって伸ばして来る。彼女の啜り泣きが微かに聞こえた。

 抵抗は無駄だった。彼の意志と力など嘲笑うかのように、右腕は着実に自分の愛する人へと近付いて行く。

 胸に鋭利な刃物が刺し込まれる感覚と、自分が恋人の心臓に向って刃を突き刺して行く感覚があった。ゆっくりと、心臓の位置を確かめるように、体を縛り付ける髪と髪の隙間に刃が沈んで来る。

 痛みと死への恐れで何も考えられなくなるようになるまで時間は掛からなかった。最後に恋人の体にもたれ掛る様にして、井畑は赤が黒に混ざった世界で絶命した。




 あの双子との遭遇から約二日の時間が経っていた。その間にも一件、彼らが引き起こしたと思われる殺人事件が起きている。その被害に遭ったのもまた若い男女の二人組だったらしい。そして美琴が現場に駆けつけたときにはもう双子の妖の姿は消えていた。

 この日、いつものように薄暗い書庫の中で美琴は詩乃と向かい合っていた。詩乃が和綴じの厚い書物を取り出し、文机の上で開く。

「彼らの過去が分かりましたわ。美琴様のお考えの通り、元は人間の子供だったようですね」

 詩乃が素早く書物の表面に目を滑らせながら話し始める。

「少年の名前はとく、少女の名前ははつ。二人の生まれは元禄の大阪。先日の予想通り、彼らは男女の双子であった故、酷い迫害を受けたようです。当時は双子という存在自体に偏見が持たれていた時代ですから、彼らの境遇はただここに書かれている記録のみで図ることは難しいでしょうが、それでも彼らが人々から快く思われていなかったこと自体は確かなようですわ」

 双子というものはいつの時代にだって存在する。だから彼らは生まれた時代が悪かったと言うしかない。その為に彼らが受けた迫害については想像するしかないが。

「それで、彼らはいつ妖と化したのかしら」

「彼らが数えで一四歳になった頃のようですね。死因は水死。二人で互いの手を繋ぎ、そして互いのその腕を兄が切った妹の髪で縛って心中するように海へと身を投げたそうです。そして、それが彼らの妖化の直接の要因となった。彼らは死を通過し、妖として蘇ったのですね。ただ、一つ気になるのは……」

「気になるのは?」

 詩乃は巻物から顔を上げ、美琴を見つめた。その瞳が小さく揺れる。

「心中者のように仕立て上げられ、男女が同時に殺される事件が起きていたのは、彼らが妖となる二年ほど前からなのです」

「それはつまり、彼らが人を殺していたのは妖になる以前からだったということ?」

 それは考えてもいない話だった。通常、怨みから人が妖と化す場合、それによって得た力が復讐の切っ掛けとなることが多い。特に子供であるならば尚更だ。

 だが、人であった頃から殺人を犯していたというのならばそうではなかったということになる。余程に彼らの怨みは深かったのか、それとも、やはり彼らが人を殺す理由はそもそも怨みなどによるものではなかったのか。

「はい、それから彼らは場所を変えながら何度も心中に見立てた殺人を引き起こしていたようです。時期にも地域にも規則性のない気まぐれな行動ではありますが、ただ夫婦や恋人同士といった近しい関係にある男女が主な被害者となる、という点だけは共通していますわね。ただしその過程で邪魔になったものたちも殺されているようですが……。彼らの目的は一体、何なのでしょう」

「そうね、彼らが言っていた来世での幸福、それをあの子たちが本当に信じていたのだとしたら、彼らは来世での人々の幸せを成就させるために殺して回っているのかもしれない。そもそも心中は男女が愛情を守り通すことの究極の形を、相愛の男女が死によって体現することを指すようになった言葉。だからと言って、他人が男女を無理矢理殺したところでそれを表現できる訳はないけれど……」

 あの双子が悪意なく、寧ろ善意によって人を殺し続けているのだとしたら、それはとても恐ろしいことであると同時に悲しいことだ。

 そう考えていると、詩乃がふと疑問を口にした。

「ところで美琴様は、その二人が何の妖だと思われます?」

「そうね、恐らく少年の方は髪切、と呼ぶべきかしら」

 髪切、それはその名の通り髪を切ることを目的とした妖怪。だがその正体については一定ではなく、髪を切るという行為を行う妖の総称だった。髪は妖力を通わせるには最適の素材となる。故に髪は古くから多くの呪術に使われ、その上特に霊性を帯びやすい女の髪は妖や妖術師にとって格好の餌や呪物として見なされた時期があり、それが近世の髪切事件を引き起こすこととなった。

 肝を奪うより安全に、また手軽に手に入れられることもあり、妖の闇が薄れ始めた江戸の時代、力の弱いものたちは好んで女の髪を手に入れようとした。

「髪切……、狐であったり、カミキリムシの妖だったり、時にはただの人間であったり、その正体は様々でしたけれど、彼の場合元人間、ということになりましょうか」

 詩乃の言葉に美琴は頷く。しかしあの少年は他の髪切のように妖力のために髪を切るのではない。だが、彼の髪切には必ず人殺しが付き纏う。

「断髪は、出家に見られるように俗世との縁を切ることを意味する行為でもあると同時に、女にとっては切り取られた髪は自分の分身を意味するものでもあった。故にかつては遊女が心中立として自らの髪を切り、また慕う客に髪を切らせて持たせるという行為が流行った。それもまた髪切りという言葉で呼ばれていたわね」

 心中という視点から見れば、その先に爪を剥がしたり指を切ったりといった心中行為があるため、断髪自体はさほど重い行為ではない。だがあのとくという妖にとって髪を切るという行動には特別な意味があるのだろう。妹の髪を切ったその行為が正に彼を俗世から引き剥がし、妖としての力を手に入れさせた。故に彼は切り裂くという能力に特化した妖怪となり、また人を殺す際には彼らと俗世との縁を断つ象徴として、女の髪を切るようになった、ということなのだろうか。



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