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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第 五 話 摩天楼の想い
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一 さとり

 月夜に(そび)える摩天楼(まてんろう)。その屋上で、その異形は紫を(まと)う死神と対峙した。

 異形は死神を睨む。その心を覗こうと目を凝らす。だが死神は怯むことなく、真っ直ぐに異形を睨みつける。

 死神が刀を抜く。銀色の刃が月光に鈍く光る。それが決闘の合図だった。


第五話「摩天楼の想い」


 今日の黄泉国(よもつくに)の空は晴れている。雲のまばらに浮かぶ青の空を美琴は見上げ、ふうと息を吐く。そして両側を草花に囲まれた石畳の細い道を歩き出す。

 この道を真っ直ぐに行けば黄泉国の中心街、御中町(みなかまち)に出る。天気が良い日には、美琴は時々こうして黄泉国を散歩することにしている。妖は人間と違って昼に寝て夜に活動するため、日が昇っている間は静かでいい。喧騒を嫌う美琴にとっては丁度良かった。

 しばらく細長い道を歩いて、やがて黄泉国の住人たちが多く住む町に出ようとした時、美琴は自分の方に向かってくる影を認め足を止めた。この時間に出歩いている妖怪は少ない。

 美琴が立ち止まったままいると、人型の影は彼女を見つけたようで、彼女に向かって軽く手を挙げた。

「久し振りだな、死神さん」




「つまり、居候(いそうろう)ってことか?」

 水木に問われ、恒は頷いた。美琴の屋敷に住まわせてもらうようになってから一月半が過ぎた。その生活にも慣れてきたため、そろそろ友人である水木と飯田には自分の家の事情を話しておこうと思い、恒はある日の放課後、他人に聞かれないように今自分が置かれている状況を告げた。

 水木、飯田ともに酷く驚いたようだったが、一応信じてはくれたようだった。ただ、妖怪や異界といったことについては伏せ、居候している先は父親の元知人であると言っておいた。そのため質問はもっぱら恒の住む家についてだった。

「お前の他に、誰が住んでるんだっけ」

「お手伝いさんが二人に、あとはお嬢様が一人かな。僕もお手伝いみたいなものだけど」

 良介、朱音についてはとりあえずお手伝いと表現しておいた。実際、そのような役割も受け持っているようなので嘘ではないだろう。

「それにしても、家が無くなったとはまた君も災難だねえ。早く言ってくれればよかったのに」

 飯田が眉をひそめて言う。

「いや、心配掛けたくなくってさ」

「またお前は。俺たち友達だろう?遠慮すんなよ」

 水木と飯田に恒は笑顔を作って答える。

「うん、でももう大丈夫だから」

 強がりではなかった。実際、もう二人に頼ることはないと思ったから打ち明けたのだ。いつかは言わなければならないことだ。

「家と言えばさ、恒。最近お前俺ん家来ないよな」

「大分忙しくてさ」

「久しぶりに泊りにでも来いよ。居候じゃあちょっと居心地悪いだろ?」

 水木が自分に気を使ってくれているのがありありと分かり、恒は申し訳ない気持ちになる。

「悪いよ」

「気にすんなよ。俺の母さんもお前の顔見たがってるしさ。飯田も来るだろ?」

 水木の母親には何度か世話になっている。恒の事情を知っているためか、何かと良くしてくれた。ただ心配させるのが忍びなく、祖父母が死んでからはあまり会っていない。

 どうしようかと考えていると、飯田が水木に加勢するように言った。

「もちろん。ただ水木君と二人きりではつまらないからね、是非とも池上君にも来てもらいたい」

 その言葉に恒は苦笑する。二人の思いが良く分かって申し訳ないと思いもあるが、やはり嬉しかった。

「じゃあ、行かせてもらおうかな」

 結局三日後、水木宅に三人で宿泊することで話がまとまった。しばらく話をした後、水木は部活に、飯田は塾に赴き、恒は二人と別れ帰路についた。

 見慣れた午後の景色を眺めながら町を歩く。明日は雨であるそうだが、今日は至って快晴だった。

 黄泉国に着いたのは四時半を過ぎたころだった。いつものように門を開け、裏庭を横切って裏口へ向かう。

 玄関に入ると、廊下の向こうで慌ただしく動いている朱音の姿が見えた。恒が帰ってきたことに気付くと、板張りの廊下を歩いて近付いて来る。その両手には茶と和菓子を乗せた盆がある。

