一 一足ずつに消えて行く
背丈の異なる二つの影が月夜の下を歩いている。どちらも齢は十四、五ほど。片方は男で、片方は女。互いに良く似た顔をしているが、男は髪が短く、黒い着物を身に纏っていて女に比べ幾分か背が高い。女は地に着く程に髪が長く、白い着物を纏って男に比べ幾分か背が低い。
二人の手は互いの掌を覆い包むように繋がれており、更にその二つの手の上には黒く細い髪が何重にも巻き付けられ、固く彼らを結び付けている。
辺りに響くは川の音。二人を覆うは木々の檻。深い森の奥で、双子の妖は立ち止まる。
「とく兄様、この方たちに相応しいのは、この辺りかしら」
女が言った。男は頷き、彼らの背後に転がった黒い塊を振り向く。
それは長く伸びた女の髪を胴に巻付けられた二人の若い人間の男女。黒い毛の間からはみ出した二人の足首には、鋭利な刃物で切りつけられたような深い傷が生じており、未だ真新しい血が流れ続けている。
少女が髪を解くと、痛みによるものか恐怖によるものか、気を失った若い女の姿と、怯えた目で少年少女を見つめる若い男の姿が現れる。
「そうだね。さあはつ、始めようか」
とくと呼ばれた少年は、はつと呼んだ少女が男女の腕と足とを結んでいた髪に手を伸ばし、自身の人差し指と中指とを小さな鋏に変化させた。そのまま少女の頭から伸びた髪をその鋏で切り裂く。
切断された髪は生きているかのようにひとりでに動くと、男女の腕に巻付いてよりその結びつきを強くした。足首もまた同様だった。
やがて互いの片手、片足を結ばれた男女の姿がとくとはつの前に出来上がる。徳はそれを満足そうに眺めた後、まだ意識のある男の側に屈み込んだ。
「君たちは来世で特別な絆を手に入れるんだ。僕と、はつのように」
そう言って男の額を撫でると、徳は両腕を巨大な鋏に変化させた。そして二人の首に刃を当てると、躊躇することなくその刃に力を込めた。
第四九話「寂滅為楽と響くなり」
死神が見つめていたのは、春の夜に沈んだ死の塊だった。だがそれは死神によって齎された死ではなく、それ故に美琴はその眉根を潜めていた。
彼女の視線の先に転がるは奇妙な死体。足首と首を掻き切られ、そして足と腕とを黒く細い紐で結び付けられている。良く見ればそれは幾重にも巻付いた女の髪。微かだが妖気が残留しており、そしてその妖気と同じ妖力を纏った妖がその横に立っている。
「あなたたち……」
仰向けに倒れた二人の人間は、既に濃厚な死者の気を纏っていた。傷口から流れる血ももう固まり始めている。命を助けるには手遅れなことを悟り、死神は紫色の瞳で妖を睨んだ。
呼びかけに二人の妖は彼女の方に顔を向ける。そこで美琴はこの妖たちがそっくりな顔をしていることに気が付いた。全く同じという訳ではない。よく見れば差異はある。だがその作りがよく似ている。血の繋がった妖、というところだろうか。
この森の奥で、彼らがこの二つの命を奪ったことに間違いはなさそうだった。死因は喉元の裂傷だろう。足首の傷は、彼らが逃亡するのを防ぐために付けた傷か。
「あれはだあれ? 兄様」
髪の長い妖が隣に立つ少年の妖にそう尋ねた。兄と呼ばれた妖は思い当たるところはない、と言った風に小さく首を傾げる。
どちらもまだ見た目は人の子供に見える。だが妖にとって様相はあまり意味をなさない。このものたちも何百年の時を生きているか知れぬ。
二人の妖は彼らが殺したのであろう人間たちから目を離し、死神の方に向き直った。その彼らの足元は、彼らの犠牲となったものたちの血で赤く濡れている。
ここまで伸びた血痕を見るに、恐らく二人は生きたまま他所からこの場所まで引き摺られて来たらしい。しかし死体を隠す、という目的がある訳でもなさそうだった。
