三 邪魅の夜
「それじゃあ魑魅という妖怪も、魍魎と同じような存在なのですか?」
恒が尋ねる。魑魅という単語と魍魎という単語は魑魅魍魎とセットで使われることが多い印象がある。
「ある意味では近い存在なのでしょうけど、同じものではないわ。先ほど山の神であると言ったように魑魅は山川や木石の怪、神とされることが多い異形でね、中国の『文選』にも魑魅、 山澤の神とあるし、『春秋左氏伝』には魑は獣形の山神であると記述がある。それに日本でも平安時代の『倭名類聚抄』では山海經にいわく、魑魅。鬼の類なり。野王云、魑魅は老いた物の精なり。文選蕪城賦云、木魅、山の鬼なりと中国の文献を引用して紹介しているわ。そしてここでは魑魅については「須太萬」と和名も紹介されている。その祠に祀られた魑魅がすだまと呼ばれるようになったのはこれによるものでしょう」
美琴の手元の紙にはさらに難解な漢字が追加されて行く。手元に書物もないのにまるでその場で読んでいるかのように情報を引用しているが、これもまた長く生きた妖だからこそなのだろうかと思い、いややはり美琴だからだと思い直す。恐らく良介や朱音に同じことを聞いてもここまでスムーズに言葉は出て来ないと思う。それが良いのか悪いのかは分からないけれど。
「中国の文献に情報が多いことからも分かるでしょうけど、魑魅と魍魎はどちらもあちら由来の妖怪でね、古くは中国神話に描かれる涿鹿の戦いという戦争において、蚩尤という名の神が山精水怪である魑魅魍魎が仲間に引き入れたという記録があるのよ。日本において魑魅魍魎という言葉が妖秋全般を指すようになったのは、この二種の妖怪によって山川に存在する全ての妖怪を意味することができるからなのでしょうね」
「なるほど、よくわかりました」
みずはもすだまも、妖であることを捨て神であることを選んだ。それが人との繋がりに依存するものだから故、彼女らはそれを選んだのだろう。人を愛してしまった故に、彼女たちは消えようとしている。そんな運命だったなんて認めたくはない。恒はそう、強く思う。
今日もまた、あの人がこの場所を訪れた。まばらに雨が降っていたけれど、黒い傘を差していつものように来てくれた。そして自分とすだまの祠に手を合わせてくれた。
初めて荻野の姿を見たとき、彼はまだ十にも満たぬ子供であった。あの霧雨が降る夜はみずはの記憶にも強く残っている。自分の姿を見て驚いていた少年の顔。あの時、一言でも声を掛けていればと今でも思うことがある。あの夜を最後にして、人の目はみずはを映さなくなった。
今みずはがどんな言葉を掛けようと、荻野が気付くことはない。空を濡らす雨が水神であるみずはの体に落ち、消える。
みずはは顔を上げた。灰色の空から夏の雨が止めどなく落ちて来る。
あの霧雨の夜は幻だったかのように遠くなってしまった。人と妖、人と神との間には今や大きな隔たりがある。もう昔のように人と言葉を交わすことも、共に笑うこともない。村の豊穣を祈ることも、川の反乱を抑えることもできない。それは仕方がないことなのは分かっているけれど、やはり寂寞とした想いは捨てられない。
「あの人と会えるのも、あと数日の間なのでしょうか」
みずはは傍らの祠にそう話しかけた。だが勿論答えが返って来ることはない。みずはは濡れた草の上に座り込む。真新しい天の水が水神の体を優しく覆う。
「昔は二人でここに座って、村の人たちが来るのを楽しみにしておりましたよね」
みずはは遠くを見つめ、そう呟くように言った。とても懐かしい記憶だ。昔はたくさんの人々がここを訪れた。夫婦で、子供と一緒に、友人と連れ立って。
それはまだ、自分たちがこの村の守り神でいられた頃の記憶。もう二度と訪れることはないかもしれない幸福は、それだけに強く胸を締め付ける。
みずはがすだまと出会ったのは、もう千年近くも前のこと。みずはは川の流れから生まれた水の怪として、すだまは山の土から生まれた地の怪として、彼女たちは友となった。
初めは二人とも大した力を持たない妖だった。まだみずはは赤黒い肌の小さな子供のような姿をしていて、すだまもまた虎に似た灰色の獣のような姿をしていた。だけど同じように自然から生まれた妖だったからなのか、親も兄弟もいない境遇からか、二人はいつも一緒にいるようになった。
