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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第四五話 伝染する悪夢
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二 悪夢の世界へ

 その夢の中で、男は自身の娘とともに遊んでいた。場所は近所の公園のようだが、しかし周りにはそこにあるはずのない建物がひしめいている。だが彼は疑問を持つことなく娘に向かってゴムのボールを投げる。

 それは二度、三度と弾んで娘の腕に収まった。娘は笑いながらそのボールを投げ返す。

 最近は仕事が忙しくてしばらくこんな風に娘と遊ぶ時間が取れなかったこともあり、とても幸福な気持ちだった。いつかもっと彼女が成長したなら、こんな風に二人で時間を過ごす機会はずっと少なくなるだろう。そう思うと心が少し苦しくなる。だけど子供の成長を身近で見ていられることは親にとってはこの上ない喜びだ。

 投げ返されたボールが彼の胸に当たって、男はしっかりとそれを抱き止めた。そしてボールを返そうと再び娘の方に視線を向けて、しかしそこに現れていたものを見て目を見開いた。

「足いるか?」

 小さな少女であったはずのその姿は、いつの間にか不気味な女に変わっていた。その顔に垂れた髪の隙間から濁った瞳が彼を睨んでいる。そしてその左足と右腕があるべき場所には、ただ赤く肉の崩れた断面が覗いている。

 鈴の音が悪夢の世界に響く。鈴は、女の左手の指に紐を絡ませて揺れていた。

 女は不気味な笑みを浮かべ、生白い左腕を男に向けて伸ばした。血走った灰色の瞳は男を見つめているのかも定かではない。だが男は夢に現れたその異物に対し、本能的な恐怖を覚えていた。

 女の腕の動きに合わせ、揺れる鈴の音が夢を震わせる。その音に女の低い笑い声が重なった。

「い、いらない」

 男は思わずそう答え、そして女に背を向けて走り出した。だが足が思うように動かない上、鈴の音と次第に高くなる女の狂ったような笑いによって夢の景色が塗り替えられて行く。

 金属が捻じれるような奇怪な音があらゆる方向から彼を捉え、そして黒い空間の上空からは赤く染まった綿のようなものが降り続ける。その世界に果てはなく、また逃げ場もない。

 男は必死に走り続ける。あの怪物から逃れるために。しかし進めば進むほどに視界に見える奇妙な物体が数を増して行く。それが切り取られた無数の腕と足であることに彼はやがて気が付いた。

 男の足が転がった腕に躓き、その体が赤い雪に塗れた地面に転倒する。男は慌てて顔を上げるが、そこには嬉しそうな笑みを顔に張り付けた女が彼の前に立っている。

「そう、あなたはいらないのね?」

 女は尋ねる。男はただ首を横に振ることしかできない。女はそれを無視するようにその左腕を前に伸ばした。それとともに彼の右腕、左足に引き裂かれるような痛みが走り、やがて夢の世界は彼の死とともに崩壊した。




 今度は右腕と左足を千切られ、奪われた男の死体が見つかった。朝中々起きて来ない父親を起こしに行った娘がその無残な亡骸を発見したという。他の例と同じように失われた手足は見つかっておらず、外部から何者かが侵入した形跡もない。

 美琴はその家を見上げ、溜息を吐いた。そして片手に持った地図に印をつける。地図にはこの一か月で起きたカシマさんと呼ばれる都市伝説により引き起こされた殺人が発生した場所が記録されている。

 カシマレイコは確実にいる。だが気配が掴めない。せめて相手の霊気さえ分かっていればそれを辿ることができるかもしれないのだが、出現が夢の中限定であるためそれも難しい。

 だが手掛かりがないかといえばそうでもない。カシマレイコは霊体の怪異。物理的な移動を必要としないため、彼女にとって空間に対する制限がなく、噂を聞いた人間がどこにいようとその夢に現れることができる。その証拠にかつて彼女が引き起こしたと思われる事件は日本中の至る所で発生した。

 しかし今回ばかりは、あの悪霊はこの一帯に限り殺人を犯している。それに何か理由があるのかもしれない。

 まだ明るい空の下、美琴はじっと地図を見つめ、そしてあることに気が付いた。

 カシマさんが引き起こした殺人はこれで一七件。美琴はその指で事件のあった家を時系列の通りになぞる。予想通り、その線はある姿を象ろうとしていた。

 右腕と左足のない、人間の姿を。




「ねえ恒ちゃん、私あの後カシマさんについてちょっと調べてみたんやけどさ、美琴様の言う通り凄い種類の噂がある怪異やった」

 夕暮れの黄泉国を歩いていたとき、不意に小町がそんなことを言った。恒は彼女に顔を向け、尋ねる。

「どんな感じなの?」

「そうやねぇ。まず女であるという話と男という話、どちらもあるみたい。その正体も足を失った軍人の幽霊だったり、事故で手を失って絶望し、自殺したピアニストの幽霊だったり、足を失って踊ることができなくなって自殺したバレリーナだったり、列車に轢かれて下半身を失った女子高生だったり。それに出現する場所も美琴様の仰ってた夢の中から学校のトイレや家の玄関まで色々。細かい違いを見れば噂の種類は数えきれないほどあるみたいやね」

