二 人を愛した妖
「かつて、といってもほんの二百年と少々前のことですが、この村で大きな飢饉が起きたのです。毎日のように村の人々が倒れ、死に行く酷い飢饉でした。それは人々の心から安穏を奪い、邪な影を落とし、そして互いを殺し合うまでに発展しました。村の内外で食物を巡って人々は血を流しているのに、水の神である私も、地の神であるすだま様も、もうその頃には今ほどではないにしても多くの力を失っていて、天災による不作を覆すほどのことはできませんでした。だけどすだま様は、ただ血を流し続ける村の人たちを見てはいられなかった」
みずはの目が悲しみに翳る。何百年という月日は恒にとっては途方もなく長い月日に思える。だがみずはのような異形のものにとっては、僅かな時の流れなのかもしれない。
「すだまさんは、どうしたんですか?」
「彼女は、人の心の悪しき部分を吸い取る力を持っていました。今までにその力を使って子供の喧嘩を止めたり、家族の不仲を取り持ったりしていました。少しの悪意ならばすぐに浄化できるからと、彼女は笑っていました。だけど村全体を巻き込んだ争いには数多の憎悪が渦巻いています。それなのにすだま様は争いを止めるため、それを全て吸収してしまったのです。私に、その後を託して」
一瞬の静寂があり、川面に魚が跳ねる音が響いた。みずはは一度息を整えるようにして初夏の空気を吸い込むと、また話し始める。
「全ての邪気を浄化することなど到底できず、彼女は邪魅と呼ばれる妖に姿を変えました。邪な気をその身に溜め込んだすだま様はもう自我さえも保ってはいられませんでした。そのままでは人を襲う悪鬼となってしまう、だからすだま様が悪気を振り乱す妖となってしまう前に、私は彼女との約束の通りにすだま様をこの祠に封じたのです。少しずつでも身に溜まった邪気を浄化し、元に戻ることができるように、それを私が見守り続けていられるように……」
みずはは恒を見た。その唇が微かに震えているように恒には見えた。
「それじゃあ、二百年もあなたは一人で……」
人の目に触れることもできず、たった一人の友人であった存在も自分で封じることとなって、彼女はずっと一人でここに立っていたのだろう。幾度季節が廻ろうとも、雨や雪がここに降りしきろうとも。
みずはは恒の言葉に小さく首を横に振って答える。
「例え言葉を交わせずとも、すだま様とはここで共にいることができました。だけれどそれも、もう駄目なようなのです。すだま様は今にもこの祠を破り、村へと向かおうとしています。私にはそれを押さえ続けるだけの力は残っていない。もってあと十日もあれば良い方でしょう。だから私はすだま様を連れて逝こうと思うのです」
「逝くって……、死ぬつもりなんですか」
思わずそう声が出た。みずはは曖昧に頷く。
「きっと村の人たちが私たちへの信仰を忘れてしまったことが彼女の怒りとなっているのです。かつてのすだま様なら村の人たちを恨むことなどしなかったのでしょうが、彼女の心は今邪気によって穢されている。自らを律することもできません。私もまた自分の命を贄とすれば彼女を道連れにするぐらいの力は残っている。もうこれしか術はないのです。だから、最後にあの人が好きだったこの川の蛍を見て、あの村の祭囃子を聞いて、そしてともに逝こうと思います。村の人々に神はもう必要ない。ならばこの村に生き続けた神の最後の仕事として、すだま様とともに消えられるのなら、私にとっても幸福なことですから」
人はもう神を必要としなくなった。みずははそう言っていた。だけど、だからと言って神が消えなければならない理由はない。恒はそうも思う。そしてその思いのために、恒は無意識にみずはの手を握っていた。
「駄目です、簡単に消えるなんてことを考えたら。妖怪や神様のことならとても詳しい人を僕は知っています。その人なら、生き残ることができる道を知っているかもしれない。次の祭の日までには必ず答えを持ってきます。だから待っていてください」