人との関わりはほとんどなかった。そもそも力が弱かった頃はみずはは人の目に見える姿を維持できなかったし、例え見えたとしても物の怪であるみずはとすだまは恐れられはすれど受け入れられることはなかった。みずはは亡者の肝を食らう魍魎であり、すだまは山の鬼である魑魅でしかなかった。だけどその隔たれた境界が崩れる日があった。
それは初夏の夜で、蛍が舞う空の下だった。ある村人があの川辺を訪れて、涙ながらに神に祈っていた。水の神に雨の恵みを、地の神に種の芽生えを。まだ若い娘だった。だけどその胸に、痩せた赤子を抱いていた。
村は作物の不作に襲われていたのだろう。そして偶然にも、水の怪と地の怪である二人は村人の望む力を持っていた。
初めは村を助けるつもりはなかった。けれどあの明日にも命を手放してしまいそうな痩せた赤子の体と、子のために必死に祈る若い母親の姿が頭が離れなくて、みずはとすだまはただその人間のために雨を降らせ、そして稲や菜の種に少しだけ力を与えた。
だけれどその行動は、不作に悩む村の人々の命を数多に救うこととなった。人々は二人に感謝し、そしてあの二つの祠を建ててくれた。
そうして川と山の妖は、人々の手によって神として祀られた。誰かに感謝されるなんてことは知らなかった二人だが、それ故に村人たちの言葉は、祈りは、彼女たちの心に深く染み入った。毎日のように祠に立ち寄って供物を供え、そして季節の移り変わりとともに種々の作物の実りを喜ぶ人々の姿が愛しいと思った。そして彼らが自分たちを必要としてくれていることに、村の一員として認めてくれていることに、幸せを感じたのだ。
そうして、その魑魅と魍魎は村の神として人々を守り続けることを願ったのだ。そしてその妖の姿は、人々の神であるために人のものに近付けた。人に姿を見せても恐れられぬよう、人と言葉を交わすことができるように。
山川から生まれた妖たちは、人に愛され、人を愛したことで神となった。
だけれど時が経るにつれて人々の中から神の存在は薄くなっていった。そしてもう二百年以上も前のこと、かつての周淡村で大飢饉が発生した。大きな台風がこの村を直撃し、作物を押し流してしまったのが原因だった。
その頃、みずはとすだまとは一対の神として村を守っていた。川を司る水神と、山を司る山神。それまでは彼女らの力が村の作物や自然を守っていた。しかし巨大な天災をなかったことにするほどの力はその頃の二人には残されていなかった。少しずつ彼女らを信仰するものたちの数が減り始めていたのも原因だったのだろう.。
そしてその飢饉は人々の心にも邪な影を落とした。飢えは争いを生み、やがて村の人々は村の内と、外と殺し合いを始めるようになった。自らが生きるために、自らの腹を満たすために。
自分たちは土地神でありながら村の人たちを守れなかった。その後悔は、大きな重りとなり彼女らの心を押し潰してしまうようだった。
「私たちには、もう何もできないのでしょうか」
みずはは血に染められる川面を見つめ、そう呟いた。隣にすだまが立つ。
「いえ、まだ方法はあります」
すだまはそうみずはの肩に手を置いた。みずはは彼女を見上げる。いつものように優しげな笑みを浮かべたすだまがそこにいる。
「ただそれは、あなたとの別れを意味することになるかもしれません」
すだまは灰色の髪を撫で、そう言った。黄色の瞳が何も言えないでいるみずはを映す。
そしてその目が、、小さく笑みの形を作った。
「みずは様、人の心は邪悪だと思いますか?」
すだまが問うた。みずはは静かに首を横に振る。
「そんなことは思いません。人は何かを憎むことができるように、何かを愛することができる。決して邪なだけが人の心ではない。そう私は思います」
すだまはその言葉にそっと頷いた。そして川の向こうの村へと目を向ける。
「私もそう思います。勿論人の心は憎悪に傾くことがある。でもそれは妖だって神だって同じです。だから私は、その憎しみのために滅んでいくあの村の人たちを見ていたくない」
すだまは覚悟を決めたように判然とそう言った。みずはは瞳を震わせ、すだまを見る。
「まさか、すだま様……、邪魅となるおつもりなのですか?」