足の傷は、その途中に逃げられる可能性を考慮して付けられたのかもしれない。ならば、ここで殺すことに意味があったということか。しかし何故。
「ねえ、君は一人なの?」
少年の妖がそう気さくに声を掛けて来た。まるで道端で知り合いにあったかのような調子。だが彼のすぐ後ろに転がるのは血濡れの死体。それがひどく不釣り合いだ。
その常識との落差が、彼らの雰囲気を異質なものとして死神の目に映す。
「一人だとしたら?」
美琴は腰に履いた太刀に手を置き、そう問うた。長い髪の少女の姿をした妖が、くすくすと白い着物の袖を口元に当て笑うのが見える。
「だったら、一度死んだだけだとあなたは幸せにはなれないよ。早く来世で一緒になりたい人を連れてきて? そうしたらあたしたちがあなたを幸せにしてあげるのに。この人たちみたいに」
淀みのない瞳で美琴を見つめながら、まるで自分のしたことを誇るかのように少女が言う。その言葉の意味を死神は捉えかねる。彼らの言う幸せが何なのか、彼女には分からない。
だがそれは、彼らがこの現場に偶然居合わせたのではなく、そこにいる人間たちの命を自らの手で奪ったのだと宣言しているようなものでもある。美琴は確かめるように、彼らに問う。
「やはり、あなたたちがその人たちを殺したのね」
二人の体ははっきりと穢れの気配を纏っている。それはこの人間たちだけではなく、何十もの命を望まれぬままに奪った証左。疑う余地はない。美琴は右手で刀を引き抜いた。
「どうやらあのお姉さんも、他人の幸せが気に入らない奴らの一人みたいだね。自分が彼らのようになれないからって、妬み嫉みで僕たちを襲うんだ」
少年はそう不快そうに眉をひそめた。そしてその腕が巨大な鋏のように変化する。それに合わせて少女の方も妖力を解放したらしく、辺りに妖気が漂い始めると同時に彼女の黒い髪が溢れ出る水のように長く伸び始める。
「あはは、一人で死んでも幸せにはなれないけれど、あなたが悪いんだからね? お姉さん」
少女が笑い、そう告げる。直後少女を中心に描かれる黒い沼の中から幾筋かの暗闇が伸びた。美琴はそれを跳んで回避するが、髪の束は少女の意志に応じて軌道を変え、美琴を追う。
邪な蛇のようなそれを死神は宙で何本か切り払った。だがそれではあまり意味がない。この妖は朱音と同じように髪に妖力を通わせる。ならば妖力が尽きるまであの髪は伸び続ける。
ならば本体を狙うのが最も効果的。美琴は刀身の妖力を込め、少女に向かって斬撃を振り落とそうと刀を掲げる。
だが、背後に唐突に現れた妖によってそれは未然に防がれた。全く気配なしに出現した少年に、美琴の反応が一瞬遅れた。
「ここにいるのははつだけじゃないよ」
少年の腕が変化した巨大な鋏が美琴の項に触れる。しかしその刃が肌に食い込む前に美琴は体を素早く体を翻すと、少年の体を片足で蹴って反動を付け、近くの木の枝の上に着地した。
「中々強いんだね、君」
少年の体は大地に落ちる前にはつと呼ばれた妖の髪に捕えられ、そして彼女の生成した黒い沼に飲み込まれて消える。同時に彼の妖気ははつの妖気に紛れ、感知できなくなる。
美琴はその動向に注視しながら思考する。これが、あの妖が背後に現れるまで気配を察知できなかった理由だろう。全く別の種類の妖であろうにも関わらず、この二人の妖気は似通っている。故にあの髪の中に身を隠されると、彼の妖気が妹の妖気に混ざり合い、居場所を特定することができなくなる。
顔の相似を見ても、人に近い外見を見ても、片方を兄と呼んでいることからも、彼らはかつて人間で、同じ親から生まれた可能性が高い。それが何らかの理由で妖と化した。元が同じ親から同じ遺伝子を受け継いだ子であるならば、肉体に宿る妖気が似通っていることにも頷ける。