みずはは驚いたように恒を見た。恒は真っ直ぐにその赤い瞳を見つめ返す。ひとつ蝉の声が近くの森から響いて、そしてみずはは頷いた
「分かりました。お待ちしております。私たち二人がまだ生きる術があるならばそれが一番幸せでしょうから」
みずはは言って、恒の手から己の手を離した。そしてその手を大切そうに摩り、微笑した。
「恒様の手は温かい。まるですだま様の手のようです」
そう話すみずはの手は、綺麗な川のように冷たく、心地よかった。
「魑魅と魍魎、それに邪魅。なるほどね。話は大体わかったわ」
美琴はそう恒に告げて一度頷いた。
場所は黄泉国の屋敷の縁側部屋。夕暮れが迫る初夏の空から、橙色の光が降り注いでいる。周淡町から帰った恒は、美琴の姿を見つけるや昼間出会ったみずはという異形のものについて話していた。
少女の姿をした死神は、それに異を唱えることなく恒が話し終わるまで黙って耳を傾けてくれていた。恒はその美琴に重ねて問う。
「彼女を助けられるでしょうか」
「そうね、方法はあるわ。でもただ力で解決しても一時的なものにしかならないから、少し工夫をする必要はあるでしょうけれど。それにそのみずはという水神は、邪魅を殺すことを願っている訳ではないのでしょうし」
美琴はそう優しく笑った。恒はほっと胸を撫で下ろす。美琴ができるといって今まで不可能だったことはないし、実際に恒が知っているだけでも数多くの妖怪がらみのことを解決していた。だから今回も彼女なら何かしらの道を教えてくれるかもしれない。そう思って相談したのだ。
自分自身の力で解決できないのは悔しいけれど、誰かの命が掛かっているときにそんな見栄を張っている場合ではない。それで少しでもみずはとすだまの命が助かる可能性が高いのならば、それに向かって行動するだけだった。
「次のお祭りの日が多分そのみずはという水神を助けるためには良い日となるでしょう。あなたにも手伝ってもらうことになると思うけれど、それは大丈夫よね」
美琴に尋ねられ、恒は迷うことなく頷いた。元々自分が引き受けてしまった相談なのだ。自分ができることであれば何でもするつもりだった。
「人に忘れられてしまった神様は、どうなるのでしょうか」
そうぽつりと呟くように恒は疑問を口に出した。美琴は少しの間を空けてそれに答える。
「そうね。かつてはこの国にも神として祀られた妖はたくさんいたわ。それは妖の祟りを鎮めるたであったり、妖の力による恩恵を受けるためであったり、理由は様々だったけれど。でも時代が進むにつれて神に頼る必要性も、神に対する信仰心も失われて行った。それは分かるでしょう?」
美琴の言葉に恒が頷いた。みずはも同じようなことを言っていた。
「神と呼ばれるようになった存在は、その信仰や人によって捧げられる供物を糧として生き、その代わりに人のために力を使うという人間との共存関係を持つものも多かったわ。それ故に信仰を失った神たちはそれに対して怒り、人々に対して害を与える荒魂となるもの、共存を諦め世界を去り、異界に住処を移すもの、そしてそれでも人々とともに生きることを選んだもの、様々なものたちがいた」
美琴は淡々と話し続ける。だが彼女もまたそのような異形のものたちの姿を何度も見ているのだろうと恒は思う。
「みずはさんの姿が見えなくなったのも、人々の信仰がなくなってしまったことが原因なのでしょうか」
恒が尋ねると、美琴は首を横に振った。
「元々霊体だった存在ならともかく、妖であるならば基本的に肉体を保てないほどに妖力が失われれば死ぬわ。恐らく彼女が人の目に見えなくなったのは、魍魎という妖の特性によるものが大きいのでしょうね」
美琴に顔に当たっていた夕陽が落ち、その表情は薄闇に包まれる。