「へえ、それってそういう都市伝説がいっぱいいるってことなのかな」

 恒のその言葉に小町は小さく首を傾げた。

「どうやろねえ。カシマさんという都市伝説は幽霊みたいやから、そんな同じような幽霊が何人もいるもんやろか。基本的に都市伝説は一つの噂につき一つの怪異やしねぇ」

 恒は考える。確かに口裂け女も赤マントもひきこさんも、都市伝説は皆、たった一人の存在だった。今この町を騒がせている都市伝説もカシマさんという名前がある以上は一人である可能性が高いのだろうか。

 石段を登り、恒と小町は屋敷の戸を開いた。傾いた陽の光が窓枠の形に切り取られ、廊下に赤い影を落としている。その廊下を進み、二人は居間に入った。

「ただいま帰りました」

 赤い夕影に染まった居間では美琴が座っていて、卓袱台の上に広げた地図を睨んでいた。帰ってきた二人に気が付くと顔を上げて自分の方に来るように合図し、彼女は再び地図に目を戻す。

「何か分かったんどすか?」

 小町が美琴の隣に座り、興味深そうに地図を覗き込む。恒も後ろからそれを見てみると、どうやら木久里町の地図のようだった。そこにいくつも黒い点で印が付けられており、さらにそれらの点を繋げるようにして直線が引かれている。どうやら美琴がつけたものらしい。

「少し興味深いことが分かったの」

 美琴はその地図を指でさし、二人に説明を始める。

「この一ヶ月でカシマレイコの犠牲になったのは一七人。夢を通じて人を殺すという特性上、彼女が一度の行動で殺害できる人間の数は一人だから、事件も同じく一七件起きているわ。そして最初の事件が起きたのがここ」

 美琴は地図に付けられた印の中で、最も右下に書かれたものを指を置いた。そして死神の指は紙の上を滑るようにして動き、最初に事件が起きたという場所に記された印から直接線が繋げられた隣の印をさす。

「そして二件目がここ、さらに三件目がここ。これを見れば分かるように、事件の発生場所を見るとほぼ同じぐらいの距離間隔を空けながら発生しているでしょう? それに何か法則性でもあるのではないかと思ったの。それで事件が起きた順番に家を線で繋げてみたら、この図ができたわ。まるで片手片足のない彼女の姿を形作ろうとしているみたい」

 恒は地図を覗き込んだ。そう言われてみるとそうも見える。まだ左腕から始まり肩から頭、それに千切れたように途中で途切れている右腕の部分しか描かれてはいないが、それが彼女の姿形なのだろう。

「でも、何でわざわざ自分の形を?」

「さあね、もしかしたら呪術的な意味合いがあるのかもしれないけれど、でもこれで彼女が次に出現する場所の予想ができる。迎え撃てるわ」

 美琴はそう言って、地図に新たに印を付けた。最後の事件が起こった場所から少し離れた場所。地図上に描かれた図から考えるに、その辺りにカシマさんが出現する可能性が高いということは恒にも納得できた。

「夢の中で戦うのですか?」

「そうね。私の夢の中に彼女を誘い込む。霊力ではあの化け物には敵わないかもしれないけれど、私自身の精神世界での戦いならば勝機は十分にあるわ。それに都市伝説には都市伝説であるが故の弱点もある。特にカシマレイコのような霊体の怪物にはね」

 美琴は二人に危ないからこの国にいるように告げた。恒と小町は頷く。どの道夢の中の戦いでは手助けはできない。

 美琴が立ち上がる。彼女が目を向ける窓の外は、既に夕闇に濡れていた。




 形なきその霊は、そこに漂っていた。彼女はもう誰に対するものかも分からなくなった怨念と、ただ手足が欲しいという欲求の下に自分が入ることができる夢を探していた。

 もうこの悪霊の姿となって四十年以上の時が経っている。そんな時間の経過も彼女が知ることはない。ただおぼろげな記憶の欠片を辿って、自分の姿を描いているだけだった。これまでに何人殺したのかも覚えてはいない。数える気もない。ただ彼女は自分の体に相応しい手足を探していた。

 奪った手足が彼女の体を再生させることはない。だがカシマレイコがそれを知ることはない。

 ただかつて人であった頃の感情に従い、彼女は人々を呪い続けるのだ。手足を求めるはかつて幸福と思えた日々をもう一度繰り返すために。人を殺めるはかつて彼女を虐げ続けた人間たちへの復讐のために。

 罪悪感はない。幸福感もない。死とともに壊れ、狂ってしまった心を引き摺り、ただ際限のない欲求に突き動かされて人を呪い続ける都市伝説。それがカシマレイコという怪異。

 そんな彼女もかつては人間の少女だった。そして一人の少女を悪霊に変えたのもまた、同じ人間だった。



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