「いつまでそこに立ってるの? お姉さん。あたしたちにもう構わないっていうなら見逃してあげても良いけれど」
はつが言葉を発する間にも今度は彼女の髪が一塊になって変形し、美琴の背丈の倍以上はある大きな黒い鋏となって美琴にその口をゆっくりと開いて行く。
「そうもいかないわ」
「なら、来世での幸せを祈ってね?」
美琴に向かって黒い鋏が迫る。これもまた彼女の兄の力と併せての技だろう。美琴は再び刀身に妖気を通わせると、目前まで迫った髪の鋏を真っ二つに叩き切った。まばらになった髪の束が下に落ちる。同時に、美琴もまたはつへ向って飛び出していた。
このまま首を掻き切る。それで一人は斃すことができる。だがそう簡単にそれを許してくれる相手ではなかった。
空中でばらばらになった黒髪が、今度は切れた蜥蜴の尻尾のように一人でに動き出し、美琴の体を背後から拘束する。
「残念でした。あなたの命はこれで終わり。息が止まって、骨が砕けて、醜く死んでしまうんだから」
少女の無邪気な笑い声が黒い視界の向こうから聞こえて来た。未だ妖力を残した彼女の髪は、美琴の命を搾り取ろうと強く巻き付いて来る。
「君が来世で共になりたい人がいたなら、また僕たちを訪ねてきてね。一緒に死ねば、来世での絆が約束されるんだからね」
続いて少年の穏やかな声が聞こえた。そして彼らの笑い声が響き、遠くなって行く。そこで、死神は彼らの目的をやっと理解する。
「そういうことね……」
美琴は一瞬全身に妖力を通わせ、自身を縛り付ける黒髪を引き千切った。ずたずたに寸断された毛髪は流石に妖気を失い、風に揺られるようにして地面に落ち、散らばった。
既に辺りにはあの双子の妖の姿はない。美琴の死を確実と思い、去ったのだろう。だが生憎まだ生きている。美琴は刀を鞘に仕舞い、ひとつ息を吐く。
そして、彼女は森の中に残されたあの男女二人の亡骸の前に立った。
「まるで心中ね……」
美琴はそうひとり呟いた。男女二人が手を繋いで共に死ぬ。そう聞けば情死を連想するものもいるかもしれない。だがこれは明らかに第三者によって命を奪われた結果だ。まるでこの男女を無理矢理に心中させるように。そして恐らく、その心中こそがあの双子の目的だ。この森は、さながら天神の森といったところか。
そう、彼らはただの兄妹ではなく、双子だ。彼らが行っていることが心中の再現だと知り、それが分かった。江戸の頃、近畿の方で心中事件を何度も引き起こしている双子の妖がいたという覚えがある。
かつて、近世では男女の双子は結ばれずに情死した男女の生まれ変わりだと信じられていたことがあった。あの双子の言う来世での絆とは、それを指しているのだとすれば辻褄が合う。それでも彼らの目的が完全に分かった訳ではないが、手掛かりにはなる。
そもそも双子が心中者の生まれ変わりとされたのは、双子という存在が忌まれた理由のひとつでもある。彼らが人間であった頃そのような扱いを受けていたのなら、それが幸せであると言えるだろうか。もしかしたら幸福と口にしていてはいるが、根本的にあるものは復讐かもしれない。その犠牲になったのが、この二人の男女ということなのだろうか。
美琴は冷たい地面に横たわる死体から目を逸らした。こんなところで死者を放置しておくのは忍びない。だが、人の死に妖が関わるのは、なるべく避けたかった。彼らは、人の手で人の世界に戻らねばならぬ。妖に殺されたとしても、せめて人として死ねねば浮かばれぬ。
遠くからサイレンの音が聞こえて来る。あれだけべっとりと地面に血が残っていれば、この真夜中でも気付くものはいるだろう。美琴はその場を後にした。