「魍魎という名前は鬼饒を取って罔両とも書いてね。この名前は『荘子』の斉物論第二にも出て来る話なのだけれど、そこでは罔両は影の周りを縁取る薄影の意味として使われているの。影に従って動く影の影といったところね。もうりょうという妖の名は、そういう捉えどころのない曖昧なものを指す意味があるのよ。それが魍魎という妖怪の特徴の一つ。元々存在が曖昧な異形でありながら、様々な特質をもつのが魍魎という妖なの。一通り教えておいた方が良いかしら」
恒が頷くと、美琴は近くにあった紙を机に置き、鉛筆で「罔両」の名をその上に書きながらそう恒に教えた。そしてさらにその下に「罔象」という名前が書き加えられる。
「この字はもうしょう、また本邦ではみずはとも読むわ。恐らくあなたの出会った魍魎がみずはという名前で人々から呼ばれるようになったのは、これが元になっているからでしょう」
美琴は鉛筆を紙の横に置いた。恒はその名前を見つめながら口を開く。
「罔象というのはどういうものなんでしょう」
「そうね。罔象は先ほど話した『荘子』に水に罔象あり、とあるし、前漢の時代に書かれた『淮南子』には水は罔象を生じ、という文や水の精なり、という文が見られるわ。つまり罔象という名前は水に関わる魍魎の性質を表していると考えられる」
ついていくのが精一杯ながら、恒は美琴の言葉を聞き漏らすまいと集中する。みずはも自分のことを水から生じた水の妖だと言っていた。それは古い中国の時代から伝わることらしい。
「そしてその水の精としての性質が日本に取り込まれた結果、『古事記』において元々水の神の名であった弥都波能売神が『日本書紀』において罔象女神として表記されたの。それを起因としてなのか、現在では魍魎と書いてみずはと訓じることもあるわ。平安時代の『倭名類聚抄』でも美しい豆の波と書いて和名「美豆波」と記されているしね。それに江戸時代の『和漢三才図会』には魍魎は水神であり、魑魅は山神であるという記述もあるのよ」
美琴が再び鉛筆を右手に持ち、均整の取れた字で「魍魎」と複雑な漢字を書き連ねながら、「知らなければこれでみずはとは読まないわよね」と小さく笑った。
「そしてもう一つの魍魎の特徴であり、この国においては現在最も有名だと思われるのが墓を掘り返し、亡骸の肝を食らう妖怪という部分ね」
「肝を食らう、ですか」
「ええ、中国に戻ると明の時代に書かれた『本草綱目』には魍魎、好んで亡者の肝を食らう、という記述があるし、それに倣った『和漢三才図会』にも同じことが書いてある。肝ではなく脳を食らうという話もあるけれど、それも中国の『酉陽雑俎』という書物に書かれている。古くから魍魎という妖怪は人々に知られていたの。でもその割に、その姿形がきちんと記録されていないことが多いわ。その理由が恐らく、先に話した存在の曖昧さによるものだと思う。そういう妖怪がいると分かっていても、目に見えなければ姿は描写できないからね」
「じゃあ、魍魎の姿というのは伝わっていないのでしょうか」
恒が尋ねると、今度は美琴は首を横に振った。
「そういうわけではないわ。あなたに魍魎の姿が見えたように、妖力や霊力の強いものの目にはその姿が映る。『淮南子』には罔両、状は三才の小児の如し、色赤黒し、目は赤く、耳は長く、髪は美しい、とあるわ。見たみずはという魍魎も、これに近い姿だったかしら?」
「ええ、子供の姿ではありませんでしたが、他の特徴は一致していると思います」
恒はみずはの姿を思い出しながらそう答えた。美琴は頷き、そして言う。
「人の目には捉えにくい曖昧な姿をした存在であり、水より生まれる水の精であり、水神であり、亡者の肝を食らう妖怪でもある。そんな様々な性質を持つのが魍魎という異形のものなの。言い換えればどんな形を選んでも存在することもできる異形のものということ。だけどみずはというその女性は、その村の神であることを捨てられなかったのでしょう。妖として生きることを選べば、今のように死の危機に陥るほど力を失うことはなかったかもしれないのに」