みずはの問いにすだまは答えなかった。だがそのつもりであることはみずはには分かってしまう。何百年も一緒にいたのだ。言葉などなくともすだまが何を考えているかなど、己の思いのように伝わってしまう。今はそれが辛かった。
「私がそうなってしまった後は、頼みます」
少しの間を置いてすだまはみずはに言った。みずはは頷くことしかできなかった。彼女が思い悩み決めたことをどうして自分が否定できよう。みずはにできるのは、ともに生きた山神を精一杯助けることだけだった。
すだまはしばらくの間村の方を見つめていた。みずはもまたその横に佇んでいた。そうしているだけで、二人で村の人たちとともに過ごした幸福な時間が蘇って来る。そして夜明けが迫ってきた頃、すだまはその霊力を解放した。
彼女の霊体は人の目に触れぬままに村へと現れ、そして村の人々の心の邪の部分だけを食らい、自らの内に取り込んでしまった。人がもう争わぬようにという願いのために、しかしその行為は彼女を別の妖にまで変えてしまった。
邪な気の影響で彼女は元の姿さえも保てなくなった。その体は黒い妖気に覆われ、やがて獣の姿と化した。
その姿となることを、すだまは邪魅になるのだと言っていた。人の心の邪悪さによって生まれ、それを糧とする怪物。悪鬼なる妖邪。すだまは村の人間たちが互いに争い、殺し合うことをやめさせるため、自らを犠牲にした。
そして、邪魅になれば感情も妖気も抑えられなくなる。故に自分が村の人たちを傷付けてしまうかもしれない。それがみずはに自らの封印を頼んだ理由だった。そしてみずはもまた、かけがえのない友を己が手で封じる道を選んだ。
「私たちは、村の守り神ですものね」
みずはの片目から涙が零れた。そして彼女は邪魅の体に触れる。掌と心を焦がす焼けるような痛みとともに、みずはは言った。
「いつかまた、ともに暮らせる日を待っています」
邪魅の瞳からひとつ雫が落ちて、そして彼女の体は祠の中に吸い込まれ、消えた。みずははその祠に縋り一昼夜泣き続けた。
この夜以来、すだまのお陰か村の人々は再び互いを助け合い、飢饉を乗り切る道を思い出したようだった。彼らは飢饉の年を乗り切り、そして再び村には平穏が訪れた。すだまは確かに村を救った。だけれどあの夜から、すだまが邪魅となった夜からだが彼女の祠から声が返って来ることはなくなった。そして人々は次第に神を忘れて行き、みずはは川の流れから生まれたばかりの頃と同じように、またたった独りとなった。
異形紹介
・魑魅
鬼の一種であったり山林の怪、また山神等々様々な形で紹介される怪異。魍魎と同じく中国由来の妖怪ではあるが、魍魎に比べると本邦では魑魅に纏わる話はあまり伝わっていない。
魑魅と魍魎は魑魅魍魎という四字熟語の中で共に使われることが多いが、元々は別の妖怪である。また魑魅は一種の妖怪ではなく、魑と魅という二種の妖怪を指しているという説も存在する。
中国南北朝時代に南朝梁の昭明太子によって編纂された詩文集『文選』においては魑魅は山澤の神、また木魅は山の鬼であるという記述がある。また後漢の時代に編纂された『漢書』においては魑は虎に似て鱗を持つという記述がある。また『春秋左氏伝』においては魑は獣の形をした山神であり、虎に似ている姿だが虎を食らう怪異とされている。さらに『史記』においては魑は虎の形をした山神、魅は猪頭で人の形をした沢神とされ、魑と魅が別々に解説されている。
日本においては平安時代の『倭名類聚抄』にて和名は「須太萬」であるとし、中国の『山海経』を引用し鬼の類であると書かれている他、『野王』を引用し魑魅とは年経たものの精であるとしている。また前述した『文選』を引用し、木魅は山の鬼である和名は「古太萬」であるとの記述も見える。また魍魎の紹介でも書いたが、『和漢三才図会』においては魑魅は山神、魍魎は水神であるとの記述が見える。また江戸時代の『百鬼夜講化物語』では魑魅が母親、魍魎が子として魑魅魍魎の親子が登場するが、魍魎が魑魅の乳房を食いきってやるなどと発言する場面が見られる。また、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』には見開きで魍魎の対になる妖怪として邪魅という妖が描かれているが、その説明として「邪魅は魑魅の類なり」という言葉が見える。