「ただいま帰りました」

「お帰りなさい。今ちょっとお客様が来てるいるんですよ」

 朱音は相変わらず丁寧な口調でそう言うと、「挨拶だけしてくださいな」と続けた。どうやら忙しそうなのはその客のせいらしい。

 朱音に連れられて恒は客間に向かった。障子の向こうから話し声が聞こえて来る。

「あんたの噂は聞いてるぜ。つい最近この辺にうろついてた鬼どもを蹴散らしたそうじゃねえか」

 良介とは違う、男の低い声だ。どうやら客は男性のようだった。朱音が障子越しに声を掛ける。

「美琴様、恒君が帰りました」

 客の相手をしているのは美琴らしい。

「入って」

 短い美琴の返事が返ってきた。朱音は一言「失礼します」と言うと、静かに障子を開けた。

「おう朱音ちゃん、それに、新人君か」

「どうも、こんにちは」

 客はやはり男だった。どんな妖怪だろうかと思ったが、見た目はほぼ人間と変わらない。黒いスーツを着た茶髪の男だ。目付きは鋭いが、口元は笑みを浮かべている。その男の前には低い机を挟んで美琴が座っている。浅黄色の着物を着た彼女や、畳敷きで土壁という純和風の客間のせいか、ビジネスマンのようなスーツの男はこの空間で浮いて見える。見た目では人間と区別がつかないが、この異界にいるということはやはり妖怪なのだろうか。美琴とはどういう関係だろう。それに会ったことはないはずなのにこの男には見覚えがある気がする。

 男は恒をその釣り目で見つめている。まるで目を凝らすように目を細めている。そしてふと笑った。

「そうそう、君の考えている通り、俺は人間じゃない。あとこの人とは古い友達だ」

 突然そう言われ、恒は戸惑う。まだ何も発言してはいない。なのに疑問に思っていることに対しぴたりと答えられると、奇妙な気分になる。まるで心を読まれているようだ。

 その様子がおかしかったのか、黒のスーツの男は再び笑った。

「その通りだよ。それが俺の能力だ。俺それで人間界でも有名なんだぜ?知らない?」

 そう言われ、やっと恒はこの男に見覚えがある理由に気がついた。最近、雑誌で写真を見たことがあるのだ。確か心を読むとかいう能力を持つとかで、テレビによく出ているらしい。ただ、名前だけは思い出せない。

「からかうのはやめなさい。(かく)

 (いさ)めるように美琴が言った。朱音の入れた茶を一口啜(すす)ってから、恒の方を見る。

「この妖怪は(さとり)と言ってね、心を読む能力があるの。挨拶も済んだし、もう行っていいわ。思っていることが筒抜けというのは気分が良くないでしょう?」

「言うねえ、伊耶那美さん。まだ自己紹介もしてないぜ。俺は郭だ。この人の言う通り覚という妖怪さ」

 そう言って郭ははにかんで見せる。ただ、口元は笑っていても目は笑っていない。じっと、恒の方を見つめている。

「僕は……」

 そう言いかけた恒を、郭が掌をかざして止めた。

「池上恒、だろ。妖怪と人間のハーフ。この屋敷に住むようになったのはつい最近。そんな感じだな」

「はあ」

 どうやら、心を読むというのは本当らしい。言おうとしたことから、ただ考えていたことまで当てられてしまった。妖怪であるならばその能力を使って人間界で有名になったのも頷ける。

「能力のお披露目はもういいわ。朱音、恒、すまないけど下がってくれる?」

「分かりました、失礼します。恒君、行きましょう」

「はい」

 朱音は盆を片手に、障子を閉めた。恒はほっとして、小さく溜息をつく。朱音とともに、そそくさと客間を離れる。

「心が読まれるというのは、やはりあまり良い気持ちがしませんね」

 廊下を歩きながら、朱音が言った。

「美琴様にお客が来るのって、珍しいですね」

「そうですねえ、あの方はあまり、外との関係を重視しませんから。郭様も昔、美琴様に助けられてその時からの縁なんです。今日も近くに来たから寄ったとか」

 美琴が助けたということは悪い者ではないのだろう。それでも心を覗かれるのは、朱音の言う通り良い気分のするものではない。思考の自由さえも奪われるのは息苦しい。

「私や良介さんは色々な妖怪と関わった経験があるから大丈夫ですけど、恒君はあまり郭様の前には行かない方が良いと思いますよ」

「そうします」

 台所へ向かう朱音と別れ、恒は自室へと向かった。(かばん)を置き、床に胡坐(あぐら)をかく。

 郭と会い、ここに棲んでいるのはやはり妖怪なのだということを再認識した。この屋敷で美琴たちと暮らしていると、彼らが妖怪であることをたまに忘れてしまう。生活はほとんど人間と変わりないし、彼らは頻繁に人間の世界に向かう。

 だが、普段は見せないだけで、彼らは妖怪としての能力も持っている。あの覚という妖怪が他者の心を読むように。

 そして自分にも妖怪の血が半分流れていることを思い出す。だが恒は自分の能力を知らない。妖怪であったという父は、どんな妖怪だったのだろう。




「あれが、半妖怪の子かい」

 郭が障子の向こう、離れていく影を見ながら言った。

「そうよ」

 郭は美琴の方に視線を向ける。黒絹のような髪も、漆黒の瞳も、端正な色白の顔も、昔と変わらない。

「あいつがここにいるってことは、鬼どもが動き出したんだろ?」

「大方は片付けたわ。まだ油断はできないけれど」

 美琴が和菓子を一口かじる。

「大変だねえ、あんたらも」

 そう言って、郭は軽く笑った。その顔を、美琴が睨むように見る。

(ねぎら)いに来たわけじゃないでしょう?」

「そりゃそうさ。ビジネスの話だ」

「ビジネス?」

「知っての通り、俺は今人間の下で働いている。この能力のおかげで、俺は人の世界ではちょっとした有名人だ。本も出してりゃテレビも出てる。天才読心術者としてな。知ってるだろ?」