美琴は少しだけ寂しそうにそう言った。美琴の言う通りならば、確かにみずははいくらでも村の神であり続ける以外の道を選べたのかもしれない。でもそれは彼女と村との繋がりを否定することになる。みずはがそれを拒んだ理由も、何となく分かった。
異形紹介
・魍魎
罔両、罔象、方良等様々な呼び名があり、またその姿や性質も一定しない。
元々は中国由来の妖怪であるが、現在日本においては鳥山石燕が『今昔画図続百鬼』に描いた耳の長い子供のような姿をした赤黒い肌の妖怪で、人間の死体の肝を食らう妖怪として紹介されることが多い。
魍魎は元来中国由来の妖怪であり、伝えられる話も数多い。また魍魎、罔両、罔象等は同じ妖怪として扱われるが、それぞれの名前の表記によってその描写は異なっている部分も散見される。
罔両という表記は『荘子』の斉物論第二において影の周りにできるぼんやりとした薄影を表す言葉として使われ、罔両は影と問答する。またこれに由来するものとして、中国の南宋時代には罔両画という布袋や達磨などの禅宗人物をごく薄い墨で描く絵画が生まれた。『淮南子』には罔両は三歳の子供のようで目は赤く、耳は長く、髪は美しいと姿が描写されており、『本草綱目』においては罔両は亡者の肝を好んで食らい、虎と柏を恐れる怪物であるとの描写があり、また死体の脳を食らう弗述という妖怪が同じく柏を弱点としているため、罔両と同じものであるとの記述がある。
一方で名前が罔象と書かれた場合、水に纏わる性質が強く描写される。例えば先にも挙げた『荘子』において罔象は水に罔象あり、とされ、また『淮南子』には罔象は水から生じるもので、水の精である、との記述が見られる。また『国語』においては木石の怪は夔罔両であり水石の怪は龍罔象であるとの記述も見られ、『孔子』においても木石の怪は夔罔閬であり、沢川の怪は竜罔象であるとの記述が存在し、さらに『春秋左氏伝』においては水沢の怪であると記載される。『淮南子』や『荘子』においては罔両と罔象は別々に記述があるため、元来は違う存在を指す言葉であった可能性もある。
魍魎は魑魅とともに中国神話において語られ、異形の神蚩尤が神農に対して反乱を起こしたため起きた涿鹿の戦いでは、黄帝に対し蚩尤は山精水怪である魑魅魍魎を味方につけ争ったが、最後には黄帝に敗れている。そしてここでは魑魅、魍魎ともに龍の声を恐れるという特徴が記される。また戦いの後魑魅魍魎は再び水沢山林に帰ったが、今度はそこで人々を脅かすようになったと伝えられている。
このように中国において様々に語られる魍魎であるが、日本においても奈良時代の『日本書紀』には既に「罔象」の字は見られ、伊耶那美が死の間際に生んだ水の神「罔象女神」に名前が使われている。また平安時代の辞書である『倭名類聚抄』においては魑魅と並んで魍魎の紹介がなされており、ここでは先述した日本書紀の「罔象」を元にして魍魎は水神であり、その和名は「美豆波」であるとの記述が見られる。また江戸時代の『和漢三才図会』においては『淮南子』にて描かれた赤黒い肌の子供のような姿の化け物であるとの記述、絵が記され、また『本草綱目』を引用して亡者の肝を食らう性質が記述されている。ここでも『春秋左氏伝』を引用して魍魎は水神であるとの文章が見られる。
鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』においても「形三歳の小児の如し、色は赤黒し、目赤く、耳長く、髪うるはし、このんで亡者の肝を食ふと云」とあり、『和漢三才図会』に記されたものと同様の解説がなされ、死体を掘り返してその頭に噛り付く子供のような姿をした魍魎が描かれた。また江戸時代の随筆集『耳嚢』や『茅窓漫録』等では悪人の死体を奪い去る地獄の妖怪、火車との混合も見られるようになる。
また現代においても妖怪を扱った作品の中で頻繁に登場する他、京極夏彦の小説『魍魎の匣』では作品を象徴する存在として書かれ、魍魎の名を現代に広めるきっかけとなった。