 (いぶか)しげな視線を向けたまま、美琴が答える。

「心を読めるならわかるでしょう?知らないわ。そこまで熱心にテレビなんて見ないもの」

「そっけねえなあ。通りでさっきのも俺のことをあんまし知らないわけだ」

 ふん、と鼻息を鳴らし、郭は美琴を見る。

「で、ここからが仕事の話だ。俺の力で、あんたを有名にしてやろうと思ってな。どうせまだ、金にもならない危険なことをやってるんだろ?そんなことやめて、こっちに来いよ。あんたなら美少女霊能者とかなんとかですぐテレビに引っ張りだこだぜ。みんなからちやほやされて、命の心配もなく、金も稼げる。こんないいことはないだろ?」

 美琴は僅かに表情を曇らせる。だが、彼女の心を読んだ郭の顔は、それ以上に醜く歪む。

「断るって言うのか?」

「口に出すまでもないでしょうけど、興味がないわ。それに、あまり無暗に人の前で能力を晒すのも関心できないわね」

「ふん。あんたも知ってるだろう。俺が妖怪の世界でどんな目に遭ってきたかを。妖怪どもは皆俺たち覚の能力を知っている。だから俺たちに近寄っては来ないし、近付いたところで俺は心が読めちまう。ほとんどの奴は、心を読まれるなんてまっぴらだと思っているか、俺の能力を利用しようとしていやがるんだよ。あんたみたいなのは例外でな、珍しいんだ。だから俺はずっと居場所がなかったんだ」

 そう一気にまくし立てた後、郭は冷めてしまった茶を飲んだ。それで少しだけ高ぶった感情は静まった。美琴は言葉を発さず郭を見つめている。その目を直視することができず、郭は畳に視線を逸らす。

「なまじ心が読めちまうとな、他の奴らがどんなに醜いかわかっちまうんだよ。それは異形も人間も同じさ。ただな、人間は能力を持ってねえからな。俺が読心術を使えるなんて本当に信じてるやつは少ないし、金の道具か、テレビの芸能人かぐらいにしか思ってない。そっちの方が気が楽でな。それにあんたも言ってただろ。人間と妖怪の共存とかなんとかって」

 郭は自分の言葉が(もたら)す効果を期待して美琴を見る。だが美琴は首を静かに横に振り、冷たい声で言う。

「人と共存するのと、人に()(へつら)うのとは違う。あなたの苦しみはわかるわ。でもお金儲けのために人の下に就いたところで何の解決にもならない」

 その言葉に、郭は怒りに顔を歪ませて机を拳で叩いた。空になった湯呑が音を立て転がる。美琴は表情を変えず郭を見ている。

「俺はあんたのことを考えて言っているんだぞ!正義の味方か何か知らないが、何も命を危険に晒して生きる必要はないだろう」

「私は正義の味方でも何でもないわ。心配してくれるのは嬉しいけれど、断らせてもらうわよ」

「そうかよ。あんたは正直だな」

 郭は美琴を睨みつけ、立ち上がる。そのまま障子に手を掛け、振り返りもせずに出て行こうとする。その後ろ姿に美琴が小さく言葉を掛ける。

「ひとつ言って置くわ。あなたが心を読むことができるように、私には他者の背負った恨みが分かる。あなた、大分穢(けが)れが蓄積されているわよ」

「そりゃ御忠告どうも」

 郭は乱暴に障子を開け、出て行った。少しだけ美琴が追って来ることを期待したが、無駄だった。そもそも彼女の心にはそんな行動を起こす兆候は欠片も出ていなかったのだ。

 郭は鼻息も荒く屋敷を後にした。




 黄泉国から人間界へと抜ける門の外には郭のマネージャーを待たせてあった。郭と同じような黒いスーツを着た、ショートカットの女だ。

「振られましたか」

 不機嫌な表情の郭を見るなり、女はそう言った。

「うるせえ」

「どうか気を落とさずに。今後の仕事に影響が出ます」

 表情を変えずに淡々と話す女に郭は苦笑いをする。

安岐(あき)、お前はほんとに裏も表もねえなあ。まあだから俺の側に置いておけるんだけどな」

 郭は自分の横を歩く無表情の女、安岐を見る。

「どうも。ところで今日の予定ですが」

「分かってるよ。この木久里町でロケだろ?全くせっかくあいつの黄泉国と繋がってる町での仕事だっていうのになあ」

 坂道を下りながら、郭は町を見る。そして、大きな溜息をついた。



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